名古屋「うなぎ家 しば福や」 柴田哲滝氏に聞く、確かな技術と独自性で切り拓く“うなぎ料理”の可能性とは

愛知・国際センター駅から徒歩約6分、江戸時代から続く「四間道」「円頓寺」の街並みに暖簾を掲げる「うなぎ家 しば福や」。熟練の技で仕上げられる定番のうなぎ料理をはじめ、型にはまらない、ここならではの逸品が魅力のお店です。今回は、大将・柴田哲滝氏にKIWAMINO編集部がインタビューを実施。修業時代のエピソードや、これまでの経験をもとに創り上げる料理への想いなど、多岐にわたってお話を伺いました。

うなぎの養殖業を営んでいた父親を見て育ち、建設業から料理の世界へ

-まずは、料理人の道に進まれたきっかけをお聞かせください。

実は、大学卒業後は建設業界でサラリーマンとして8年ほど勤めていました。主に現場監督として、決まった期限までに仕事をして、終わればまた次の現場、という風に淡々と毎日を過ごしていました。そのうち、決まった人以外と関わることがない日が続き、段々と面白みを感じられなくなってきたんです。

元々は、父親がうなぎの養殖業で社長をやっていたのもあって、僕もそういう風になりたいなと思っていました。本来は、やはり人に喜んでもらうことが好きだったのもあって、直接会話をしたり、笑顔が見えたり、人と関われる仕事に就きたいと感じるようになりました。そのなかで、飲食店はもちろん、介護士や理学療法士だとか色々な選択肢を考えていたのですが、やはり飲食店に一番魅力を感じ、その世界に入ることを決めました。

-どのようにうなぎ料理の道に進んでいかれたのでしょうか。

正直、どこの飲食店に行こうかなどは考えていなかったのですが、30歳までには決めたいと修業先を探していました。そのときに、父親の会社と取引があって、お世話にもなっていた「炭焼うな富士」の創業者・水野尚樹さんの元に行ってみようと思って、それがきっかけです。水野さんも50歳で脱サラをしてお店を始められたんですよね。父親とうなぎの話もできるし、僕も生まれたときからうなぎの餌やりをしたり、ずっと遊んだりしてたので(笑)。自然な流れでうなぎの世界に入っていきました。

-「炭焼うな富士」での修業時代のエピソードについてお聞かせください。

修業を始めて2~3年くらいかな。全くの素人だったので、やはり怪我が多かったんです。切ったり縫ったりをしょっちゅうしてたんですけど、なんせ当時の「うな富士」は、まだ大将と僕しかいなくて、誰も代わりがいなかったんです。だから、怪我をしたあとは病院に駆け込んで治療をしてもらいましたけど、次の日から通常通り仕事をするしかないんですよね。包帯ぐるぐる巻きのなか、やっぱり痛いんで、串打ちとかも普通じゃできない。ただ、できないから諦めるんじゃなくて、試行錯誤しながら工夫して、色々な技術を磨いていきました。それが今に活かされていると思います。誰も代わりがいないからやるしかない。どんな形でもいいからやりましたね。その苦労があるから、何が来てもへっちゃら。なんでも対応できる自信はありますね。

心動かされる建物と出会い、独立を決断

-2018年に「うなぎ家 しば福や」をオープンされましたが、どのような流れで独立されることになったのでしょうか。

僕自身は独立を考えていなかったのですが、周りから独立を促す声がちょくちょく聞こえてくるようになりました。そのタイミングで、うちの嫁が今のお店がある場所を見つけたんです。「四問道」は江戸時代の情緒がそのまま残っているような場所。名古屋城の完成とともに造られた商人の街で、直接お城に荷物を降ろして、そこから馬車で名古屋市に運んでいたような、その雰囲気が残っている場所なんです。建物も全て明治・大正からのもので、この場所と建物を見たときに、一目惚れをして独立を決めました。まるで、うなぎ屋にぴったりな場所だったので、ここだったらやっていけると決心できました。

-古民家をリノベーションした空間ですが、お店づくりへのこだわりをお聞かせください。

店内は、女性建築家にデザインを担当してもらいました。全体的に、柔らかく、あたたかい雰囲気になっています。僕も、女性にも利用してもらえるお店にしたいと思っていたのでぴったりでした。結構、女性一人でもうなぎを食べたりするんですよね。だけど普通のうなぎ屋だとカウンターがなくて、テーブルに一人でぽつんと食べるのも抵抗があるんじゃないかな、というのがあって。女性にも気軽に入ってもらえるように、カウンターも用意しました。

確かな技術をもとに、型にはまらないうなぎ料理を提供

-「うなぎ家 しば福や」ならではの料理の特徴・魅力とはどのようなものでしょうか。

うなぎ料理って、蒲焼き、ひつまぶしなど大体決まったメニューが多いと思います。僕は、サラリーマンで社会経験もしているし、料理に対してはいい意味でこだわりがそこまで強くないんですね。なんでも受け入れる環境にいたので「うなぎだからこれ」というものはなく、逆にうなぎだからこそ、面白いものをやりたいという風に考えています。

これまでタブーだったことも、組み合わせてみたら実際美味しいというものが、うなぎ料理にもいっぱいあるんです。これまで見たことがない料理を提供するのも、僕がお客さんに喜んでもらえる一つだと思っていて。やっぱり驚いてもらえるのも好きなんです。だから「うなぎのスモーク」とかもやっているし、ガーリックペッパーで食べるひつまぶし「スタミナまぶし」というメニューもあります。

