滋賀県「比良山荘」伊藤剛治氏に聞く、四季折々の旬を味わいつくす「山の辺料理」の魅力

京都市内から車で1時間弱、滋賀・比良山系の麓に位置する日本料理店「比良山荘」。3代続くこのお店は、日本料理の技と心を礎に地場ならではの食材で、野趣溢れる「山の辺料理」を表現しています。当主・伊藤剛治氏が生み出す鮎料理や熊鍋など、四季折々の食材を活かした料理は、食通が季節ごとにわざわざ通うほどの逸品揃い。今回は、伊藤氏に「山の辺料理」の魅力と、日本の食文化について語っていただきました。

代替わりするごとに発展する「比良山荘」

伊藤さんが「比良山荘」の料理人になられたきっかけを、お聞かせください。

料理人になったきっかけというほどのことは、特にありません。私が生まれる前から父は「比良山荘」の当主で、私はその家で生まれ育ちました。父の背中を見て育ったわけですが、お店を継ぐことについてはそんなに深く考えずに、それが当たり前だと思って生きてきましたね。
「将来は父のように、この『比良山荘』で料理人としてやっていくんだ」と思いながら料理を勉強して、実際にお店を継いだ。それが、自然な流れでした。でも、京都などで代々続いているお店もそういうものかと思いますよ。

御祖父様が開業されてから、伊藤さんが3代目として「比良山荘」を受け継ぎました。現在に至るまでの経緯について、教えていただけますか。

元々「比良山荘」は宿屋から始まったお店で、初代である祖父は、料理には特に重きを置いていませんでした。開業当初は、この地が登山拠点だということから、山登りをする人たちの山荘として開業しました。それを2代目の父が、お店としてステップアップするために、料理に力を入れるようになったんです。なかでも、一番注目を浴びるようになったのは夏場の鮎料理でした。

今でこそ熊鍋なども認知していただいていますが、昔は「『比良山荘』と言えば、「鮎料理」と言われていましたね。そしてお店が私の代になってからは、父を踏襲してさらに色々な料理を発展させて、今に至ります。

お父様から直接、薫陶を受けられたことはあったのでしょうか。

実は父の代は少し短く、父は私が12歳の時に、道半ばで病没しました。厳密に言うと、3代目は母と言えるかもしれません。私が継ぐまでは、母が料理人と共にお店を維持していました。そのため、私は父から直接料理を習ったことは一度もないんです。

でも“地元の食材で料理を作って、外から来た人に食べてもらう”というのが、父のコンセプトでした。その信条は、私にもしっかりと受け継がれています。今でこそ「地産地消」という言葉が世の中に浸透してきていますが「比良山荘」は、それをかなり先駆けてやっていたと思います。

京都から離れた地だからこそ味わえる「山の辺料理」の魅力

お店は京都市内から車で1時間弱と、やや離れた立地かと思います。この場所でお店を続けることには、どのような想いがあるのでしょうか。

鯖街道

京都から約1時間、という立地は偶然とはいえ絶妙な距離感で、すごく恵まれています。
たしかに遠くて辺鄙な場所ですが、お店の前の鯖街道(若狭街道)は、昔から若狭の国と京の都をつなぐ文化の往来があった街道で「都の香り」がする、特別な道中です。

京都から、この道中にかかる約1時間という時間は、お店にとってもお客様をお迎えする準備ができる良い時間ですし、お客様にとっても料理を楽しみにしてワクワク感を感じるのに、長すぎず短すぎず、魅力的な時間になっていると思います。

むしろ、京の都から離れた場所にあることが特別感を生み出しているのですね。

はい。そんな場所で、私は「京都の料理には、絶対になってはいけない」とお客様に言われてきました。若かった頃から「わざわざここにきて意味のある料理を作れ」と常に言われ続けてきました。立地は山奥でしたが、お客様の主体は京都の人たち。そのため、求められるものは京料理ではなく「この地域ならではの料理」でした。

そのように求められたものを色々と出し続け、試行錯誤を重ねた結果「比良山荘」の料理は仕上がっていきました。この場所でお店を続けるということは、ここに来てくれるお客様のため真に求めるものを突き詰め続け、出し続ける、ということに尽きると思います。

「比良山荘」と言えば山の幸を使った「山の辺料理」が大きな魅力ですが、先ほどのお話にもあったように、この場所にある“「比良山荘」らしさ”のある料理を表現するために、意識されていることは何でしょうか。

