インタビュー|

「長谷川 稔」独占インタビュー。試行錯誤の先に到達した料理とサービスの境地

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予約が取れない、都内屈指の名店「長谷川 稔」。人気店を率いる長谷川稔シェフが、「一休.comレストラン」のプレミアム美食メディア「KIWAMINO」の独占インタビューに答えてくれました。北海道時代から東京に至るまでの歩みや、食材・料理へのこだわりを通してリアルな「長谷川 稔」をお届けします。

「料理が好きだから始めたわけではない」

―まずは、独学で料理を志した北海道時代についてお聞かせください。

「長谷川稔は料理が大好き」というイメージが強いようですね。「食べ歩き」の話が独り歩きしているからかもしれません。でも、料理が好きだから始めたわけではないんですよ。

最初のお店は、幼馴染と二人で始めました。当時の自分にとって、料理とは成り上がるためのもっとも手っ取り早い手段でしかありませんでした。こんな言い方をするとビックリされるのですが、料理人になりたいとか、料理が好きとかそういう気持ちはまったくなかったんです。そもそも、経営者になることが目標でしたから、料理人として毎日現場に立っている今が嘘のようです。

5年間でお店を畳んでから、一人でリスタートすることにしました。北海道でトップになろうという思いが芽生えて、それがそのまま目標になりましたね。その頃には、成り上がりたいとか、お金を稼ぎたいという考えは不思議なくらいきれいサッパリ消えていました。

認めてほしいという意地が、長谷川稔を突き動かしてきた

―料理に対する思いにも、変化があったのではないでしょうか?

一番変わったのは、生産者の方に対する思いですね。生産者の皆さんがいなければ何もできない。一人でお店を初めてから、自分の無力さを痛感しました。

また、そういう思いの中でトップを目指していましたから我慢の日々が続きます。お客様に良いものを食べてほしいという思いが特に強く、食材の原価も7割が当たり前だったんです。

自分は他のお店で修業をしていないので、料理に関しても試行錯誤の連続。「食べ歩き」を始めたのもそのころからですね。

「食べ歩き」では、一人で東京や地方の有名店を訪れ美味しいと思えばすぐに調理法を尋ねたものです。著名なシェフ相手にあれこれ問いかけるのですが、正直言って皆さん冷たかったですね。当然と言えば当然なのですが、その都度、自分の存在を知らしめるんだと思いを強くしたものです。

当時、東京や地方へ「食べ歩き」に向かう際の移動手段はLCC。宿はなく、漫画喫茶で休憩・シャワーを浴びて時間になったら食事に行くのがごく普通のことでした。お金が尽きるまで食べ歩きを続けて、ひと段落したら北海道に帰る。そんな生活を3年間くらい続けました。正直、もう一度やれと言われても躊躇してしまうくらいですね。

―長谷川さんの執念を感じさせるエピソードですね。

最初のお店もそうですけど、中途半端でチャランポランな自分がいる一方で、一旗揚げなければという意地も持っていました。それが自分を突き動かしてきたのでしょう。特に卓越した能力もセンスも持ち合わせていなかったから、それくらいの自己犠牲と意地がなければ、料理とは向き合えなかったのかもしれません。

結局、一歩一歩ですが技術はしっかり身に付けることができました。

「料理を通してお客様の望みに答えたい」

―そこから北海道のトップになっていく。転換期はどこにあると考えていますか?

ある時期から、SNSの口コミを通じて東京のお客様がよく来るようになりました。そこからお店が成長していきましたね。
お客様には本当にお世話になりました。フーディーなお客様やライターの方が、メディアやSNSで発信してくれたのです。

星を取ったことも影響していますが、自分自身が変われたからか、出会う方やお客様も変化していくのを実感しましたね。東京への進出も、今のオーナーとの出会いがきっかけです。北海道のお店にもよく来てくれていて、共通の友人もいる仲でした。

―「長谷川 稔」と言えばスペシャリテの「金目鯛」など、素材や調理にとことんこだわった料理が有名です。東京への進出が、ご自身の料理に与えた影響はありますか?

