数寄屋造りの一軒で営む、大阪・千里山の料亭「柏屋」。美しい季節の料理や設えに国内外から訪れるファンが絶えません。店主・松尾 英明氏に、おもてなしに対する想い、これから料理人として挑戦したいことについてお話を伺いました。
2人の師に導かれた「料理人」の道
―松尾さんは、大学時代に茶の湯を学ばれたそうですね。いつごろから料理人を目指そうと思われたのですか?
大学3回生の冬だったと思います。ちょうど茶道を習い始めて一年が過ぎた頃です。当時、京都西大路七条にある高源寺の池田宗弘尼が持つ茶の稽古場に通っていました。池田宗弘先生に茶道の教えを受けたことで日本文化の素晴らしさに気づき、その素晴らしさを、食事をする時間と空間を創造することで伝えたいと思ったからです。
その遠因として、父の影響がありました。父は食道楽で旅好きでした。家族を連れて方々の名所、旧跡に行ったり、美味しいものを食べさせてくれました。
また、器の作家さんのもとに連れて行ってくれたこともあり、焼き物や建築物に自然と興味を持つようになりました。
高槻で酒屋を営んでいた父は、若いころから飲食店をしたいと考えていたそうです。「美味しいものを作ってお客さんに喜んでもらいたい」と父が一念発起し、吹田の千里山に「柏屋」を開いたのは46歳の時でした。それまでの見聞や経験から、料理を始め設えや床の間の装飾を行っていました。
開店して日々の営業にも慣れ始めた頃、着物姿でご来店された婦人があったそうです。そのご婦人をお部屋にご案内した際に、まず床の前にお座りになり手を膝の前について繁々とご覧になっていました。その姿を見た時に料亭に求められている深さに気付かされたようです。これをきっかけに茶の湯に目を向けるようになったと聞いたことがあります。
茶道は、一服の茶を供し客をもてなすために、全てを調え、心を尽くす。そういう茶道の世界観に「こんなに美しく、面白い世界があるのか」と魅了されました。
お客様に心を尽くすこと、一級品の美を扱うことに興味が集約されていって。
自分もお客様のご要望に応じてお料理をはじめお部屋の設えに至るまで調えておもてなしをするような仕事をしたいと思いました。
―茶の湯との出会いで、おもてなしに対する心が培われたのですね。修業は、滋賀の老舗料亭「招福楼」でされていらっしゃったとのことですが。
料理屋の主人という、その道のプロとして先に歩んでいた父に「どこに行ったら一番勉強できるか教えてほしい」と頼み、「招福楼」を勧めてもらいました。
師匠の中村秀太郎氏は僕が思い描いていたイメージを具体的に非常に高いレベルで示し、はるかに先を進んでいました。修業に行けたのは人生の宝です。
「柏屋」に戻ってからは師匠の仕事をトレースし、少しずつ自分の料理というものができました。
私に日本文化の素晴らしさを教えてくださった茶の師匠、池田宗弘尼と出会えたこと。そして私が求めるものよりずっと先におられる料理の師匠、中村秀太郎氏と出会えたこと。この二つの出会いに恵まれた幸運に感謝しております。
「柏屋」ならではの心を尽くすおもてなし
―今日は2階の左側のお部屋でお話を伺っておりますが、3年前に改装されたそうですね。
このお部屋は、和紙と木でできているのが特徴で、コンセプトは洋でない日本の文化を感じさせる場所。アートディレクションは、染色家の故・吉岡幸雄さんによるものです。これからの時代はテーブルとイスは必須なので、和の空間でも違和感なく置ける、何か新しい提案をしたかった。その思いを設計士に伝えてやり取りしました。
僕は気が向くと大好きな「東京都庭園美術館」を訪ねます。旧朝香宮邸のアール・デコの空間に身を置いているととてもリフレッシュできると設計士に話をしました。するとわざわざ彼は東京まで見に行き、その趣きを取り入れた空間に仕立ててくれました。
―アールデコというか、温かみがあり居心地のよさを感じます。お客様をおもてなしするにあたり、大事にしていることがあれば教えてください。
お客様が食事を通して無意識に感じる幸福感や、言葉には表せない心地よさを大事にしたいですね。
例えば、菊菜のお浸しを盛り付ける時などは、少量づつ、一つまみの半量ほどをかさね重ねて盛り付けます。
見栄えはひと箸でつまみ形を整えたものと変わりはありませんが、ひとまとめで盛り付けられたものは、絡まった菊菜をほぐしながら食べることになります。盛り付けの一工夫で、より食べやすくなります。
おもてなしは目に見えて分かることもあれば、お客様が気づかれないまま過ぎるようなこともあります。このように何ができるか、スタッフといつも話しあっています。
―ご予約の時点でも、お客様との対話を大事にされているそうですね。
お客様からお電話を頂いた時から、おもてなしは始まっていると考えています。ご予約の内容をお伺いしてお献立の内容や器に始まりお部屋の準備などをいたします。お客様のご用向きに合った食事をする時間と空間をご用意できればと考えております。
日本文化の精神を未来につなぐ
―ルレ・エ・シャトー加盟店としての取り組みについてお伺いします。2011年に、ルレ・エ・シャトーに加盟されたきっかけは?
