石川県・野々市市の閑静な住宅街に佇む鮨の名店「すし処 めくみ」。主人の山口尚亨氏は、毎朝能登・七尾港まで約2時間かけて仕入れ、丁寧な仕込みでここだけの握りを追求しています。今回は、フードコラムニストの門上武司氏が山口氏にインタビュー。能登前という現在のスタイルに至った経緯と、鮨に込められた美味探求の道について存分に語っていただきました。
この鮨がなぜ美味しいか、科学的にみる
―いまや多くのシェフが調理技術や食材について科学的にとらえ直し、その知識を生かして料理に創意工夫をくわえることは当たり前になっています。でも、目の前で鮨を握りながら、山口さんがこの鮨がなぜ美味しいか科学的に説明されるのを聞いたときは正直言って驚きました。
地方で店を構えていると、常に東京と比較されるんです。うちは鮨ネタの魚介は能登近海で獲れた中でも最上級のレベルのものを仕入れてますから、例えばウニは東京の名の通った高級鮨店でネタに並ぶものと見劣りしません。ところがネームバリューにはかなわない。あの有名店で食べたウニは美味しいと評判が広がれば、誰もがそう思うようになってしまうのですね。世の現状をくつがえしてお客様に納得していただくには、実際に味わってもらうだけでなく、「うちの鮨はどうしてこんなに美味しいのか」を言語化して説明できるまでにならないといけないと思ったんです。
人はどのように美味しさを感じるのか。味覚の仕組み、それに美味を生み出す成分の組み合わせなど、科学的に解明されている基本を勉強したら、あとは知識の上書きなんです。お客様との話からヒントを得たり、新しい情報に接したりして、疑問が出るたびにインターネットで調べ、研究論文や学術書まで手にいれて学ぶ。その繰り返しを20年続けてきましたから、食に関する科学的な専門知識の蓄積はどの料理人にも負けないと思っています。
―日頃の美味探求の成果が、山口さんの握る鮨の一つひとつに表れているのですね。これからの季節のお勧めを教えてください。
今、はまっているのが白子です。能登で獲れるタラの白子は美味しいと広く知られていますが、さらに美味しくするにはどうすればいいか、この数年研究してきました。結論をいえば、生きているタラを捌いて取り出した精巣を効率よく処理すればいいのですが、どのタイミングで締めたり血抜きすればいいかは、地元の漁師さんと何度も試行を繰り返して探りました。
調理する直前まで生きているので、加熱してもタンパク質は急激に熱変性しにくいし、その分アミノ酸も増えるので濃厚な味を保ちながらフワフワの白子になるのです。タラは決して高級魚ではありませんが、味に差別化を図れる白子ができれば、その価値を高めていけます。いまは生産と一体になって提供システムを構築している段階です。うちの店では、その白子をどう料理するかを詰めて、能登のオリジナリティを出せていけばいいかなと思っています。
鮨という料理
―山口さんは、鮨はネタとシャリをいかに組み合わせるかというシンプルな構成の料理だと言ってこられてます。修業されたのはネタに色々仕事をほどこす江戸前の握り鮨でしたね。
鮨といえば僕のアタマの中では修業した江戸前のままなんです。ネタをシャリと合わせて口の中で混ぜ、空気と温度を合わせてネタの魚の味を立てるのが江戸前鮨。ネタは大事だけど同様にシャリも大事なんです。
特に江戸前鮨のシャリは米を湯から炊くのですが、伝統を守りつつ自分なりに改良はしているんです。湯炊きの良さは、米のデンプンのアルファ化が早くなって表面が先に糊状になるので、中のデンプンが残り全体に粘り気の少ないシャリになる。反面、シャリの芯が残り気味なんです。だから、今は修業で教わった給水率を高めに変えて、ちょうどいい粘度のシャリになるように調整しています。米の種類にしても、炊く水にしても、気候に合った最適なものを選び色々変えてはいますが、シャリそのものの基本は変えようがない。
―料理として完成させるには、シャリに乗せるネタ、つまり魚をどうするかということになりますね。山口さんが現在の能登前と呼ばれるスタイルに落ち着くまでは、この魚の扱いに随分と苦労されたそうですが。
2002年に地元へ帰ってきて「すし処めくみ」を始めました。当時は石川県で江戸前鮨の店は珍しいだろうと高をくくっていたんですね。ところが、散々な反応でした。東京で仕入れた高額な魚をネタにした鮨を、なんでわざわざ石川県で食べないといけないのかと言われて、地元の食材の掘り起こしにかかりました。そうして巡りあえたのが能登の七尾で獲れる魚介でした。
