2021年11月1日、京都・東山にオープンした「ひがしやま司」は、オープンと同時に予約困難店となった一軒。店主を務める宮下司氏は京都の名店「祇園丸山」「祇園 さゝ木」で研鑽を積んだ実力者です。
和食に様々なエッセンスを加え、独自の一皿を生み出す宮下氏に今回、料理人を目指したきっかけから料理のこだわり、今後の展望まで、多岐に渡って語っていただきました。
京都の和食を代表する2つの名店で培った経験
-まずは料理人を目指したきっかけをお聞かせください。
物心ついた時から料理に興味があって、最初の記憶として母の隣でトンカツの衣を一緒に付けていたことを覚えていますね。
小学生の頃は日曜日になると、いつもより遅く起きる家族のためにパン焼いたり目玉焼きを作ったりしていたのですが、喜んでもらえたのが嬉しくて。
そこからはずっとテレビでも料理番組ばかりを見ていましたし、そのまま専門学校に進みました。
-そこから和食に行ったのはなぜですか?
“日本人だから”というのが一番大きいです。例えばどんなジャンルの料理をするにしても、日本人なのに和食のことを知らなかったり、作れなかったりすると、海外の方と対峙した時にかっこ悪いなと思って。何をするにしてもまずは和食だと思って進んだ結果、20年になりました(笑)。
-20年も続いた和食の魅力は何だったのでしょうか。
僕は最初「祇園丸山」という料亭に入りました。夏の暑い日に面接に伺って、汗をかきながら寄り付きで待っていた時、蚊取り線香の香りがする空間と打ち水がされたお庭から吹く風にすごく涼を感じたんです。
これは和食を食べる空間だけのもの、さらに京都にしかないものだなと思って。料理はもちろん、お茶やお花など文化的なものにも興味があったので、勉強できる対象が多くて面白いことも魅力ですね。
-確かに他のジャンルにはない雰囲気ですよね。宮下様は「祇園丸山」「祇園 さゝ木」と錚々たる名店で研鑽を積まれていますが、今に活かされていることはどんなことですか?
「祇園丸山」では休みの日にお茶やお花を習わせていただきました。その時はしんどく感じたこともありましたが、やっぱり知っているのと知らないのとでは全然違いますよね。
今の僕の料理に活かされているかというと、ぱっと見では分からないかもしれませんが、献立を考える際のベースにはなっています。例えば「今の季節にこの器でこういう料理を出していたな」みたいな。
それに器はもちろん、それ以外の設えに関してもいいものがたくさん置いてあり、そういったことに興味を持つきっかけにもなりました。
丸山さんは「料理のことを毎日考え、それ以外の教養も身に付けていかないといい料理人にはなれないよ」とずっと仰っていたので、勉強する癖のようなものは「祇園丸山」で学びましたね。
-「祇園 さゝ木」ではいかがですか?
「祇園丸山」は料亭なので、料理とは色々な要素のなかの一つでしかないという考え方ですが「祇園 さゝ木」はいい食材のいいところだけをお客様に出すという考え。
それに「祇園丸山」は料亭なので、お客様のペースがそのお座敷のぺ―スになりますが「祇園 さゝ木」はお喋りしていて食べていない方がいらっしゃれば「次の料理きますよ」という感じなので、そんなことお客様に言ってもいいの!?とカルチャーショックを受けましたね(笑)。
でも佐々木のおやっさんは、いい状態で料理を食べてもらいたいという気持ちがあるからそういったことを伝えるし、それを良しとするお客様が来てくれるお店だったんです。
毎朝滋賀から6時前に起きて市場に行き、食材を仕入れ、夜の一瞬のために命を削っている。そんなおやっさんだから押し付けではなく言ってもいい言葉ですよね。
そしてカウンターでのお客様との掛け合いが単純にかっこいいなと思いました。おやっさんがカウンターに立った瞬間に空気が変わり、ショータイムになります。今、京都の和食は大抵が一斉スタートのお店ですが、そんな世界を作り上げたのは本当に凄いことですよ。
僕は「祇園 さゝ木」に10年いましたが、そこの本店はもちろんアラカルトを提供する系列店の「祇園楽味」でも働かせてもらって、1つのお店で経験する10年とはまた違った時間を過ごすことができたと思っています。
-元々独立するというのは決めていたのですか?
