美味しい料理に欠かせない存在でもあるお皿。
今回は “和魂洋才”をコンセプトに、有田焼など伝統工芸品のお皿やカトラリーを採用する「AZUR et MASA UEKI」のシェフ・植木将仁氏と、“ネオクラシック”をコンセプトに、新しい基準となる有田焼を手掛ける「カマチ陶舗」の蒲地勝氏の対談が実現。
料理と器の関係から、実際の料理におけるお皿の考え方まで、多岐に渡って語っていただきました。
食を通して世界に発信する、日本が誇る伝統と職人の技術
-「カマチ陶舗」は『ゴ・エ・ミヨ 2022』イノベーティブ賞を受賞されました。まずは蒲地さんが洋食器の世界へ進まれたきっかけをお聞かせください。
蒲地勝氏(以下、蒲地):元々「カマチ陶舗」は和食器のオーダーメイドを作成していた有田焼の小さな窯元でしたが、2001年に社長であった父が亡くなり、専務だった僕が後を継ぎました。
小さな町に300もの窯元があるので、当然足の引っ張り合いのようなことも起き、深く考えさせられることも多くありました。
「同業の方へ迷惑をかけず、同時に当社が生き残っていくにはどうしたらいいか?」と考えた結果、有田焼で洋食器は誰も作っていない、これなら誰にも迷惑かけないと思って。
元々オーダーメイドの手法はたくさん持ち合わせていたので、それを活かして誰もやっていない洋食器の世界へ行こうとなったわけです。
今ではこの洋食の世界に有田焼というのは普通に存在し、多くの方が製作をしていますが、わずか20年前、開発をスタートした当初は有田焼業界からも「伝統に反する」「うまくいきっこない」と強い反発もあり、商品開発すらできない時期もありました。
シェフは誰も採用しない、モノは作れないという最悪の状況でした。
-和食器と洋食器の作り方は全く異なりますよね。
蒲地:全く異なります。「焼き物」は大きく「陶器」と「磁器」の2つのグループがあり、陶器は土、磁器は石が原料です。陶器はろくろ等で成形するのに対して、磁器は「型」が必要になり大量生産が可能です。有田焼は磁器のグループです。
この「磁器」は我々の生活の中に余るほど溢れていますが、これは数万年かけて技術を積み重ねてきた人類の英知の結晶なのです。
ただ、有田焼で使われる磁器は、現代の洋食器の先進的な磁器の材料に比べ、少し時代遅れの原料。
人工的な物質を配合せず、昔ながらの伝統的な天然原料を使っています。
だから名だたる洋食器のメーカーさんの製造に比べて、ものすごく手間と時間がかかるんです。
原料はもちろん、形に関しても和食器と洋食器の違いがあり、洋食はソースをひくので、料理を美しく見せるためには、盛られる所が平らであることが必須です。
有田焼には弱点があり、超高温の窯の中で焼くことによって素材が熱に耐えられなくなり、全体がチョコレートみたいにダレます。
そのダレた時にスタイルが美しく、料理を盛る部分が平らになるように精密に計算しなくてはならないので、こだわればこだわる程、時間と手間がかかります。
今も挑戦と失敗の連続ですが、失敗品が「意外といいね!」と偶然にも新商品になることも多いです。偶然の失敗から生み出されるのは料理やワイン作りとよく似ていますね。
-「カマチ陶舗」は「世界に通用する、新しい基準の有田焼づくり」という基本姿勢を掲げていますが、世界に対する有田焼の魅力とは何でしょうか?
