静岡「成生」志村剛生氏に聞く、「サスエ前田魚店」前田尚毅氏と二人三脚で生み出す、進化し続ける天ぷらとは

静岡という立地にありながら、全国からゲストが絶えない新進気鋭の天ぷら屋「成生」。国内外の一流料理人達が注目する魚店「サスエ前田魚店」の前田尚毅氏と二人三脚で、こだわりの天ぷらの数々を提供します。今回は「成生」志村剛生氏に、フードコラムニストの門上武司氏がインタビュー。天ぷらの道へ進んだきっかけから、日々進化し続ける「成生」の天ぷらについてなど、多岐に渡って伺いました。

天ぷらとの必然の出会いに導かれた、天ぷら職人への道

―料理人の多くは、偶然みたいなきっかけで自身の進む道が決められたような話をされます。しかし、よく振り返れば、そうなるのは必然だったと思われる話ばかりなんですね。志村さんの場合も、天ぷらは自ら選んだ料理ではなかったそうですね。

成生の志村剛生氏

自分が料理人になる始まりは、飲食店のアルバイトからです。その縁で焼津の日本料理店へ入れてもらい、修業するうちに料理に興味が湧いてきました。色々あったのですが、先輩からあれこれ調理の役割を割り当てられていくうちに、完全にのめり込んでいましたね。それから6年ほど経ったころ、店の天ぷらカウンターをいきなり任されたのです。天ぷらは、雑誌『月刊専門料理』で特集されているのを読んだりして面白そうだと興味はありました。とは言え、雑誌に載っているのは名人と言われる料理人の揚げた天ぷらです。見たこともない白い天ぷらであったり、断面がレアなエビの天ぷらだったり。こんな料理があったのかって驚いていたくらいの世間知らずでした。

―刺激を受けても、実際に天ぷらを揚げた経験がそれほどあるわけではないし、指導者もいない。そんな中、どのように習得されたのですか。

天ぷら屋のカウンターに座って食べるなんて経験したことがなかったので、実際にそういうお店に行くしかないわけです。名人のお店をはじめ、焼津から東京へ。自分の軽トラで名だたる天ぷら屋を巡りました。天ぷらを良く知る料理人に教わる機会もなかったです。本を読んだり、実際に食べて感じたことを、自分なりに実践したり、そういう経験を重ねていました。天ぷらは揚げる食材を限定しないので、地元の静岡で収穫された、天ぷらに合いそうな食材を探してみるなど、そういうところから始めていました。

―志村さんは東京農業大学の畜産学科を卒業されています。そこで食を扱うとはどういうことかを学び、料理人になるための芯みたいなものを備えて修業されていたのではないでしょうか。興味のある料理を知るために見たり読んだりすることは苦にならないし、探求心も相当強い。天ぷらに取り組む姿を伺えば、志村さんと天ぷらの出会いは偶然だったとは思えないのですね。天ぷらに導かれて今があるといっても決して過言ではない。

そう言われますが、店で天ぷらを担当させてもらったのは2年ほどだったと思います。自分はもう30歳近くになっていたので「そろそろ独立をしないといけないな」って考えていた時、天ぷらなら自己資金が少なくてもできそうだと気づいたんです。こう言うと怒られるでしょうが、本当に最小限の規模で最小限の道具や器があればできると決断して、天ぷら屋をやってみようと独立してしまいました。食材は色々用意できる手立てはついていたので、これならなんとかやれるんじゃないかくらいの安易な考えで始めたんですよ。

「サスエ前田魚店」の前田さんと出会い、そして磨かれていく天ぷらたち

―志村さんに寄り添い、いつも最良の魚を届けてくれる「サスエ前田魚店」の前田尚毅さんとのつながりも、焼津にいたからこそ結ばれたといえる不思議な縁ですよね。

前田さんとはお互いの年齢が近いこともあって、自分が焼津の料理店で修業しているころからのお付き合いです。天ぷらは食材を小麦粉や卵水を混ぜて作った衣で包み、油で揚げる料理。食材はほとんど素のまま使うので、どういう食材を選ぶかが大事になってきます。日本の天ぷらの歴史をみても、江戸時代に江戸前の魚を揚げた天ぷら以来、天ぷらに使う食材の主流はずっと魚介です。そういう意味で、日本有数の漁港を擁する魚の街・焼津は、まさに天ぷらにしたい食材の宝庫なのです。その案内人が焼津の魚を扱う前田さんでした。

―志村さんがようやく独立されて構えた天ぷら屋ですが、お客さんを呼べるようになるのに2年かかったそうですね。そういう時も、前田さんは支えてくれていたのですか。

天ぷらだけをコースで楽しんでもらえるお店を目指していたので、設定価格も高めでした。ただ開店した2007年当時は、静岡県内にそうした天ぷらをカウンターで出すお店なんてありません。地元のお客さんに受け入れられるのに時間が必要だったんです。前田さんには独立前から色々と相談にのってもらっていましたが、開店当初は天ダネになる食材を一緒に開発するなど親身になって協力してくれました。

獲れたばかりの様々な魚を持って来てくれるだけでなく、切り身にしたり、鮮度を保つ方法を加えたり、とにかく天ダネとしての可能性を広げようとあらゆることを試すのです。自分も持ち込まれる魚をどのように揚げればいいか、天ぷらという調理手法への挑戦を続けていました。衣、油、火、鍋と構成要素がシンプルなだけに、それらをどう再構築させるか、試すことは無限にあるみたいな感じでした。