30歳になった時、ちょうど10年になる35歳までにお店を辞めますとおやっさんに伝えていました。
何をやるかは決めていませんでしたが、出張料理人やイベントで生計を立てるなど色々な働き方があるなかで、とりあえず自分の料理がどれだけお客様にリアクションを貰うことができるのか気になり、36歳の時にお店を開業しました。
あとはサービスとして一緒に働いている本郷くんとの出会いも大きいですね。僕が「祇園 さゝ木」でワイン担当だった時「KENZO ESTATE(ケンゾー エステイト)」というワイナリーで営業をしていた本郷くんと知り合いました。
年も近かったのでたまに一緒に飲みに行くこともあって、自分が辞めるとなった時「一緒に何かやってみる?」と聞いてみたら、考えてみてもいいですかと言ってくれて。一気に話が進みました。
やはり1人で仕事をしながら独立を進めるのはしんどくて、2人で話し合いながら決めていきました。お互い得意な点と不得意な点がかみ合うので、補いながら二人三脚でやっています。
「ひがしやま司」だからこそ食べられる唯一無二の料理を目指して
-お2人で歩まれ完成された「ひがしやま司」ですが、いわゆる一般的な和食とは異なる料理を食べることができると話題です。
宮下さんは和食以外のジャンルのお店で短期的に研修をした経歴もあるそうですね。それらは今の料理にも反映されているのですか。
基本的なコンセプトとして“よそで出していない料理を出す”というのは常に考えています。どうしても和食は「この季節は節句としてこの料理」「この食材が旬だからこの料理」という型があると思うんです。なので料理内容が被ってしまうことが結構ありますよね。
東京から来て一週間京都に滞在され、そのうち3軒和食を食べに行った場合、間にうちを挟んでいただければ、同じ食材だけどこんな食べ方ができるとか、こうしても美味しいんだとか、そう思ってもらえたらなと考えています。僕自身がエスニックやスパイスも好きなので、やり過ぎない程度に混ぜています。
-確かに京都は名店ぞろいなので、そのなかで違いを出すのは難しいですよね。
普通の和食のお店がオープンしたところで料理が一緒だと、自分がやる意味がないんじゃないかと思って、その点は一番心掛けていますね。
なので他のお店では、柄の食器や骨董を使って季節感を出す場合もありますが、うちでは無地の和食器を使い、食材や盛り付けで季節感を出すようにしています。
例えば今年の夏はお客様も京都で鱧を食べ飽きているだろうなと思って、鱧を使わない括りをしてみました。
-鱧に変わる目玉のような食材はあったんですか?
パンチがある食材としては鳩を使ってみましたね。ワインも併せていただけるので、結構評判は良かったですよ。
-鳩ですか!?和食で鳩を食べる機会はあまりなさそうで面白いですね。「ひがしやま司」ならではの料理はどのように組み立てているのですか?
メニューや献立を考える際、季節によって内容を変えるだけで提供できる料理があると組み立てやすいなと思い「シャリ粥」といって酢飯を昆布出汁で少し伸ばして粥にしたものと、生春巻きは定番でお出ししています。
-和食ではないようなメニューが多いですが、どうやって生み出しているのでしょうか?
とりあえずNGはなしで、試作するという感じです。少しでも面白そうだなと思ったらとりあえず作っています。
京都には名店と言われるお店がたくさんあり、昔から伝わる茶懐石などを守ってくれているので、同じことをやってもしょうがないですよね。それであれば自分らしい、分かりやすく言うとSNSで一目見ただけでどのお店か分かるような、そんな料理をしたいなと思っています。
-面白そうな料理をやり過ぎてしまうと奇をてらった料理になってしまうと思いますが、気を付けている点はありますか?
コースとしての構成は調整しています。遊んだ料理の後はシンプルな料理を出すなど、そういった点で心掛けていますね。
-お食事をいただく空間ですが、木島徹氏の建築がとても素敵です。お店の1階には木島氏が手掛けるバー「コノシマビール」もあるそうですが、ここにお店を出されたのは理由があるのですか?
店をやると決めた時から建築は木島さんにやってもらいたいと考えていました。お店の物件が決まらないなか「コノシマビール」にきて、たまたま木島さんが手掛けているビアバーだということを知ったんです。
後日物件探しの帰りに「コノシマビール」へ立ち寄った際、2階が空いていると聞いて勢いで内覧させてもらい、おやっさんにも見てもらった上で決めました。
バックヤードが作れる広さはないのですが、元々カウンターで全部調理したいと考えていたので、その点は木島さんにお伝えし、今の形になりました。
-カウンターでのおもてなしですが、心掛けていることはありますか?
木島さんの建築は洗練された空間なので、接客はなるべくフランクにするようにしています。お客様が緊張されると逆に僕も緊張してしまうので……。
本郷くんが真面目なキャラクターなので、その対比ですね(笑)。
開業して約1年。自分のお店を通して感じた修業の意味
-今後挑戦してみたいことはありますか?
わりと真剣に、カレー屋さんをやりたいなと思っています(笑)。実は無類のカレー好きで、今も締めの二品目は、味や具材などを変えながらカレーを出しています。
来年にでもやりたいなって。早ければ早いだけいいですもんね。
-カレー屋さんとは意外でした(笑)。では「ひがしやま司」の今後に関してはいかがですか。
オープンして1年しか経っていないので、今後お店をどうしていきたいという展望は考えられていないのが正直なところです。
もう1年という気持ちとまだ1年という気持ちと、色々な感覚がありますが、やっぱり周年というのはすごく嬉しい節目ですよね。
-実際にお店を出されてみて、いかがでしたか?
修業をしてきた意味がすごくあったなと感じています。今まで何かを考える時、例えば「祇園 さゝ木」にいる時は「祇園丸山」の料理を思い出すことはあまりありませんでしたが、自分のお店を出すにあたり、お茶の心を知っていたり、お花を生けることができたりするというのも「祇園丸山」での修業があったからこそだと感じています。
あと「祇園 さゝ木」に関しては、卒業された先輩方の実績があるからこそ、自分のお店にお客様が来てくださっているというのもあると思うので、最初はプレッシャーもありましたが、すごく感謝しています。
***
宮下司氏 プロフィール
1985年生まれ。辻調理師専門学校を卒業後、「祇園 丸山」で6年間、「祇園 さゝ木」で10年間、研鑽を積む。2016年、「RED U-35」にてSILVER EGG受賞。「THE THOUSAND KYOTO(ザ・サウザンド キョウト)」内にある日本料理レストラン「KIZAHASHI(階)」のカウンター専属料理長を経て、2021年11月1日「ひがしやま司」を開業。