瀬戸内海と太平洋の黒潮が合流する豊後水道から豊富な海産物が揚がる食材の宝庫・大分県別府。この地に2021年6月、美しい石庭を眺めながらカウンターで料理を味わえる「日本料理 別府 廣門 」がオープンしました。店主の廣門泰三(ひろかどたいぞう)氏は、日本料理の名店や蕎麦の名門で研鑽を積み、ミシュランの星に輝く「銀座 しのはら」で二番手として活躍されていた人物です。今回は創業間もないお忙しい中、「KIWAMINO」のインタビューに応えていただきました。
※本インタビューは、2021年7月15日に感染症対策の上で行いました。
将来は自分のお店を。10代の頃から夢の設計図を描いていた
-まず、料理人を目指されたきっかけについて、お聞かせください。
父親が板前だったこともあり、幼い頃から漠然と料理人への道をイメージしていました。18歳の時、父親の紹介で大阪にある日本料理「柏屋 大阪千里山」さんに入らせていただきました。
父からも「10年は頑張りなさい」との助言を受けて、朝から晩までみっちりと勉強させてもらいました。日本料理の“綺麗に仕事をする”という基本の大切さを学びましたね。約11年働かせていただいて、次のステップを考えた時に、大阪東三国の「あたり屋」というお店のおいしいお蕎麦と出会ったんです。蕎麦の名店として知られる「達磨 雪花山房」の名匠・高橋邦弘師匠の孫弟子にあたる方のお店だったんですが、お客として食べさせてもらった時に、あまりのおいしさに感動しました。
修業を始めた18歳の頃から「いつかは自分の店を持ちたい」と考えていて、店で出す器もその時から買っていたくらいなんです。その将来の店には、おいしい手打ち蕎麦を出したいと思い、高橋邦弘師匠に弟子入りを志願させていただきました。運良く働く空きができたということで、師匠のもとで働かせていただけました。
1年半ほど様々なことを教えていただきました。店舗以外にも全国を飛び回り蕎麦を打っていた師匠だったので、行く先々でおいしい料理を一緒にいただいたことも今の糧になっています。師匠は「おいしいものは、弟子にも食べさせて勉強させる」というお考えをお持ちでしたので、そういう経験をさせてもらったのもありがたかったです。
その後は、たくさんの人数のお客様をお相手するお店での仕事も体験した方が良いと思い、大阪の「ニューオータニ」さんにお世話になり、31歳くらいの時に、父から「フグを勉強した方が良い」とアドバイスをもらって「臼杵ふぐ山田屋」さんで働かせていただきました。その次は、バックパッカーで沖縄へ行きましたね(笑)。
-どうしてバックパッカーで沖縄へ!?
ずっと働き詰めだったので、少し息抜きをという感じですね(笑)。海の中に入ってモリで魚を突くのが好きだったんです。滞在中は、モリで魚を突いては同じ安宿に泊まる日本人や外国人の方に調理して提供したりしていました。みんな喜んでくれて、そこでコミュニケーション力が大幅についたと思いますね。
今、女将として店を手伝ってもらっている妻と、実はこの時に出会ったんです。当時、神奈川に住んでいた妻は、ボランティアとして沖縄を訪れていました。ボランティアが終了し、地元に帰るということだったので、それをきっかけに私も関東へ本拠地を移すことにしたんです。
「銀座 しのはら」の篠原様とのご縁が続く
-西日本から東日本へ、その後のアクションはどのようなものだったのでしょう。
父の師匠にあたる方にご紹介いただいた東京・青山にあるお店で働かせてもらいました。そこで板場を任せていただき、かなりの数の魚を捌きましたね。それが34歳の時ですね。
自分の店は、お客様と直接会話ができるカウンター席にしたいと思っていたので、それに近いお店を次に、と考えていました。あるお店から内定をいただき働く予定だったんですが、「銀座 しのはら」の大将・篠原武将さんが銀座にお店を出されるということで、その内定を辞退して、大将の下で働かせていただきました。大将とは「かしわや」時代から親交があり、滋賀のお店にも何回か伺わせていただいたんです。とても美しい仕事をされる方だと思っていて、「この方とご一緒できるのは今しかない」という強い思いがありましたね。
-大将の篠原様の印象はいかがでしたか。
大将のアイデアはすごかったですね。食材の組み合わせ、例えば、伊勢海老なら伊勢海老だけで完結する料理を作るのが日本料理の料理人の考え方なのですが、大将はその枠にとどまらず、常識からはみ出すような「こんなのありなんですか!?」と驚くほどの発想のものばかりでした。今までに習った、決まりきったことだけではなく、新たなものを生み出すために貪欲に素材と向き合う姿勢が、料理人として尊敬していました。
自分の将来の店に近いカタチの「銀座 しのはら」さんで働かせていただいたことは、大きな財産となっています。4年弱ご一緒させていただいて、カウンターでお客様を喜ばせるのは、料理だけではないということを学びました。会話やおもてなしなど、食事後のお客様が「おいしかった」という感想ではなく、「楽しかった」と言っていただくことの大事さに気づかせていただきました。
店主のこだわりが詰まった「日本料理 別府 廣門」をオープン
-「おいしい」というのは当たり前、その先を満足させるのが重要ということなのですね。そして、「銀座 しのはら」で篠原様の右腕としてご活躍された後に、独立へ。