蒲地:いくつかありますが、まずは生産体制ですね。世界で磁器は「大量生産」が常識です。だけど有田焼は400年の歴史から伝統的に「多品種少量生産」という生産スタイルが珍しく残っているので、数量が少なくても工夫次第で新しい商品が作れます。
例えば洋食器メーカーさんに「オーダーメイドで10個作ってください」と依頼したら「300個くらいじゃないと無理」と言われます。「量産」に向く材質ですし、多くの設備やラインが必要ですので、それが世界の常識です。
逆に少量で作ってもらうために個人の作家さんなどにお願いすると「半年か1年かかる」「作品なので同じものは焼けない」と言われます。これも業界の常識です。
こういうレストランのニーズに向く生産スタイルや商品製作に対する気概が残っている部分が、有田焼の大きな魅力です。洋食器開発をスタートした2001年時点から、多くのフランス人シェフの皆さんに、有田焼の少量でも作れる点や、1ヶ月程度の製作期間でオーダーメイド品ができるメリットを強くお伝えしたところ、皆さんから「すごいじゃないか!」と仰っていただけ、ご採用いただけました。
植木将仁氏(以下、植木):そういった小回りの利く点は、非常に助かっています。ガストロノミーは皿数があるので何枚も必要ですが、最低注文数が多いと限界が出てきてしまう。
そんな中「カマチ陶舗」さんが現れて、小回りが利いて何種類も作れるというのは、僕らにとっても目から鱗でしたね。
蒲地:スタートした当初はフレンチレストランに「有田焼のカマチです」と言って訪ねると、シェフたちが顔をしかめて引いていくんですよね(笑)。実際に当時有名シェフだった方から「日本人シェフが有田焼を使えば、それすなわち和食なんだよ!」と辛辣な言葉をもらったこともあります。
そこで、まずは実験的にいろんな試作品を作り「有田焼はここまでできます!」と広く知ってもらうことからスタートしました。評価が根付くまでには10年ほどの時間がかかりました。
同時にフレンチの本場、フランス人シェフの皆さんに使ってもらえば、日本人シェフにも使ってもらえるかもしれない、と考えたんです。
当時ドミニク・ブシェさんが本を執筆するのに、いい食器屋さんがいないか探しているというのを聞きつけて、急いで渡仏しました。
植木:僕は日本人の世界って職人の世界だと考えているのですが、やっぱり技術が世界を圧倒させるんですよね。
日本がこれだけの経済大国に発展したのは、技術力の賜物。これは日本人が世界に負けない一番の鍵だと思っています。有田焼のお皿の魅力はもちろんですが、蒲地さんにはその職人気質をすごく感じる。
“リスペクト・ジャパン”というのは僕のモットーですが、これは蒲地さんとの共通点でもあります。日本の素晴らしい伝統野菜や伝統工芸、歴史や文化を、食を通して世界に発信する、そして来てくださったお客様に喜んでいただく、というのが僕らのコンセプトですね。
-同じコンセプトで互いに切磋琢磨できるのが素敵です。そんなお2人ですがどのような出会いだったのでしょうか?
蒲地:僕にとって植木シェフは、今も「雑誌の人」として憧れの存在です。初めてお会いしたのは2004年、植木シェフが「RESTAURANT J」で活躍されていた時。その際は視察で植木シェフのレストランで食事をしただけでしたが、本格的にお付き合いが始まったのは2011年です。
たまたま植木シェフが佐賀に来られているのをある問屋さんから聞いて、紹介してもらいました。
僕自身、洋食器の開発で悩んでいた時期でもあり、色々お話を伺いたい、あの植木シェフにぜひ使っていただきたいと思って、電話番号を教えてもらった2秒後には電話をしていましたね(笑)。
植木シェフが博多にいらっしゃるとのことだったので、急いで会いに行きました。
「シェフは日本人なのになぜ国産を使わないんですか?どうして有田焼を使わないんですか?」と切々と訴えたところ、翌日お電話をいただいて、今から工房に行くと言ってくださったんです。
植木:器を実際に見た時、本当に感動しました。僕は金沢出身なので、九谷焼や輪島塗などが子供の頃から身近にありましたが、歴史と文化のある伝統工芸品が洋に変わるんだと思った時、ビビッと来たんです。焼いている所も見せてもらったのですが、ゾクゾクしました。
蒲地:窯の中で火の熱が回り、強い火に直接さらされた箇所は釉薬が溶け、さらされていない所は溶けない。
そのあとに特殊な加工を施すと色見のギャップが出てかっこよくなるんです。
植木:未知の領域でしたね。この技術は、大量生産している所にはできないんです。そこで一緒にやろうという話になりました。
翌年、銀座に「Restaurant MASA UEKI」を出店したのですが、その頃から「カマチ陶舗」のお皿を使っています。今も9割は、蒲地さんに作っていただいたお皿です。
複雑みのある料理をビジュアルで支える、考え抜かれたお皿の数々
-蒲地様が「AZUR et MASA UEKI」のお皿を製作される際、考えられていることをお聞かせください。
蒲地:レストランなので、主役は「シェフ」と「料理」です。我々はその主役の「舞台づくり」をする立場です。
だから植木シェフには、「召し上がるお客様に、それを見た際どう感じてもらいたいのか?」を常に聞いています。美しい料理は食べると無くなってしまう儚いものなので、いかにしてその料理をドラマチックに魅せ、いかに全体を輝かせてお客様の記憶の中に残せるか?を常に考えています。
ストーリーや想いを一番届けなくてはいけないのは両者に共通して「レストランにお越しになるお客様」。「AZUR et MASA UEKI 」にいらっしゃる方を、がっかりさせることは絶対にできません。
シェフはプロでいらっしゃるので、そこらのお皿でもそれなりの結果は出せると思います。でもお客様のご期待のために、毎日特大ホームランを打ち続けなくてはいけません。そのためには自分に合った道具が必要です。加えて植木シェフは若手ではなく、円熟味を増したベテランです。植木シェフが作った料理はこれです、と出された時に皆さんが納得するビジュアルでなくてはいけない。だから植木シェフがしっかり結果が出せる、道具としての皿、お客様を感動させる料理のストーリーに沿った皿に仕立て上げる、と言いますか。
僕が言うのもおこがましいですが、植木シェフが作る料理は味にとても複雑みがあります。それに合わせるワインも複雑ですが、それが植木シェフの売りのような気がしていて。だからお皿の表情もシンプルながら、同じく複雑であって欲しいと思っています。
後はいかにお客様にノーストレスで食べていただくことができるか、ナイフやフォークが入った時に食べづらくないか、料理の邪魔にならないか、は常に考えていますね。
-では植木シェフが作る料理にとって、蒲地様のお皿はどのような存在でしょうか?
