【江戸前の流儀】食のプロに学ぶ、江戸前うなぎの“いろは”とは

江戸を代表する料理と言えば何を思い浮かべますか?寿司、蕎麦、天ぷらなどが浮かんできそうですが、元来江戸前という言葉はうなぎが始まりだそう。日本国内に現存する最も古い店も、なんとうなぎ屋さんだそうで、その歴史は室町時代に遡るのだとか!うなぎは古くから、日本人に愛され続けている国民食と言えるでしょう。今回KIWAMINO編集部が伺ったのは、日本橋に店を構える、昭和22(1947)年創業の「鰻はし本」。4代目店主・橋本正平氏が手間暇かけて調理するうなぎをいただきながら、タベアルキスト・マッキー牧元氏に、江戸前うなぎに関する“いろは”を伺いました。

ご紹介してくれるのは……

マッキー牧元氏

マッキー牧元氏
「味の手帖」編集顧問。国内、海外を問わず、年間700食ほど旺盛に食べ歩き、雑誌、テレビ、ラジオなどで妥協なき食情報を発信。近著に「超一流サッポロ一番の作り方」(ぴあ)がある。

うなぎの歴史について

うなぎは日本だけで食べられているイメージがありますが、世界中で昔から食べられてきました。5,000万年以上前、恐竜時代には生存が確認できていて、古代ギリシャ・ローマ時代には食べていた記録があります。日本では縄文時代の遺跡から、うなぎの食文化があったという痕跡も発見されています。奈良時代の万葉集には「痩せているから、うなぎを食べて精をつけなさい」と相手をからかっている歌が残っており、昔からうなぎは栄養価の高い食材と認識されていたことがわかります。文献にうなぎの調理法が登場してきたのは室町時代。当時は丸ごと焼いて、山椒味噌や味噌たまりという味噌の上に浮いて出る醤油のようなものをつけて食べていたそうです。

江戸前うなぎとして発展した歴史について

出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/)

江戸時代の初期、うなぎは屋台で食べるファーストフードのような存在でした。串などに刺して丸ごと焼いて食べていたんです。その頃は醤油がまだ普及していなかったので、調味料は味噌などですね。うなぎを捌くようになってきたのは、元禄時代。徳川綱吉が将軍だった大体17世紀後半~18世紀前半の頃です。同時期に、関西から醤油の文化が関東にも入ってきて千葉で醤油づくりが盛んになりました。そこから醤油とみりんを使ったタレでうなぎを食べるように発展していきます。屋台から、だんだんと店で食べるようになっていき、現在のスタイルへと進化していきました。

関西と関東、地域によるうなぎの違いとは

うなぎは調理方法によって関東風と関西風に分けられますが、その境界線は浜名湖やその近くを流れる天竜川だと言われています。捌き方に関しては、関西は腹開き。一方関東は武士の街なので、縁起が悪いとされて背開きになりました。焼き方に関しては、関西は地焼きと言う、白焼を蒸さずにそのまま焼くスタイルです。蒸さずに焼くため、カリっと香ばしい食感を楽しめます。片や関東は、白焼にした後に一度蒸し、再度焼いて仕上げます。そのため、ふっくらやわらかな仕上がりになるのが特徴です。

知っておきたい、うなぎに関する豆知識を解説!

美味しくうなぎを仕上げる秘訣とは?

うなぎ職人はよく「串打ち3年、裂き8年、焼き一生」と言われます。うなぎは焼く際に、満遍なく火を入れる必要があります。そのため何度も何度も返しながら焼くので、動かしても崩れないように串を打つ場所が重要になってきます。とは言え、薄くて固いうなぎの身に適格に串を打つのは想像以上に難しいものです。焼きも大切です。焼きが足らないと、皮の下にあるゼラチン質の部分がきちんと焼けず、生臭さが残ってしまいます。もちろん、うなぎ自体の品質の問題もありますよ。うなぎには個体差があり、それによって焼き加減も随時調整が必要です。経験・技術力どちらも必要な職人の技なのです。

うなぎ屋さんは絶好のデートスポット!?