食べに来る人がイメージする料理から離れてがっかりさせたくない、という想いがあります。私の中には1つの“はみ出てはいけない枠組み”があって、それが「山の辺料理」ということになります。「山の辺料理」とは「山の辺りの料理」という意味です。その言葉を聞いて、食べに来るお客様がイメージするものを、大切にするようにしています。

お客様が何を求めているかと言うと「そこの地域のものが食べたい」ということです。
例えばその一環として、鮎があります。お店の目の前の川で、美味しい鮎が沢山獲れる。だから自然と、鮎をお腹いっぱい食べられる料理を出します。

同じように、四季の食材を使って季節ごとに料理を出すようになりましたが、それらは全て「この場所でこれを食べたい」というお客様視点で作っています。「これを出したい、こんなのを作って食べさせたい」という料理人視点で作ったことは一度もありません。
だから「比良山荘」の料理は、特に何かを元にせず、お客様の声によって本当の形になっています。「山の辺料理」は技術的には日本料理ですが、それをベースとしつつ、あとはお客様の声から生まれていきます。

鮎料理もそうですが、今では熊肉を使った「月鍋」が「比良山荘」の料理を語るうえで欠かせない存在だと思います。「月鍋」はどのようにして生まれたのでしょうか。

私がお店を継いだ時は鮎が盛んでしたが、この辺りでは熊も元々獲れました。また、猪も獲れるので、父は猪をすき焼きにしてお店で出していましたが、熊については「お客様が喜ばん」と言って興味がありませんでした。当時は「熊は臭い」と思われていて、美味しいなんて誰も知らなかったんです。

でも私にとっては、熊は特別な味でした。幼い頃に、たまたま家に猟師が熊を持ってきて、父がすき焼きにしてくれたんです。それが忘れられなかった。子供ながらに衝撃的に美味しかったことを今でも覚えています。
その記憶があり「熊の肉は何よりも絶対に美味しい」と、思っていたので25年くらい前から冬場のメイン料理として出すになりました。

でも出し始めて10年くらいは、全く箸にも棒にもかかりませんでしたね。「なんでこんなに美味しいのに、お客さん来てくれはらへんのやろ」と思っていました(笑)。
認知されるようになってきたのは、15年くらい経ってからです。でも僕は最初から一貫して「絶対に熊は美味しい」と確信し、他の食材が超えられない域にある食材だと思っていました。

他の食材が超えられない域、というのは凄いですね……聞くほどに食べたくなってきてしまいます。具体的には、熊肉にはどのような特徴や魅力があるのでしょうか。

一言で言えば「美味しい」に付きます(笑)。臭みも全くなく「こんなに美味しいお肉を食べたことがない!」というくらいびっくりする味です。特に、皮下脂肪の白い脂身の所は、お客様からもだいたい一言目に「甘い」と言われます。熊は皮下脂肪の部分に、甘みと旨みが凝縮されているんです。この脂身を食べたら、すぐに解ります。

そして、猪や鹿と比べて明らかに希少価値があります。なかなか獲れない。それでも、一昔前に言われていたような、怖いもの食べたさのレアなゲテモノなんかじゃなく「山の中の食材」として立派に、しかも段違いに成り立つ。希少価値と、肉としての真っ当な美味しさ、それが熊肉の魅力です。

熊肉や鮎の他にも、春の花山椒や秋の松茸など、様々な食材を扱われていますが、食材を仕入れるうえで、こだわっている部分はありますか。

何よりもまず、人とのつながりです。うちは“この辺りで本来獲れるもの”そして“それを獲る人々”を、何よりも大切にしています。他県から届く食材もありますが、それも仕入れてくれる人の顔は全部分かっています。仕入れは、その人たちと自分との直接の関係性がないと絶対に成り立たないです。人任せでは絶対にできませんし、質の良い食材が集まらなければ料理はできないので。

今一番心配しているのは、食材が徐々に集まりにくくなってきていることです。時代の流れで、一次産業をやろうとする人がどんどん少なくなっています。一次産業無くして、料理界なんてものはあり得ないです。今は、良質の熊や鮎を仕入れてくれる「『比良山荘』猟師集団」をいかに維持管理していくかということを、一番考えています。農家や猟師の収入が増えるためには良い食材を美味しく料理して、その食材の価値を上げていくこと。「比良山荘」で、そのような経済の循環に貢献できればいいなと思っています。

