インタビュー|

「ル・マンジュ・トゥー」谷昇氏に聞く、「料理人という仕事の面白さ」

神楽坂の閑静な住宅街の一角に佇む、一軒家フレンチレストラン「Le Mange-Tout/ル・マンジュ・トゥー」。1994年にオープンし、現在は13年連続で2つ星を獲得する日本のフランス料理界を牽引する名店です。
今回は同店でオーナーシェフを務める谷昇氏に、料理人としての原点と未来について伺ってきました。

恩師との出会いで磨かれた料理人としての価値観

―まずは料理人を志したきっかけがあれば教えてください。

きっかけは高校3年生のとき。当時は学生運動が盛んで授業がなくなることも多く、僕は麻雀ばかりしていました。そんなある日、元職業軍人の厳しい父に「卒業後はどうするんだ」と聞かれ、思わず口を突いて出たのが「料理人」でした。
正直に言うと、今も昔も僕は料理に興味がありません。ただ、仲間の一人が料理をやると話していたのが頭に残っていたんですよね。彼がもし大工と言っていたら、僕は今頃大工になっていたと思います。

翌日父が、通勤途中にある服部学園の案内書をもらってきました。「1年コース(調理師)と2年コース(栄養士)があるぞ」と言われたので、少しでも長く学生でいたくて2年コースへ。調理師と栄養士の区別すらついていなかったんです。

入学後はそろばんを片手に栄養計算。料理ができないままではまずいと思い、辻調理師専門学校に編入しようとしました。すると話を聞きつけた先生が、六本木の「イル・ド・フランス」を紹介してくれたのです。

「かっこいいから」という理由でフランス料理の世界に入りましたが、そこでアンドレ・パッション氏と出会ったことが転機となりました。彼は南仏のカルカソンヌ出身で、地方人。ですから僕の根幹には、その地方料理も流れています。また日本イムズでない考え方もパッション氏のおかげです。もちろんシェフが調理場のトップではありますが、それは一つの序列なだけで、やっていることは見習いの子と並列です。経験や年齢に差をつけないリヴェラリストな部分は今の僕の思想に反映されていますね。

お店の味を守るのはシェフではなくマダム

―そのまま「イル・ド・フランス」へ入社し、その後2度に渡ってフランスへ行かれていますね。

クロコディルでの1枚

1度目は24歳、2度目は37歳のときに仕事を通して知り合ったワイン醸造家の紹介でフランスへ渡りました。アルザスの3つ星レストラン「クロコディル」では当時フランス1と言われるマダムがいたのですが、僕の料理観が変わる衝撃的な存在でしたね。

それまで自分が働いてきた店はすべてが調理場主導。料理ができれば「早く持っていけ」、料理が残れば「どうなってるんだ」と。サービスメンバーは僕たちシェフを怖がって、客席の正確な情報を伝えられる関係性ではなかったんです。

しかしそのマダムからはすべてがダイレクトに来る。毎日オーナーシェフ、マダム、シェフソムリエ、メートル、調理場のシェフ5人に料理を出すのですが、マダムのチェックが一番厳しかった。「この料理の意味は?」「こんな料理食べられないわ」など、料理を担当したシェフは落ち込むことを言われることもありますが、僕は「これだ!」と思いましたね。

―では今の「ル・マンジュ・トゥー」も同じ方法で、マダムがお料理のジャッジを?

新しい料理を出すときは、マダムである楠本に稟議を上げます。僕が提案した料理でも、彼女がダメと言えばダメ。すべて楠本の判断です。彼女とはもう30年くらいの付き合いになりますね。アパレルのデザイナーだったのですが、レストラン業界に入りたいと退職して、当時僕が働いていたお店に来てくれたのです。

それから共に「ル・マンジュ・トゥー」をオープンし、ここでは調理場ではなくホールのサービスを主導にしました。とにかくサービスメンバーに言われたことはYESで出す。納得いかないことがあれば、お客様が帰った閉店後に話そうと。

うまくいくようになったのはそれからです。サービスメンバーは僕らシェフの目が届かないところまで全部見ているので、連携してお客様の声を料理に反映させています。今でも「あの料理は……」とか言われると、腹が立つこともありますよ。でも翌日には全部変えている自分がいるんですよね。

ベストな調理法を求めて自問自答を繰り返す

―谷シェフ自身は、どのようなお料理作りを心がけていらっしゃるのでしょうか。

料理は「はかりおさめる」と言いますよね。技術を加えるということは、火を入れるとか消化吸収を助けるなどの意味がありますが、それ以上のことが果たして必要なのかということは常に考えています。

例えば、茹でた白アスパラガスにオランデーズソースをかければ、間違いなく美味しいです。でもそのオランデーズソースは本当に必要なのか。茹でっぱなしで提供しても美味しいかもしれない。でもそれだと僕は皮をむいて茹でただけで、代価のお金を頂戴していいものなのかなど……。

あとはインスタ映えという言葉が流行って、料理が一種の遊びになってきている。そういうことをやり続けていると、どこかでしっぺ返しがくるような気がします。
僕たちの仕事は様々な生産者の方々の上に成り立ち、その完成形の食材を料理する。お客様への提供が終われば、すべてはゴミ箱へ。ですから料理というのは、僕の中では加工業務。その加工業務をきちっと遂行するべきだと思うんです。
だから今でも料理を作るときは謙虚に、この調理法この仕上がりが本当にベストなのかを自問自答するようにしています。

―では谷シェフにとって、料理の仕事とは?

