六本木に佇むフランス料理店「Restaurant Ryuzu」。「ミシュランガイド東京2025」では、二つ星として掲載。13年連続ミシュランに紹介されている実力店です。
シェフの飯塚隆太氏は、フレンチの巨匠と呼ばれるジョエル・ロブション氏の元での修業や日本料理を経験するなど多様な経歴の持ち主。飯塚シェフの人生を凝縮したとも表現できる、ここでしか味わえない料理の魅力について伺いました。
目 次
幼少期の憧れが現実に……ロブション氏との出会い
―料理人の道を志したきっかけを教えてください。
子供の時から料理を作ることが好きでした。実家で反物屋さんをやっていて、父母が夜も仕事が終わらない時があって。小学校高学年になった時にチャーハンとか軽いご飯を作れるようになりました。妹の分を作ってあげて美味しいって言ってもらうのが嬉しくて、ぼんやりと「料理人になりたいな」と言う思いがありました。
高校1年の夏に親戚の家に行った際、そこで人気があるお菓子屋さんの店主に「男たるもの手に職つけたほうがいいぞ、お前は何かないのか」と言われまして。「そういえば料理人になりたかったな」と思い、料理の専門学校へ行くと決めました。
―数あるジャンルの中でフレンチを選んだ理由はありますか。
フランス料理に絞ったのは、専門学校の授業を受けてからですね。他の座学はつまらなかったのですが、フランス料理のデモンストレーションとかは食い入るように見て聞いていました。
イタリア料理や日本料理の授業もあったけど、フランス料理に関しては本当に魅了されましたね。その複雑さ、ソースのバリエーションの多さ、ソースを作る工程、その全てがフランス料理に対しての憧れになりました。
―フレンチの巨匠と呼ばれるジョエル・ロブション氏との出会いについて教えてください。
ホテルに3年ぐらいいたんですけど、最初のホテルはざっくりとした洋食なので、フランス料理じゃないんですね。やっぱりフランス料理に憧れを持っていたので、常に“やっぱりフランス料理をやりたい”と思っていました。
1994年、「横浜ロイヤルパークホテル」で働いている時に、恵比寿に「タイユバン・ロブション」ができました。サービスが三つ星の「タイユバン」と、料理が三つ星の「ロブション」がタッグを組んだレストランができると言うので、スタッフに応募して受かって、そこで「ロブション」に入ったわけです。
その時は1階が「カフェ・フランセ」、2階が「ガストロノミー ジョエル・ロブション」で、僕は2階のキッチンでオープニングスタッフとして働いていました。最初に「タイユバン・ロブション」にいたのは2年半で、その時はロブション氏がまだ現役でした。とにかく厳しい、文句しか言わない。そんな中で僕たちはパリに負けないような美味しい料理を作ろうと思って、一生懸命やっていました。世界が認める三つ星の料理なので、これがフランス料理なんだなと思い誇りを持って仕事していましたね。
―ロブション氏から学んだことは何ですか。
ロブション氏は仕事に対しては、厳しいです。彼のその哲学と言うか妥協しない。気に入らなかったら、何回も作り直しさせる。だから、それはもう大変ですよね。でもそれが本当に「ロブション」たる所以で、絶対に妥協しない。この妥協しない精神は今も持ち続けています。
僕の経歴は複雑でロブション氏の元で働いた経験が3度あります。1度目が先ほどお話した「タイユバン・ロブション」。その後フランスへ行って、帰国後に「カフェ・フランセ」の2番手を任された時が2度目です。料理の学校の先生を経験した後、3度目に働いたのが「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」でした。
ロブション氏の立場も1度目は現役の時、2度目は引退した後、3度目は引退して自分のビジネスをやり出したタイミングだったのでそれぞれ別なんです。もちろん料理に対しては常に厳しかったですが、引退後に「ラトリエ」をやり出した時から、昔のロブション氏からは想像できないくらいにこやかでした。常にお客様の前でいつもニコニコして。そう言う部分で、料理の厳しさはもちろん、お客様あってのレストランなんだと学びました。
「ロブション」にはトータルで12年いましたが、パートごとで微妙に違うので、多種多様なことを学ばせていただきました。お客様が大切だということや、お店の雰囲気ももちろんです。そう言うのは自分のお店作りに非常に活きています。
肩書を捨てて臨んだ、新たな道
―独立されたきっかけを教えてください。
最終的に本当にお店を持ちたいなと思ったのは、六本木の「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」でシェフをやっていた時ですね。いい会社でしたし辞めたくなかったけど、でもやっぱり自分でお店を持ちたいって。
