インタビュー|

「銀座 小十」奥田透氏に聞く「和食の未来を、世界への挑戦で変える」

名店が立ち並ぶ銀座で、国内外より高い評価を受ける「銀座 小十」。奥田透氏の繊細な一品は、食材の滋味を引き出し、緩急のあるおまかせを組み立てています。最高の味を追求する姿勢の原点と、これからの挑戦についてお話を伺いました。

料理人を目指した意外な理由

―奥田さんは静岡出身とのことですが、料理人を目指されたきっかけを教えてください。

高校生までは、小学校の先生になるのが夢でした。ですが、高校1年生の夏には勉強が苦手になってしまって、何の仕事がいいか考えるようになりました。
親戚が宮城の塩竈でマグロの卸をしていたので、そこでアルバイトをする中で「料理人」は、学歴も家柄も身体能力も関係ないから、無限の可能性があると気づいたのです。上手になればお客様に褒めてもらえますし、小さいお店ながら社長にもなれますから。

世の中は、教育は勉強ができないとダメ扱いされますが、私は勉強が苦手なだけで、人として劣ることは何一つないと思っています。ただ、勉強や商売、持って生まれた才能、スポーツなど、成功した人と対等にお話をするためには、仕事でしっかり結果を出さなくてはならない。

料理なら、自分の能力を十分に広げてくれるはずだと考えました。それが、料理人を志したきっかけです。「料理が好きで、得意」ということでは決してありません。

―意外です!奥田さんのお料理は盛り付けも繊細なので、料理がお好きで始められたと思っていました。

もう一つ理由があって。小さい頃からものづくりが苦手で、大きなコンプレックスでした。図工や技術、美術の成績も悪いことがよくありましたから、生きているうちに作ったものを褒められるようになりたかった。
料理の世界なら、毎日やればいつか上手になれるのではと考えたのです。

―修業時代は京都の「鮎の宿つたや」、徳島の「青柳」という名店で研鑽を積まれました。人気の逸品、「若鮎の塩焼き」もその時代に習得されたのですか?

鮎を炭で焼くことを学んだのが、京都でした。20代前半までは、あまり鮎を美味しいと感じたことはなかったのですが、炭で焼くとこんなに美味しいんだということを、「鮎の宿つたや」と「青柳」で学びました。お店によって焼き方は異なりましたが、炭で焼くという本質の部分は同じだったと思います。

―鰻も様々な形で出されていますね。

鰻を見せてもらったのは、徳島の「青柳」でしたね。
鰻や鮨、てんぷらなど専門店があるものは、日本料理店ではあまりやらないんですよね。でも「青柳」の鰻は、吉野川で獲れた本当に大きな鰻。それを炭で焼く技術が、私にとって大きな衝撃となりました。
日本料理店でも、こうして提供すればうまいものになるのだと分かりました。

―独立されたとき、地元静岡を選んだ理由は何だったのでしょうか?

静岡の地元の港には質の良い魚が揃うのですが、料理に1万円とはならない土地柄で、地元の人は5~6千円くらいしか使ってくれません。だから「良い魚ってどこに行っちゃうんだろう?」と、とても残念に思っていました。

当時、「志摩観光ホテル」の高橋忠之料理長が、「海の幸フランス料理」をやっていました。
高橋さんは、中学を出て「志摩観光ホテル」に就職し、29歳で料理長に就任されました。自身の世界観に基づき、地元の英虞湾や伊勢志摩の食材にこだわったものを出されていて。

その哲学にとても感銘を受け、影響されました。修業先の「青柳」も地元の食材にこだわっていましたし、初めは静岡の食材だけを使った駿河料理に挑戦しようと。
ただ、騙されるようなこともあって……。物件にも恵まれず、酒屋を営む親戚の家で配達を手伝う日々もありました。

私は料理人ですから、「料理をすれば生活くらいはできる」と考え方を変えました。飲んで食べて、1人5千円くらいの居酒屋を開店したら、昔の同級生たちも来てくれて、すごく忙しくなったんです。
ただ、やっぱり本当にやりたいことはこれではないと。地元静岡の良い食材を、東京で紹介したいと考え直し、33歳のときに銀座に来て今にいたります。

ご縁で育まれた「銀座 小十」

―強い決意で銀座に「銀座 小十」を出されましたが、店名の由来には特別な思いが込められているそうですね。

昔から器がとても好きで、本を見ていて「ああ、この器いいな」って目に留まるものが、唐津の名陶・西岡小十先生作だったということが続きました。いつか先生が営む「小次郎窯」を訪ねたいと、住所と電話番号を書いたメモを財布に入れて持ち歩いていたんです。

ある日、40代くらいの男性の方がお店にきて、食事の最後に唐津焼の湯飲みでお茶をだしたところ、「ああ、唐津焼きなんだ」っておっしゃって。「器、お好きなんですか」って聞いたら、なんと小十先生の個展の関係者の方でした。当時静岡の松坂屋では、小十先生の個展をやっていたんだそうです。
思わず財布から「小次郎窯」のメモを出し、「そんなに好きなら紹介してあげるから」と、小十先生にお会いする機会を得ました。

当時、先生は80歳を超えていました。初めて作品を間近で見て、その凄さに衝撃を受けました。お金はありませんでしたが、何かの縁だと思い購入したんです。
翌日、小十先生がお食事にいらっしゃいました。購入した器で料理を出そうとしましたが、器が凄すぎて盛り付けができませんでしたね。

