渋谷・恵比寿・広尾駅から、それぞれ歩いて20分ほどの場所に位置する「熟成鮨 万」は、店主・白山洸氏が腕を振るう熟成鮨のお店。駅からやや離れた立地の同店ですが、白山氏曰く「あえてこの場所に立てました」とのこと。今回は、インタビューを通じて白山氏の思いや「熟成鮨 万」ならではの鮨の特徴について、詳しくお聞かせいただきました。
目 次
テニス選手の道を諦め、鮨職人の道へ
-料理人、そして鮨職人の道を選ばれたきっかけについてお聞かせください。
大阪の高校を卒業して、すぐに鮨の世界へ入りました。実は僕、もともとプロのテニスプレイヤーを目指していたんです。今世界のトップレベルにいる日本人選手とも試合をしましたが、力の差に愕然としてしまいテニスの道は諦めることに。
その後、高校で就職活動をする時期に。将来は自分の好きなことだけをして食べていきたいと思っていたので、紙に好きなことや楽しいと思うことを書いて、それに付随する職業を考えていきました。そこで最後に残ったのが料理人。「勉強しながらお給料を貰えて、ご飯まで食べられるし、上手くいけば独立もできる!」と思い、料理人を目指すことにしました。
-一言に料理人と言っても、様々なジャンルがありますよね。
僕は白ご飯が好きなので、和食がいいなと思っていました。お鮨屋さんなら毎日お鮨を食べられるなと。本当に理由はそれだけです(笑)。
もはや研究レベル!独学で熟成鮨を極めた修業時代
-最初は、大阪の鮨店で修業されていたそうですが、当時のエピソードや熟成鮨との出会いについてお聞かせいただけますか。
最初のお店では、2年ほど働いて料理の基本を学びました。関西鮨のお店でしたから、巻き鮨や押し鮨がベースでシャリは甘め。お鮨にも色々な種類があるのだと知り、当時は各地のお店を食べ歩きました。
熟成鮨との出会いは、働き始めて2~3か月経った頃。大将に「魚は寝かせると美味しくなる」と教えてもらい、新鮮な魚と3日間寝かせた魚の食べ比べをしたことがあったんです。実際に食べてみると、確かに3日経った魚のほうが美味しく、お鮨としての完成度も高いと感じました。一方で「3日寝かせてこれだけ美味しくなるのなら、1週間寝かせればもっと美味しくなるのではないか」と思ったんです。
しかし、市場で魚を買って寝かせてみると、当たり前ですが腐ってしまって。「そもそも腐るって何だろう、腐らせなければ美味しくなるのかな」という考えに行き着きました。
それからは、魚がどの部分からどのように腐っていくのかを、自分なりに調べてみることに。血と内臓、皮、うろこ、お腹やお尻の身、頭の後ろ、背中、尾っぽというように、様々な部位を、真夏でクーラーもないような寮の部屋に並べて30分ごとに舐めていきます。腐ったら変な味がしますから、どの部分が一番先に腐るのかを知りたかったんです。
調べた結果、“魚を寝かせるなら、きちんと血抜きをしなければならない”ということに気付きました。それからは、自分なりに血抜きの方法を考えたりして。ですから、熟成鮨の知識そのものについては完全に独学と言えますね。
その後は、自分がやりたいことには江戸前の技術が必要だと気付きまして。僕の師匠とも言える方が営む、関西風の江戸前鮨のお店に弟子入りし、7~8年働かせていただきました。
-お一人でそこまで追求していく方は、なかなかいらっしゃらないと思います。もはや研究と言ってもいいレベルですね。
当時の僕は、自分がやっていたことを“魚を長時間寝かせる仕事”と捉えていました。そうこうしていると、ある時世の中で熟成肉が流行り出した時期があったんです。熟成って何だろうと思い調べてみたところ、初めて自分のやっていることが熟成鮨であると気付きました。
他にも、四ツ谷の「すし匠」さんの中澤圭二親方がマグロのトロを“エイジングトロ”として打ち出していたり、二子玉川の「すし 㐂邑(きむら)」さんも、数種類の熟成鮨を出していらっしゃいました。
すでにやっている人がいるなら、自分がやろうとしていることも間違いではない。このまま自分なりに考えながらやっていこうと思いました。そうして約15年続けてきた結果、やっと今のかたちに辿り着いたわけです。
紆余曲折を経て、東京で「熟成鮨 万」をオープン
-その後、2018年に「熟成鮨 万」をオープンされるまでどのような経緯があったのでしょうか。
師匠が引退してお店を閉めることになり、次の仕事先を探していたところ、知人から「熟成鮨のお店をやりたい」と声を掛けてもらいました。それがきっかけで、企業さんにお金を出していただくかたちで熟成鮨のお店を始めることにしたんです。
1年と少し経ったある日、突然知らない人がお店にやってきて「このお店は企業買収により売られました」と告げられました。新しいオーナーとも話しましたが、チェーン展開したかったらしく、その考えに同意できなかった僕は、再びお店を辞めることに。