料理人と事務方って考え方が違うので。一生懸命やっているけど、結局数字のことばかり言われて、疲弊するわけですよ。やっていられないやと思って。とは言え「ロブション」のシェフのポジションなので、1年後には辞めます、と言いました。
―独立後の14年はどのような道のりでしたか
2011年の2月にオープンして3月11日の震災。それから半年は客足が遠のきました。お店を建てた際の借り入れや材料費なども、もう売り上げが立たないからお金の工面がとても大変で。10年後にはコロナウイルスが流行しました。お店を持つことって一筋縄ではいかなくて、自分1人では無理でした。運よく出会った方の援助もあって、今があります。
人生やっていて何もないわけはないって言うことです。本当に大切なのは何か、1つボタンを掛け違えたり、何か1つ自分の発したことが間違っていたりしたら今はないです。その時に最良の選択をできてるとは思います。どこかで諦めていたらこのお店は継続できなかったです。
日本料理も学んだ飯塚シェフが生み出す「Restaurant Ryuzu」の世界観
―フレンチと日本料理の技術を融合するなどして生み出される「Restaurant Ryuzu」ならではの食体験とはどのようなものですか。
元々「ロブション」で働いていたので、やはり「ロブション」的な料理を求められる方が多かったですね。でも僕はロブション氏ではないし、最初の1年は「ロブション」的じゃないものをやろうとしていました。
お客様からも「もっと『ロブション』ぽいものを期待したんだけど」とかよく言われていて。ふと自分がレストランを持つ意味って何だろうと思った時に、修業先での経験があって今の自分になれたので。それは「ロブション」だけでなくフランスでの仕事だったり、日本料理の人たちと一緒にやらせてもらった仕事で覚えた和食のテクニックだったり。それらも含めて、僕が学んだことの集大成が自分のお店を出すと言うことに気づきました。
「ロブション」にとらわれず、自分が思うままの料理を作った方がいいなと思ったわけです。それもフランス料理ってカテゴリーでやるんだったら、フランス料理の技術を使いつつ、でも、日本人としての感性を持った日本人にしか表現できないフランス料理を作れればいいなと。
それは素材ありきで、素材を最大限に活かすために、フランス料理や日本料理のテクニックをはじめ、自分が学んだ技術と持っている知識をミックスして作っています。
―国産食材へのこだわりについて教えてください。
まず店名のざっくりとしたコンセプトは、元々は自分の名前と時計の竜頭。レストランに来たら、もう時計のことを気にせず、お客様のそれぞれの時を楽しんでほしいと思っています。それを料理に当てはめると食材の旬、それも時じゃないですか。だから旬を捉えて、調理の火入れなどいいタイミング狙って、美味しい料理を楽しんでいただくのが、ざっくりとしたお店のコンセプトです。
食材は、うちのコンセプトにあったいいものを選んでいます。ブランドのものを使う時もありますが、名もない農家さんの無農薬の野菜だったり、昔から付き合いのある農家さんだったり、人との出会いを大切にしています。魚だったら、函館や新潟、佐渡、四国九州から。季節によって産地が違う食材などは産直で仕入れています。
僕の料理のコンセプトで言ったら、奇抜な料理もないし突拍子もない組み合わせをするわけでもない。でも、素直に美味しいよね、こう言う料理がいいよねって思うような料理を作り続けたいです。だからフランス料理とかカテゴリーよりも、いや、なんかもう「Ryuzu」の料理だよねって言われれば、僕としては本望です。
―フレンチに和包丁を使うなど、飯塚シェフ独自の調理法について教えてください。
日本料理の人たちと仕事した時に、和包丁のキレでテクスチャーが変わって、そこで料理になることを自分で体験したので、料理によって包丁を使い分けています。鱧だったら鱧包丁がないといい状態で切れなかったり、アオリイカとかは日本料理でやったような蛇腹で包丁を入れたりとか。
そう言った技術を取り入れつつ、鱧や鮎など和の食材も使っています。鮎に関しては包丁技とかではないですが、日本を代表する夏の素材を使って、いかに「Ryuzu」らしい料理を作るかをテーマにしたんです。こう言ったこと全てが「Ryuzu」らしい料理に繋がってると思います。
―そうした“Ryuzuらしい料理”を最も表現しているのが「八色しいたけのタルト仕立て」ですよね。