きっかけは、大阪のフレンチ「ラ・ベカス」の渋谷シェフから。渋谷シェフとは前から知り合いで、ある日突然シェフから「ルレ・エ・シャトーって知っていますか?」と電話で連絡がありました。
正直なところ全然知らなかったので、どういうものか教えていただきました。「ラ・ベカス」にもルレのガイドが置いてあって、のちに事務局の方にご説明いただき加盟したというのがいきさつです。
―「柏屋」にとって、ルレ・エ・シャトーとはどのような存在でしょうか?
料理人としての自分と、外の世界との大きなつながりを作ってくれた団体ですね。ルレに入って、最初はシンガポールのお店とのコラボレーションから始まり、10か国以上でコラボディナーをしましたね。出会わなければ、経験できなかったことも多いと思います。
―2019年10月に、大阪で日本支部創立30周年記念「グランド・フィナーレ・ガラディナー」を開催されました。地元開催で、色々と準備にご尽力されたかと思います。
ルレ・エ・シャトーの30周年のフィナーレを飾るイベントと、大阪の「ハグミュージアム」で海洋資源保護のための6つの重要施策を発表する、特別な日となりました。
ルレ・エ・シャトーでは、環境問題や食の問題に非常に関心を持ち活動していますが、日本は海産物の消費が多く、食生活に海のものが根付いている国。その中で、海産物の使用を制限するということに抵抗感がありました。
近年の全国的な災害や環境問題もそうですが、自分の若い頃(1980-90年)に比べて材料の入手が厳しくなっているだけに、危機感も大きくなっていて。目を背けていてはいけない、日本支部も取り組もうと宣言を出しました。
―確かに、海産物を扱う和食屋が「サステナブル・シーフード」の活動に取り組むのは難しいことですよね。
SDGsに始まる活動は、社会全体で取り組むべきなのは間違いない事実です。飲食店で捉えると非常にミクロですが、我々の立場でできることもあるし、まずは真剣に考えることから始めてみたいと。
昔、大阪には始末の心、質素倹約の土壌があり、一つの魚でも捨てるところがないよう、皮や骨まで利用して食べつくすという文化がありました。
環境の変化や状況が変わりゆく中で、食文化の精神を忘れているなら、もう一度思い出し、見つめなおす必要があると感じています。
―去年までいた魚が今年は無理かもしれない、という話を耳にしますし、真剣に考える時が来たと私も感じます。
海産物に関しては、昔は全部港に揚がり、高級店にいくもの、遠くに運ぶもの、一般に消費されるもの、地元で消費されるものと仕分けされ、無駄が出なかったのです。
今、全国的に流通できる魚に価値があると尊重され、全体の40パーセントほどが船上で廃棄されて無駄になるという現状があります。
「地産地消」の発想は、地元での消費に対する重要性、また環境負荷が少ない食材について考え直す課題提起になっているのではないでしょうか。
茶の湯の世界の「もてなし」を起点に、一皿で心を尽くす師の教えを大切にしながら、未来を見据えた価値観を発信されている「柏屋」ならではの料理。和の文化を映す明鏡のようなひとときを提供する、それこそが日本を代表する有名料亭の由縁なのでしょう。
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松尾英明(まつお ひであき) プロフィール
日本料理「柏屋」代表・総料理長
1962年 大阪府生まれ
1986年 関西学院大学理学部物理学科を卒業
滋賀県の名料亭「招福楼」で修業
1989年 実家の日本料理店「柏屋」に戻る。
1992年 料理長となる。
2010年 ミシュランガイド京都大阪で二つ星より三つ星に昇格
2013年 農林水産大臣より「第4回料理マスターズ ブロンズ賞」受賞
2015年 香港 中環(ホンコン セントラル)に「柏屋 香港」をオープン
2018年 農林水産大臣より「第9回料理マスターズ シルバー賞」受賞
アクセス
住所: 大阪府吹田市千里山西2-5-18
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※こちらの記事は2023年04月20日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。