大阪「寿し処 黒杉」黒杉章宏氏に聞く、寿司を自由に楽しめるお店作りへの挑戦

大阪・北新地にある「寿し処 黒杉」。大将の黒杉章宏氏は、2003年に若干30歳で独立し、ミシュラン一つ星を獲得した実力の持ち主。2022年には、2号店の「寿し処黒杉 心貫」をオープンさせ、北新地でも話題を集めています。さらに今後は、韓国・済州島で新店をオープン予定。今回はその黒杉氏から、ご自身の目指す寿司店の姿についてお聞かせいただきました。

早くから「30歳で独立」という目標を掲げ、寿司職人へ

―元々ご両親が漁師さんだったそうですが、寿司職人になろうと思ったのはいつ頃からでしたか?

料理人を目指すきっかけは、高校時代にアルバイトで働いていた時に料理の面白さに魅了されたこと。色々なアルバイトをする中で、オープンキッチンでお客様と直接コミュニケーションを取りながら仕事ができる寿司屋に魅力を感じ、18歳の頃に寿司職人を目指すようになりました。 当時から、30歳までに独立することを決めていて、全国に数十店舗がある老舗の寿司店に入社しました。「何を言われても何をされても絶対に辞めない」という気持ちで経験を積み、29歳で辞めるまで11年間勤めました。

―下積みの期間はどんな作業をされていましたか?

最初の何年かは雑用や魚をおろすまでの準備で、大根をおろしたり、生姜をスライスしたり、まかないを作ったりしていました。魚に触らせてもらえるのは、仕事が終わってから。寮に入らせてもらっていましたが、同部屋の先輩が寝静まるのを待ってからお店に戻って。大阪市中央卸売市場でお世話になっていた魚屋さん(カワサキ水産)に手伝いに行って、魚のおろし方を教えてもらいました。「誰にも負けないようになりたいんで、朝一緒に勉強したい」と言ったら、社長さんも快く迎えてくれて。

実際にお店で魚を触れるようになったのは3年目位からで、そこから握りも任されるようになり、23歳で店長代理の昇級試験に受かりました。
当時から独立を見据えていたので、お店をうまく切り盛りする2番手でいることにメリットを感じていました。親方が目標を立てた金額と予算を達成するために現場を仕切り、頑張ることがのちのち活きてくるだろうと。仕入れを任されていたので、いかに赤字を出さないように売り切るかを考えたり、若い職人と現場での仕事を経験したりと、充実した日々でした。

―主に大阪のお店で修業されていたんですか?

大半は大阪のお店を何店舗か経験させてもらっていました。ある時最初のお店に入った頃の先輩が名古屋のお店の親方になった時に僕を推薦してくれて、名古屋にあるホテル内の寿司店に行っていたことがあるんです。
ホテル内なのでセットメニューを作ることになってお味噌汁を作ったところ、8割位のお客様は手をつけられていませんでした。後輩たちに「なんでやと思う?」って聞いたら「いや、八丁味噌じゃないからですよ」と言われてハッとしました。
酢味噌も関西では白味噌ですが、名古屋では赤味噌。食文化の違いがすごく多くて“場所が変われば好みも考える必要がある”とは、こういうところで出てくるんだなと。最初はなかなか苦戦していたんですが、慣れてくると結構楽しかったですね。
その後、大阪にまた戻ってきて「ホテルニューオータニ大阪」内での寿司店なども経験させていただき、独立しました。

若くして独立。「寿し処 黒杉」がこだわってきたお店作り

―2003年に独立されましたが、当初はどういうお店作りを目指されていましたか。

2003年だからちょうど20年前ですね。当時は必死で毎日一生懸命でしたが、最初はしんどかったですね。最後に勤めたのが「ホテルニューオータニ大阪」の店舗で「1年間休みなく出勤して、僕より下の子を育てるので、1年後に辞めさせてください」とお願いし、約束してもらいました。そうやって働き詰めでいると若い子たちが慕ってくれるようになって、僕が抜ける時に「自分も辞めようか」みたいな感じになってしまって。お客様から頂いていた名刺も全部返して辞めたので、DMも本当にごくわずかしか出すことができないまま、オープン初日を迎えることになりました。