植木:一言で表すと「血と肉」のような存在。蒲地さんのお皿がないと自分の料理ができないくらいの感覚です。
他のお皿だと、僕の料理は取ってつけたような感じになるんですよね。たかが皿、されど皿ですが、そこには凄く意味があって、このお皿には何十年、何百年の歴史と作り手の想いが注ぎ込まれています。
そして僕ら料理人は、植物や動物などの命をいただき、さらに活かさなくてはいけない。それをこのお皿に盛って司るということに、深い意味があると思っています。
正直、白いお皿の方が画は書きやすく盛りやすいです。でも蒲地さんのお皿でないと、僕の料理の世界観が広がりません。
-お互いがリスペクトしあっているからこそ、お客様の記憶に残る一皿が出来上がるのだと感じました。
植木:これは僕の人生訓ですが「困難は神様の贈り物」という言葉があります。蒲地さんは様々な困難を乗り越えてそれをやり遂げた。まだ道半ばだとは思いますが、道を究め続けることに意味があると理解している方です。お皿の良さは結果であって、僕は蒲地さんにシンパシーを感じていて、切磋琢磨できる戦友だと考えています。
人間性はもちろん、さらに自分の考えを理解してくれて、意見をくれるところも大切です。いつも雑談の中から新たなアイディアが生まれ、形になっていきます。
蒲地:植木シェフは僕の憧れでもあり、今でも洋食器製作をスタートした当時の気持ちに戻してくれる方。お皿がシェフの作る料理のお役に立てればと、思ったことや感じたことは包み隠さずにお話していますね。
素材の情景が思い浮かぶような一皿を
-今回、新たに植木シェフと蒲地様が作られたお皿を紹介していただきました。それぞれのエピソードをお聞かせいただけますか。
蒲地:こちらは植木シェフから「いい鹿肉があるんです」というお話をいただいたところからですね。お客様に「このお皿、かっこいいですね」と言われた時に「お皿は特注で作っています。これは鹿の肉ですが、鹿はこういうものを食べて育っていて、それを皿に表現しています」という具合に植木シェフの作品に至ったストーリーを説明ができると、美味しさが増しますよね。
植木:僕は詫び寂びの世界が好きなのですが、そういったフォルムと風合いが欲しいとお伝えして作っていただきました。
僕なりの哲学が三つあって、一つ目は素材のポテンシャルが料理を左右するので、絶対に妥協をしないこと。二つ目は的確な技術とそれに伴う組み合わせ。最後は素材が持つ情景です。
例えばこのメニューであれば、北海道の緑深い大雪山の麓に森があって、そこで木の実を食べている鹿、それをお皿に表現したいということをお伝えしました。
このお皿にはもう一つのお肉を乗せているのですが、こちらは北海道の白糠町の酒井さんという方が育てた子羊を、ナバランという昔ながらの調理方を使って煮込んでいます。
ものすごく牧草を大切にしていて、周りに野菜の畑があって、そんな環境で育った羊です。旬の青野菜を飾り、7種類程の香草で出汁を取ったソースを牧草に見立てました。さらにインカの目覚めのペーストを添えて、彼らが育った北海道の情景をお皿に表現しています。
もう一方のお皿は蒲地さんから「最新のお皿です」とご提案いただき、修正を加えながらできたものです。
蒲地:植木シェフとは「これどうですか?」「これは違う」という議論ができるんです。
このお皿も植木シェフに提案した時は「そうかな?」という感じでしたが、一度料理を盛っていただいたところ「いいね」となったものです。
植木:これには、春を想起して山菜を盛り付けています。僕は子供の頃、故郷で山菜狩りをしていたのですが、その時のイメージですね。
山菜を採っていた場所には猪がいたので猪の生ハムを添えて、筍やうるいなどを川に見立ててソースを流しました。
周りがくぼんだお皿はナイフとフォークが使いづらいというイメージがあるのですが、実際はとても使いやすくて、お客様からも好評です。
この丸みのあるフォルムは蒲地さんにしかできない技術で、ギリギリのラインが蒲地さんらしいなと感じています。