同じ頃、親しかったお客さんに辞めることを話すと「じゃあ、東京においでよ」と言われて。大阪のお店ですが、来店されるのは東京のお客さんが多かったんですよね。東京へ行って失敗しても、また大阪に戻ってくればいい。そう思って、東京行きを決めました。
-大阪から東京へ出てくるまでに、紆余曲折あったのですね。
今の時代はSNSなどが発達していますから、本当に美味しいお店ならどこでもお客さんが来ると思っているのでエリアにこだわりはありませんでした。そんなときに紹介してもらったのが、今「熟成鮨 万」があるこの物件。ただ、一度も東京に来たことがない若者が急に東京の物件を借りようとしても、なかなか決まらないんですよね。
どうしようかと困っていると、あるお客さんが「うちの会社の名前を使っていいよ」と言ってくださって。共同オーナーのようなかたちではあるものの、やっとオープンまで漕ぎ着けたんです。
お店を始めてしばらくすると、ミシュランの星をいただける機会にも恵まれました。ただ、少しずつ共同オーナーとの意見が合わなくなってしまって。最終的に僕が買い取るかたちでお店を続けることになり、今に至ります。大阪から東京へ来てお店をオープンするまではあっという間でしたが、すごく忙しかったので当時の記憶が朧げです(笑)。
あえてカウンター6席のみに絞ったこだわりの店内
-マンションの一室で看板もなし、カウンターが6席のみと隠れ家感がありますね。空間づくりでこだわった部分はございますか。
皆さんがイメージするような“普通のお鮨”を出すつもりはありませんでした。
ですから、看板は最初から無くていいと思っていましたし、駅の近くは避けたいなと。“普通のお鮨を出すお店でなく、うちのお店に来たい人だけが来てくれるようなお店”がいいと思っていました。“普通のお鮨”を食べたいから訪れた、という人の期待を裏切りたくなかったんです。
席数についても、10席くらいなら対応できたと思います。ただ、僕はある程度お客さんとお話をしながらお鮨を出したいので、6席くらいがちょうど良い。お客さんとの距離感を大事にしたいからこそ、あえて今の席数に絞りました。
“シャリをネタで食べる”こだわりを盛り込んだ鮨の魅力
-職人の方の技が光る熟成鮨ですが、「熟成鮨 万」ならではのお鮨を作り上げるうえで、白山様が普段から意識されていることはございますか。
僕自身、鮨職人のなかではお鮨に対する考え方が特殊だと思っていて、僕にとってのお鮨は“お米を食べる料理”。シャリという食材を魚というソースで食べるイメージですね。
-お米が好きで料理の道を選ばれていますし、その思いがきちんと今に活かされているのですね。
普通のお鮨は、食べたときにシャリとネタが同時に無くなっていくのがベストだと言われています。一方で僕のお鮨は、咀嚼して飲み込んだときに、お口のなかにお米が2、3粒残るくらいのバランスで握ります。魚の味とシャリの味、咀嚼すればそれらが混ざり合ったときの味も楽しめるんです。そこでお酒やお茶を飲んで、一息ついてから次のお鮨を味わう。こういった流れまですべて合わせたものが、うちのお鮨なのではないかなと思います。
-仕入れについては、ご自身で産地まで足を運ばれることもあるとお聞きしました。どのような部分を重視して、食材探しをされていますか。
度々食材探しの旅に出掛けていますが、やはり一番重要なのは“人”。どんなに良い魚を扱っていても、人間として合わない方とは取引しないと決めています。でも、人を見て判断すると、結果的に扱っているお魚の質も高いものになる気がするんです。たとえ信頼している方にご紹介していただいた場合でも、色々な方がいらっしゃるので意見をぶつけ合うこともありますよ。
-お魚だけでなく、お米やお酢にも深くこだわっていらっしゃるそうですね。
お米は、オープン時にたまたま見つけた「小池精米店」 さん。今もお世話になっています。店主の小池さんは「五ツ星お米マイスター」という日本にも数人しかいないマイスターの方で、現在は、小池さんにご紹介していただいた農家さんにお願いして「万米(よろずまい)」という名前で専用のお米を作っていただいています。
お酢は京都の「飯尾醸造」 さんが手掛けている「富士酢」を使用。赤酢と2種類の米酢、全部で3種類をブレンドしているんです。初めてお酢を味見したとき、びっくりするほど美味しかったんです。“一目惚れ”ならぬ“一口惚れ”。その場で調合して「これだ!」と思い即決しました。
お米は「Vermicular(バーミキュラ)」の炊飯器で炊いています。うちのシャリ専用に少し炊飯のプログラムを変えていただいたもので、通常にはない特注品。お米やお酢と同様にこだわった部分でもありますね。
ロジカルな構成を意識した「熟成鮨 万」ならではのコース