しいたけのタルトは、僕が「ロブション」時代に作った料理なんです。「ロブション」には生ハムの原木があって、調理の際に肉のくずが出るんですよ。それを使うために、まず生ハムを刻むことから考えようと思って。その刻んだ生ハムと、刻んだマッシュルームを炒めて、フランス料理で言うデュクセルを作りました。そこから、タルトにするのにパイ生地を焼いて。
最初はセップ茸でやったのですが輸入品なので安定しない。ですが、日本にはしいたけって言う素晴らしいキノコがあるじゃないかと。僕がしいたけが好きだったので、こうして完成しました。
「ロブション」時代にシェフとして作ったものなんで、自分のお店では過去のものはやめて、自分のお店で思いつくものを新しい料理として取り入れていこうと思いました。ですが「ロブション」時代のお客様が来て、「しいたけのあの料理ないの?」と聞かれて「え?食べたいですか?」と尋ねたら「そりゃ食べたいよ、あなたの料理じゃないの」と言っていただいたんです。その時に、僕の料理は別にどこで作ったとか関係ないんだと思い、そこから出すようになったんです。
オープンして半年以上たったぐらいですかね。そのお客様は百回来たら百回、もう必ずそのしいたけのタルトを注文する。一緒に連れてきた人にも、ここのシェフの名物料理なんだよと伝えて。そう言うのがお店の名品として残っていくのかなと思います。
メニューに入れてる時と入れてない時があって。でも、いつでもできるようにはなっています。それが定番であり、スペシャリテって言われてるんですよね。
―この料理の特徴を教えてください。
デュクセルを作る時しいたけのインパクトを強めるために干ししいたけを1回戻して、香りと旨みがあるお汁も捨てずに使います。炒めて濃縮していくので、しいたけがぎゅっと詰まったような濃いタルトですね。肉厚に切ったしいたけのステーキの上にラルド(イタリア語で“豚の背脂を塩漬け”したもの)を少しかぶせます。
どうして僕がしいたけを好きかって言うと。春になると山菜採りに行くじゃないですか。うちの親が行った時に、多分しいたけの原木が捨ててあってそこに雪解け後のしいたけが生えていたらしいんです。それを家で焼いて食べたら強烈に美味しかった。そこから僕はしいたけが大好きで。新しい料理を作ったりすると、しいたけを使う確率が高いです。しいたけは万能ですね。
ミシュランで星を取り続けている「Restaurant Ryuzu」の未来
―お店が14周年を迎えられた中で、今後の目標はありますか。
ミシュランについては、僕がどうすることもできない。でもずっと二つ星をキープしてるのはありがたいし、もちろんこれからもキープしていきたいなと思うんですけど、こればかりは分からない。
星がどうこうと言うのは結果論で、周りが評価しているだけなので。僕が1番大切にしているのは、日々来てくれるお客様が全てで、そのお客様に本当に満足して帰っていただく。それをやっぱり続けていくことじゃないかな。
そしてお客様を大切にするにはまずはスタッフが1番なので、スタッフを1番大切にしていきたい。レストランだけが評価されがちですけど、そこの裏にはやっぱりスタッフの努力がある。スタッフがいかに、楽しく働きやすくできるかが社長である僕の使命でもあると思っています。シェフの使命としては、来たお客様に喜んでいただく。特別なことは何もないですよね。ただ日々淡々と、やっていくことかな。
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飯塚隆太氏 プロフィール
1968年新潟県十日町市生まれ。
複数のホテルや「シャトーレストラン タイユバン・ロブション」などで修業を積んだ後に渡仏。帰国後は「ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブション」や「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」のシェフなどを務め、2011年「Restaurant Ryuzu」をオープンさせた。
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【編集後記】
経験したことを全て吸収し、今の料理やお店作りのためにアウトプットをしている飯塚シェフの力強さを目の当たりにしたインタビューでした。ヘビーな出来事についてもにこやかに話す姿が印象的で「客観的にみたら相当な努力であろうことを、ご自身は努力だと思っていないのかな」とさえ感じました。今までも、これからも全力で走り続ける飯塚シェフと「Restaurant Ryuzu」から目が離せません。
※こちらの記事は2025年03月18日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。