新潟の城下町、村上の「黒塀通り」。黒壁が和モダンを漂わせる「割烹 新多久」は、庭を背に老舗のオーラを放ちながらゲストを迎えます。村上は、魚介、野菜、酒、米、調味料に至るまですべてがそろった食材の宝庫。5代目として厨房に立つ山貝真介氏・山貝亮太氏の兄弟は、これら村上の誇る食材をほぼ地元産でまかない、料理を通して村上を発信。全国各地から通う美食家を魅了しています。今回は、兄弟2人で向き合う村上ならではの料理について、深い愛とこだわりについてお話をうかがいました。
目 次
大反対されても老舗料亭を兄弟で継ぐ気合い
ー明治元年から続く「割烹 新多久」について、お店の歴史やこれまでの歩みについてお聞かせください。
(山貝真介氏、以下真介氏)「割烹 新多久」は、明治元年創業の料理屋で、僕らで5代目になります。もともとは料亭だったのですが、2005年に火事で焼失し、翌2006年にリニューアルして現在に至ります。料亭としては、4代続いて経営してきたなか、料理人として継いだのは僕らが初めてです。代々続いているから料理の道に入ったのではありません。店の料理人の姿を見て憧れたとか、老舗を継がなければ、という意識はなく、ただ食べるのが好きだったという理由から自然な流れで料理人になりました。老舗としての料理を作るというよりは、地元・村上の食材をどれだけ美味しく食べていただけるかという思いで料理を作っています。
(山貝亮太氏、以下亮太氏)子供の頃から、誰からも店を継げと言われたことはなかったんです。ただ、高校からずっと実家の店でアルバイトをしていたので、このままこの道に進むのかなと漠然と思ってはいました。「アルバイトをしたい」と言ったら「それなら家でやりなさい」というやり取りがきっかけとなり、調理場で仕事を始めてからは、楽しくてこのまま料理人になるんだろうなぐらいの感覚でいました。僕も食べるのが好きだったことが料理人になった一番の理由ですが、もちろん、この店自体は守っていかなくてはならない、という気持ちは強かったです。
(真介氏)僕らが受け継ぐのは“暖簾”だと思っており、それは何かと言うと“信用”なんです。お客さまからの信用を裏切らないようするには、料理を美味しくすることと、おもてなしも含めて心地よい空間を作る。そこだけに注力しています。
(亮太氏)店が火事になったとき、兄の真介は修業先からすでに戻り店に入っていて、僕は、火事が起きた後に帰ってきました。焼失した店の姿を見たときに、これは家族でなんとか立て直さなければならない、ともどる決心をしました。そうしたら、家族やまわりの人たち全員から兄弟で商売は絶対できないと大反対されました。「そこまで言われるならやってやろうよ」と2人で始めたのが今のスタイルです。屋根裏にある棟札には、火事の時にお世話になった700名の方のお名前を大女将が長板に書き収めてあるんです。 火事の時に地元の方に助けられて今があるので、感謝の気持ちが常に2人のベースにありますね。
(真介氏)もとから兄弟仲は良かったので、心配はありませんでした。父親は料理人ではなかったので、料理に対してあれこれ言われなかった。好きなように料理を作れたことが功を奏したんですね。変な枠がなかったのでやりやすかったかのかもしれません。
役割が決まっている二人三脚の厨房
ーそれぞれの役割や、お2人だからこそ出せる、おもてなしについてどのようにお考えですか。
(真介氏)2人の役割ははっきりと分かれています。板場に立つのが僕で、煮方を担当するのが亮太。お造りや煮物、焼き物などバランスを取って、どうやったら食べ疲れせずコースを組み立てていけるかということは、常に2人で話し合っていますね。
(亮太氏)基本、味付け全般と炭で調理する料理は僕の担当です。自然とお互い得意なことを受け持つようになりましたね。
ー「割烹 新多久」ならではの料理の魅力についてお聞かせください。
(真介氏)お造りや煮物を作るというより、この食材のポテンシャルをどれだけ上げられるか考えます。魚だから野菜だからと、日本料理の定石に従って料理をするというやり方ではなく、まずは1つの食材にスポットをあてます。それからこの食材ならどういう調理をすれば最大の美味しさを引き出せるか、ということだけを考えて料理を組み立てます。料理を考えたら、今度はコースのバランス、流れを考えます。
