「GINZA JOTAKI」上瀧剛氏インタビュー。日本人の心が生む至高の中国料理

銀座駅から徒歩約2分。外堀通り沿いの美術館ビル3階に店を構える中国料理「GINZA JOTAKI」。2018年2月にオープンして以降、“ホンモノ”を知る美食家たちを魅了し続けている名店です。オーナーシェフの上瀧剛氏は、20代の若さで地元佐賀県に中国料理店をオープン。その10年後には福岡・佐賀版ミシュランで1つ星を獲得しました。
自ら経営し人気店と成長させたお店を閉め、美食家たちが集う銀座という地に出店をされた上瀧氏のこれまでの道のりと「華技和粋(かぎわすい)」のこだわりを聞かせていただきました。

自分のこだわりを形にするための道に銀座があった

―まずは、料理人を志したきっかけについてお聞かせください。

実家が料理屋さんというわけでもなく、物心がついたときには料理人になるって思っていましたね。初めての料理は幼稚園の頃で、親と作ったクリームシチューでした。志したきっかけというのが特になくて、そんな運命だったのかもしれません。

―中国料理に惹かれた理由は何でしょうか?

最初から中国料理に興味があったわけではないんです。小さい頃に「ミシュランの星」に関するテレビ番組で、ジョエル・ロブションさんやピエール・トロワグロさんなどの巨匠たちが“ミシュランの星に掛ける想い”を語っているのを見て、フレンチにまず興味を持ちました。

「GINZA JOTAKI」の入り口。ここから非日常が始まる。

でも、いろいろな本を読んでいるうちに、フレンチもイタリアンも中国料理から影響を受けているものが多いとわかったんです。それで中国料理の本も読むようになって、面白いなと。興味が湧くとすぐ作りたくなりますよね。その点、家でも作りやすいんですねチャーハンや餃子とかの中国料理は。フランス料理の場合、コンソメスープ作ろうとしたらすごいことになるでしょう。あと、中国料理のあの調理の炎にも魅せられましたね。

―20代という若さで自分のお店をお持ちになったんですよね。

「GINZA JOTAKI」で一つ一つこだわったカトラリー。

18歳の頃に東京に出てきて、23歳の頃に地元佐賀で自分のお店を構え独立しました。当時、佐賀には本格的な中国料理が少なかったこともあって、ありがたいことに多くの方がすぐいらしてくれました。
お店が活気づくとともに、3か月に一度は広東省、四川省、香港、上海へ実際に行き、本場の味を学んで自分のお店に反映させていました。今はコロナの影響で行けてないですが、18年くらい続けています。

―そして子供の頃にテレビで見た、星を獲られたわけですね。

今も親しくさせていただいている「銀座小十」の奥田さんが、2007年に東京版ミシュランで3つ星を獲られたんです。当時もよく食べに行かせていただいていて、銀座にお店があり、お客様も素晴らしく、器も素敵、そして料理も絶品。子供の頃にテレビで見た“ミシュランを獲るお店”というのはこういうところだと、感銘を受けたんです。

シックで落ち着いたトーンが寛ぎを感じさせる「GINZA JOTAKI」店内。

同じく、中国料理で初めて3つ星を獲った香港にある「Lung King Heen」にも足しげく通ってそこでも様々なことを吸収し、お店に反映させていました。そうした中で、私のお店も2014年に出版されたミシュラン福岡・佐賀版で、1つ星をいただきました。

―星を獲得し、九州で随一となられてなぜ銀座という地に進出されたのでしょうか。

高級食材は惜しみなく使用。

ミシュラン掲載後、ありがたいことにお店がこれまで以上に忙しくなりました。星をいただいて、自分たちがやってきたことは間違いではなかったなと達成感みたいなものを感じていたのですが、同時にお店の現状に「これは完璧と言えるのだろうか」という葛藤が生まれてきたんです。

調理の火力にも妥協なし。

当時のお店は60席あり、スタッフも20人ほど。多くのお客様の注文をこなすには、早い時間から大量の仕込みを行わなければいけません。例えば、ご飯は炊き立てが美味しいのですけど、多くのお客様に料理を提供するためには、あらかじめ炊いておく必要があったり。忙しいのは嬉しいのですが、これでは自分が美味しいと思う完璧なものが提供できないと。徐々に「完璧なものを作りたい!」という思いが強くなっていったんです。