お客様のことを考えて料理をするということに尽きますね。
東京に進出してすぐのころは、お客様の要求するレベルが北海道時代と比べて厳しいという印象がありました。北海道時代のお客様は観光気分というか、構えてくる方は少なかったのですが、東京のお客様はどなたも一家言お持ちの方ばかり。手厳しいご意見をいただくこともしばしばありました。お客様の声に応えようと試行錯誤を続けてきたので、味の部分では自然と東京のお客様の好みに寄ってきていったと思います。

結局は、自分が何をしたいかではなく、お客様が何を望んでいるのかという問いを突き詰めることこそが大切だということですよね。そして、それにどう応えるのかが自分の仕事なので、料理もまたお客様の反応次第になってくるわけです。

一方で、食材に対する思いの強さは変わっていません。先ほどお話しましたが、生産者や食材がなければ自分は何もできないからです。現在、「長谷川 稔」で使用している食材は全てが産地直送。天災に左右されることがないよう、同じ食材を異なる地域から取り寄せるよう工夫もしています。保存方法でも工夫することで、比較的遠い産地からでも新鮮な食材を仕入れることができています。今後もお客様に対して、レベルの高い食材・料理を提供し続けていきたいですね。

「サービスの良し悪しを決定するのはお客様」

―サービス面や、人材育成で心掛けていることについて聞かせてください。

自分が独学でやってきたこともあり、サービススタッフに対しても自分で考えてやることが大切だと伝えています。自分のことではなくお客様のことを考えてほしいということですね。サービスの良し悪しを、最後に判断するのはお客様だということを忘れてほしくありません。

人材育成については、スタッフの一人ひとりがしっかり休めて、なおかつ稼げる環境が大切だと考えています。「長谷川 稔」では、徹底的に料理ができる環境を整えているつもりです。料理は手を動かすことでしか身に付けられないことばかりですから、仕込みなどやれることは任せるようにしています。たとえ食材がダメになっても構わない、お店にとってはリスクになりますが気にはしていません。

ただ、自分ができることはここまで。あとは、個人がどれだけ自己犠牲をできるかに尽きると思います。他の人が休んでいる時間を自分はどう過ごすのか? その環境をどう活かすのか? そういうことは、その人次第ですよね。

―「薫」プロジェクトや新店の計画など、「長谷川 稔」以外でも注目を集めていますね。

「薫」プロジェクトについては、生産者の方や北海道時代から通ってくれたお客様など、これまで支えてくださった方のために始めました。昔の価格で可能な限り料理を楽しんでいただきたいと思います。自分は料理でしか恩返しできないので、会話はほとんどありませんが、思いは届けられていると信じています。

今年は新しいスタートを切りたいという思いがあり、広尾エリアでお肉を使ったカウンター席のみのレストランを考えています。引き続き、お客様のことを考えつつ料理を通してチャレンジし続けていきたいですね。

【編集後記】
独学で、試行錯誤の末に生まれた名店「長谷川 稔」。天才という名を欲しいままにする長谷川さんですが、取材を通してここに至るまでの努力の量に圧倒されました。新しいお店のオープンも控え、今後も「長谷川 稔」独自の世界から目が離せません。

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長谷川 稔(はせがわ みのる) プロフィール
1977年5月30日。北海道千歳市生まれ。
紆余曲折を経て、故郷北海道にオープンした「リストランテ薫」で注目を集める。
2018年に東京へ進出。広尾にレストラン「長谷川 稔」をオープン。
2019年、「ゴ・エ・ミヨ2019」にて「明日のグランシェフ賞」を獲得。「長谷川 稔」は今、もっとも予約が取れない都内屈指の人気店へと成長した。

イノベーティブ・フュージョン

長谷川 稔

東京メトロ日比谷線 広尾駅 徒歩2分

20,000円〜

アクセス
住所: 東京都港区南麻布4-5-66

謝 谷楓

「一休.comレストラン」のプレミアム・美食メディア「KIWAMINO」担当エディター。ユーザーの悩み解決につながる情報を届けられるよう、マーケットイン視点の企画・編集を心掛けています。

前職は、観光業界の専門新聞記者。トラベル×テック領域に関心を寄せ、ベンチャーやオンライン旅行会社の取材に注力していました。一休入社後は「一休コンシェルジュ」を経て、2019年4月から「KIWAMINO」の担当に。立ち上げを経て、編集・運営に従事しています。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:六雁
・好きなお店:すぎた
・自分の会食で使うなら:茶禅華
・得意ジャンル:日本料理
・好きな食材:雲丹/赤貝

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