ですが、ホテル内には「メインバー キャッスル」というバーがあり、そのお店で食事の後にお酒を飲むご常連さんが多かったんです。実はそこで「最近、黒杉見ないね」という話になり、バーテンダーの方がお店を始めることをお話してくださったそうです。
そのおかげもあって、オープン当日には胡蝶蘭が沢山届き、お客様たちが「もう立ち食いでいいよ」と言って代わる代わるいらっしゃって。初日は泣きながら営業していたことを覚えています。

それから、当初は朝5時から午前2時まで仕込みもお店も1人で切り盛りして、ほぼお店に住んでいましたね。ある時、お世話になっていた方から「1人で独立することが成功じゃないよ。人を使って、自分のお店から独立者を出すことが、起業する上で必要だと思うから、大将としてちゃんと若い子を育てて独立させられるお店になるのが良いんじゃない」と言われました。それからは、若い子を入れて仕込んでいくようになり、今ではうちから4人が独立していっています。

―後進の育成に力を入れていることが、2号店や海外での挑戦でも活きてくるのですね。黒杉様は、仕入れにもこだわられていて、マグロ専門仲卸「やま幸」のマグロを使われているそうですね。

はい。実は今日、東京で「やま幸」の山口さんに会ってきた帰りなんですよ。前の職場の頃からお世話になっていて、ずっと「やま幸」さんのマグロを使わせていただいています。もう20年以上のお付き合いになりますね。豊洲では他にも良い魚を集めてくれる人がいまして、その方にお願いして仕入れさせていただいています。
あとは産地直送で、例えば宮津の鳥貝、淡路島の由良のウニといった産地でしか入らないところへはスタッフ全員で足を運び、直接仕入れさせていただくという形にしています。

現場に足を運ぶと、それを作るためにどれだけの人がこだわりを持って仕上げているかを見られるので、扱いの仕方が変わるし、値段の価値も理解できる。だから若い子を連れていくのは本当に良いと思います。また、生産者の方から色々紹介してくれるようになって、人間同士も繋がっていくので、めちゃくちゃ面白いですね。

仕込みは、今は若手に任せていて、自分は指示する係。自分が1年目、2年目の時に魚を触らせてもらえなかった経験がすごく残っているので「失敗は成功の元だよ」という気持ちで、早いうちから魚に触れてもらいたいなと思っています。

―お店も若手の方が多く、仲の良さを感じます。黒杉様のお寿司は、江戸前の寿司を主体としながら、関西の食文化にも考慮して工夫をされていらっしゃいますが、酢飯へのこだわりについてもお聞かせいただけますか。

うちは滋賀県のお米(ヒノヒカリ)を使っていて、赤酢を使って酢飯を作っています。お酢は千葉県の「私市醸造」さんというお酢屋さんで作っていただいています。
滋賀県でできたお米を、滋賀の酒蔵さんに運んでお酒を造ってもらい、そこで絞った酒粕を千葉に運んでお酢を作ってもらって、それを買うという、循環型のお酢ですね。
普通に売っている赤酢だと独特の香りがきつく感じて「もうちょっと軽い爽やかな感じの赤酢を作れないかな」と思っていた時に「私市醸造」さんで研究している方が一生懸命作ってくださったお酢を使っています。

海外で寿司の魅力を伝える!新たなストーリーへの挑戦

―2022年に2号店「寿し処黒杉 心貫」を北新地にオープンされましたが、新しいお店はどのようなコンセプトで始められましたか?

お寿司ってファストフードの走りで、好きなものを好きなだけ食べるという贅沢があると思うんですが、今はお寿司屋さんに食べに行ってもコース主体のところが多くなっているんですね。

行きたい時にふらっと行って、食べたいものだけ食べて帰る、そんなアラカルトのお寿司屋さんがやりたいなと思っていたので、ちょっとそれで出してみようかなと。
あとは、お寿司がもうファストフードの価格じゃなくなってるんですよね。魚の値段が高騰しているので仕方ないのですが、もっと気軽に食べられるお寿司屋さんはないかなと。
ご常連のお客様にはずっと通っていただいて、育てていただきました。皆さんが素敵に年齢を重ねていく中で「コースの量はもうしんどいわ」と言われることも結構増えてきたんです。「でも、美味しいお寿司は食べたい」、そんなお客様のニーズに応えて、食べたいものだけ食べられるのが良いかなと思って、2号店を作りました。
実際にオープンしたら「どこのお店に行っても黙ってたら寿司が出てくるから、何を頼んで良いか緊張するわ」と言われて。オープンして1年経つので、お客様もそろそろ慣れてきてくださった感じですけど。