「GINZA JOTAKI」には生け簀も。

完璧な料理を作ろうと思うと、良い材料が必要になってきます。コース仕立てで考えようとすれば、どうしてもお一人様3万円以上にはなってしまう。そんな自分の完璧を表現できる環境を考えると東京、しかも銀座しかなかったんです。思えば、料理の道を進んだきっかけや「銀座小十」の奥田さんという存在、そして自分が表現したい料理。それらが繋がり、導かれるように銀座に来たという感じです。また、勝負するには最高の場所ですよね。

松坂牛のロッシーニ。イタリア産フレッシュトリュフも。

でも、私一人でイチからスタートする、ということであれば来てないと思うんです。以前の佐賀のお店で働いていたスタッフの何人かが、「自分も東京・銀座で働きたい」と言ってくれたことと、家族の後押しがあったのがとても大きかったですね。だから佐賀の店でこだわってやってきたことを、ここでより研ぎ澄ませることができたと思います。2021年で4年目ですが、1年目から多くのお客様にご贔屓にしていただくことができたのは、佐賀から一緒に来てくれたスタッフのおかげだと思っています。

中国料理の枠にとらわれない「GINZA JOTAKI」ならではの醍醐味

―お店のコンセプトである「華技和粋(かぎわすい)」のこだわりをお聞かせください。

まず先にお伝えしたいのは、中国料理は中国で食べた方が一番美味しいということ。それがわかった24歳の頃に大きな挫折を経験しました。佐賀でお店をオープンして、すぐに人気店になったので、天狗になっていた時ですね。その気持ちで中国へ行って本場を味わったら、自分のものと全然違っていた。まず火力が日本と10倍くらい違う。炎を使いこなせないと中国料理はできないというほどですから。

本場中国とでは火力はもちろん水や油、そして持って生まれたDNAが違うんですよね。生まれながらにしてアドバンテージがものすごくあるんです。このままでは敵わないと思い、どうやったら本場以上の料理を出せるかを考えました。結果行き着いたのが、日本人の強みを活かすということ。日本人の美意識であったり、細かいこだわりであったり。日本人の心で中国料理の技を使おう、それが「華技和粋」なんですね。

―その精神が、10席しかないカウンタースタイルに繋がるのですね。

カウンタースタイルは、お鮨や割烹など日本の良さがありますよね。料理人が、目の前でお客様に料理の説明をしながら提供できるという。そしてある仕掛けも用意しているんです。それも合わせてこれまでの中国料理にはない、臨場感も味わっていただけると思っています。

―使用されている器もこだわっているとお聞きしました。

冷製チャイナパスタ(クリーム仕立て)。使用している器は有田焼。

そうですね、地元の九州も大事にしています。若い頃は都会に憧れていましたけど、歳を重ねるにつれて、自分が育った地にあるものの素晴らしさに気付けるようになっていったんですね。私の故郷の佐賀には、世界に誇る有田焼がある。その器に中国料理を盛れば「華技和粋」になって、日本人の感覚にできるのではないかと考えたんです。

―高級食材をふんだんに使うだけではなく、強い思いがあるとお聞きしたのですが。

席の後ろに掛けられている絵は、炎をイメージしているそう。

まず自分が求める完璧なものを提供するには、この席数も重要なんです。こだわり抜いて仕入れた高級食材を使って最高の料理を提供するのは、美味しいことがわかっているから料理人みんながやりたいと思っていると思います。でも、席が多すぎるとなかなかそうはいかない。どこか妥協している部分が出てきてしまうんです。だから私は、妥協しないで理想の料理を提供できる範囲の席数をいくつか考え、結果今の10席にしました。

仕入れさせてもらっている食材は、“物”にではなく“人”にこだわっているといった方が正確かもしれません。こだわりを持って仕事をされている生産者さんとしかお付き合いをしていないんです。こだわりを持っている方は、やっぱり良いものを作ってらっしゃるし、紹介いただく知り合いの方もこだわりを持って素晴らしいものを扱っている。そうやって人の繋がりで、最高の食材を仕入れさせてもらっていますね。