-様々なメニューのなかで「これだけは味わってほしい」という逸品についてお聞かせください。

先ほどの「スタミナまぶし」はそのうちの一つです。元々サラリーマン時代や修業時代に、よくコンビニの塩カルビ弁当を食べていたんです。塩とニンニクをベースにしたタレが好きで、これをうなぎで食べたら美味しいだろうと、創業のずっと前から頭にありました。試作をしてみたらやはり絶品だったので、定番メニューになりました。あとは、一品料理で面白いことがやりたいと思っていて。「うなぎの干物」も自家製で作っているし「肝のアヒージョ」とか色々とありますね。

-うなぎの焼きへのこだわりをお聞かせください。

名古屋は関西風の調理法で蒸しは入れないので“外はパリッと中はジュワッと”が好まれる焼き方です。僕は、白焼きといって、タレを付ける前にそのまま焼く段階をとても大事にしています。そこが中途半端だとパリッとならないし、中がちゃんと焼けていない状態になるので。かといって焦がしてもいけない。きちんと白焼きをしたあとにタレを付けて炙れば、パリッとふっくらジューシーにもなります。

使用するうなぎは、いわゆる「青うなぎ」を使用しています。うなぎのサイズは、何本で1キロになるのかというのが基準。通常は、4P~5P(4本から5本で1キロ)のうなぎを使用することが多いけど、うちは3Pサイズで、通常より大きいものを使用しています。ただその分、皮も分厚いし、骨も太いんです。東京とかだと、やはり蒸し焼きで骨が気になっちゃうから、なかなか使用できるお店が少ないはず。ただ地焼きは一気に焼き上げるので、骨もそこまで気にならない。

かつ、うなぎって皮が硬いので表面をカリッとさせるのが難しいんです。やっぱり手返しをきちんとやれていないと、絶妙なものにならない。だから手返しもすごく大切にしています。なかなか3Pサイズのうなぎを美味しく上手に焼ける人は少ないはずです。

-タレについてのこだわりはいかがでしょうか。

焼くときに少し脂を落としながら、あまり脂っこくならないように仕上げています。それでも、うなぎは元々脂が多いので、タレの組み合わせも考えています。甘いタレを合わせると、しつこくなり最後まで食べきるのがつらくなってしまうので、少しあっさりとしたタレを使用しています。なおかつ街のなかのお店で、サラリーマンをはじめ、様々な職種の方が多い。そこまで味が濃いものを求めていない方が多いので、無理なく食べられるようにタレも調整しています。あとは、しつこくない味でも、うなぎは大きくガッツリと乗せてお得感も大事にしています(笑)。

-食材を仕入れる際のこだわりについてもお聞かせください。

目利きは、基本的には生きたうなぎの見た目です。「青うなぎ」というくらいなので、一番いいのは本当に青くて、目はスカイブルーのもの。ただ、季節によっても色は変わるし、全部が全部そういう訳にはなかなかいかない。そこからは、触った感触で分かる部分もあるし、捌いてみて分かることもあるので、そのものをより美味しくできるように試行錯誤して、次の工程を対応しています。

2店舗目を開業、その先は海外にも美味しいうなぎ料理を広めていきたい

-今後挑戦していきたいことがあればお聞かせください。

新店の内観イメージ

実は、5月から、名古屋駅により近い場所に2店舗目をオープンする予定になっています(取材当時4月)。2店舗目は、和食の職人にも入ってもらい、和食とうなぎ料理、両方を楽しんでもらえるようなお店です。接待はもちろん、家族や仲間と楽しんでもらいたいですね。直近は、2店舗目を安定させること。そのあとは、うなぎを世界中の人にも知ってもらいたいというのがあるので、チャンスがあれば海外でもやってみたいです。海外に行ってうなぎ料理を食べたこともありますけど、全然美味しくなかったんです。本当に美味しいうなぎを向こうで出したいというふうに思っています。

実際に、世界には19種類もうなぎがあるんです。そのうち実際に食べられるのは、今のところ5種類くらいだけど、日本のうなぎを海外風にアレンジしても面白いはず。今後も意外性のあるうなぎ料理を作っていきたいです。

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柴田哲滝氏 プロフィール
1972年、愛知県生まれ。うなぎの養殖業を営んでいた父親の背中を見て育ち、うなぎの、そして料理の魅力に惹かれるようになる。元々は建設業で現場監督を務めていたが、退職後2003年より名古屋市にある「炭焼うな富士」にて修業を開始。料理長・店長として勤め上げたのちに独立し、2018年「うなぎ家 しば福や」の開業を果たす。
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うなぎ

うなぎ家 しば福や

名古屋市営地下鉄桜通線 国際センター駅 2番出口より徒歩6分

12,000円〜14,999円

【編集後記】
終始和やかな雰囲気のなか、真摯にお話いただいた柴田氏。「お客さんに喜んでほしい」そんな想いで柴田氏が生み出す斬新なうなぎ料理の数々にも、大変心惹かれたインタビューとなりました。新店をオープンされ、ますますのご活躍からも目が離せません。

※こちらの記事は2024年05月01日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Kanaka.S

大学卒業後、ウェディング業界を経て株式会社一休へ。一休.comレストランの営業として約200店舗を担当した後、編集部へジョイン。演奏家の父の影響で幼い頃から舞台芸術に触れ、自身も“人に感動に届ける仕事をしたい”という想いを持つ。プライベートでは、好きなエリアのレストランを開拓して、お気に入りを見つけるのが趣味のひとつ。皆さんの“こころに贅沢な時間”に繋がりますように、素敵なレストランの魅力をたっぷりとお届けいたします!

好きなお店:HOMMAGE・L'AS・Balcony by 6th
気になるお店:le sputnik・apothéose・CIRPAS・PRIMO PASSO

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