神戸・元町エリアの住宅街に位置する、イノベーティブレストラン「カ・セント」。店を率いるオーナーシェフ・福本伸也氏は、イタリアやスペインの名店で研鑽を重ねた実力派です。良質な素材の魅力を最大限に引き出した、シンプルな料理が評判の同店。今回は、フードコラムニストの門上武司氏を迎え、福本氏の修業時代から現在の料理に対する思いまで、様々なお話を伺いました。
目 次
15歳から料理人の道へ、多彩な実績を重ねた修業時代
―15歳から料理人の道を歩み始め、現在の「カ・セント」を構える30歳までにイタリアやスペインの星付きレストランでシェフになるなど、多彩な実績を重ねられました。まずは、15年間の修業でどのようなことを学ばれたのでしょうか。
僕の場合、本音を言えば料理が好きで料理人になりたいと思ったわけではないんです。母親がひとりで障がい者の兄と僕を育ててくれていましたので、僕は中学校を卒業したら仕事をすると決めていました。一人前の料理人になることがどれだけしんどいかを知らずに、手に職をつけるなら料理人だと、そうして母を助けたいと。だから、僕は「ただ料理人になりたい」というよりも「料理の仕事ができるようになりたい」と思っていたんです。
―経験のない者を雇えば、どんな店だってまずは下働きからですよね。
修業を始めたのは神戸の店で、僕が16歳になった年に阪神・淡路大震災がありました。僕の家は無事でしたが、神戸で働ける場所はなくなってしまって。当時お世話になっていたシェフに「この際だから大阪の街場で勉強したらいい」とか「次はホテルにでも行け」とか、言われるがまま。もちろん、厳しい条件で働くことになるのは覚悟していました。
そうしていくうちに、大阪ではイタリアやスペインの料理に初めて接することができましたし、ホテルのレストランでは組織で料理をすることも経験できました。中卒の僕なんかは、下っ端の仕事しか与えられません。どこでも休む暇がないほど働かされましたが、それが当たり前のことだと思ってすべて受け入れていました。きついから逃げようとか、仕事を変えようとは思いませんでしたね。
大きな災害を経験したからこそ、食べることに関われる意義みたいなものは身にしみましたし、とにかく僕は料理を自分の仕事にして生きるんだと、より強く思うようになっていました。
―そうして徐々に認められていくわけですが、周りの方を認めさせるのも実力のうち。その結果、次なるステップに海外での修業を求めるのも自然な流れではあります。
5年ほど経つと、飲食業の仕事に関しては色々見えてきて「自分はこのまま、言われるがままでいいのか」と思うようになっていました。そんなとき、21歳になる前あたりで、日本を出てみようと決めてイタリアへ渡りました。
とはいえ、イタリア料理に憧れていたわけではなく、なんとなくイタリアならクリエイティブになれそうな感じがしたから行ってみただけなんです。日本の厳しい環境に鍛えられていたからか、正直イタリアでの修業はそれほど難しいとは思わなかったですし、逆に自分もそこそこできるなという実感がありました。あちこちで働かせてもらい、イタリアには4年ほどいましたね。
イタリア修業の最後となる、ミラノの「サドレル」にいたとき、日本の雑誌『専門料理』の取材があり、僕がシェフの補助についたりしていました。2000年代初頭、当時最先端だったスペイン料理を特集した別冊『スペインが止まらない』を見せられたことがありまして。そこには、僕が本当にやりたいと考えていた料理がびっしり詰まっていたんです。
それをきっかけに、スペインにあるいくつかのレストランに手紙を送って就職活動をした結果、バスク州にある「ムガリッツ」に入れてもらえることに。ただし、研究生の立場で1年契約。無給でした。
イタリアからスペインへ、料理人として生き残るための挑戦
―スペイン料理のどういった部分に共感されたのですか。再び基本から修業するような感じだったのでしょうか。
一言で言えば、シンプルで優しい味の料理。僕が作ってみたいと想像していた料理がそこにあって、もうここだと思いましたね。でも、仕事はそれまでに経験してきた以上の厳しさでした。厨房には40人くらいいて、みんな色々な国から来ているんですが、日本人は僕が初めてでした。そのなかで1年間無給というのは、さすがに苦しかった。運良くバレンシアの二つ星「カ・セント」の息子さんが同じく勉強しに来ていたので、雇ってくれないかと頼んでみたら承諾してくれて。「カ・セント」へ移ることにしたんです。
―「ムガリッツ」から「カ・セント」へ。ただこの二軒は、まったく違うスタイルですね。
「カ・セント」は、基本的にバレンシア地方で継承されている古典的な地中海料理を提供していました。でも、その息子さんは「エル・ブジ」で働いていた経験もありましたから、実家に帰れば、バレンシア料理にフェラン・アドリアの斬新な料理を融合させた、これまでにない料理作りを目指すわけです。
―そういう意味では、伝統的な料理と新しい料理の両方を学べたわけですね。
そうですね。ただ、どんなに評判の良いレストランでも内実は決して現状にとどまっていないのです。どの店も常に新しい食材を求めているし、顧客の嗜好の変化に合わせて料理もどんどん新しく更新させています。料理人になるにしても、そうした動きに即応できるような対応力のある料理人にならなければ生き残っていけないな、というのもよくわかりました。
すべてはつながる、スペイン「カ・セント」の名を受け継ぐ
―福本さんの修業も最終的にはスペインの二つ星レストランで、日本から来てわずか数年でシェフにまで上り詰めていますね。
