大分県・中津市の住宅街にひっそりと佇む「味あら井」は、大分をはじめとする九州の食材をふんだんに使用した“九州割烹”に舌鼓を打つことができる日本料理店です。
今回は店主の荒井寛義氏にインタビューを実施。料理人になったきっかけから今後の展望まで、幅広く語っていただきました。
子供の頃から身近にあった料理の世界
―まずは料理の道に進まれたきっかけをお聞かせください。
両親が共働きだったこともあり、子供の頃から家で食事を振舞うのが好きでした。祖母が魚屋を営んでいたので魚に触れる機会も多く、小学生の頃から自分で魚を捌いたりしていて。そうするうちに料理がどんどん好きになりました。
―和食に進まれたのはなぜですか?
当時「料理の鉄人」というテレビ番組が流行っていて、そこに出演していた道場六三郎さんに憧れて、和食っていいなと思いました。
高校生の頃から飲食店でアルバイトを始めたのですが、責任者のような立ち位置も任されるようになり「このレシピを作ってみよう」とやっていくうちに料理がどんどん楽しくなって、のめり込んでいきましたね。
その後専門学校に行き、フレンチやイタリアンのシェフという選択肢もありましたが、周りから「お前は板前の顔だ!」って言われることが多くて(笑)。自分も面構え的に和食の方があっているなと思って、そのまま日本料理の道に進みました。
―卒業後は福岡にあるお店で8年間修業されたそうですね。
専門学校時代にアルバイトをしていたので、その流れで拾ってもらいました。
―独立自体はいつ頃から考えていたのですか?
専門学校にいる時から決めていました。僕は20歳の時に専門学校へ1年間だけ行き21歳で修業を始めたので、他の人と比べるとスタートが遅いんです。だから10年で独立すると最初に決め、そこから逆算して今何をやらなくちゃいけないのかを考えました。
当初の目標は10年としていましたが、8年で実家のある大分・中津にお店を開業しました。
―修業をしたのは福岡でしたが、福岡のお客様と中津のお客様の違いはありますか?
全然違いますね!中津は、特にご年配の方ですと家で料理をする方がほとんど。なので鱧の骨切りを自分でされる方や、ジビエも「猪を獲ったから」と自宅で処理をして猪鍋で食べる方、無農薬の野菜を家庭菜園で育てている方も多いです。常に鮮度のいい食材で食事をされているので、すごく舌が肥えています。
中途半端な食材を使うと、こっちの方言で「美味しねぇな、これ」と言われてしまうので、ある意味シビアです。本当にいいものを提供しないと「美味しい」と言っていただけないので、田舎ならではの難しさがあります。
地の味覚を存分に味わう“九州割烹”の魅力
―開業して12年を迎える「味あら井」は“九州割烹”と銘打って料理を提供されています。食材は九州で獲れるものを中心に扱っているのでしょうか?
中津は豊前海、周防灘と言われますが、ここで獲れる魚介をなるべく使って料理をしています。獲れない魚もあるので、そこは大分の豊後水道や北九州の響灘、玄界灘などで獲れる食材を主に使っていますね。
中津は立地的に、ちょうど北九州と福岡、大分の豊後水道と魚市場の距離が同じくらいなんです。なのでいい魚が集まりやすい。
魚は信頼している業者が揃えてくれるので、そのなかから自分で目利きをしたり、知り合いの漁師から直接仕入れたりしています。
―例えばどんな魚が食べられるんですか?
中津の一番の名物は鱧です。昔は、中津から京都へ鱧を運んだと言われていたくらいで「鱧の骨切り」の発祥地でもあります。博多で出航した船が中津に寄って鱧を積み、大阪に着いて京都に運ぶという習わしがあったほどです。
中津という地名は、博多から大阪に船が出る時の“真ん中の港”という意味。港を表す“津”と合わせて「中津」となりました。
後は鰻、冬ですとワタリガニや大分の天然フグ、白子、それからアオリイカも大きさが2キロ以上のものが多く、ものすごく厚みがあり美味しい。1年を通して旬なものがたくさんあります。ちなみに僕は鰻の漁業権を持っているので、鰻漁師もできるんですよ。たまにですが、自分で獲ったものをお客様に提供することもあります。
―それはすごいですね!その他、ジビエに関しても力を注いでいるそうですね。
12月であれば鴨、1月は猪などを使っていますね。秋にどんぐりをたくさん食べて脂が乗った猪をバラ肉にして焼いたり、地元産の里芋や新玉ねぎに合わせて焼いたりしています。
―ジビエも大分のものを使われているのですか?