実は「銀座 しのはら」に入らせていただく時に、自分は3年後に独立するとお話させていただいていたんです。都会で店を出すイメージは元々なく、自然豊かな地で考えていました。海や山のおいしい食材が手に入る地を考えたら、地元の大分県別府が浮かんだんです。自分が本当においしいと思う食材のある九州で、自分がこれまで本気で学んで手に入れた最高の日本料理を提供したいと思いました。
自分の店で大事にしたかったテーマは“食のエンターテイメント”。カウンターで行う一皿ごとの調理風景も、楽しんでいただければと思っています。そして一番のポイントは、“生産者様の想い”を伝えること。店のInstagramでもご紹介させてもらっているんですが、おいしい食材を作っている方にもっとスポットライトが当たってほしいと思っています。
このままの状況であれば、素晴らしい生産者様の後継者が育たたないのではないかと危惧しているからです。そうならないために、農家の皆様から伺った貴重なお話をお客様にさせてもらっています。少しでも農家さんの想いをお伝えすることで、育てている農作物が認知されてブランドの価値が上がれば良いなと思っています。そのため、仕入れ先にはできる限り自分で足を運んで農家さんに直接お話させてもらっているんですよ。
もちろんおいしい食材を仕入れて終了ではありません。“自然の賜物”である素材は調理する前に必ず生で食べて、その食材のポテンシャルを測っています。素材を活かすも殺すも、その食材の力を知る必要があり、それは生の状態でしかわからないと思うからです。
-ご自身のお店のことだけではなく、農家の皆様への熱い想いが素敵です。それ以外にも、大分の料理界を盛り上げるスペシャリテがあるとお聞きしました。
うちの店のスペシャリテ「廣門式 骨抜き鱧」のことですね。鱧は骨切りが当たり前の調理法ですが、骨を切らずに1本1本抜いた鱧を提供しています。それに宮崎のベステルチョウザメのキャビアを合わせたものが、うちのスペシャリテ。一般のキャビアより癖がないので、鱧の繊細な味わいを損なわずにお互い引き立て合っています。この骨抜きの手法は、いずれ公開して大分の料理人の皆様にやっていただきたいと思っています。大分に行けば骨抜きの鱧が食べられるという観光資源になってほしい。また、この調理には大きい鱧を使用しているのですが、本来、骨切りしにくい大きな鱧はあまり価値がないんです。でも実は、大きい鱧は体にエネルギーをため込んでいるので、よりおいしいんですよ。この料理を通して大きな鱧に価値がつき、漁師さんの新たな収入源になればと考えています。
-「日本料理 別府 廣門」のおもてなしと設えのこだわりはなんでしょうか。
お客様をお招きする人数は、昼夜それぞれ1日6名限定とさせていただいています。メインとなるカウンターは欅の1枚板のテーブル。あまりに素敵な板でしたので、思い切って付け台は作りませんでした。大きくなって剪定のために伐採され、明治天皇が植樹されたというイチョウの木で作ったまな板と、ほぼフラットになっています。手元が丸見えなのでごまかしがききませんね(笑)。“食のエンターテイメント”というコンセプトがありますので、調理はもちろん、カウンターの後ろの大きな窓から見える庭園も楽しんでいただければと思っています。
-おもてなしのサポートとして、奥様が女将としてご活躍されているそうですが。女将からお話を伺えますでしょうか。
女将・美智子様:これまでは、マーケティングを扱った会社で営業をさせてもらっていたのですが、その経験が女将として生かせていると思っています。お店にいらしてくださるお客様が何を求めていらっしゃるのか、おいしい料理なのか、楽しい会話なのか、それともお店の雰囲気なのか。一つではないお客様の“楽しみたい”と思う気持ちにお応えできるように、日々考えています。
-最後に、廣門様の今後の想いをお聞かせください。
大分、九州を盛り上げたいと思っています。お越しくださったお客様に料理を通して大分・九州の魅力を堪能してほしいですね。「KIWAMINO」をご覧になっている方もぜひ、九州に来られた際には、こちらにもお立ち寄りください。九州のおいしい食材をおなかいっぱい味わっていただけるように、想いを込めて調理させていただきます。
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【プロフィール】
廣門泰三(ひろかどたいぞう)
大分県別府生まれ。高校卒業後、大阪にある日本料理「柏屋 大阪千里山」にて日本料理の世界へ。その後「達磨 雪花山房」「銀座 しのはら」等の名店で研鑽を積み、2021年6月に故郷別府にて「日本料理 別府 廣門」を開店。
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【編集後記】
大分県・別府に居を構える「日本料理 別府 廣門」様。別府という地でおまかせ2万円のお店はなかなかないそうですが、店主の廣門様もおっしゃっていたように、お客様に本当においしい物を妥協なく召し上がってもらうにはこの価格にはどうしてもなるのだそう。たしかに、東京であれば4万、5万はするものだと思います。それをこの地でこの価格にしているのは逆にすごいことで、廣門様の矜持を感じました。このお店のために別府に行く。旅行の目的になる店「日本料理 別府 廣門」。そのついでに温泉にでも立ち寄ってみてはいかがでしょう。
日本料理 別府 廣門
https://beppu-hirokado.jp/
※こちらの記事は2023年08月24日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。