奈良県でなかなか予約が取れない日本料理店として知られており、6年ぶりに刊行された「ミシュランガイド奈良2022」の二つ星に掲載されたことで、益々注目を集めている「奈良 而今」。奈良の老舗料亭「菊水楼」や、京都の割烹料理店「祇園にしかわ」で修業を積んだ店主・清水唱二郎氏が、名店の技と自身の感性を活かした料理をライブ感たっぷりに作り上げます。今回は清水氏へのインタビューを通じて、名店で学んだ料理人としての原点や、料理を作る上で大切にしていることなど、多岐にわたって伺いました。
目 次
子供の頃に見た料理ドラマの親方に憧れて料理の道へ
―料理人を志したきっかけと、日本料理の道を選ばれた理由を教えてください。
母親が働いていたので、自分で晩御飯を作るのが当たり前でした。どこの家庭もそういうものだと思っていましたが、小学校高学年の頃の調理実習で、自分が人よりも料理が上手だということに気付いたんです。
僕は勉強が苦手だったので、みんなから初めて「すごい」と言われたのが嬉しくて、料理の道に行こうと思いました。友達が家に遊びに来るとご飯を作ってあげていて、友達も小学校の頃から、僕がその道に行くだろうと思っていましたね。
―色々な料理ジャンルがある中で、日本料理を選んだ決め手は何だったのですか?
調理師学校に行った時はまだ決めていなかったんですけど、お洒落なイメージが無いし、堅いとか厳しいという印象で、正直、日本料理が一番嫌でした。
でも、調理師学校時代に洋食店でアルバイトをしていた時に、香味野菜やバターなど匂いの強いものが苦手になりまして、「毎日食べても飽きない料理と言ったら和食、日本料理かな」と思ったんです。
あと、僕が若い時にテレビでやっていた「味いちもんめ」という料理のドラマで、親方役をやっていた俳優の小林稔侍さんが渋くてかっこいいなと思って。歳を取ってからより魅力を感じられる料理人は、和食じゃないかと思ったのもありますね。
料理人人生における様々な縁のきっかけになった大将との出会い
―辻調理師専門学校を卒業後、奈良の老舗料亭「菊水楼」で修業をされ、その後、京都の割烹料理店「祇園にしかわ」で腕を磨かれたそうですね。修業の地を、奈良から京都に移されたきっかけは何だったのでしょうか?
「祇園にしかわ」の大将・西川正芳さんが、以前、京都の祇園にあった「祗園 花霞」というお店で大将をされていて、母の日に母親を連れてそのお店に行ったことがあったんです。そこで大将(西川正芳氏)と初めて知り合いました。
その当時、僕は奈良のお店で7~8年修業をしていたんですけれど、下働きばっかりで魚をおろした経験も殆ど無く、自信を持って料理を作れるような実力がなかったんです。
そして次に「祗園 花霞」へ行った時には、大将はもう辞められていたんですが、新しいお店にも食べに行かせてもらいました。その時に、僕の仕事のことを話すと「自分の店に来たら何でもやらせてやるぞ」と言ってくださって。実際に入ったら、本当に全てを任せてもらえました。できないことばかりで、怒られることばかりでしたけど、任せてもらえるから実践して、段々と自信も付いてきました。
―「祇園にしかわ」でのご経験の中で、現在のご自身に特に活かされていることは何でしょうか?
僕が33歳で独立したんですけど、大将も33歳で独立したので、独立した歳が同じなんです。大将は右肩上がりで繁盛されていましたが、独立したての頃は何かと大変なこともあったようです。そういった失敗も含めて、これからというところを近くで見てきたので、自分の店をやった時にもその経験を活かすことができました。マニュアルが出来上がっているお店だと、何をやるにも決まっていますけど、色々と決めて行くタイミングで僕が入ったので、それも勉強になりましたね。
あと、お客様との接し方と、カウンターでの見せ方が大将はすごく上手かったです。スター性と言うか、エンターテイナーと言うか。僕には真似できないところがいっぱいありますが、間近で見られたことが一番の修業でした。お客様を招いて、どう喜んでもらって帰ってもらうか、というのが一番大事なんだと思いました。
―西川様の側で一緒に「祇園にしかわ」を作り上げてこられた経験全てが、清水様の現在に通じていらっしゃるのですね。「祇園にしかわ」では、二番手としてご活躍されたと拝見しましたが、独立を決めたきっかけは何だったのでしょうか?