-「熟成鮨 万」はおまかせコースがメインとなりますが、提供方法にも工夫が凝らされているとお聞きいたしました。
コースの始めには貝のスープをお出ししていまして、使用する貝の種類やブレンドは季節によって変えています。スープは塩などで味をつけず、2日ほどかけて貝の出汁を抽出したシンプルなものです。貝の旨味成分である「コハク酸」を凝縮したスープで、お客さんの口のなかを一度リセットしてからコースをスタートします。
お鮨の前に、お野菜を使った料理、発酵させた料理、焼き物もしくは煮物を一種類ずつお出ししていくのですが、順番にも理由があるんです。調理した食材ってどうしても酸性になるので、食べ続けると人間の体も酸性に傾いていく。それがある程度のところまでいくと、脳から満腹だという信号が出ます。例えば外食をしたときに、お肉2、3切れだけで結構食べた気になることってありませんか?あれがまさにこの信号。満腹でなくてもそのように感じてしまうんです。
うちはお鮨だけで16貫出すこともあるので、最後までコースを楽しんでいただくためには、傾きのバランスをとる必要があります。つまり、お野菜や貝類といったアルカリ性の食材がぴったり。そういったものを最初にお出しして、コース全体のバランスをとっているわけです。
-とてもロジカルに、コースの構成を考えられているのですね。お鮨の始めに出される「シャリ巻き」とは、どういったものでしょうか。
コースの途中で「ここからお鮨がスタートしますよ」という合図が欲しかったんです。あとはシャリにこだわっているので「このシャリを使ってお鮨を出しますよ」という、ご紹介もしたかった。そこで考えたのが、シャリを海苔で巻いただけの「シャリ巻」。“食べられる名刺”と言いますか、お鮨のスタートとしてお出しするにはぴったりだと思ったんです。
日によって変わりますが、そこからは赤身や中トロなどマグロを3~4貫、旨味の強い甲殻類のあと、熟成させた白身を3~4種類、加えて季節系のお魚や貝類をお出しすることもあります。後半はスプーンで食べる混ぜ鮨のようなものと、ハマグリ・カジキ・アナゴのどれかをお出しして、最後は玉と赤だしでフィニッシュという流れです。
-コースの最後に登場する玉も、他では見ないようなものだそうですね。
普通のお鮨屋さんの玉と言えば、カステラのようなものが多いですよね。でも、うちでコースの最後に普通の玉が出てきたら、どうしてもインパクトに欠けてしまう気がしたんです。だったら、思い切りデザートに振った玉を出してみようと考えました。
空気をたっぷり含んだふわふわのカステラとは反対に、空気を抜いてなめらかにしたプリンのような玉。お鮨屋さんですから、和三盆やお魚のすり身を入れて、お箸か手で食べられる硬さを再現しました。炭火で3時間ほどかけてじっくり作る、パティシエさんのプリンとも一味違った「熟成鮨 万」ならではの玉。お客さんにも喜んでいただけているようで何よりです。
ミシュランはもちろん、世界も視野に入れながら挑戦を続けたい
-ミシュラン一つ星、4年連続獲得おめでとうございます。獲得についての思いをお聞かせください。
僕が高校を卒業して、この業界へ入ったときに目標としていたのが「35歳までに独立する」そしてもう一つが「ミシュランガイドに載るような鮨職人になる」でした。周りからはそんなことできるわけないと散々言われましたが、本当にミシュランをいただくことができて、自分でもびっくりしました。
僕一人の力では成し遂げられなかったことですから、周りの方々に感謝しなければと思います。昔からの夢を叶えることができたので、次はステップアップして二つ星を目指していきたいですね。
-この先も続けていきたいこと、もしくは新たに挑戦したいことがあればお聞かせください。
直近の話ですと、赤坂にこのお店の離れを作る予定です。もう物件も契約できているので、近いうち皆さんにもお披露目できるかと。物件の都合もあって2年限定になりますが、ぜひお越しいただければと思います。
もう一つ大きな話ですと、海外でもお店をやりたいなと考えています。とあるプロジェクトに参加することが決まっているのですが、まだ計画中ですのでもう少し話がまとまったらお知らせしたいです。ミシュラン獲得はもちろんですが、他にもやりたいことがたくさんあるので、これからも自分のフィールドを広げていきたいと思っています。
白山洸氏 プロフィール
1989年長崎県生まれ。
大阪市内の高校を卒業後、寿司屋に就職し住み込みで修業をはじめる。その後、熟成魚と出合う。熟成前後の鯛を実際に食べ比べ、自身の舌で歴然とした違いを痛感。
仕事の合間に、熟成魚の試行錯誤を繰り返す。2017年【シャンパン&ワインと熟成鮨 Rikyu】の料理長就任。2018年、自らの店【熟成鮨 万】を開く。2020年、ミシュラン1つ星を獲得。