愛知県、JR尾張一宮駅から徒歩約10分の場所に店を構える「Restaurant HONJIN」。
シェフ・田島裕大氏は、お父様がシェフを務めて地元で27年間愛され続けた鉄板焼き店「HONJIN」を継承。2021年より、新たにフランス料理と鉄板焼きを楽しめる店へと進化させました。今回は、田島氏にKIWAMINO編集部がインタビューを実施。店のコンセプトや一皿に込める思いなど、多岐にわたってお話を伺いました。
目 次
両親の背中を見て育ち、料理の道へ
-まずは料理人の道を選ばれたきっかけについてお聞かせください。
両親が鉄板焼き店を経営していたので「実家を継ぐのかな」という思いはずっとありました。実際には、高校卒業後の進路選択の時に「卒業後に何をしたいのか」と問われ「料理をしたい」と思ったのが決断のきっかけです。
両親に「専門学校に行きたい」と伝えたら「行くんだったら大阪に行け」「1人暮らしをして、ちゃんと自立するんだったら行かせる」と言われたのでその時に決心して、大阪の辻調理師専門学校へ入学しました。
-なかでもフレンチの道に進まれたきっかけやご理由についてお聞かせください。
それまでも両親の店の手伝いとかはしていたんですが、当時働いていたスタッフに、元々フランス料理をされていた方がいて。その方の姿から刺激を受け「抜かしたい」と闘争心が芽生えたことも料理の道を目指すきっかけになりました。鉄板焼きに対しても「より華やかな料理を作りたい」と感じ、フランス料理を勉強したいと思いました。
何も知識が無い状態で専門学校に入学し、1年目の過程で和・洋・中全てを勉強しました。そこでフランス料理を学んだことで、やはり興味が深まったんです。そのうち、専門学校のフランス校があることを知り「フランスに行きたい」と、進学先を辻調グループフランス校に変更しました。
-日本やフランスでのご経歴についてお聞かせください。
学生の時にフランスに行って、それから全てタイミングよく進んでいった部分がありました。卒業後は日本に戻り、当時の「ジョエル・ロブション」料理長・渡辺雄一郎シェフ(現restaurant Nabeno-Ism)の下で働きました。きっかけは、学生時代の研修先で出会った日本人の方に「就職はどうするんだ」と言われた際、僕は「1番厳しいところに行きたい」と答えて。そしたら「かつての職場を紹介するよ」と、紹介いただいたことです。
さらにフランスにいた時の主任の先生も、渡辺シェフの恩師。日本の担任の先生も渡辺シェフとの共通点があり、3人からの紹介で「ロブション」に入らせてもらうことになりました。そこから8年間、渡辺シェフと働かせていただきました。その後、日本で働いて基礎を築いた上で自分がどこまで本場で通用するのか、最終確認の意味も込めてフランスの三つ星レストラン「Maison Lameloise-Relais&Chateaux(メゾン ラムロワーズ)」に行きました。
-そのなかで特に印象的だったエピソードやご経験、今に活かされていることなどについてお聞かせください。
フランスにいた時はコロナ禍で、渡仏して2か月でロックダウンになりました。ただ、国からレストランへの補償金があったり、働いていなくても給料の8割を貰えたり、フランス料理の地位の高さも痛感しました。
ロックダウンが明けてからは営業再開になりましたが、ソーシャルディスタンスのため半分の人数で営業していました。お客様は国境が封鎖されてどこにも行けないからレストランに来ていて、毎日1日中満席でした。相当な忙しさではありましたが、これを対応できたことも自信になりましたし、色々と確認できて満足した部分もありました。その後、2回目のロックダウンになった時に帰国する決断をしました。元々就労ビザが下りていて5年くらいはいるつもりでしたが、逆に、短期間で濃い経験ができました。
-数々の出会いのなかでも、印象に残っているシェフや教えはありますか。
やはり現「restaurant Nabeno-Ism」の渡辺シェフですね。礼儀作法、挨拶や元気さもそうですし、料理人としてはもちろん、人としての部分を教えていただきました。それが無いと料理も伝わらないものになってしまうと思っています。
家業を継ぎ、リニューアルオープン
-その後家業の鉄板焼き店を継承され、現スタイルへとリニューアルオープンするに至った経緯をお聞かせください。
コロナ禍、帰国するタイミングで今後を考えた時に、一番は「実家の店の歴史を止めたくない」という思いがあり、継ぐことを決めました。帰国後半年間は、この場所でお客様が何を求めているかを見たかったので、鉄板焼き店として営業をしていました。その間スタッフを増やしていくとともに、店の歴史も知ってほしかったので、これまでのことを伝えたり鉄板の勉強をしてもらったりしつつ、自分なりのコンセプト作りや内装の準備を行っていました。