元々30歳前半で独立しようと思っていて、どこでやるかは決まっていなかったんですが、僕が奈良の「菊水楼」に務めていた当時の料理長から「奈良に物件が出来るから、そこに入る気は無いか?」と、たまたま仰っていただいて。「祇園にしかわ」を辞めると決めたタイミングだったので「これも何かの縁かな」と思いました。
―元々、奈良でやろうと決めていた訳ではなかったのですね。
奈良は当時、京都のように予約の取れない店を耳にすることがあまりなく懐石料理のお店をしてやっていけるイメージが無かったんです。親戚に聞いても「その値段で食べに来てくれるお客さんが奈良にどれだけいるの?」みたいな感じで、日本料理に対するイメージが、京都と奈良では全然違ったのですが「奈良でやっていければ一番いいな」と思っていたんですけど「ビジネス的にも難しいかな」と、本音では思っていました。
でも一方で「努力したら分かってくれる人もいるのでは」とも思っていたので、奈良でもできることを試してみたかったというか、奈良を盛り上げたい気持ちもあって、チャレンジしてみようと決めました。
京都から奈良に戻り、33歳で日本料理店「奈良 而今」を開業
―独立の地を奈良に決められて「奈良 而今」をオープンするにあたって、どんなお店にしたいという想いだったのでしょうか?
僕はとても口下手だったので、喋りで楽しんでもらうより、僕の技術を見て楽しんでもらいたいなと思って。カウンターの目の前で全部仕事を見せて、料理を見て楽しんでもらえるような店にしたかったんです。
あと、食材は切ってから時間が経つにつれて美味しさが低下していくので、ベストなタイミングで料理を出せるのも、カウンターの醍醐味です。
「祇園にしかわ」でカウンターの仕事を覚えたのですが、お客様の反応を目の前で見られるし、カウンター越しに間近で反応を見たり、感想を聞いたり会話ができるからこそ感じる美味しさとか、そういうことを奈良でやってみたいと思いました。
―カウンターのスタイルが、大きなこだわりの一つだったのですね。他にも、煉瓦を積んだ焼き場やご飯を炊くかまどが設えてあって、そういった様子が見えるのもカウンターの醍醐味ですよね。
そうですね。備長炭で焼く焼き物とか、おくどさんでご飯を炊くのも、どこのお店でもやっていることではないので、非日常を味わっていただきたいなと思っています。
一番美味しいタイミングを大切に、丁寧な仕事で日々料理と向き合う
―名物料理がたくさんあると思いますが、お客様の口コミの中で「八寸にすごく感動した」というコメントが、すごく多いなと感じました。八寸で工夫されていることや、こだわりについて教えてください。
八寸は懐石料理の山場と言うか、季節感を一番表現できる料理です。海外にはない季節感を、日本料理は器でも料理でも表現できるので、そういうことを大切にしたいという想いでやっています。作るのに手間がかかるし、美味しく作るのがすごく難しいんですけど、そこを試行錯誤してやっているので、お客様に喜んでもらえているんだと思います。
こだわりというか、大事にしているのは、作り置きしないことです。
例えば、白和えなどの和え物は、和えた瞬間からどんどん美味しさが低下するので、和えたてが一番美味しいです。直前に調理するからこそできる本来の美味しさがあるので、うちでは前もって火を入れたり作り置きしたりせずに、一番美味しいタイミングを狙って八寸を作り上げることに一番気を使っています。
―八寸の一つ一つを考えることも、大変なのではと思います。清水様自らが市場に行かれ、食材を仕入れられていると拝見したのですが、そういったところで料理のヒントや情報収集を得ていられるのですか?
前もって細かいことは考えていないですけど、変わった食材があったら買ってみたりすると、ふとアイディアが降りてくることが多いですかね。
情報収集は、家に帰ったら料理関係のYouTubeばかり流していて、そういった動画を見ています。意外と、郷土料理や昔の仕事の中にヒントがあって「こういう発想は自分に無かったな」と気付かされたり、色々な人が色々なアイディアをYouTubeで出してくれたりしているので、参考になりますね。
あとは、日頃から他のお店に食べに行ったときに美味しいと思ったら「これはどうやって作ったのかな?」と考えながら再現してみて、気付いたことを料理に取り入れることもあります。舌の幅、味の幅を持っていた方が、お客様の気持ちが分かると思うので、色々な料理を食べて、お客様が美味しいと感じるポイントを研究しています。
―炭火で炙る鯖寿司も「奈良 而今」の名物料理かと思いますが「祇園にしかわ」から継承されたメニューなのですか?
