国内外から宮崎まで食べに来るファンが多い宮崎鮨の名店「一心鮨 光洋」。先代が築いたお店は、オーナーソムリエである店主・木宮一光氏が継承し、新境地を築いていることでも有名です。 “鮨とワインのペアリング”を打ち出し、鮨の奥深さを発信し続ける木宮氏に、鮨が持つこれからの可能性についてお話を伺いました。
寿司職人一家の中で育ち、イタリアンの世界で気づいた「鮨の可能性」
―お父様は、宮崎県を代表する名店「一心鮨 光洋」の創業者・一高氏、ご兄弟も寿司職人としてご活躍されていますが、お店を手伝うことは当初から意識されていたのでしょうか。
僕は、実は料理業界に進みたくはないと思っていました。4人兄弟の1番下でいじめられていたので「兄が全員料理人だったら、鮨屋になってもいじめられるだろうな。お笑い芸人になりたいな」と思っていたんです。
学生時代に海外留学させてもらって、帰国後にお店を手伝っていたら、血がそうさせたのか、楽しくなっちゃって。
そのときに、父親は寿司職人で兄弟も料理人なので、サービスの方を手伝って母親をサポートしてあげたいという気持ちが芽生えました。
―実家で働き、その後は横浜のイタリアンの名店「SALONE2007」でサービスマンとして働かれたそうですね。イタリアンレストランで働こうとしたのは、どのような理由だったのでしょうか。
ちょうど10年ほど前の2009~2010年頃に、とあるお客様からご紹介をいただいて食べに行ったんです。
当時のサービスマンで印象に残る方がいて本当に素敵だったので、その方と一緒に仕事をしてみたいと思ったのがきっかけです。一度外に行ってみたいという気持ちもあったので「外で勉強したい」という話を伝えて、1年半ほどお世話になりました。
―サービスについて、鮨屋とリストランテの違いはありましたか?
違いは沢山ありましたね。レストランはオペレーションも確立されていて、電話対応から何もかも違いました。皿を3枚持つこともなかったですし、ワインは全く扱っていなかったので、全然知らない未知の世界でした。すごく忙しいお店だったこともあり、毎日が本当に刺激的でしたね。
―そこで、イタリアの自然派ワインとの出会いがあったのですね。鮨とワインの可能性に気づいたのは、どんなきっかけがあったのでしょうか。
最初の扉として、小肌とウニを合わせたのが、フランス・ジュラ地方のサヴァニャンというぶどう品種のワインでした。酸度が高く、酸化をポジティブに捉えてワインを作る産地なので、エッジのたったワインになるんですが、塩と酢でしっかりと締めた小肌を食べてワインを飲むとすごく合うんですよね。
それから可能性を感じて「ワインと鮨」を掘り下げていきました。
僕の中でマリアージュとして深く記憶に残っているのは、母の握ってくれたゆかりのおにぎり。小学3年生位の頃の寒い日、おやつ代わりに置いておいてくれたおにぎりに、温かい玄米茶を入れて飲んだんです。普通に食べるより圧倒的に美味しいと思いました。その感覚って何だろうというのは子供ながらに感じて、年を重ねるごとに“食べ合わせの相性”だと気づきました。
20歳の頃に「一心鮨 光洋」で酒蔵を10軒位お招きして、よくイベントをやっていました。打ち上げのときに、自分たちのお酒をお燗につけて「これを食べながら、これを飲みなさい」と飲ませてくれたんですね。「食べ物とお酒でここまで味が広がるんだ」とマリアージュというか、広がりに気づいたのがターニングポイントでした。
そんな過去の体験があって「SALONE2007」に行き、戻ってきて、小肌とサヴァニャンの組み合わせを見つけて、ワインもいけると気づいて今に至っています。
うちで驚いていただけるのは、海老を食べながらピエモンテのバローロを飲むとか。
びっくりしてもらえるようなマリアージュは構築されてきていますね。
―今でこそ和食にワインを合わせるのはスタンダードになりつつありますが、当時の反応は?