蒲地:有田焼は熱でダレるので、逆算してこの美しいフォルムを作るのが難しいところですね。
お客様は食べる際、テーブルで向かい合ったお相手様をお皿の横(サイド)部分を通して見られます。なので食器のサイドのフォルムが美しくないとお相手も美しく見えないですし、レストランの良い雰囲気と、醍醐味が出せないのです。
植木:料理というのは、「お客様との距離感」「お客様が料理を食べた時の喜び」蒲地さんのように「お皿を作ってくださる方」この三つが三位一体となった時に、初めて理(ことわり)を料(はか)る、すなわち料理になると考えています。
それと蒲地さんのお皿は時代に媚びないのも一つの特徴。これは決して頑固になることではなくて、時代の声を聴き、感受性というフィルターを通して形にできるということ。
和食器メーカーが洋食器を作ることは、20年前はまだ時代が追い付いていなかった。それでも今はこぞって洋食器の世界に参入していますよね。
蒲地さんはその時の流行だけではなく、その先をちゃんと見ている。だから今も次の構想をご相談していたりします。
時代の声を聴きながら、ぶれないものを作り続ける
-長年培われてきた関係性の中から新たな取り組みが生まれているかと思います。今後お2人で考えている展望など、お聞かせください。
植木:僕はこのコロナ禍で改めて日本を見直しました。
地方にいるシェフや蒲地さんをはじめとするお皿やカトラリーを作る人、食材を扱う生産者の方、伝統野菜や伝統工芸品、もっと言うと歴史や伝統を司っている人達と手を組み、その土地から日本の歴史を表現するレストランをどんどん広げていきたいと考えています。
そこで盛り付けるお皿は全て蒲地さんにお願いしたいという話をしています。
蒲地:ありがとうございます。我々は伝統的な原料を使って、時間をかけて洋食器にしていく手間があるので、僕からしたらお皿は我が子のようなものです。ですので、やっぱり同じ熱量でいられる方にぜひ使ってもらいたいと考えています。
植木シェフと僕は、失敗や挫折、屈辱を経験し、カッコ悪い部分や苦しい場面を乗り越えて今があります。
そんな経験をしたからこそ、お互い50代になった今「これから皆さんにどう恩返しをし、どう生きていくか?」そういう部分をよくお話しさせていただきます。
これからもシェフのために作るお皿が料理に役立つことができ、その結果「素晴らしい」「記憶に残るいい時間が過ごせた」とお客様に喜んでいただきたいと考えています。
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【プロフィール】
植木将仁
「Restaurant MASA UEKI」シェフ
1967年、石川県金沢市生まれ。
フランスやイタリアで3年間に渡り料理の研鑽を積み、帰国後、1993年「代官山タブローズ」スーシェフ就任。
1998年「白金ステラート」のオープンと共にシェフに就任。2000年に独立。「RESTAURANT J」、2007年軽井沢「MASAA’s」で活躍。2012年「Restaurant MASA UEKI」をオープン。
2016年に開催された世界料理学会においても日本代表スピーカーシェフを任された経歴を持つ。
『ゴ・エ。ミヨ2017』では16点で3コック帽の評価。「2019レクサス、ダイニングアウトin輪島」ではイベントを開催。
蒲地勝
照右ェ門窯 株式会社カマチ陶舗 代表取締役
有田焼の照右ェ門窯「カマチ陶舗」に生まれ、米国留学、代議士秘書を経て入社。2001年より社長職に。就任を機に、和食器から洋食器へ主力商品を変更。2007年の「ミシュラン・ガイド」の日本上陸で人気に火がつき、以降、西洋料理のシェフがこぞって使いたいと願う器として、国内外で広く認知される。2022年現在、国内の世界18ヶ国、27都市の高級ホテル、有名レストランと取引中。
『ゴ・エ・ミヨ 2022』においてイノベーション賞を受賞。
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