都立大学「八雲うえず」上江洲直樹氏に聞く、肩肘張らない空間でいただく老舗仕込みの和食とは

東急東横線・都立大学駅の住宅街にひっそりと佇む「八雲うえず」は、老舗「菊乃井」で修業し、料理長まで務めた上江洲直樹氏が店主を務めるお店。
今回はインタビューを通し、オープン2年目となるお店の魅力から今後の展望まで多岐に渡って語っていただきました。

老舗「菊乃井」で学んだ“当たり前のことを当り前にする”ことの大切

―まず、上江洲さんが、料理人を目指されたきっかけを教えてください

もともと、小さい時から食べることは好きだったのですが、料理の道に進もうと思ったのは高校生の時。ホテルにアルバイトに入ったのがきっかけといえばきっかけでしょうか。
この時は調理場ではなくサービスでしたが、それでも仕事をするうちに和洋中の料理人さん達と次第に仲良くなり、自然と調理への興味も湧いてきたんです。
ちょうど年の近い先輩がいて、料理コンクールに出展するための料理を、毎晩徹夜で創作している姿がとても楽しげで。料理ってクリエイティブで面白そうだなと。それを見ていて、料理人になろうという意志が固まり、沖縄の料理専門学校に進みました。

―和洋中の中でも、和食を選ばれた訳は?

僕は沖縄生まれの沖縄育ちなんですが、当時の沖縄には、いわゆるオーソドックスな日本料理店が、まだ無かったんです。だから“ザ・和食”という料理に触れたことが無くて。それならば、自分がやるべきは、やっぱり和食だと思いました。日本人として正統派の日本料理をきちんと学び、極めたいと思ったんです。

―そこで門戸を叩いたのが、「菊乃井」でしたね。ここを選ばれた理由は?

「菊乃井」本店 内観

料理専門学校を卒業した後、行くなら絶対に東京と思っていました。なんといっても日本の首都ですし、種々雑多なお店が集まっているところも魅力的でした。そう思っているタイミングで、運良く京都の老舖「菊乃井」が東京に出店する、という話を耳にしたんです。既に、人員募集は締め切られていたのですが、大将の村田吉弘さんと直接お話しすることができ、熱意が通じたのか、採用して頂くことになりました。
「菊乃井」を選んだ理由は、高級な料理ばかりでは無く、家庭的な料理を作る側面もあり親しみが持てたんです。高級料理だけだと、僕にはちょっと敷居が高かった。その点、「菊乃井」は、デパートの地下でおばん菜を販売したり、大将もテレビや料理本で肉じゃがの作り方などの家庭料理を披露されていたりしましたから、気持ちが入りやすかったですね。入社してからは、赤坂の店ができるまでデパ地下のお惣菜や弁当をもっばら作っていましたよ。

―「菊乃井」での修業生活はいかがでしたか?

ひと言で言って楽しかったですね。「菊乃井」は中途採用をしないんです。だから東京店は、先輩がいなくて同期ばかり、24人はいたと思います。京都から来た副料理長を含め5人のベテラン料理人さん達が僕らの上にいて、その人たちの指示に従って仕事をしていました。
赤坂の店は3階が寮になっているんです。2段ベッドがズラーッと並んでいて、ここで寝食を共にしていました。皆、ライバルであり、良き仕事仲間でしたね。毎日忙しくしていましたが、その分やりがいもありました。
「菊乃井」では時々、簡単なテストがあるんです。例えば、桂剥きが上手くできるかどうかとか、魚をうまく卸せるかとか。一生懸命やれば、それだけのポジションがもらえるので、モチベーションは上がりますよね。合間を縫ってよく練習したものです。

―「菊乃井」では最後は料理長になられましたが、学ばれた中で特に印象に残っていること、今のご自身に活かされていることをお聞かせください。

菊乃井」には16年間お世話になり、そのうち料理長を2年務めさせて頂きました。
「菊乃井」には、それこそ全国から料理屋さんの跡継ぎが修業に来るんです。だいたい5年をめどにある程度一人前にして送り出すのですが、それだけに、人を育てるノウハウは実にしっかりとしていましたね。
大将は、常々“毎日同じことをちゃんとやる。当たり前のことを当たり前にする”とよく口にしていましたが、これが修業時代、一番印象に残っているひと言です。今更言われるまでもない、当然なことのようですが、意外にこれができてない。つい疎かになってしまいがちなんです。でも、毎日同じことを繰り返す意義は、修業を積むほどによくわかってきました。知らないうちに自分自身の体力となっていくんですね。そうしているうちに、日々少しずつ変わっていく食材の変化にも気付くようになり、それに対して柔軟に対応する感覚も自然に身についたように思います。独り立ちした今も、この言葉はしっかり胸に刻み込んでいます。
また「菊乃井」の料理長時代、よく大将に言われたのは、「菊乃井にいらっしゃるお客様は、京料理ではなく菊乃井ブランドのオリジナル料理を食べに来られている。だから、
飽きられないようにするには、常にブラッシュアップしていかなくてはならない」と。そのためにも、何気ない毎日仕事を疎かにせず、意識を持って素材と向き合うことが大切なのだと思います。

