寿司・うなぎ・天ぷら・蕎麦といった江戸を代表する料理のなかでも、当時から圧倒的な店舗数を誇り、人気を博していたのが蕎麦なのだそう。江戸の文化とともに発展し、気軽に食べられるようになった蕎麦がせっかちな江戸っ子にウケ、瞬く間に江戸のソウルフードに!香り豊かで、歯ごたえのある蕎麦は、現在でも多くの人を魅了しています。今回KIWAMINO編集部が伺ったのは、両国に店を構える「江戸蕎麦 ほそ川」。江戸蕎麦の名店で、自慢の手打ち蕎麦をいただきながら、タベアルキスト・マッキー牧元氏に、江戸蕎麦に関する“いろは”を伺いました。
ご紹介してくれるのは……
マッキー牧元氏
「味の手帖」編集顧問。国内、海外を問わず、年間700食ほど旺盛に食べ歩き、雑誌、テレビ、ラジオなどで妥協なき食情報を発信。近著に「超一流サッポロ一番の作り方」(ぴあ)がある。
蕎麦の歴史について
植物としての蕎麦は、今から約5,000年前より栽培され始めたと言われています。ただ石臼が無い時代、粉に挽くことが手間だったこともあり、そのままのかたちで食べられる米の方が主流になっていきました。ただし蕎麦は、小麦や稲と比べても成長が早く、種を撒いてから70日ほどで収穫できるんです。さらに、根からだけではなく茎や葉っぱからも水分を吸うので、痩せた土地でも育つ、強い生命力を持ちます。
そのため、昔は飢饉を乗り越えるために重宝されていて、江戸時代以前は「蕎麦粥」や、すりつぶした粉を練って作る「蕎麦がき」にして食べられていました。そのうち麺の形状をした「蕎麦切り」が誕生し、発展を遂げていきました。
麺としての蕎麦の発展について
江戸時代以前から江戸時代初期ごろまで、蕎麦はお店ではなく、お寺で振舞われていたものでした。室町時代以降、その文化が始まったとされています。今でも「寺方蕎麦」や屋号に「○○庵」という名前に名残がありますね。その頃は、蕎麦を大きな皿に盛って、数人でシェアをして食べていたよう。 そこから江戸中期くらいになると、町に職人が増えるとともに、数名分ではなく「1人前が欲しい」という希望が出てきたため、1杯ずつに分けた「盛り切り」が誕生。素早く、気軽にお腹を満たせる蕎麦が江戸っ子に人気となり、蕎麦屋が瞬く間に増えていきました。安い盛り切り1杯を、店主が素早く愛想もなく提供することから、つっけんどんにも繋がる「けんどん蕎麦」と呼ばれたようです。※「けんどん」の語源は諸説あります。
蕎麦つゆの発展について
蕎麦つゆの進化は、醤油と大きな繋がりがあります。江戸時代初期の醤油は「下り醬油」と言われる関西発の薄口醬油が一般的でしたが、海運で江戸に運ばれるため、大変高価なものだったそうです。そのため、当時の蕎麦つゆは、醬油を使ったものではなく、大根のしぼり汁に味噌を溶いたものや、味噌を3倍くらいの水で薄め、布に入れて垂れてきた液体である「みそだれ」が使用されていました。その後、江戸時代中期になると、千葉でも醤油作りが盛んになり、現在に近いかたちの蕎麦つゆが生み出されていきました。千葉で生まれた醤油は、肉体労働の職人が多かった江戸っ子の嗜好に合わせた濃口の味わいで、大変人気を博しました。
粋な蕎麦の食べ方とは
美味しい蕎麦は、少し青い草の香りがして爽やか。噛んでいるときは甘いんです。さらに、ちょっと歯を押し返すような弾力があるのが特徴。蕎麦をきちんと味わうために、粋な食べ方をマスターしてみては。
➀つゆの量はおちょこ3分の1程度
蕎麦つゆは濃い目の味付け。あとから調整できるように、全ておちょこに入れるのではなく、まずは3分の1程度にしましょう。
➁麺は少しだけつゆに付ける(付けすぎ、厳禁!)
つゆを付けすぎたら、蕎麦の香りや味わいが台無しに。つゆを付ける量は少しにして、まずは、本来の蕎麦の味を堪能しましょう。
➂音を立てて一気にいただく
音を立てていただくと、空気を一緒に口中へ流入させることができ、蕎麦の香りをより引き立たせます。
④薬味は少しずつ、麺に付けたりつゆに入れる
⑤蕎麦湯は、お好みの量を入れて味わう
蕎麦湯には、ルチンやたんぱく質などの蕎麦の栄養素がたっぷり!残った薬味なども加え、美味しくいただきましょう。
知っておきたい、蕎麦に関する豆知識
江戸の国民食である蕎麦?
元々、江戸時代のはじめ頃は、うどん屋の方が店舗数が多かったんです。しかし、提供スタイルや、つゆの進化を遂げた蕎麦が江戸っ子の心を掴み、立場が逆転。江戸時代末には、蕎麦屋の店舗数は3,500軒以上にものぼっていたそう!実はこの数、現在東京にある蕎麦屋の総数と大きな差が無いんです。現在よりも面積も狭く、人口も少なかったことを考えると、蕎麦が江戸っ子の国民食と言えるほど人気であったことが分かります。
江戸三大蕎麦とは
江戸時代には“江戸三大蕎麦”と言われる「砂場・更科・藪」が誕生しました。「砂場」は、大阪城の築城した跡地にあった“砂置き場”の近くにお店があったことからその名が付きました。「更科」は長野がルーツ。蕎麦の実の芯だけを使用する真っ白な蕎麦が特徴的です。唯一「藪」だけが東京発。雑司ヶ谷に「蔦屋」というお店があって、そこが“藪”に囲まれていたことから広まりました。ただ、それぞれある系譜のなかでもお店によってスタイルもメニューも違うのが現状なので、系譜に大きく捉われる必要はありませんよ。
蕎麦はすするではなく“手繰る”?
蕎麦を食べる動作は、すするではなく“手繰る”と言うんです。“手繰る”とは、両手を口語に動かして、手元に引き寄せる、といった意味を持つ言葉ですね。語源としては、江戸の大工さんたちが、蕎麦を「下げ縄」に見立てていたこと。そして、蕎麦屋に行くときの隠語で「手繰りに行かないか」と言っていたことに由来します。なんとも、江戸っ子らしい気前を感じる言葉のひとつですね。
今回お邪魔した「江戸蕎麦 ほそ川」とは
大江戸線・両国駅から徒歩約2分、北斎通りを1本入った路地に佇む「江戸蕎麦 ほそ川」。店主・細川貴志氏が厳選し、仕入れた玄蕎麦を使用した十割蕎麦をいただけます。自ら産地に足を運び良質な蕎麦を仕入れ、それを自家製粉して提供。「せいろ」のおかわりを頼むと、1枚目とは違う産地の蕎麦をいただけるという粋な計らいも。多くの蕎麦通を魅了する江戸蕎麦の名店です。
https://www.edosoba-hosokawa.jp/
今回は、タベアルキスト・マッキー牧元氏に江戸蕎麦について、発展の歴史から粋な食べ方、豆知識など多岐に渡って伺いました。江戸の文化や、江戸っ子の気質に合わせて発展を遂げてきた蕎麦を、粋に嗜んでみてはいかがでしょうか。
※こちらの記事は2024年10月08日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。