美食の街・金沢に、四季の恵みを最上の状態で味わえる人気料亭があります。「日本料理 銭屋」は、「ルレ・エ・シャトー」に加盟し、昼夜完全予約制でお客様をもてなす日本を代表する名店の一つ。今回は、2代目・髙木慎一朗氏に、次世代を見据えた大きなお話を沢山お聞かせいただきました!
―先代が昭和45年に開業された「銭屋」を継がれていますが、最初から料理人を目指されていたのですか?
いえ、小さい頃から調理場が朝早くから夜遅くまで仕事するシーンをよく見ていたので、料理人という選択肢は頭の中にはなかったですね。
高校時代はアメリカの高校に1年行って、大学にも行きました。大学時代に父が急逝したのですが、父の大親友の勧めもあって、「京都吉兆」にお世話になることを決めました。それが、この業界を選んだきっかけになりますね。
当時作れた料理は、カレーライスや焼きそば、パスタに市販のソースを絡めるくらい。調理師学校を出たような専門知識がない中、本当に一からのスタートでした。
―では、修業先で料理の経験を積まれたのですね。最初はどのようなことをやられていたのですか?
まずは、玄関やお座敷の掃除、調理場でまな板をセットするなどの下準備から。市場部隊が帰ってくる頃には食材を各部署に届けたり、冷蔵庫にしまったり。
最初のうちは包丁を持つことはなくて、賄い作りのお手伝いからでした。
調理場には沢山人がいたので、言われるままやっていても仕事は回ってこない。どさくさに紛れて先輩の仕事を横でこっそり一緒にやったり。手取り足取り教えてもらう環境ではなかったし、お客さんに出すものに包丁でなんとかっていうのは、ずっと後の話です。
私の師匠は「習ったものはすぐ忘れるが、自分の目で覚えたものは絶対に忘れない」という信念を持った方でした。
そこで、約2年お世話になってからこちらに帰ってきて。自分の家といえども新入りですから、調理場に入ればヒエラルキーの中では一番下でした。
そこから経験を積んで、「銭屋」のスタイルを意識するようになりましたね。その土地その土地が、ということより、その家、その店、の考えを大事にしています。
料理屋が提供しているサービス・商品をあえて一言で言うのであれば、「経験」だと思うんですね。料理というのは非常に重要な要素ですが、全体の経験の中の一部にすぎない。料理屋で「料理が良い」のは当たり前で、それにサービスや予約対応、部屋の設えなど、もろもろ全部含めたものが「料理屋」だと思います。
―「銭屋」でお客様をおもてなしするにあたって、大事にされているポイントは?
予約のお電話をいただくところから仕事は始まっています。お客様によっても、お席の内容によっても違いますよね。ご接待なのか、ファミリーの会食なのか、いろいろあります。
海外の方には、例えばすっぽんなど苦手そうな食材は避けたりします。日本に慣れていらっしゃる方に白子をお出しすると喜ばれますが、初めて見る方は驚かれるので、ゲストによって食材の取捨選択をしています。ただ、外国の方でも基本的に味は一切変えていません。
苦手なものや、どちらからいらっしゃったかは電話やメールで。席についてからは、仲居さん、カウンターでしたら私がお話ししながら。初めて、5回目、10回目……色んな方がいらっしゃるので、都度ジャッジをして献立をどんどん変えていきますね。
―その場で少しずつ調整されるのですね。結構ライブ感があるといいますか、お客様も何が出てくるか楽しみですね。
お客様にとって必要であれば変えるという感じですね。決まった献立をルーティンで出すのは簡単ですが、それではあまり意味がない。
例えば同じ2万5000円のコースを東京から来たお客様と、金沢にずっと住んでいらっしゃるお客様、生まれて初めてロンドンから日本に来たお客様からリクエストされても、同じ献立にする理由が私にはないんですよ。
同じ献立の方がいいとすれば、仕込みの作業効率の問題だけで、私はそこにあまり価値を置いていない。それぞれベストな献立を提供するのが我々の仕事。
ですから、当日の仕入れまでわからない部分もあるので、基本的には事前に献立を出すことをお断りしていて、召し上がった後で「あ、こういう流れでこういう料理になってたんだね」って理解していただきたいと。
さりげなく「金沢は何回目ですか、いついらっしゃったんですか」って聞いて、「昨日は三国にいて」と言われたら、微調整する。
「もうカニはいらないかな」と思っているときにうちでもカニをスタンバイしていたら、「またカニか」ってなっちゃうじゃないですか。「昨日カニ食べたって話してから、献立の雰囲気変わったよね」という感想、それも一つあるかもしれませんね。その程度は微調整のレベルで、普通だと思っているのでチャレンジではないですね。先代の頃はもっとひどかったらしいですけどね。
―世界的なシェフとのコラボのお話がありましたが、「銭屋」さんは世界的なレストラン・ホテル加盟組織である「ルレ・エ・シャトー」でも活躍されておりますね。入られたきっかけは?
