2020年1月、熊本にオープンした寿司店「むら上」は、天草の名店「奴寿司」で研鑽を積んだ兄弟2人が握りと料理を展開する話題のお店です。
今回は大将を務める兄・村上正臣氏と弟・村上拓也氏にインタビュー!お父様譲りの天草ならではの寿司の魅力を存分に語っていただきました。
父の背中から学び歩んだ寿司職人の世界
-お2人のお父様は熊本・天草の名店「奴寿司」の大将ですが、子供の頃から寿司職人になろうと考えられていたのですか?
村上正臣氏(以下、正臣):小さい頃は「寿司職人になりたい」と思った記憶があまりないのですが、長男ということもあり周りからは跡継ぎのように言われていました。なので流れでなったみたいな所はあります。親父から「寿司は自分が教えるから別のことを吸収してこい」と言われ、最初は長崎にあった日本料理店で3年修業しました。
ただ他の業界で働く同世代を見て、羨ましいなと思って。やっぱり昔の飲食業界は働いている時間も長いですし、ブラックな業界でもありましたしね。「後継ぎは弟にお願いしてほしい」と伝え、一度飲食業を離れました。
-その後飲食の世界に戻られたのは何かきっかけがあったのですか?
(正臣)実家にふらっと帰省した時、親父が握った寿司をお客様が食べながら「幸せ」とつぶやいているのを見たんです。
人に「幸せ」と言ってもらえるなんて凄いな、素敵な仕事だなと思って戻る決意をしました。
村上卓也氏(以下、拓也):僕も流れで寿司職人になるんだろうなと考えていました。僕は「奴寿司」にずっといたのですが、たまたま福岡の「照寿司」の大将と知り合う機会があり、親父に相談した所「一度外に出て学んでこい」ということで研修させてもらいました。
その後は東京の中華料理店「わさ」の山下シェフと出会い、このままだと成長できないから東京に出てこいということで。
本当は1ヶ月間だけの予定でしたが、親父と兄を説得して1年間東京で修業しました。
-中華料理屋さんでご修業され、そちらの方向にいくことはなかったのですね。
(拓也):最初から1年間という約束だったので、その後はまた実家に戻りました。
-お2人とも一度外の世界を見た後、お父様の元で働かれているのですね。お父様の元で学ばれたことの中で、一番活かされていることはありますか?
(正臣):「奴寿司」にいた当時は何も思っていませんでしたが、一度出て自分達でやってみると、僕らのベースは、ほとんど親父がやっていたことだと気づかされました。
-具体的にはどんな点ですか?
(正臣):新しい料理や握りの仕立てなども「前に食べたことがあるよね」「この感じ知っているね」と、思い返してみたら、親父も似たようなものを昔作っていたな……ということにたどり着くことが多いです。
意識している訳ではありませんが、2人とも身体に染み込んでいるんですね(笑)。
-2020年1月に「むら上」を開業されましたが、最初は正臣さんだけで開かれたそうですね。
(正臣):当初、弟と一緒にやるつもりはなかったんです。弟が東京にいる期間、一度会いに行ったのですが、弟の目つきが変わっているのが分かって。
熱気とやる気に満ち溢れている感じで、その時に「一緒にやらないか」と誘いました。
-拓也さんは「わさ」での学びは大きな転機だったんですね。
(拓也):そうですね。「照寿司」では結構優しく教えてもらっていたのですが「わさ」では厳しく料理人としての考え方を教わりました。
-正臣さんから「一緒にやらないか」と声を掛けられた時、どう思いましたか?
(拓也):「わさ」にも1年しかいなかったので1人でやるという自信はなく、漠然と実家に戻るのだろうと考えていました。でも兄と一緒なら、独立してやれるかなって。
-正臣さんは当初から独立を考えられていたのですか?
(正臣):僕は弟に後継ぎを変わってほしいとお願いした立場なので「奴寿司」を継ぐつもりはなく、独立をすることにしました。
熊本市内から発信する天草流の寿司の魅力
-あえて天草ではなく熊本市内に「むら上」を開業されたのはなぜですか?