(亮太氏)1つのお皿を食べて「美味しかったけど、何を食べたのかな」という料理にはしたくないんです。「このお造りが美味しかった」というより「この魚が美味しかった」と食材が記憶に残るような料理を目指しています。そうした思いが根本にあって、コースで全体の流れを作るということです。
(真介氏)そうですね。一番気をつけているところは“流れ”です。最初から最後まで強い味ばかり続くと疲れるし、強さの後の料理は印象が薄くなってしまいます。
(亮太氏)食べ疲れせず最後まで楽しめるように、合間に口直し的な野菜や果物などを差し込んでリセットしていただき、また新たに味の強い料理をお出しするという形で構成しています。
ー野菜の調理の仕方も、これまでにない「割烹 新多久」ならではの新鮮さを感じました。
(亮太氏)もともとある調理法は参考にはしますが、これはもう少し違う方向で考えたらおもしろいかな、と話し合いながら取り組んでいます。
(真介氏)これまで学んだことを土台として、そこから自分たちらしい料理にするためにはどうするか、を1番に考えます。そのため、他の店とはどんどんかけ離れた調理法になってきましたが、料理には正解がないので、それがうちならではの個性と自負しています。
村上の食材を通した料理すべてがスペシャリテ
ー地産地消を考慮して、食材はもちろん、調味料に至るまで村上産を使用されています。仕入れる食材へのこだわりをお聞かせください。
(亮太氏)地元の食材だけでコースを組み立てるので、これが欲しいから地方から取り寄せようといった考えがないため、独自性がどんどん増しているかと思います。
(真介氏)流通に出る前の魚介類をいち早く届けてもらったり、地元の農家さんとは仲良くさせてもらっていますから信頼関係のもと直接やり取りしたり、直売場で見て買う、それが2人の日課です。調味料も含めて90%は村上産の食材。砂糖だけは県外ですが、みりんと薄口醤油は県内の他地域、その他はすべて村上産です。
日本酒も村上の酒蔵、「宮尾酒造」と「大洋酒造」を中心にそろえており、ワインは、「胎内高原ワイナリー」や「フェルミエ」などの新潟県のワイナリーから取り寄せています。ワインセラーも導入し、最適な状態でお出しできるようになりました。
(亮太氏)以前は「これがほしい」とお願いしたこともありましたが、魚に関してはその日に獲れたものによりますし、現在は生産者さんに注文することはあまりありません。その時に手に入るもののみで料理を作ることが勝負ですね。
(真介氏)これしかないから、これをどうやって美味しくするか。そうやって料理を考えていくと、どんどん引き出しが増えていくんです。今あるものでどういう調理ができるか、それが僕たちの手腕の見せどころでもあります。
(亮太氏)村上産だけの食材で作ることは、本来でしたら難しい。ただ、九州の方がいらして、こんなに海が近いのに九州の魚が出てきた、とがっかりされたことがあり、申し訳なく思ったことがあったんです。こんなところまで来ていただく限り、村上の良さ、 地元の食の魅力を伝える、それがこの店でやるべきことと考えています。
村上ならではの上質な食材を活かす料理とは
ー特に味わってほしい逸品についてお聞かせください。
(真介氏)村上の食材だけで料理を提供しようと決めて15年がたちました。村上の食材を通した料理すべてが店のスペシャリテです。季節によってすばらしい素材があるので、四季折々の味を楽しんでいただきたいですね。春は桜マスや山菜、夏は鮎・岩ガキ・のどぐろ・甘鯛、秋は鮭やサワラ、冬にはブリ・ズワイガニ・ジビエもあります。そして全国一に輝いた「村上牛」や、日本一の米と酒もはずせません。村上は四季それぞれに楽しめる豊かな食材がそろっていますので、季節ごとに楽しんでいただけます。
ージビエに関しては、亮太さんが狩猟をされていらっしゃるとうかがいました。ご自身で狩猟をされるようになったきっかけや、ジビエ料理を提供するうえでのこだわりをお聞かせください。
(亮太氏)最近、今までいなかったイノシシがこのあたりに出始めたんです。地元の食材を使いたい思いがありましたが、どこからも手に入らないので、だったら飛び込むしかないなと思って始めたのがきっかけです。イノシシによる農家への被害が増加し、害獣として駆除されるとそのまま埋められます。害獣とはいえ大切な命ですから、美味しく食べて感謝の気持ちで終わらせたいという想いが芽生え、罠猟の免許を取得し食肉処理施設を設立しました。今はチームを組んで罠猟をしています。敷地内にある食肉処理施設で解体・処理をし、新鮮で安全なジビエ料理を提供しています。そして、季節や獲れた個体により、その時1番美味しく食べられる調理法でお出しします。