基本は大分、獲れなければ九州で。鹿児島のものを使うこともありますが、基本的に猪や鹿は地元のものを使っています。
お店から車で20分程度の所に処理施設があり、そこで猟師さんが獲ったものを30分以内に処理するんです。その後熟成をかけて出荷されるのですが、一般的なジビエが苦手な方でも癖が無くて食べやすいと思いますよ。
―旬な食材をふんだんに使った“九州割烹”ですが、提供されるコース料理の品数はどれくらいですか?
大体10品から12品くらい、小さい料理も含めて献立を考えています。
“九州割烹”としていい食材をふんだんに使っているので、その持ち味を最大限に活かしたく、魚の骨で出汁を取って同じ魚を使った料理に合わせるなど、なるべく全部使って調理することを心掛けています。味付けは九州なので、若干濃いめですね。
―調味料も九州のものが中心ですか?
地元で作られた醤油やみりん、赤酒は熊本、鰹節は鹿児島のものです。基本的には調味料や料理酒もなるべく地元のものを使っています。
―器に関しても九州のものを使われているそうですね。
小鹿田焼、唐津焼、有田焼を中心に、なるべく若い作家さんのものを使うようにしています。
―若い作家さんのものを使う理由は?
若くして頑張っている人を応援したいからです。僕も30代の頃、周りの皆さんにたくさん応援していただきました。僕は今40代ですが、今度は自分が応援する立場に回りたいと思って、若手の作家さんのものを中心に扱っています。
お店に飾っている書も地元にいる30代の若手女性に作成してもらったのですが、どんどん書いて持って来てとお願いしています。
―それはとっても励みになりますね。作家さんの発掘も荒井さんが?
お店の近くに創業120年くらいの老舗器屋さんがあるんですけど、色々紹介してもらっています。
僕は田舎にしかできないことがあると思っていて、器や仕入れ先なんかも地元との繋がりを大切にしています。
実は直接仕入れをさせてもらっている漁師さんは、僕の中学生時代の恩師なんです(笑)。
お米に関しても僕の1つ上の地元の先輩にお願いをしていて、毎年農法を少しずつ変えながら「今回は水分何パーセントにしましょう!」とこだわって作っているんです。周りも巻き込み、美味しいものをみんなで作って高めあっていきたいと感じています。
美味しい料理を楽しむためのおもてなし
―おもてなしをするなかで気を付けていることはありますか?
食事の時は楽しいことがすごく大切だと考えています。楽しく食事をすると美味しさを何倍にも感じていただけると思うので、楽しく食事をしていただき「美味しかった」「また来るよ」というお言葉をいただくことが僕にとって一番の喜びです。
そんな言葉に繋げることができるよう、おもてなしや料理作りは一番に考えています。
周囲から「食材に原価をかけ過ぎ」と言われることも多いですが、地元の方も地元以外の方も、せっかくお店に来てくださるのであれば楽しんで帰っていただきたいです。
―最後に荒井さんが叶えたい目標や展望などがあればお聞かせください。
今年で「味あら井」は開業12年目を迎えましたが、10年目にはお店をリニューアルしました。大工さんに素敵な空間を作っていただいたので、それらをまずは使いこなし、お客様におもてなしができるようになりたいと考えています。
今のお店は借りている状態なので、次のステップでは一軒家の料理屋さんを開業し、自分の城を作りたいです。
20代は修業期間、30代はお店を立ち上げ自分自身の料理のスキルを磨いたり、お客様へのおもてなしとは何かを勉強したりして、40代ではそれを煮詰める作業。50歳から60歳にかけて自分の料理の集大成を披露したいというのが目標です。
そして最終的には、実家でオムライスやハンバーグを提供する食堂でもやりたいなと思っています(笑)。
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荒井寛義氏 プロフィール
1981年生まれ、福岡県出身。魚の行商をしていた祖母の影響で、幼少期から料理に慣れ親しむ。高校卒業後は調理師専門学校へ進学し、卒業後は在学中からアルバイトをしていた福岡「喜家」で8年半の間研鑽を積む。2011年9月、地元でもある大分県・中津市に「味 あら井」をオープン。
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※編集後記※
荒井さんが仰っていた「田舎でしかできないことがある」という言葉がとても印象的でした。
首都圏にはない味のある中津だからこそ、地域に密着した美食が楽しめるのだと思います。
荒井さんが紡ぐ温かな雰囲気に抱かれながら美食を楽しめる“九州割烹”に出会いに、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
※こちらの記事は2024年12月02日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。