江戸を代表する料理といえば何を思い浮かべますか?寿司、蕎麦、うなぎなどがあげられますが、天ぷらも忘れてはいけません。江戸湾(東京湾)で獲れた魚介を、ごま油で揚げた天ぷらは、江戸っ子に人気のファーストフードだったとか。今回KIWAMINO編集部は、タベアルキスト・マッキー牧元氏に江戸前天ぷらに関する“いろは”を伺いました。
ご紹介してくれるのは……
マッキー牧元氏
「味の手帖」編集顧問。国内、海外を問わず、年間700食ほど旺盛に食べ歩き、雑誌、テレビ、ラジオなどで妥協なき食情報を発信。近著に「超一流サッポロ一番の作り方」(ぴあ)がある。
「天ぷら」の語源とは?
天ぷらの語源については諸説あり、実は10くらいあるんです。なかでも世間でよく知られているのは、戦国時代にポルトガルから伝わったというものですね。ポルトガル語で調理・調味料を意味する言葉「tempero(テンペーロ)」が転じた説や、四季に行う祭日という意味の「temporas(テンポーラ)」が語源とする説が有力です。その他では「天麩羅阿希(あぶらあげ)」から、漢字の「阿希(あげ)」を省いて「天麩羅」になったという説もあります。
日本における揚げ物の歴史
日本に「揚げ物」が伝わったのは、飛鳥時代から奈良時代頃。遣唐使が唐菓子(からかし)という穀物の粉を練って揚げたお菓子を、唐(中国)から持ち込んだことが始まりと言われています。また、鎌倉時代には中国から禅宗と一緒に精進料理が伝わりました。ただ、動物性たんぱく質をとらない食事だと腹持ちしないですよね。そこで、油をエネルギー源と考えて野菜を油で揚げるようになったんです。それから戦国時代になり、ポルトガルから天ぷらに近い揚げ物が伝わります。当時は衣をつけない、さつま揚げや揚げかまぼこのようなものでした。そこからだんだんと、衣をつけるようになり、関西などで野菜を中心にごま油で揚げるようになっていきました。
江戸時代からの天ぷらの発展
関西から、江戸にやってきた天ぷら。江戸初期は、日本橋の市場で売られていた江戸湾で獲れた魚介類を、ごま油で揚げていました。当時の衣は小麦粉を水で溶いた簡素なもので、ごま油の質も今とは大きく異なります。江戸中期になると菜種油の生産が進み、油の利用が広がりました。ただ当時は火事を恐れ、屋内で火を使うことは禁止。そのため天ぷらは屋台飯として広まっていき、江戸を代表するファーストフードの1つになっていったんです。蕎麦や寿司と比較するとカロリーも高く、腹持ちが良い。そして味が濃厚かつ熱い!というのが、天ぷらが人気の理由だったそうです。
天ぷらがお店で振る舞われるようになったのは、江戸末期。当時も屋内で火を使うことは禁止でしたが、だんだん幕府の規制が緩まって、高級天ぷら屋なんかもできてきました。当時は希少な存在だった卵や高級な食材を使ったりして「金ぷら」「銀ぷら」なんて呼んでいたみたいですよ。明治時代になると、高級店では海老・小柱・銀子など、カジュアルなお店ではイカやコハダを使っていたそうです。昔みたいに串に刺したスタイルではないですが、浅草などの下町を中心に天ぷらの露店も多く存在していたようです。大正時代は関東大震災後に料理人たちが地方に逃れ、そこで江戸前スタイルの天ぷらが関西に広がったと言われています。
「調味料」
天ぷらとして食べられるようになった初期は、調味料は基本的になくそのまま食べていました。そこから江戸時代中期に醤油が千葉などで生産されるようになると、天ぷらにも醤油をつけて食べるようになりました。てんつゆの正確な起源はわかっていませんが、おそらく蕎麦つゆの歴史と近しく、江戸時代中期以降だと考えられます。今では塩をつけて食べることも多いですが、元々関西のスタイルだったのが東京でも食べられるようになっていったと言われています。
食材
今では天ぷらといえば、必ずと言って良いほど野菜と一緒に食べます。しかし江戸時代の天ぷらのタネといえば、江戸湾で獲れる穴子、芝海老、コハダ、スルメなどの魚が常識でした。
職人の巧みな技術が必要とされる天ぷら
天ぷらとは、油・衣・食材の3つで作られる非常にシンプルな料理です。
調理法も、シンプルに“揚げ”と言いたいところですが、衣に包まれている食材は、衣の中で蒸され、そして焼かれているのです。熱が加わると、食材から水分が出ていき自然と蒸しの状態になります。さらに熱が加わり水分が出ると、今度は焼きというフェーズに変わるのです。余分な水分を抜いて、油独特のこうばしい香りで味を引き立てるのが天ぷらです。ただ、天ぷらを、1番美味しくでき上がるタイミングで揚げるのは至難の技。大体は1番良いタイミングではなく、8分目で揚げてしまいます。名人と言われる人達だけが本当にベストなタイミングで揚げることができる世界なんです。
天ぷらの美味しい食べ方をご紹介!
天ぷらは、揚げたそばからかぶりつくのが1番。てんつゆか塩かはお好みで、好きに食べましょう。僕のおすすめは、穴子や茄子はてんつゆで。そして、おろしは混ぜすぎない。そうすることで、味に濃淡がでます。また、おろしは途中の箸休めや口直しにするのも良いでしょう。塩をつける際は、海老などは先っちょに、キスのような大きい魚には、上からぱらぱらとかけるのが良いです。そうすることで何度も塩をつけずにすみますし、均一にかけられるので美味しく食べられますよ。
知っておきたい、天ぷらに関する豆知識を解説!
ファーストフードから大出世!?当時と変わった天ぷらの価格感
江戸時代の人気屋台飯といえば、寿司・蕎麦・うなぎ・天ぷら。それぞれ昔の販売価格は、寿司1貫4文(約60円)、お蕎麦16文(約500円)、うなぎ100文(約3,000円)、天ぷら1串4文(約60円)になります。蕎麦やうなぎなんかは今の感覚とそこまで変わらないですが、天ぷらはとってもリーズナブルな値段ですね。今では、高級天ぷら店なんかに行くと、1回の食事で数万円払うのも当たり前。当時より大きく出世したように思えます。逆に明治時代初期では、洋食なんかは非常に高価で一部の上流階級の人しか食べられない食べ物でしたが、今ではカジュアルに食べられる日常食になっていますね。
美味しいお店かどうかは「かき揚げ」で見極めろ!?
かき揚げを食べると、そのお店のレベルがわかります。僕は初めてそのお店に行く時、天茶や天バラ、天丼などで〆ず、最後はご飯とかき揚げをそれぞれ単品で頼むようにしています。というのも、タレや出汁をかけてしまったら誤魔化しが効きますから、まずはかき揚げを単品で食べるんです。大体かき揚げには小海老、小柱、三つ葉が入っていることが多いです。ですが、それぞれ素材が全く違うので必要な加熱具合も異なります。それにも関わらず、全ての具材が絶妙に美味しく揚がっていたら、そこは良いお店ということになりますね。
今回は、タベアルキスト・マッキー牧元氏に江戸前天ぷらについて、江戸での発展の歴史から、美味しい天ぷらの食べ方まで多岐に渡って伺いました。江戸っ子に人気のファーストフードから始まり、今でも愛され続ける天ぷらの歴史。知れば知るほど、天ぷらに魅了されていくこと請け合いです。
※こちらの記事は2024年08月18日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。