長くこの業界に身を置く中で一つだけ言えることは、人は食べなければ生きていけないということ。今、孫娘に頼まれて家に金魚がいるんですけど、四六時中エサを食べています。特に人間以外の動物って、自分が起きている間中食べることしか考えていないんですよね。そうすると料理の仕事は、生きていくというすべてのことを取り込めるキャパがある。だから面白いんです。
でも食べることをエサではなく文化にするとなると、当然料理だけをやっていてもダメ。ですからスタッフには、料理以外の文化にも触れるように伝えています。

―若い料理人やお弟子さんたちに伝えていきたいことはありますか。

特にないです。そして弟子という言葉も使ったことがありません。お店にいるスタッフは、基本的に30歳になる前にフランスへ出しています。最強のライバルを、自分自身で作っている感じでしょうか。それって弟子じゃないですよね。この店を一歩出たら、潰すか潰されるか。それはプロですから当然です。

でも考え方は伝えます。僕が生きてきた中で感じたことや勉強してきたことを、いかに伝えていくかの方が、シェフにとっては大事な仕事かなと。

料理も一緒です。僕もパッション氏から田舎料理を教わってパリに行きました。挫折して1度帰国し、2回目のアルザスで働いたお店は3つ星と2つ星。果たしてその料理には何の意味があって、自分の料理を表現するとはどういうことなのか。自分で考えて内向して、どんどん自分自身に攻め入ることができるのが料理の仕事だと思っています。

プロフェッショナルとは、決めたことを最後までやり遂げること

―谷シェフは何事にもストイックな印象があります。そのプロフェッショナルな考え方はどのように生まれたのでしょうか。

僕の思うプロフェッショナルは、とにかく自分が決めたことを最後までやり遂げること。特に僕のように才能のない人間は、続けなければ意味がない。

例えば、僕は毎月ユニセフのマンスリーサポートをしているのですが、続けることによって世界の情報がたくさん入ってきます。そうすると、どれだけ日本がおごり高ぶりの中で生きているかに気づかされるんです。こんなに食べ物をいじくるような国は、いつか壊れる。僕は先に死んでしまいますが、将来それを生業にする彼らには現状をもっと伝えていきたい。もちろん現実にならなければいいのですが、現実になる可能性もある。そういうときのためにインテリジェンスを持っていないといけないのに、今の調理師学校ではそれが学べないんです。

今の調理師法は、昭和28年に制定されてからほとんど変わっていないんです。中でも変えるべきなのは、資格を持っていなければ調理場で料理をしてはいけないということ。今は免許がなくても料理の提供が許されていますよね。しかしその一文があれば、もう少し調理師の地位は上がる。また、食品衛生責任者は保健所を通す必要がありますが、それは食中毒が出た際の責任者を問えるように。食中毒が出ることが前提になっているんです。次亜塩素酸ソーダで消毒して掃除するとか、現場では当たり前。でも授業ではやってくれない。人を殺さないための授業が必要だと思っています。

料理人としての「終い方」。掃除をしなくなったら僕は終わり

―最後に、今後目指したいシェフ像があれば教えてください。

最終形はボロボロになること。これが一番かっこいいですよね。僕の周りにいる同世代のシェフたちも、もうみんなボロ切れです。「いつまでシェフやるんですか?」「やれるまでやるよ」って。かっこいいと思います。僕も多分辞めないです。料理って大変だけど、それくらい面白いんですよね。

今は仕事が終わった後に、1時間半かけて自分が使ったスペースを端から端まで毎日掃除しています。これをやらなくなったら僕は終わり。やりたいことというか自分に課したミッションというんですかね。年をとって料理も身体もダメになる。クリエーションも出てこない。でも掃除は続けられそうなので。自分の終いと同じで、きちっとやり遂げたいです。

編集後記
インタビューの最後に「年を取ることは誰でもできるけど、年を重ねることは誰にでもできないよ」と話してくれた谷シェフ。その生き様は料理人でなくても憧れるものがあり、誰に対しても笑顔でフラットな姿は、惜しみない努力と勉強の賜物なのだと、改めてプロフェッショナルな精神を感じました。

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谷 昇 プロフィール
1952年8月4日生 東京都出身 血液型A型
六本木の「イル・ド・フランス」からフレンチの世界に入る。1976年、1989年と2度フランスへ渡り、アルザスの3つ星レストラン「クロコディル」や2つ星レストラン「シリンガー」などで修行をする。帰国後、六本木の「オー・シザーブル」などでシェフを務めたあと、1994年に「ル・マンジュ・トゥー」をオープン。2003年に柴田書店より「素描するフランス料理」を出版。2006年「ル・マンジュ・トゥー」改装オープン。

フランス料理

Le Mange-Tout

都営地下鉄大江戸線 牛込神楽坂駅 徒歩6分

アクセス
住所 東京都新宿区納戸町22

misaki

一休.comレストランの元営業。300店舗近いレストランを担当したのち、もっと世の中に宿やレストランの魅力を発信したい!という思いから、KIWAMINOの編集に。よく食べ、よく遊び、よく働くがモットー。全国各地を飛び回り、インタビュー記事を通してシェフの熱き想いをたくさんお届けできるよう日々奮闘中です。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:LATURE/TAKAZAWA/銀座 きた福
・好きなお店:オテル・ドゥ・ミクニ
・自分の会食で使うなら:六雁
・得意ジャンル:フランス料理
・好きな食材:赤身肉/鴨/海老/いくら

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