地元に根差したお店を……コロナ禍でオープンした「八雲うえず」

―オープンされた時の経緯についてお聞かせください

「八雲うえず」外観

40歳までに独立したくて「菊乃井」を辞め「ハルヤマシタ 東京店」に統括料理長として入りました。独立するにあたって、経営的なことや集客の仕方などをもう少し勉強したいと考えたからです。
「菊乃井」しか知らなかったので、ちょっと違う形態の店を見てみたかったという思いもありました。そして、2020年2月、39歳の時にここ「八雲」に店を構えました。ちょうどコロナが猛威を奮い始める矢先のことで、最初は1日一組の貸し切り状態でしたね(笑)。でも、もともとそういう店をやりたかったので、焦りは全くなかったです。
八雲で店を始めたのは、この街に愛着があったから。「菊乃井」の寮生活から離れ、初めて1人暮らしをした場所だからかもしれませんが、こういう落ち着いた街で地元の人に愛され、来ていただけるような店にしたいという思いがありました。

―独立するにあたって、どんなお店にしたかったですか?

そうですね。まず、高級店にはしたくなかった。僕自身、高級店に行くと、緊張してしまって、料理をろくに味わえないんです。だから、自分でお店をやるなら、リラックスして食事を楽しんで頂ける店にしたいと思っていました。かといってカジュアルというわけでもない。畏まらず、等身大で食事ができて、でも、料理はきちんと本格派、そんなお店を目指しました。
記念日に行く特別なレストランではなく、先ほどの話と重なりますが、地元に根ざしたお店を作りたいと思ったんです。幾度となく足を運んでもらえるような。値段も出来るだけ抑えました。最近、ちょっと値上げして現在は16,000(税サ込)円ですが、2年前のオープン当初は、14,500円(税サ込)で始めたんです。軽く飲んで2万円でお釣りがくるぐらいの値段設定ならリピートしやすいかな、と思って。また大将には、以前から常々「適正価格でやりなさい」と言われていたので。最近は、和食が高すぎるあまり一部の日本人かインバウンドしか行けなくなり、日本人がきちんとした和食を食べられなくなっていくのでは、と危惧されていましたね。
なので、少しでも和食を身近に感じてもらえれば、との思いもあり、この価格設定で頑張ってます。

目利きで仕入れる旬食材を京懐石に関東のエッセンスを加えた料理へ

―価格を抑えるためにどんな工夫をされていますか?

自分の目で見て納得のいく質のものなら、ブランド食材にこだわらず使うことにしました。それも「菊乃井」で、常に上質の素材を扱わせて頂いたおかげ。素材を見る目が養われました。例えば、今が季節の蟹。うちでは氷見の松葉蟹を使っているのですが、間人や香住といったブランド蟹を使わずとも、充分美味しい。そうこうする中で見つけたのが、小田原早川漁港の鮮魚です。
実はこれ、早川にあるイタリアンレストラン「イルマーレ」の依田隆シェフの口利きなんです。以前、まだ「ヒロマーレ」の名前だったこの店に食べに行った時、魚がとても美味しかったんです。それで依田シェフに、市場の方や漁師さんを紹介して頂きました。捕れたての魚が毎日と言っていいほど届くのですが、とにかく新鮮。それに無い魚は無いといってもいいほど魚類も豊富で、中には、地元の人しか知らないような珍しい魚もあったりして楽しいですね。今は、ほぼ小田原の魚で賄えています。また、松茸などの高級食材も、出来るだけ生産者から直接仕入れるようにして価格を抑えるようにしています。鮮度も良いですしね。今、期待しているのは筍。今までは京都から取り寄せていましたが、静岡に良い筍があると耳にしたので、来春は、畑まで行ってみるつもりです。

―京懐石に関東のエッセンスを入れた料理について、料理を組み立てる際に心がけていることがありましたら、教えてください。また、今後、「八雲うえず」の味をどのように表現していきたいとお考えですか?