僕が修業してきた江戸前鮨の技や科学的な美味探求は、こんな素晴らしい魚介を生かすためだったのだと気付くまでに10年かかりました。江戸前のシャリに使う酢を能登の魚に合わせてアレンジするなど、細部はどんどん進化させています。漸く10年くらい経ちまして、今は自分の料理がだいぶオリジナルなものになってきていると思えます。とは言え、いつまでたっても基本は江戸前鮨です。それを壊しては作り直し、また壊しては作ってを繰り返してやってきた結果、「すし処めくみ」の鮨を能登前と呼ばれるようになりました。けれど、それをさらに江戸前として進化させるとどうなるか試してみたり、自分の理想とする鮨にはまだまだ遠いなと思っています。
マーケティングを意識し、特上の魚介にかける
―店から能登の七尾までは、車で往復3時間かかるそうですが、いまも毎日魚を仕入れに通っておられるのですか。
店を開けるときは必ず朝4時に起きて通ってますよ。七尾湾は天然の大きな生け簀みたいなもので、強いて挙げると春のトリ貝やサクラマス、秋のノドグロ、冬の寒ブリや迷いガツオ、それに多種のフグなど年間を通じて旬ごとに多彩な魚介類が収穫されます。白身魚もいろいろ獲れて、なかでも絶品なタラの白子に注目するようになったのです。この漁場に辿り着いた当初、江戸前でも高値で取引されるのと変わらぬ上質の魚を僕専用みたいにもらっていました。もともと能登の魚介は全国に流通されるほど知られていましたけれど、そのなかで、うちの店でほしい魚は種類も数も限られていますから特上のものをわけてもらえていたのですね。
―漁師さんによっては、収穫する魚介にも得意不得意があるでしょうし、山口さんもこれだけ長く通っていればお付き合いされるなかでいろいろ変化が出てくるのではないですか。
今でこそ能登前といって、僕は東京の高級店と変わらぬ高値設定で好きにやっているように見えますが、実はそうじゃないんです。ニーズがあるからなのです。お客様の食べたい欲求というか、何を食べたいと望んでいるか、食にも世の中の流れやトレンドが反映されたニーズがあるんですね。僕はそういう思いに合う料理を供しているから商売できているんです。
お付き合いのある漁師さんたちとは、このニーズをいかに掴むかということ、マーケティングの意識が必要だとよく話してます。高級レストランへ一緒に食事しにいき、実際に高額で取引されているノドグロの料理を食べてもらうのですが、同じ能登で獲れるノドグロでも丁寧に神経締めしてきれいに血抜きされていれば、こういう使われ方になるのだと実感してもらいます。 今はそういうレベルのお魚を出荷してもらうように心がけてもらっています。
―能登でなにか具体的なプロジェクトとか始めておられるのですか。
天然の漁に危機感を抱いて、これまで身に付けてきた漁師の技術を次の世代に伝承してもらうとか、海の環境を大事にしようとか、実際に料理を一緒に食べて飲んで語り合う機会を持つことも大切にしています。今は震災後でプロジェクトも進んでいませんが、一日でも早く具体的な話ができる日が来ることを願っています。
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山口尚亨氏 プロフィール
銀座、虎ノ門などの寿司店で修業を積み、2002年、郷里の石川県で独立開業。北陸ならではの新鮮でおいしい素材を仕入れ、提供したいとの思いから、毎日自ら能登の漁港へ車を走らせ、朝、港に揚がった魚を見てから市場で購入、その日のネタにしている。漁師、仲卸業者、米生産者との深い信頼関係を築いている。2011年、世界のシェフが能登を訪れたイベントで魚の活け締めを実演、解説し、日本料理の技術と能登の魚介類をアピールした。
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【編集後記】
「すし処めくみ」の山口尚亨さんは多弁である。鮨を握る技術者としてだけでなく、研究者としても一級。だから自らの中に大量の蓄積がある。鮨職人して一流を極めるレベルから、漁師との関係性、それが地域の活性化にも繋がることを熟知した稀有な料理人である。それは自分の時間をどれだけ地域のために使うかであり、それが浸透してきたからこそ可能となったのだと強く感じる。そのために20年かかったという分析も素晴らしいのである。
※こちらの記事は2024年10月10日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。