(正臣):実は当初、天草でやる予定だったんです。親父の引退ではないですが、手伝う形に回ってもらうということで、実際1ヶ月間試しにやってみました。
そしたら親父の元気がみるみるうちになくなってしまって、仕事を取り上げてしまってはダメだという結論に至りました。
天草という狭い地域に家族で2店舗構えるのではなく、外に出た方がいいのではと、熊本市内に開業することになりました。
-熊本市内で寿司屋を開業され、仕入れ面などで天草との違いはあるのでしょうか?
(正臣):うちは鮪のみ豊洲からですが、他の魚は基本全て天草から仕入れています。もちろん信頼している魚屋さんや同級生の漁師から仕入れているので、任せているのですが、やはり実際に自分達で魚を見ることができないというのはありますね。
天草にいた時は一緒に船にも乗れるし、お魚も自分達の目利きで選ぶことができました。それは今、仕入れ先との“信頼”でカバーしています。
-お2人ともカウンターに立たれているかと思いますが、役割分担などはあるのですか?
(正臣):お互い握るので特に分担は決めていませんが、トータルでいうと弟が寿司のネタ、僕はツマミや料理の仕込み、営業中は弟がサービスをして僕が料理を作り、2人で一斉に握る、みたいな流れですね。
うちはコの字カウンターになっていますが、真ん中から半分が弟、半分が僕の握りになります。なのでお客様には2回来ていただかないと「むら上」の寿司はわかりませんよとお伝えしています(笑)。
-魚の仕入れは天草でされているとのことですが、天草で仕入れることのできる魚の特徴はありますか?
(正臣):天草は、有明海と東シナ海、不知火海という3つの海がある珍しい場所で、それぞれで獲れる魚の特徴も異なり、種類が非常に豊富です。
例えば同じ青魚でも、内海の方にいる種類は根付きで回遊せず、あまり動かないので油が乗っている魚が多く、外海の流れが速い所にいる種類は身が引き締まっています。
-代表して一番獲れる魚は何ですか?
(正臣)全国的に有名なのは、天草の小肌ですね。あと養殖も天然も有名ですが車エビ、時期になるとウニですね。それとタコ、真鯛、外海でいうと鱧なども有名です。
3月頃になると本鮪も回遊して水揚げされるので、唯一ないものと言えば二枚貝くらい。どうしても海が綺麗すぎて獲れないんです。
-天草のお寿司と熊本市内のお寿司の違いはありますか?
(正臣)これは全国的に言えると思うのですが、熊本市内も江戸前寿司が主流で、東京で修業して戻って来られた方達がお店を開業されています。
なのでシャリは赤酢が多いですが、天草はどちらかというと新鮮な魚に合わせたシャリになるので、白酢がベースなんです。
僕ら自身ずっと天草の寿司が美味しいと思っているので、今もそのスタイルでやっていますが、いらっしゃるお客様からは「熊本市内の寿司とは少し違うね」と言われることも多いですね。
-食の宝庫とも言われる九州の中でも、天草のお寿司の醍醐味をお聞かせください。
(正臣):やはり1番は夏の時期のウニですね。全国的にも天草のアカウニは出ていますが、やっぱり地元なのでいいものをいただくことができます。
アカウニには種類があって九州の中でも味が違い、天草で獲れるものはクリーンで綺麗な味わいです。
例えば唐津とかになるとキャラメルのような感じですが、天草のアカウニは、くどくない甘さという感じです。
(拓也):あとは小肌ですね。基本的に仕込みがありますし、天草は本当にいいものが入ります。夏には新子と言って小さいものも入るのですが、油も乗っていていいものが食べられます。なので小肌、新子はおすすめですね。
(正臣):冬の時期、魚はどんどんいいものが獲れる時期になりますが、11月に入るとブリがよくなり、サワラが3月の春先に向けて良くなり、アワビとかもやっぱりいいですね。
-熊本市内にありながら、天草流を貫いてらっしゃるのですね。シャリは「奴寿司」のものとも、少し異なるのでしょうか?