ー魅力あふれる食材を活かすために、調理をするうえで意識や工夫されていることをお聞かせください。
(真介氏)余計なことはしないことです。純粋に何を食べてもらいたいかを見極め、味を足すのではなく引き出す。お客さまの目の前に出す皿の上ではシンプルですが、その過程ではしっかりと手をかけています。
(亮太氏)たとえば、野菜などの淡い食材は、強い出汁と合わせると素材本来の香りが消されてしまうので、食材本来の香りを引き立てるために、かつおだしは使わないようにしています。かつお節は、淡い香りを消してしまうんですよね。代わりに、野菜にはこぶだしメインで、香りが引き立つように仕立てます。
わざわざ足を運んでもらうために美味しさと心地よさを追求
ー大正ロマンの雰囲気が漂う店内には郷土品などが備えられていますが、お店に関してこだわりはありますか。
(真介氏)黒壁の内部は、伝統的な和式と洋館が融合した大正ロマンの雰囲気が感じられるように造りました。階段箪笥をイメージした造作棚や調度品のしつらいなど細部にもこだわり、数寄屋造りの離れ個室も備えています。
(亮太氏)村上の季節の歳時記や、亡くなった母方の祖母が描いてくれた絵が14枚あり、1か月ごとに季節を感じる作品を飾っています。凛とした空間というよりは、温かい、ほっとするような雰囲気を作り出したい。そのなかで、村上のこの時期にはこんな祭りがある、といった情報をお客さまには押し付けがましくなく伝えられれば理想的です。
ー「割烹 新多久」の展望や、今後取り組まれたいことについてお聞かせください。
(真介氏)村上の食材を掘り下げていきたいですね。まだまだ毎年発見があります。最近も、魚の火の入れ具合や奥行きの出し方など新しい気づきがありました。
(亮太氏)言い尽くせないぐらい毎年変化があります。食材1つでも、少しずつ違う見え方がする。同じ料理名でも作り方は、少しずつアップデートしながら変わっています。何かからヒントを得たことが、2人とも常に頭の片隅にあるので「これ、いいね、今度やってみようか」といった会話が日常的にあります。
ー考え方が違ってケンカになることはないんですか。
(真介氏)違うことはありますけど、基本、決定権は持ち場の担当者と決めてありますので、意見は言いますが、持ち場のやり方に従います。
(亮太氏)意見の差といっても微々たる差なので調整ができるんです。お互いに切磋琢磨しながら日夜励むことができます。誰かに評価されると進化するんですよね。
(真介氏)独りよがりになってしまっては失敗しますから、そういう意味では、2人でやっていることが強みですね。料理を食べていただいて「村上っていいところだな」と思ってもらえることが2人の土台にあります。何度も足を運んでいただければ、ある意味それが町起こしの1つの手助けになるのではないか、その思いで、これからも2人で村上を発信していきたいと思います。
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山貝真介氏・亮太氏プロフィール
兄の真介氏は昭和53年、弟の亮太氏は昭和54年、新潟県村上市生まれ。
それぞれ京都の調理師学校を卒業後、京都の日本料理店で修業を重ね、火事による店の焼失後、家業である「割烹新多久」を兄弟2人で引き継いだ。ほぼ村上の食材のみを使った独創的な日本料理が食通の間で話題になり、ミシュランの星も獲得。全国から美食家が足を運んでいる。
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公式HP:https://murakami-sintaku.com/
【編集後記】
黒壁の和モダンな外観の店の中に入ると、大正ロマンの意匠をところどころに配した温かい空間が広がります。カウンターに座ると村上の工芸品である彫り物を施した漆のお盆に迫力ある手書きのお品書きが。それを見た瞬間、感じたのは料理への情熱。村上ならではの美食への期待が膨らみました。カウンターの向こうでは、山貝兄弟が阿吽の呼吸で独創的な村上料理を仕立てていきます。この地でしか食べられない地元愛にあふれるコースを求めて日本各地からわざわざこの地を訪れる、その魅力をあらためて知ったお2人のお話でした。
※こちらの記事は2024年09月11日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。