うなぎって調理するのにすごく時間がかかります。捌いて、白焼きにして、蒸して、そして最後にタレを絡めて焼いて……大体1時間~1時間半くらいかかります。現代のうなぎ屋さんは、大体蒸しまで準備しているところが多いので、そこまで待つことは珍しいかもしれませんが、元来うなぎとは食べるまでに待ち時間がかかる食べ物なんです。昔の店は個室になっていることも多く、そこで注文をした後は、1時間半くらい店の人は入ってきません。そのため誰の邪魔も入らない、絶好の逢引きの場所だったんですね。

土用の丑の日の起源について

「御ぞんじ 山くじら かばや記 沢村訥升(初代) 瀬川菊之丞(五代) 坂東三津五郎(三代) 歌川国芳 天保(c.1830年頃)© 2023 株式会社鮒忠」

もちろん、昔のうなぎは全て天然ものでした。天然のうなぎの旬は、10〜12月の秋から冬にかけての時期です。水温が下がり始める10月ごろから、冬眠に備え栄養を蓄えるため、冬眠前の秋が最も脂がのって美味しい時期なんです。そのため夏場はうなぎがなかなか売れなかったんですよね。困ったうなぎ屋が江戸時代の奇才・平賀源内に相談し「本日土用の丑の日」と宣伝するようになって、人気になったのが土用の丑の日にうなぎを食べ始めたきっかけという説があります。

ミステリアスな存在うなぎ、そして彼らの未来とは

うなぎは、昔からとてもミステリアスな存在です。最近になっても、うなぎがどこで産卵しているのかは、日本うなぎに関してしか明らかになっていません。昔から、卵も、その稚魚も見ることがなく、うなぎとは不思議な生物だったんです。ただ、うなぎは川を登ります。たとえ川が急に途絶えたとしても、地面を這って登っていく。昔の人はそれを見て「精力がつくんじゃないか」と重宝したわけです。

現在日本で食べられている天然うなぎは、たった0.3%です。最近は養殖技術が発達してきましたが、人口で卵から育てているわけでなく、シラスウナギという稚魚を育てています。天然資源に依存しない完全養殖の技術が発達しているわけではないので、いつか資源がなくなり本当に食べられなくなってしまう日が来てしまうかもしれません。世界で消費されるうなぎの8割が日本で消費されていると言われています。僕が小さかった頃、うなぎはうなぎ屋さんでしか食べられませんでした。今ではスーパーでも、チェーン店でも食べられますよね。「うなぎはうなぎ屋さんでしか食べない」そうやって日本人全員が賛同したら、うなぎが絶滅する可能性が少し低くなるかもしれませんね。

マッキー牧元が教える!美味しいうなぎの食べ方とは

僕はうなぎには70通り以上の食べ方があると思っています。まずはそのまま蒲焼だけを味わって、その後にご飯をかきこんだり、うなぎとご飯を一口で一緒に味わったり……うなぎの薬味と言えば山椒ですが、山椒をどこにかけるかで味わいも大きく変わります。うなぎの上に山椒をかければ爽やかさがダイレクトにきますし、ご飯の上に山椒をかけてその上にうなぎを被せるようにして載せて食べると、後からふわっと香る山椒の味わいを楽しめます。これらの食べ方は僕流ですけどね(笑)。色々と試してみて美味しく食べられたらいいですよね。

今回お邪魔した「鰻はし本」とは

昭和22(1947)年創業のうなぎ専門店「鰻はし本」。東京駅至近にありながら、人通りの少ない一本裏の路地に店を構えます。4代目店主・橋本正平氏が試行錯誤の末にたどり着いた、時代に合わせた関東風うなぎを楽しめます。調理時間が長くなりがちな関東風うなぎは、お客さんを待たせないために、白焼きまで仕込みをすませるお店がほとんど。ですが、ベストな状態で提供するために、敢えて可能な限り仕込みをしないのが4代目流です。創業当時から継ぎ足してきた味をベースに、少しずつ改良を加えたタレは、さっぱりしていながら甘味を感じる味わい。そんなタレをたっぷり絡めた蒲焼に合わせるお米は、厳選した石川県産のコシヒカリ!少し固めに炊いたご飯が、ふっくら和やらかなうなぎと絶妙にマッチします。

https://www.unahashi.com/

今回は、タベアルキスト・マッキー牧元氏に江戸前うなぎについて、江戸での発展の歴史から、関西風と関東風の違い、うなぎに関する豆知識など多岐に渡って伺いました。ミステリアスでありながら、日本人の心を掴んで離さないうなぎ。知れば知る程、その魅力に虜になることでしょう。

※こちらの記事は2024年10月10日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Mika.A

外食が何よりの楽しみな編集部メンバーです。
野菜へのこだわりは人一倍!好きが高じて
ベジタリアン・フルーツアドバイザーの資格を取得しました。

・好きなお店:CIRPAS/Sincére/Heritage by Kei Kobayashi
・好きなジャンル:フレンチ/鮨
・最近行ったフレンチ:ラルジャン/apothéose/渡辺料理店/フロリレージュ
・好きな美食宿:ホテルリッジ/sankara hotel&spa 屋久島

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