―私もコースだと量が多くて食べきれないことがあるので、女性にも嬉しいですね。順番とかも考えないで、好きに食べて良い感じなんですか。

もう、好きに食べていただいて大丈夫ですよ。若手育成じゃないですけど「皆が責任感を持ってやってくれるようになった方がいいな」と思うので「寿し処黒杉 心貫」は、うちで2番手をやっていた子に任せています。本当に良い仕事を継承してやってくれています。これからはオープンして1年経ったからオリジナリティも出していこうと、今後もどんどん面白くなるんじゃないかなと期待しています。

―国内だけでなく、2023年10月には3号店として韓国の済州島で初の海外店をオープンされるそうですね。

韓国はまだまだ寿司店が少なく、食材のルート作りから始めていますが、なかなか大変ですね。ソウルや釜山なら独立された寿司店がありますが、済州島は本当にルートが乏しいので、あらゆるところに繋がって話を聞いて、今年に入ってから何回韓国に行ったか分からないほどです。

もともと海外でチャレンジしてみたい気持ちは昔からあって、実はハワイでの出店計画もあったんです。ハワイに旅行に行った時に「良い場所だな」と思って、毎年行くようになりました。マグロもあるし市場もあるし、漁師と喋っているうちに一緒に魚釣りに行くことになったり、魚の締め方を教えたりしているうちに「お店を出すなら卸してあげるよ」という話になって、実際に出店を考え始めました。契約条件の問題があって、結果的にはハワイには渡らず、代わりに2015年に「ダイビル」の方にお声がけいただいて、今の場所に移転したんです。

でも「力を貸すよ」と言ってくれた人たちのお世話になりたいし、いつかハワイでやりたいという気持ちがあって。海外でお店をやるにはどんな大変なことがあるか、条件的に難しい韓国で練習しておけば、ハワイに行く時にはすんなり行くだろうと考えています。

輸出輸入の免許や原産地証明書の発行、放射能検査というのも最近加わって色々大変です。でも、険しい道は間違ってない道だと思って、仕入れ先を開拓しつつやっていきたいですね。

【プロフィール】

黒杉章宏

1975年生まれ、広島県出身。高校卒業と同時にフランチャイズの寿司店に就職。同社経営の4店舗、計12年をそこで過ごし、寿司職人としての腕を磨いた後、30歳で独立。2015年7月、移転に伴い、現在の「寿し処 黒杉」をオープン。2022年に「寿し処黒杉 心貫」、2023年には韓国・済州島で3号店を開業予定。

寿司

寿し処 黒杉

京阪中ノ島線 大江橋駅 徒歩3分

【編集後記】

笑顔でジョークを交えてこれまでの寿司職人人生を語る黒杉氏の雰囲気に、私も他のスタッフも笑顔が絶えない素敵な時間を過ごしました。寿司に対する真摯な態度、お客様の声を柔軟に取り入れる姿勢、そしてかつての修業時代を振り返り、若手にチャンスを与え続ける温かさ。寿司を自由に、気軽に楽しめるお店の雰囲気は、まさに黒杉氏の寿司への気持ちを反映しているようでした。

※こちらの記事は2023年11月10日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Airi Ishikawa

一休のメディア事業部長。日本全国を旅しながら、その道のプロにインタビューや取材をしています。休みには足をのばして国内ワイナリーを巡るのが好き。地産地消や、生産者に近い距離で食材や料理に向き合う「極みのシェフ」がいる店をご紹介します。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:銀座 しのはら / 南青山 まさみつ / サエキ飯店 / コートドール
・好きなお店:鮨 梢 / フランス料理 エステール / コンチェルト / エンボカ 京都
・注目しているお店:SeRieUX / プルサーレ / bistronomie Avin
・得意ジャンル:フレンチ / バー
・好きな食材:山菜 / 鴨

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