「ルレ・エ・シャトー」は昔から知名度も高いですし、もともと知っていました。「ルレ・エ・シャトー」の創業メンバーのレストランである「トロワグロ」のシェフ、ミッシェル・トロワグロは2回程うちに食べに来ていますし、個人的にも仲が良いので、彼からも話は聞いていました。
4~5年ぐらい前ですかね、カンヌのパーティーに「ルレ・エ・シャトー」のメンバーが来ていて、そこで日本担当の神谷さんと知り合ってお誘いを受けました。それでしばらくして、入ったんじゃないですかね。
以来、会合やパーティーで会ったり、お客様を紹介したり。通常の同業者よりはるかに親しいですね。
―「ルレ・エ・シャトー」では、2019年に「サステナブル・シーフード」に取り組むというニュースが話題になりました。和食屋さんにとっては重要な課題かと思いますが、どのように考えていらっしゃいますか?
方向性は概ね良いと思っていて、決して批判しているわけではないんですが、ワールドスタンダードを日本に押し込めようとしても絶対に無理があると感じます。ヨーロッパではこうだからという均一化した考えでなく、日本は日本の状況を、我々自身が率先して考え、研究し、独自の見解を作るべきかなと。
例えばフランス料理に比べて日本料理が使うシーフードの種類はその何倍にもなります。
日本にも問題があって、漁獲方法でいうと環境に良くない、というより根こそぎ獲ってしまう方法もありますので、漁業関係者を巻き込んだ議論をして、レギュレーションをかけていく必要があると思います。
我々の後の世代に、我々の食文化が残るのか、良い環境を残せるのかに関して議論することは、極めて有効だと思います。
例えば「鯨を食べる文化」は、感情的に否定されますが、食べるか食べないかは消費者・ユーザーサイドの選択であって、食文化を「あの人たちは野蛮」で切り捨てるのは視点として違っていると思うんです。
日本の文化を大事にするのであれば、鯨の生体数の現状と、食文化としての捕鯨、鯨漁を説明した上で、明確な論点で議論すべきだと思うんですよね。
鯨の生体数が激減したのは、19世紀初頭にアメリカで鉄道が発達した頃なんです。産業の発展に必要なインフラの一つが鉄道でしたが、イリノイ州辺りだと冬は-20℃まで冷え込むため、当時の油の精製技術では潤滑油が凍ってしまう。唯一凍らなかったのが「鯨油」で、油を得るためにアメリカ人が鯨を沢山獲っていた。ただ、彼らの歴史の教科書には載ってないから、先祖の行為を知らない。
―食用でない捕鯨の結果、乱獲されてしまって生態系が崩れた、と。
もう一つの例は、大航海時代から続く「ウミガメのコンソメ」です。1980~90年代くらいまではフレンチのメニューに載っていました。大航海時代は旅に出たら何か月も帰ってこないので、肉食だった彼らにとって唯一の貴重なたんぱく源であるウミガメをコンソメにした、素晴らしく美味しい料理です。
今はワシントン条約で捕獲が禁止されているから、20~30代のヨーロッパのフレンチシェフに聞いても、「そんなの見たことも聞いたこともない」って。
歴史から消されるんですよね。ウミガメを獲っちゃいけない、食べるな、というわけではなく、料理の文化を否定することはないよねという話です。
―難しい問題ですが、議題にすることで、いろいろなアクションのきっかけになりますね。
サステナビリティはものの視点の一つで、全てが収まる議論ではないので難しいですよね。ただし、環境や資源に対して考えるきっかけになるのは間違いないので、その点においては大賛成です。だから、ムーブメントに乗るか冷静に考える必要があります。
鯨の生体数が増えた一方、イワシやサバという小魚は減っている。鯨が食べる水産資源量は人類が食べる量と大差ないらしい、じゃあイワシがいなくなっても、鯨を生かすべきか。
結論は出ない話かもしれませんが、知識や考え方を蓄積した上で、サステナビリティを地球レベルで考えて議論する。日本人って得てしてそういう議論を嫌うので、我々が動くのは大事なことだと思います。
ノルウェーのサバも一時期激減して大変だったんですが、ライセンス制にして乱獲を抑えてから急に資源量が増えました。国が投資をして一匹当たりのバリューを上げ、漁師さんが大きな船で働くようになり、非常に高収入になった。だから大学卒のエンジニアが漁師になり、どんどん漁に新しいイノベーションを起こし、効率が良くなって収入が上がっていく。そんな論理的な発想が、プラスになっていると感じますね。
編集後記
最近は海外のホテルやレストランで腕を振るい、各国の有名シェフとコラボレーションをされることも。その土地の食材でしか作れない料理をすることで「食の可能性」を追求し、クリエイティビティを引き出している、というお話が印象的でした。
国内外のお客様を迎えるにあたり「常に何が最善か」を考え尽くす。朗らかな笑顔で語られる髙木様の料理に、多くの方が魅了され、また訪れたくなることでしょう。
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髙木 慎一朗(たかぎ しんいちろう) プロフィール
1970年6月金沢市生まれ。
大学卒業後、株式会社京都吉兆での修業ののち、銭屋に戻り二代目主人となる。
2008年に開催されたニューヨーク日本総領事公邸での晩餐会をきっかけに、世界各地のホテル、レストランから招聘され、日本料理を世界に普及・発展させるべく活躍している。また地元の小学校を中心に子供たちの食育にも携わる。
2015年農林水産省料理人顕彰制度第6回「料理マスターズ」を受賞。
2016年「ルレ・エ・シャトー」に加盟。
2017年農林水産省より「日本食普及の親善大使」に任命。
アクセス
住所 石川県金沢市片町2丁目29-7
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※こちらの記事は2024年09月10日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。