(正臣):「奴寿司」のものをベースに作ってはいますが、酢の配合も違いますしお米の種類も違います。「奴寿司」のシャリは、どうしても地方の田舎なので甘いんですよね。弟と話している時に「甘い」の一歩手前に「旨い」があるのではとなり、実家のシャリに比べ甘さは控えています。
-お米にもこだわりがあるそうですね。
(正臣):地元の魚を使っているので、できれば地元熊本県内でお米を探していたんですけど、なかなかシャリ酢に合うものがなくて……。
弟のツテで大阪のお米屋さんにうちのシャリ酢の飯を食べてもらい、それに合わせて作ってもらっています。
(拓也):奈良県の「ヒノヒカリ」という品種のお米を使っています。
経験の中から生み出された「むら上」ならではのおもてなし
-次にツマミについても伺いたいのですが「むら上」ならではの、定番の一皿はありますか?
(正臣):その時々に仕入れた食材で取ったお出汁は固定で出しています。
また寿司屋のため、どうしてもシャリが少し余ったりするので、そのシャリを前半にリゾットのように仕立て提供しています。
後は弟が中華料理店の「わさ」にいたということもあり、中華料理の「ビーフン」から着想を得て、熊本だと島原が近いので、素麺で仕立てて出したりなどしています。
-寿司屋のツマミで中華風の料理が出るのは珍しいですね。
(拓也):「わさ」で学んだことは、使える部分で使わせていただいています。
ツマミは兄が中心となって決めていますが、お寿司屋さんはどうしても料理内容が似てしまい、あまり冒険できないんですよね。そこは他のお店と違うことをしようと柔軟にやっています。
-次にお酒についても伺いたいのですが「むら上」でいただけるお酒に関しては熊本だけではなく県外のものも多く取り扱っているそうですね。
(正臣):県内のお酒は実際に仕入れ先のことを知っていて、繋がりのある人のものを仕入れています。日本酒は弟、ワインは僕が中心となって選んでいます。
当初は僕が全て決めていたのですが、サービスは弟が中心になっているので、覚えて欲しいという観点で任せています。
-器も天草の焼き物を使われているそうですね。
(正臣):天草は陶芸家が多い場所なのですが、やはり地元のものを使いたいと思い探していました。
同年代の陶芸家で3兄弟全員が陶芸家の金澤さんという方がいるのですが、次男と三男が作られる器がとても気に入り、そちらを中心に揃えています。ちなみにどちらかというと僕は次男、弟は三男のものが好みです。
握りを置く皿は次男のもの、お客様の前にあるガリが入っている皿は三男のものを使っています。
-おもてなしに関してもお伺いしたいのですが、心掛けていることはあります?
(正臣):最近は県外の方にお越しいただくことも増えてきましたが、できるだけ地元の食材やお酒などをご案内したり、あとは割と一人で食べ歩かれている方もいらっしゃるので、そういったお話を伺いつつ、逆にこちらからもご提案したりとかもしますね。
(拓也):肩肘張らずにリラックスして、楽しんでいただけたらいいなと常に考えています。ピリッとした空気で食事をすると楽しくないでしょうし、僕らも緊張するので、ワイワイと楽しく食べていただきたいなと思っています。
-今後の展望をお聞かせください。
(正臣):話し合っていないですが先のことを考えず、1日1日来ていただくお客様に全力を尽くすことの積み重ねだと思っています。その上でどうなるかは、やってみないと分からないと思っています。
ただ、オープン前に今来てくださっているお客様にもこれから来てくださるお客様にも、僕らがいない所での会話の中で「むら上」なら間違いないね、と言われるようなお店にしていきたいなと考えています。
(拓也):やっぱり今は毎日のことでいっぱいなので具体的にはありませんが、毎日しっかりこなし、それを積み重ねる中で少しずつ修正しながら、もっといいお店にしていけたらと考えています。
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村上 正臣氏 村上 拓也氏 プロフィール
実家は熊本県天草市にある鮨の名店「奴寿司(やっこずし)」
父である親方の村上安一氏の元で研鑽を積み、2020年1月、兄弟で「むら上」を開業。
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*編集後記*
天草の名店「奴寿司」のルーツを組む「むら上」。兄弟ならではの掛け合いの中で、お互い信頼し合っていることが随所で垣間見ることができるインタビューとなりました。
熊本でいただける天草前の寿司をぜひ味わうために、一度訪れてみたいです。
※こちらの記事は2024年12月02日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。