料理もお酒も、色々な種類があることが幸せ

お店では日本料理店でありながらフランスワインを始め、種類豊富なお酒を取り揃えているそうですが、ワインやお酒についてのこだわりがあればお聞かせください。

お酒全般が大好きなので、フランスワインだけではなく日本酒やビール、ウイスキーに焼酎、ジンまで置いています。ワインは4,000本くらいありますね。他にも、日本料理店とは思えないくらいの量のお酒があるので、完全に自分の酒道楽がお店に表れていますね(笑)。

若い頃は料理人として「日本酒を厳選して置いておけばいい」と固く考えていた時期もありましたが、今は色々な種類があるのが幸せだと思っています。料理もお酒も遊びだから、遊び心があるのが一番良いです。遊ぶ時に楽しめるおもちゃは、いっぱいあったほうが幸せですからね。

ウイスキーも、熊に合わせて「熊ハイボール」、鮎に合わせて「鮎ハイボール」なんかもオリジナルで作っていますよ。料理もお酒も“美味しい、楽しいもの”を置いておきたいです。「どこで誰と何を食べ、そこで何を飲むか」が、一番大事ですからね。

お店と生産者がずっと共存していける、継続的な食文化を大切にしたい

伊藤さんの中で、これからも続けていきたいこと、また今後挑戦したいことがあれば、お聞かせください。

現実となるかは別ですが「“理想のオーベルジュ”とはどんなものかな」というのは、頭の中にあります。山の中の料理屋としては、だいぶ自分の理想に近づいてきました。次は「こんな山の麓で美味しいご飯を食べて、泊まって次の日を迎えられる理想の宿を作るとしたら、どんなやり方があるのかなー」と、ぼんやり考えたりします。ただ、それが実現するのは次の世代でもいいかな、とも思っています。

僕自身としては「比良山荘」で鮎や熊を出し続けてきましたが、今の世の中の流れとして、食事は首都圏だけでなく、わざわざ地方に出向いて食べるという動きができてきて、自分もその流れを作る一端を担えたことは、良かったと思っています。地方にそれぞれ生産者がいて、地域の特産物がその場所の誇りとなり、生産者も料理店も一緒に残っていけるようになっていければ、それが「日本の食文化」の未来として素晴らしいことだと思います。

ヨーロッパは田舎でも、いや田舎だからこそ「その場所での食文化を楽しむ、そのためにお金をしっかり使う」という意識が人々に根付いています。四季の食材に恵まれた日本も、もっともっと頑張れば、地方でもヨーロッパのように食文化のレベルを上げられると信じています。

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伊藤剛治氏 プロフィール
滋賀県・大津市生まれ。料理学校で勉強した後、京都で修業を積む。その後、1998年に家業の「比良山荘」にて父の後を継ぎ、3代目の当主となる。山の辺りの食材で作る「山の辺料理」をコンセプトに、比良山麓の風土から生まれた野趣溢れるオリジナルの料理を提供し続け、今では全国から多くの食通が訪れる予約困難な名店に。

懐石・会席料理

比良山荘

JR線 堅田駅 江若交通バス堅田葛川線(細川行き) 坊村バス停下車 徒歩2分

【編集後記】
柔和な表情で「比良山荘」の料理・歴史から、日本の食文化の未来まで語ってくださった伊藤剛治氏。地域や風土に根差した料理の素晴らしさ、そしてそれを維持することの重要性がひしひしと伝わってくる、貴重なお話を伺いました。なかでも熊肉のお話は、味を想像してお腹が鳴ってしまうほどで(本当に鳴りました)、個人的にもどうにか予約を取って食べてみたいと強く思いました。
日本のジビエの真骨頂とも言える「山の辺料理」を味わいたい方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

※こちらの記事は2024年09月10日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Katayama yuta

神楽坂在住の、外食を楽しむ編集部メンバー。
旬の食材を活かした料理がとても好きで、特に季節の野菜にはこだわりが。
気になった食材は、採り方などまでしっかりと聞き込みます。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:南青山 七鳥目/鮨 はしもと
・好きなお店:笠井/ひらまつ 広尾
・注目しているお店:比良山荘/cenci
・好きなジャンル:和懐石/フレンチ/イタリアン
・好きな食材:季節の旬野菜/お肉/麺類

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