確かに関東と関西では味の好みが違って来ますね。味付けもそうですが、ご飯の好みも分かれるところ。関西はちょっと柔らかめが好まれますが、東京の方はちょっと硬め、ほろっと口でほぐれるぐらいの硬さを好まれます。特にお鮨は顕著。「菊乃井」時代から八寸やお土産用の棒寿司を作っていましたが「ご飯が甘い」とか「柔らかい」、「酢が弱くて味がボケてる」等々、「菊乃井」時代には言われなかったクレームがいろいろあって……(苦笑)。
でも、江戸前鮨を食べ慣れている東京の方にしたら、確かにそうだよなぁと思い、最近、鮨飯を少し変えました。バランスを考えつつ、甘さを減らして塩をちょっと多めにした鮨飯で、棒寿司や八寸の寿司を作っています。こうしたお客様の声や反応も、“うえずの味”を形作っていくうえでは必要なのでしょう。

オープンしたばかりの頃は、やはり土台作りが大切なので、それまで学んできた「菊乃井」の味を忠実に継承するところから始めましたが、現在は少しずつ自分のキャラを出していこうと思っています。
実は、昆布を変えました。同じ利尻ですが、以前の香深から船泊に産地を変えたんです。香深も美味しいのですが、少し(出汁が)しっかりしすぎるかなと感じたので、まろやかで上品な出汁が出る船泊にしたんです。また、牛肉の味噌漬けに使う赤味噌も、最近は、八丁味噌の代わりに沖縄宮古島の“宮古味噌”を使っています。天然の蔵付き麹菌で作っている味噌で、深いコクのある味が特徴。この味噌のように、今後は、沖縄の食材をもっと取りいれていきたいですね。京料理と沖縄の食文化の融合させた料理が創れたらいいな、と思っています。

料理の組み立てに関しては、値段設定を抑えている分、品数をそれほど多く出せないので、最初の先付にインパクトのあるものを出し、印象づけるようにしています。そのあと、八寸、お造りとお酒のお供になるような皿を出し、季節感を匂わせたところで、和食のメインとも言えるお椀で、ガツンと季節を味わって頂くーという流れにしています。魚と肉は炭火焼きでシンプルに。最後のご飯もので、また、ちょっと遊び心をくすぐる演出にしています。

時間を気にせず、肩肘張らずに楽しめるお店を目指して

―お店の設え、おもてなしについてこだわりはありますか?

木曽檜のカウンター、これさえちゃんとしていれば、あとは極力シンプルでいいと思ってました。ゴチャゴチャせず、落ち着いて食事ができる空間にしたかったんです。だから、店内のトーンも全体的に無機質な感じで統一しましました。最近は、一斉始まりとか2回転制などお客様がお店の都合に合わせるケースが増えていますが、本来はお客様にお店が寄り添うもの。お好きな時間にいらして、時間を気にせずゆっくり召し上がって頂きたいと思っています。なので、料理もお客様の食べるペースに合わせて出すようにしています。お酒を召し上がる方とそうでない方だと食べる速さは全然違いますから。特別なことはできませんが、それが、僕なりのおもてなしですね。

―今後の展望は?

2年経って、少し落ち着き、店にもちょっと余裕ができたので、食材や料理をも少しグレードアップしたいと思っています。コースが値上がりしても、それだけの満足感は味わってもらいたいので、ついつい食材にかけるコストも高くなっちゃって。もしかしたら、原価率は今の方が高くなっているかもしれません(笑)。
八寸の品数も増やしたいし、もっと手の込んだ料理も作っていきたいですね。

懐石・会席料理

八雲うえず

東急東横線 都立大学駅 徒歩4分

15,000円〜19,999円

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上江洲直樹氏 プロフィール
1980年、沖縄県出身。「赤坂 菊乃井」東京店の立ち上げから16年間師事し、2017年に料理長に就任。「ハルヤマシタ」にて統括料理長を経て、2021年2月都立大学にて「八雲うえず」を開業。

【編集後記】
京料理の名門で料理長まで任されながら、敢えて住宅街という立地を選んだ上江洲直樹さん。そこには“ブランドにこだわらない”という確固たる思いが、食材に対してだけではなく息づいているように感じられました。
「菊乃井」出身というブランドをウリにするのではなく、そこで学んだノウハウを活かしつつ、等身大の店を目指す。上江洲さんのことばの端々からは、お客さまにリラックスして料理を楽しんで貰いたいーとの思いがヒシヒシと伝わってきました。

森脇 慶子

学生時代からの食べ歩きが昂じて食の世界に携わり、早や40年余り。
フードライターという言葉もない頃からこの道一筋。美味しいものへの探求心は、変わりません。
食は歴史、食は人をテーマに続けていければ、というのが目下の願い。「東京最高のレストラン」のメンバーとしても20余年のキャリアです。

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