そもそも、ワインが出なかったんですよ。1週間でグラスのシャンパンが2~3杯出ると、嬉しくて酒屋に電話していました。お客様にもっと鮨とワインを楽しんでもらいたいと思っていましたから、ボトルで売らないとダメって言われるワインも、無視してグラスでお出ししていました。
お刺身とワインも悪くないじゃないですか。生臭くなるシチュエーションを外せば、飲んでいただけるという感覚はあったんですよね。「僕らが発信し続けることで、絶対に世の中がひっくり返る、鮨とワインの世界が来る」と思っていたので、ワインだけはずっと買い続けていました。
自然派ワインだと還元していたり、色が濁っていたりするものはありましたけど、割と受け入れてもらえていましたね。ただ、ビオワイン特有の特徴が強く出ているものは僕も苦手なので、綺麗なワインを選ぶ傾向がありました。
今は潤沢にストックがあり、ワインも落ち着いたトーンのものが主流で、ネガティブな要素がないというか、これがビオなんだって思われることが多くなってきています。グランヴァンもここ数年で使い始め、自然派に捉われず「美味しいワインとお鮨」でお客様をおもてなししています。
「一心鮨 光洋」をチームとして継承し、進化する
―現在は「一心鮨 光洋」の支配人としてお店を継ぎ、空久保晴義氏と上村亮介氏が寿司職人という体制となりました。当時はどんな思いでしたか。
兄弟が独立し、3年前にちょうど長男が辞めて。僕が鮨を握らないので、兄弟がいなくなったことは不安でしかなかったんですけど、しっかり残ってくださった職人をもっと大切にして「一心鮨 光洋」を守っていかないと、と思っていました。
もちろん衝突もありましたし、毎晩皆が出て行ってしまう夢ばかり見るほどでしたが、お客様に「今までの大将がいないから味が落ちた」と絶対に言われるから、一からやり直す形で見直してみたんです。生産者や食材から書き出して整理して、自分たちがやってきた仕事一つ一つを懐疑的に見直して。この手間は必要か、これじゃない表現の仕方はないのかを掘り下げて、全く別物のスタイルになったというのはありますね。
―自分たちの中で再構築された。2人体制というのも特徴的ですね。
親方が1人になると、その人だけの味のベクトルになるような部分があったので。当初は大将制というか、親方制のようなものをなくし、ダブルシェフというか、2人のシェフがいますといったやり方で仕事をしていました。それぞれの思うところを、お互いに食べ比べて少しずつ引き出しを広げていって、今は落ち着いている感じですね。
オーナーソムリエの鮨屋という、僕みたいな立ち位置の人間がいる鮨屋も珍しいと思うんですよね。僕の立場から言うことや、彼らが出したいものもあるので、ぶつかることもありますが、結果的にいいんですかね。僕自身もかなり鮨屋さんを食べ歩いて、良いなと思ったところには必ず連れていって「これが美味しいと思うけど、どう思う?」と聞いたりしながら、やってきていますね。
―カウンター12席、個室を含めて50の席がある大きなお店で、雰囲気作りについてはどのように心掛けていらっしゃいますか。
常に喜んでもらいたいという気持ちが前提にあるので、おもてなしをする空間にしていきたいなと思っていますね。
僕らは観光地で仕事をさせていただいているので、ゆっくりと時間を過ごしていただきたいという気持ちはすごく持っていて、小さなお店ではできない、リラックスしていただく仕方があるのかなと思っています。
また、迎賓館のように、ハレの日に選んでいただけるようなお店であり続けたい。
個室の在り方も考えていて、個室カウンターでプライベートな空間を良くしていけるように、今後もリフォームやバーを作る計画もしています
今いるメンバーで、どういう強みで戦っていけるかを考えたときに、トータルで楽しんでいただけるようなお店作りを考えています。
これからの鮨、次世代の寿司職人の在り方
―「新宿高島屋」のイベントや「saccapau」さんなど、他ジャンルとのコラボディナーを意欲的にされてらっしゃいますね。
スタッフたちがここ以外の場所を見ることで、刺激を受けるんじゃないかというところがあります。お客様も県外の方が圧倒的に多いですし、僕らからしたら「いつも来ていただいているので今度はこちらから伺います」という気持ちもありますね。
「新宿高島屋」もそうですが、6割位がご常連さんですし。東京都内でイベントしても、半分以上は一度来ていただいたお客様で、イベントの後にレストランにも行っていただいているようです。
他のお店とのコラボは、スタッフたちが向こうの料理人とコンタクトをとって仲良くなってほしいなと。日本中に友達や仲間が増えていけば、サービスマン冥利に尽きるなって思いますし、やはり刺激がないとつまらないですよね。
僕らの仕立てがベースにある食材が、いかに一つの料理に変わっていくか。鮨はどうしても、切って握るという世界なので「ガリってこんな風に使えるのか」とか、料理の再構築を見ているのが楽しいですし、見ていてワクワクする感じですね。
僕らのエッセンスを加える中で僕らの料理を出している部分もあるので、調理法一つとっても異業種とやるのは面白いですね。
―これから挑戦されてみたいことはありますか?