―そうした努力の結果を見せられ、「成生」の天ぷらを初めて食べた人はみな驚くわけです。衣の中で蒸す、高温の油で瞬間的に焼く、揚げた後も余熱で茹でるといった技に、ただ揚げるものと思っていた天ぷらの既成概念が覆させられます。前田さんが持ち込んだ甘鯛も、それまでどこも天ぷらにしていなかったけれど、志村さんの手で鱗まで香ばしく揚げられると、いまや「成生」を代表する天ぷらになっています。

開店してお客さんが来てくれなければ、なにかしら集客の手立てを考えたくなるものなんですね。しかし、天ぷらのクオリティをキープさせるには、やはりまずは料理に集中する必要がありました。余計と思われることはそぎ落としつつ、前田さんにも、地元の静岡へアピールできる天ぷらにするにはどういう食材が向いているかを改めて考えてもらいました。つまり、お互いにもっと地歩をかためていこうとしたんです。

お客さんの笑顔のために必要不可欠な、生産者や漁業関係者との連携

―互いに切磋琢磨してこられたお二人ですが、その関係性が現在までずっと続いているのがやはりすごいです。まず地元で認められ、それから、今のように広く全国にお店が知られるようになるきっかけは何だったのですか。

SNSを通してでしたね。静岡に「成生」という天ぷら屋があると、徐々に知られていったように思います。前田さんとは自分が修業時代に知り合ったのですが、当時すでに全国の料理人と取引がある魚屋でした。その秘めたる影響力もあったはずです。最近は、海外に向けて発信すると言い出すので、本当に驚かされます。ただ、確かに各地からいろんな方に来店していただけるようになると「今日はこういう天ぷらにしてみよう」とか、自分もお客さんに喜んでもらえるように努力しますからね。間違いなく少しずつレベルアップしていると実感できています。前田さんもきっとそう思ってくれているはずです。

―お客さんに喜んでもらうには食材ありきという話になりますね。天ダネを考えるにしても常に食材が大事になってきます。

前田さんのすごいところは、一般のお客さんに小売りをして全国の料理人との取引もして、それに加えて、漁師や漁業関係者とも連携した仕事をこなしていることです。この生産者との関係は近年ものすごく大事になっています。自分も魚類は前田さんに負うところが大きいですが、野菜などは農家を訪ねて自分たちで納得できるものを購入しています。この生産者と直に会うことで畑や農作物の事情がよくわかってくるし、こちらからのニーズも伝えられて結果的に店のお客さんに喜んでもらえるものが提供できる。

ところが魚の場合、これまでとは事情が大きく変わりつつあるようなのです。刻一刻と状況が変化する戦場のような海上、その漁師の方々を陸の最前線で待ち構える前田さん。漁師さんの気持ちを汲み取り、昔ながらの漁業の仕組みの見直しに果敢に挑戦を繰り返しております。我々、消費者側もリアルな現場の状況を理解しなければ、本当の意味での持続可能性は実現不可能です。

―将来もこれまでのように食材を確保できるかという持続可能性を問う課題は、まさに今、フードシステム全体にかかわる課題でもあります。

型に囚われずに進化し続ける「成生」の天ぷら

―2021年に理想的とも思える店を新築され移転されて3年が経ちましたが、いかがですか。

食事していただく環境とか、仕事するための機能面では満足できる店づくりができたと思っています。ただ、毎日課題だらけですね。ちゃんと自分の仕事を見直し、お客さんに喜んでいただくことを最優先に、これからもやっていかなくてはと思います。

―お弟子さんともいえる精鋭のスタッフには、どういうことを伝えていきたいですか。

天ぷらは非常に楽しい調理法なので、もっと型に囚われずにアプローチしてほしいです。自分としては、その土地のものを活かした天ぷらにしてくれたらいいなと思っています。それと、海外の人にもっと天ぷらに挑戦してみてほしいですね。近年、日本で料理人になる外国人が増えてきましたが、カウンターで天ぷらを揚げられるような外国の職人さんはまだ現れていません。そういう人がうちの店に入ってきてもらえるようになって、今のスタッフに刺激を与えられたらいいなと考えています。

【編集後記】
ここ数年で一番足繁く通っている店であろう。そこで感じるのは、訪れる度に変化、進化を繰り返していること。主人の志村剛生さんと二人三脚で歩んできた「サスエ前田魚店」の前田尚毅さんによる魚の仕立てがどんどん変わってゆく。8割に近い魚が生きた状態で浜に届く。締め方、冷やし方など日々魚の状態を鑑みて仕事をする。その魚が「成生」に届くと、志村さんは1尾1尾ずつ粉の付け方から衣の状態、油の温度の変化など、あらゆる条件をクリアして素材の味を最大限に引き出す。それも天ぷらという技法の中で仕上げてゆくのだ。こんな天ぷら屋は唯一無二の存在である。

※こちらの記事は2024年10月09日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

門上 武司

1952年10月3日大阪生まれ。フードコラムニスト。
株式会社ジオード代表取締役。
関西の食雑誌『あまから手帖』の編集顧問を務めるかたわら、食関係の執筆、編集業務を中心に、プロデューサーとして活動。「関西の食ならこの男に聞け」と評判高く、テレビ、雑誌、新聞等のメディアにて発言も多い。一般社団法人 全日本・食学会 副理事長。2002 年日本ソムリエ協会より名誉ソムリエの称号を授与。
著書に、『門上武司の僕を呼ぶ料理店』(クリエテ関西)のほか、『スローフードな宿』『スローフードな宿2』(木楽舎)、『京料理、おあがりやす』(廣済堂出版)等。2023年11月29日発売の「あまから手帖別冊 食べる仕事 門上武司」(クリエテ関西)はこれまでの門上武司の食の歴史と、これからの「食」を考える刺激的な一冊。

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