「Restaurant HONJIN」でシェフが表現する“愛知県ならではの料理”の魅力とは
-コンセプトである“地元・愛知県に着目し、生活に培われた食文化・味に密着した料理”。こちらのコンセプトにされたのは、どのような理由からでしょうか。
地元で店をやるからこそ、改めて何を知るべきか、どのようなコンセプトがいいのかを考えました。その時に思ったのが、フランスにいた頃に4ユーロくらいの安いワインを飲んでも、本場だからなのか美味しかったんですよね。逆に日本に帰ってきて少し高いワインを飲んだんですけど、僕はフランスで飲んだ安いワインの方が美味く感じたんです。
それで、その場所にある雰囲気や風土、その土地ならではのことが大事だと痛感し“地元の食材を使いたい”ということと“日本酒の勉強をしたい”と思い立ちました。そこから、愛知県は日本酒の蔵元が47くらいあるので色々と紹介していただいて、生産者さんに会いに行ったりもしましたね。
-店で表現したいお料理、またそこに込められた思いとはどのようなものでしょうか。
店もオープンキッチンで、お客様に直接説明できる環境だからこそ、何事も背景を大事にしたいと思っています。料理を作りながら食材や生産者さん等のことまで説明して、両方楽しんでいただきたいです。
フランス料理って、ソースの文化なんですが、日本はそもそも食材自体が美味しい。素材がありきだと思っているので、ソースを上から掛けないのもこだわりです。普段、魚・肉はもちろん、本当に「野菜が美味しい」って言われるんです。素材があってこそ、料理を作れているというのがあるので、僕は素材を最大限活かしてあとの技法は学んできたことを添わせているくらいの感覚です。
僕としては、愛知県の素晴らしい食材を発信していきたいと思っているので、実際に感じて喜んでもらって笑顔を見られれば嬉しいです。その反応からよりお客様との話も深められますしね。
-食材を大切にされているのが伝わりますが、仕入れについてのこだわりをお聞かせください。
使用するのは簡単ですが“使い続ける”ということを大切にしています。そこで、気になる食材があれば、畑に行ってどういう風に作っているかを知りにいきます。
判断基準としては、その人の人柄が素材に出てくると思うのと、僕らも情熱を込めて作っているので、まず思いで感じますね。また、毎月何かしらのイベントもやっているんですが、生産者さんに来てもらって直接お客様に説明していただいたりしています。
-様々なメニューがおありのなかで「これだけは味わってほしい」という逸品についてお聞かせください。
「牡蠣のほうろくコンフィ」です。元々牡蠣が好きで、何か牡蠣料理を作りたいと思っていたなかで20作目くらいでの完成品です。その時期の一番大きな牡蠣を仕入れ、昆布のジュレと日間賀島の生のりを乗せています。さらにその上にフロマージュブランと酒粕のアイスを添えたもので、これも日本酒と関連のある料理です。ペアリングでオリジナルの日本酒を合わせるのもおすすめです。
日本酒関連のイベントをする際には、酒蔵さんからうちに合うお酒を持ってきてもらって。その仕込み水で昆布のジュレを引き、酒粕を貰って、そのイベント1日だけの酒粕アイスを作ります。お水によってジュレの味も変わるし、昆布の出汁の出方や味わいも変わってくる。そのイベントの時だけの、酒蔵さんに合う牡蠣料理になるんです。
-ワインやオリジナルの日本酒とのマリアージュも魅力ですが「Restaurant HONJIN」ならではのお客様に味わってほしい食体験とはどのようなものでしょうか。
まず、調味料にこだわっています。フランス料理だとオリーブオイルをよく使用すると思いますが、愛知県西尾市で作られているほうろく菜種油を使っているんです。
それでフォカッチャなども作っていますし、主軸となっている部分です。味わいとしてはすごく香ばしくて旨味にもなりますし、オメガ3・6・9が黄金比で出ていて身体にもいいんです。
実はオープンキッチンのカウンターには、そのボトルが置いてあって説明しながら食べていただくこともあるので、皆さんに菜種油のことも知っていただけるんです。食べても分からないこともあると思いますが、ボトルを見たり料理人が説明したりすることで、感じ方が変わったり美味しさが広がっていくということも食体験の一つだと考えています。
-オープンキッチンが発信の場所になっていますね!