―フカヒレは乾燥している状態から仕入れているとか。

フカヒレには一番こだわっていて、加工されたものではなく乾燥している状態で、気仙沼の業者さんから仕入れさせてもらっています。今シーズンは、最高品質のものが20枚しか獲れなかったそうです。たくさんのお店がそれを欲しがっていたそうですが、一番こだわっているお店に使ってほしいという理由で、うちに全部送ってくれました。しっかりとした思いと態度を示せば、素晴らしい食材は集まってくると思います。

フカヒレを皮から仕入れて、下ごしらえをお店でするところはほとんどないと思います。その方が美味しいフカヒレを提供できるのですが、労力や時間を考えると普通はできません。でも、うちはそのために席数を少なくしているので可能なんです。最高の食材を最高の形で料理するには、技術や知識だけではなく手間を惜しまい心が大事だと思っています。

進化を続けて、後進を育てていきたい

―2021年に4年目になりますが、今後の思いや野望などをお聞かせください。

やっぱり常に進化していきたいですね。もっともっと進化していけば、新しい課題が見えてくると思うんです。その中でポイントなのが、後進の育成。今41歳ですが、私が前線に立てるのはあと15年くらいかと思っています。体力的なものもありますが、それよりも若い人がどんどん出てきてほしい。そのためにこれまで自分が培った知識などは、惜しまず教えようと思っています。

そしてその15年の間に、究極の一皿を生み出したいです。すでにあるものからではなく、本当にゼロから。それを目指して、今日よりも明日を大事にしてコツコツと進んでいきたいと思っています。
もう一つあげるとしたら、“料理人は夢のある職業”であることを、多くの人たちに知ってほしいということでしょうか。佐賀の田舎で生まれ育った私が、素敵な縁で今は銀座でオーナーシェフとして立っている。料理人はみんな、オーナーシェフになれるチャンスがあると思っています。だから私は経験者として、料理人には夢があることを伝えたいですね。

―お客様に求めるものはありますか?

こちらが精いっぱいやったものを、どうお客様が判断していただくかなので、求めるものなんてないですね。ただひとつあるとしたら、お腹は空かしてきてくださいねっていうことくらいでしょうか。空腹は最高のスパイスといいますしね。

中華料理

銀座 上瀧

東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線 銀座駅 C3出口 徒歩4分

50,000円〜

おまけインタビュー:上瀧氏がよく食べに行くお店はどこですか?

「中国料理ならパレスホテル東京の『琥珀宮』、丸ビルにある『家全七福酒家」、フランス料理なら恵比寿の「ジョエル・ロブション」、日本料理なら『銀座小十』」です。美味しさもそうなんですが、ホスピタリティを学びによく行きますね」
とのこと。「銀座小十」の味とおもてなしを知る方は、奥田氏を尊敬してやまない「GINZA JOTAKI」へぜひ。いろいろな繋がりが見えて、より楽しい時間が過ごせるかもしれません。

上瀧 剛氏 プロフィール
東京で研鑽を積み、20代で地元佐賀県で中華レストラン「ChineseRestaurant JOTAKI 」をオープン。その数年後には「ミシュランガイド福岡・佐賀2014特別版」で一つ星を獲得し話題に。2017年に人気店であったお店を閉じ、2018年からは東京・銀座で「GINZA JOTAKI」のオーナーシェフを務める。

【編集後記】
最初の扉を開け、店内に一歩足を踏み入れた時に感じる非日常感。そして、これまでの中国料理のお店では出会ったことのないエンターテインメント性のある仕掛け。ぜひ家族や友人など大切な方と、「GINZA JOTAKI」しかない空間と料理を味わっていただきたい。オーナーシェフ上瀧氏は、お話が上手でとても気さくな方。初めて訪れる方も、安心して「GINZA JOTAKI」の世界を満喫できるはずです。

※こちらの記事は2022年08月15日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

吉田ふとし

人材業界系メディアの編集・制作を経て、現職。小学生の娘をもつ1児の父。アルコール(日本酒、焼酎、ウィスキー)を好むのは祖母譲り。読者のみなさまには、気づきのある多くの情報をお届けいたします。よろしくお願いいたします。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:ジランドール
・好きなお店:広東料理 センス
・自分の会食で使うなら:「赤坂浅田」
・得意ジャンル:和食 / バー
・好きな食材: ジビエ、白子

このライターの記事をもっと見る

この記事をシェアする