職人はこれからもっとかっこいい存在であってほしいと僕は思っているので、雇用をさらによくしていきたいという思いがあります。
ダブルシェフという話がありましたが、お店も落ち着いてきたので、新しい挑戦を応援していこうと。来年早々に宮崎県で新店舗がオープン予定で、上村が親方になります。
飲食店は労働時間も長くてきつい仕事と言われますが、これからはもっと自分の技術で稼いでいくチャンスを得るべきだと思っていますし、そういう応援も兼ねてどんどんお店をオープンさせてあげたいなと。
僕は「お客様に育ててもらう」という言葉が結構好きなので、良いプレッシャーの中で仕事させてもらって、真摯に料理に向き合っていれば、ついてきてくれるお客様が自分を支えてくれるんじゃないかって信じているので、チャレンジする時期は早くていいんじゃないかって思うんですよね。若い子たちがこれからもっとチャンスを得られるような場所を作っていきたいと考えています。
宮崎だけでなく、日本中、跡継ぎのいない鮨屋さんと一緒にやっていけたらいいなとも考えたりしますし。これからの新店舗をやる一番のスタートはそこでした。
―「料理人がかっこいい存在である」という言葉は素敵ですね。
今、若手には「趣味を作れ」とよく言うんです。例えば、サーフィンだったら朝早く起きないと波に乗れない訳じゃないですか。そのためには、どんなにきつくても朝起きてサーフィンに行くんですよ。だから「趣味の時間を最大限楽しむために一生懸命仕事しようぜ」と。飲食業界はよくブラック企業だって言われるじゃないですか。若いうちは結構きつくて、休みの日はずっと寝ているっていうパターン。
上村は釣りが大好きで、釣りのことを考えながら仕事しているんですよ。休みの日をめちゃめちゃ楽しむために仕事しますというような、生き方がかっこいいなと思っていて。僕が仕事を始めたときは全くできなかったので。
若い子たちが高級店をやっていくことに意味があると思います。「飲食業界ってかっこいいな」って思ってくれる人たちがあちこちに少しでも増えてくれたら、寿司職人じゃない自分が鮨業界に恩返しできるかな、と考えていて。「一心鮨 光洋」という母体を守って後継者にバトンタッチしていくんですけど、対鮨業界としてそういうブランドを一つ掲げ、職人たち一人一人に光が当たっていくような世界を作っていきたいですね。
【プロフィール】
木宮 一光
1987年生まれ、宮崎県宮崎市出身。
男ばかり四兄弟の末っ子で、兄全員が料理人という中、サービスマンとして一心鮨を支える。【鮨とナチュラルワインのペアリング】に高い評価があり、鮨を食べるためだけに日本全国の食通が宮崎に足を運ぶ。
【編集後記】
お客様の時間をより特別なものにするため、美味しいと思っていただくために、妥協せず今の形を築き上げた木宮一光氏。「2店舗目は兄弟の名前の共通点である“一”という言葉から“ひとつ”という名前にしようと思います」と語る姿に、先代やご兄弟、関わる全ての方への想いが込められていると感じました。日々進化する「一心鮨 光洋」ならではの鮨を味わいに、宮崎を訪れてみてはいかがでしょうか。
※こちらの記事は2024年09月10日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。