僕が、鯖寿司が好きなんです。それで「祇園にしかわ」で習ったやり方をベースに、塩や酢の使い方や鯖の産地を変えたり、微妙に工夫したりして、独立してから僕なりに試行錯誤して作っています。
備長炭で炙るのは、炭の生産者さんと知り合って、いい備長炭が入るようになったからですが、目の前で鯖寿司を焼いているだけでもみなさん喜んでくれますし、美味しく仕上げるにはやっぱり、本物の備長炭が一番です。お客様に感動してもらえて期待感を高める演出ができるのと、ご縁もあって、できる時はやっています。
―炭にもこだわっていらっしゃると拝見しました。
2年前くらい前から、三重県の山奥で作られている紀州備長炭を使っています。窯出しされて直ぐの炭は乾燥していて、炭の効力を一番発揮できるそうで、出来次第、職人さんが送ってくれます。
問屋に回したりして時間が経ってしまうと、水分が炭に含まれて湿気てくるので、熱源が落ちたり、焼いている時に弾けたりしてしまって。そういう古い炭は使ってほしくないみたいなので、いつも作り立てのベストなタイミングの炭を送っていただいているのが有難いです。
―タイミングのお話は先程の料理や食材のところでもありましたけれど、炭に関しても鮮度が大事なんですね。
そうですね、全ての物に良いタイミングがあると思います。
そういうことも、ご縁があって知り合って、作っているところを見に行ってみてやっと分かると言うか。生産者さんのこだわりとか、そこに命をかけているんだなというのは、現場に行ってみないと分からないことですよね。
―毎日市場に行かれているのも、食材の鮮度や、直接コミュニケーションを取るというところで大事にされているのもあるのでしょうか?
野菜はほぼ奈良のものを使っているので、仕入れは魚ぐらいなんですけど、信頼できる魚屋さんが大阪の玉造にあって、行ける時は行っています。
日本料理は基本的に素材があって、その素材をいかに美味しくするかという料理です。様々な味を重ねて複雑な味を作り上げる洋食とは異なり、素材の良さを引き出していくことに日本料理の本質があるため、良い食材を使って、日本料理ならではの美味しさを作るということが大事です。
自分の料理を食べに来てくれるお客様に、奈良の食の魅力を届け続ける
―「奈良 而今」の今後の目標や、清水様ご自身が挑戦してみたいことがありましたら教えてください。
挑戦は色々したいですけど、僕はあまり人に任せられないタイプだと最近気づきまして。店を増やすことも考えましたけど、人に任せることで心配になったり、ストレスを抱えたりしたら体に悪いので、それはやっぱり無いなと(笑)。
実際に来てくださるお客様が、僕の料理を食べに、僕に会いに来てくださっているのを感じるので、この先も多店舗展開はしないで、地道に自分の店を良くしていくことですね。
目標としては、奈良の土地でもっと美味しい食材を探すこと。奈良で店を始めて7年間で、だいぶ知り合いましたけど、まだ知らないところもあるでしょうし「奈良の食材でどう調理したら美味しくなるか」というのを、突き詰めていきたいです。
―「ミシュランガイド奈良2022」では二つ星に掲載されましたが、更にその上を意識されていますか?
三つだとプレッシャーなので、僕は二つが一番いいですね(笑)。
奈良版は前回の2016年版から暫く出ていなかったので、僕は「ミシュランガイド」とは縁が無いなと思っていたんですけど、6年ぶりに奈良を特別版で出すことになって初めて載せてもらって、このタイミングで評価していただけたのは嬉しかったです。料理人人生の一つの目標にもしていたので、今後も目指していきたいです。
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【プロフィール】
清水唱二郎
1983年、奈良県生まれ。
辻調理師専門学校を卒業後、奈良の老舗料亭「菊水楼」などで厳しい下積み時代を経験。その後、京都の割烹料理店「祇園にしかわ」に移り、二番手を務めながら腕を磨く日々を過ごす。32歳で「奈良而今」を開店。日本料理を突き詰めるべく、独立した今も精進を怠らない。
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【編集後記】素材の良さを引き出す日本料理の本質に忠実であろうとする清水氏。奈良の食材を取り入れ、地元に愛されるお店作りにこだわる姿に心を打たれました。「奈良 而今」へ訪れるために、古都奈良を訪れてみたくなりました。
※こちらの記事は2024年11月29日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。