イタリアと同じで、僕はスペイン料理を習得するためにスペインへ行ったわけではありません。僕が求めていた料理が、たまたまスペインで新しく始まっていたから訪れただけ。スペインで修業したのは事実ですし、今僕の料理はスペイン料理のジャンルに入れられていますが、自分ではまったく別の料理を作っていると思っています。
ただ、スペインの「カ・セント」では、僕をつないでくれた息子さんとそのお父さんであるオーナーに認めてもらえましたから、本当に一生懸命働いていたんです。そうしたら、あるときお父さんが引退するので、息子さんと僕が共同経営者になって店を継いでほしいと言われました。でも、そうはならなかった。
実は僕の母が難病になったと知らされ、帰国するしかなくなってしまったんです。1年間仕事を休み、介護をして母を看取りました。兄と僕の二人が残され「これは神戸で店をやるしかないな」と思っていたら、運良くこの物件が空いていると教えてもらって。自分のなかで「カ・セント」とはつながったままだから、自分の店を構えるにあたっては、その名前を使わせてもらうことにしたんです。
―結局地元につなぎ止められたかたちになりましたが、ここで頑張った甲斐があったのではないでしょうか。オープンからわずか2年で、ミシュランの三つ星を与えられる快挙達成ですからね。
やっぱり、なにかつながっているんですかね。多分、僕はすごく恵まれていたんです。神戸がミシュランの対象地域になったタイミングで、調査員の方が来てくれたり、運も味方になってくれたんだと思います。今は逆に感謝しているくらいです。ミシュランが発表された後、毎日様々なお客さんが来られて、色々なことと向き合っています。「こうしなさい」とか「こうしたほうがいいよ」と言われたときは、勉強させてもらっているなと思いながら仕事していますね。
―料理というものは、影響を受ける要素が多い。福本さんなら、イタリアやスペインでの経験があり、神戸に帰ってきてから出会ったお客さんや生産者さんもいる。ご自分で変わっていく要素が大きいと思うのはどんなことですか。
自分で思うのは、やっぱり僕の心境の変化ですね。悲しいこと、うれしいこと、怒ること、色々な感情を起こさせる事態を引き受けて、そういう心境になりながら料理と向き合っていかなければならない。それが僕の料理だと思っています。
例えばどう感じるか、その背景にはそれぞれ育った地域の歴史とか文化も大きく関わってきます。そういう意味で歴史や文化は大事ですし、根本にあってほしいと思いますが、僕はなんと言いますか、そこにずっと留まっていたくない。クリエイティブであるために、常に新しい物事を求めていきたいんです。そこで生まれる喜怒哀楽、それが僕のレシピになっていくと思います。
「料理ができる」ということが、今の幸せ
―福本さんは、今や料理を生業にされています。先ほど「料理を仕事にして生きていく」ということを話されましたが、土台ができてこそ新しいことに挑戦できるし、未来に向かっていけるはずです。
土台は大事で、大切にしたい。そこに立ってこその創作です。僕も「カ・セント」で学んだおじやとか「ムガリッツ」で学んだ野菜サラダは基本的に必ず提供しています。でも、そういう土台と言える料理があるからこそ、僕のほかの料理も出させてもらえているとも思っているんです。
―そのうえで、あえて伺うのですが。福本さんは、イタリアやスペインの星付きレストランでの経験があります。そこからさらに神戸で三つ星を獲得されたのですから、日本の三つ星の料理とはこういうものだと、世界に示したいとは思いませんでしたか。
それが、変な自信を持って帰国したものの、母を看取ってから「料理ができる」っていう幸せを見つけてしまったんです。そういう感情を持ってしまうと、もうイタリアやスペインに向かうのは難しいですよ。今は、こういう風になりたいとかっていう感覚がない。ただ、本当に料理ができているだけで幸せなんです。
僕は46歳になりましたが、例えば80歳で引退するとしたら残りは34年。ということは、四季を34回しか味わえません。そのなかで自分がどれだけの料理を作れるか、どんなことができるのか。そう考えたら、料理ができる時間とか人生ってすごく短いものなんだなって、改めて思ってしまうんですよね。
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福本伸也氏 プロフィール
1978年、神戸市生まれ。15歳からこの世界で腕を磨き続ける、職人。イタリア、スペインで8年間修業、26歳にしてスペイン・バレンシアの名店【Ca sento】に勤務。料理人はエゴイスティックなアーティストではいけない、チーム論のなかで捉えるべきである、という現在の持論に行き着く。帰国後、2008年に自身の店をオープン。
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公式HP:https://casento.jp/
【編集後記】
「カ・セント」のオーナーシェフ・福本伸也さんのすごいところは、信念がブレないところだと思う。料理は、歴史・文化などの流れを汲み取り、自らの心情と技術をそこに落とし込むことだと考える。スペインでの修業経験が長く、そこで培った日本人としての誇りを持ちながら研鑽したことが、現在の「カ・セント」を作り上げていると言っても過言ではない。そのために学ぶべきは日本料理の世界観だと言及する。料理に刻み込まれている、その土地の長年の歴史や記憶を追求することで、自らの料理を高めてゆくのだ。
※こちらの記事は2024年09月04日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。