以降、先生は静岡に近い場所で個展を開くと、必ず立ち寄ってくれるようになりました。
銀座にお店を出す時には、先生を紹介してくれた方が、名前は「銀座 小十」がいいんじゃないかということで、今の店名になったんです。

―思い出深い方のご縁が刻まれているんですね。お店では、お料理だけでなく、食材や器についての説明も、とても丁寧でいらっしゃいます。

何となくではなく、必ず理由があって使っていることをしっかり伝えていくお店でありたいんです。
お客様の半数が外国の方なので、写真をお見せすることもあります。「太刀魚」はこういうものだとお見せした方が、英語名をお伝えするより理解してもらえますね。そうした方が、お料理も美味しく感じていただけるかなと。

和食の未来の危機感を、世界への挑戦で変えていく

―2013年9月、パリに「OKUDA」をオープンされました。フランス人は日本文化の造詣が深い方も多いですが、開業されて日本と違う点はどこにありますか?

パリには、日本の文化や料理を受け入れる土壌があると思います。日本料理は完成されているので、質の高い素晴らしいものを見せると、彼らで理解しようと努めてくれる点はやりやすいですね。
食材については、肉料理の赤身を食べることが一般的な地域で、脂身の多い日本の和牛は特別なものかもしれません。最初は賛否両論でしたが、今は「高価で家では食べられないから、日本料理店に来たのだから出してほしい」という声をよく聞きますね。
あとは、魚が流通する環境を整えました。活魚店を始めて、「魚の活き締め」講習も20数回続けています。
今はフランスの港でも、活き締めが当たり前となって魚のグレードが上がりましたね。生魚を食べないということは、徐々に無くなっていくのではないでしょうか。

―2013年に、和食が世界遺産に登録されました。世界から注目が集まる中、日本料理のこれからについてどうお考えですか?

今、日本料理の文化や伝統が途絶えてしまうという危機感を感じています。
日本の調理学校は、フランス料理やイタリア料理などの料理人や、パティシエを育成することに重点を置き、日本料理や鮨、てんぷら、そば、和菓子はおろそかになっているのが現実です。
その状況を打破するために、3つのことに取り組んでいます。

1つ目は、海外への本格的な日本料理の発信で、価値を高めていくこと。
パリに店を構えたのは、「フランスで評価されずして、日本料理の価値は高められない」と考えたからです。商売ならロンドンの方がやりやすいでしょうけど、真の意味での世界評価にはならないと思い、あえてパリにしました。

2つ目は、調理師学校の改革。
池尻に鮨や蕎麦など、和食に特化した「東京すし和食調理専門学校」があり、顧問として協力しています。皮肉なことですが、和食の調理専門学校を開いたら、珍しいとメディアから取材を受けました。

3つ目は、日常の和食の推進として、「学校給食の和食化」を啓発すること。
教育の一環として、和食に触れる機会を増やしたいのです。今は「時短で簡単な料理」が好まれる傾向にありますが、合理的な食事しか取らない人は、人や物事についても合理的にしか考えられない。
例えば、お母さんが手間暇を掛けた手作りの料理に愛情を感じると、心の育ち方も違ってきます。働き方改革が叫ばれ、家族との時間を見つめなおす今、食事を通して教育や愛情を大切にしてもいいのではないでしょうか。

―奥田さんの「和食にかける想い」の原動力は何なのでしょうか。

自分の人生をかけて「日本料理」に挑戦しているから。日本料理に携わる方が増えれば、それに関連する産業も潤います。
海外へ旅立つ日本料理人がいれば、器も必要とされ、注目されるようになるのです。
そこで初めて、日本の良いものが伝わるのではないでしょうか?
日本料理を通して、どこまで挑戦できるかを常に考えています。

名声に慢心することなく、更なる高みを目指す姿の理由は、日本料理の魅力を最大限に高めるため。世界無形文化遺産に登録された「和食」を守る巨匠の技には、日本文化を慈しむ愛が込められていました。透き通った一品を通じて、伝統文化の奥深さを知る。そんな文化的体験が、食事をいただくひとときに華を添えるのではないでしょうか。

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「銀座 小十」の個室を取材。フォーマルな接待・会食におすすめな銀座の日本料理店

懐石・会席料理

銀座 小十

東京メトロ丸ノ内線・銀座線・日比谷線 銀座駅 徒歩1分

20,000円〜

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奥田 透 プロフィール

1969年、静岡県生まれ。静岡の割烹旅館「喜久屋」で日本料理の修業を始める。京都の「鮎の宿つたや」、徳島の名店「青柳」での修業を経て、1999年に静岡にて「春夏秋冬花見小路」を開店。2003年には東京・銀座に「銀座 小十」を開店、2007年には同店が世界的レストランガイド日本版で高評価を得る。その後「銀座 奥田」をオープンし、2013年9月にはパリ、2017年11年にはニューヨークに「OKUDA」を開店するなど、日本を代表する気鋭の料理人。

アクセス
住所 東京都中央区銀座5-4-8 カリオカビル 4F

Airi Ishikawa

一休コンシェルジュ メディア事業部長。インタビューを中心に、地産地消や、生産者に近い距離で食材と向き合う極みのシェフがいる店をご紹介します。最近器にはまり中。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:東麻布 天本 / 御成門はる /COTEAU.
・好きなお店:ベージュ・アラン・デュカス / 福しま / サンフォコン
・自分の会食で使うなら:ひのきざか(寿司)
・得意ジャンル:フレンチ / バー
・好きな食材: からすみ / シャンパン(RM)

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