そうですね、僕もそれを目的にしてオープンキッチンにしています。一宮は名古屋から少し離れるので、わざわざ足を運ぶためのレストランとして、ここだからこそ提供できる価値を考えています。
あと、食体験と言えば包丁にもこだわっています。店では岐阜県関市の小林弘樹さんのものを使用しているのですが、僕の生まれが岐阜県なのである意味ルーツがあるものですね。今となっては2年待ちの包丁です。これは元々尊敬する先輩を通じて知ったものなのですが、見た瞬間に印象に残って、生産元へ足を運びました。
実際には、お客様のテーブルナイフとして肉料理の際に提供しています。僕がどれだけ火入れを上手にしようが、切れない包丁で切ると肉汁が出てしまい、いい状態では食べられないんです。だから、切れないストレスを無くすとともに、美味しい状態で食べていただくために使用しています。お客様も「凄い」と驚かれますね。まさにこれも食体験であり、生産者さんを知っていただけるものです。
発信力を高めていくために、成長を遂げていきたい
-若手シェフが結集されておりますが、この先、チームで目指していきたいことはどのようなことでしょうか。
もちろん、ミシュランを目指してはいます。ただ目指して取れるものではないので、きちんとお客様によさを感じてもらって、そこに結果が付いてきたらと思っています。去年、一宮で初めて『ゴ・エ・ミヨ2023』では3トックを獲得させていただいて、ゴ・エ・ミヨは料理人と生産者さんも評価のポイントではあるので、自分たちが大事にしている部分を見てくれている人がいるっていうのは素直に嬉しかったです。
-現在、コラボイベント等も活発に実施されていらっしゃいますが、これからも続けていきたいこと、今後挑戦していきたいことがあればお聞かせください。
今後、生産者さんたちの魅力をより広められるように自分自身が有名にならないといけないと思っています。そのためにコンクールなどにも挑戦していきたいです。もっと美味しい料理を作ることもそうですし、発信者として自分自身が成長できたらと思っています。
-KIWAMINO読者の方へのメッセージをお願いいたします。
「Resutaurant HONJIN」に来ていただければ、愛知県の食体験をお楽しみいただけますので、ぜひご来店をお待ちしております。
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田島裕大氏 プロフィール
1992年 生まれ
2010年 辻調理師専門学校本科入学
2011年 辻グループフランス校入学
2011年 フランスの二つ星レストラン「La villa Archange」にて研修
2012年 日本の三つ星レストラン「Chatean Restaurant joel Robuchon」にて勤務
2016年 日本の二つ星レストラン「restaurant Nabeno-Ism」にオープン立ち上げから携わる
2020年 フランスの三つ星レストラン「Maison Lameloise-Relais&Chateaux」にて勤務
2021年 地元・愛知県一宮市にてフランス料理店を開業
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【編集後記】
地元・愛知県を大切に、ご自身の料理を通じて地域や生産者さんを発信していこうと挑戦されている田島シェフ。オープンキッチン越しにシェフと会話をしながら料理をいただくことで、よりその魅力を体感できそうです。ぜひここならではの食体験をしに、伺いたくなりました。
※こちらの記事は2024年05月08日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。