目黒区八雲、六本木での営業を経て、2020年10月に恵比寿で3度目のオープンを果たした中華料理店「わさ」。移転をする度に進化を続け、1周年を迎えた現在の店舗も、予約が取れない名店の仲間入りを果たしています。
今回は開店前のお忙しい時間をいただき、店主・山下昌孝氏にインタビューをさせていただきました。山下氏の料理人人生に大きな影響を与えた古田等シェフとのエピソードから、名物料理のこだわり、今後の展望など、多岐に渡って語っていただきました。
1. 料理人人生に大きな影響を与えた古田等シェフとの出会い
-まず、料理人を目指されたきっかけについて、お聞かせください。
高校生頃、辻堂にある「頂頂」という中国料理店でアルバイトをしたのが最初のきっかけです。その後、調理師学校に行き、初めて就職をした福島の「福臨門」では人間関係に恵まれ、6年間続けることができました。
でも、心から料理人になりたいと思ったのは、親方である古田等シェフに出会ってからです。
-古田シェフとの出会いのきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
「Epicer」で修業をしていた頃、雑誌で古田シェフが紹介されているのを見て一目惚れをしました。当時から「開化亭」は有名なお店だったので、「この人に会ってみたい」と思ったのが一番です。食事をしに行って、帰るときには「ここで働きたい」と伝えました。
-「開化亭」に修業に入るまでに5年かかったという記事を拝見しましたが。
そう言われますが、「開化亭」を辞める人が5年間いなかったというだけです。でもその5年間は毎月、夜行バスに乗って「開化亭」に通っていました。「ここで働きたい」という想いが強かったのもありますが、古田シェフの料理を、食べれば食べるほど働きたい想いが強くなりました。修業に入れないことを気遣ってくれて、古田シェフの自宅キッチンで手伝いをさせてもらうことも何度かありました。
-「開化亭」では約2年半修業をされたそうですが、古田シェフと実際に仕事をされていかがでしたでしょうか?
憧れていた好きな人と一緒に働くことができたので、修業をさせてもらった2年半は純粋に楽しかったです。古田シェフは、料理は見て覚えろというスタンスの方だったので、味を直接教わることはなかったですが、手間ひまをかけることの大切さを学びました。今の店でも同じように、手間ひまをかけて仕込みを行っています。
生産者さんの元に足を運んで、人の顔を見て食材を買うことの大切さや、仕事を選ばずによく働くことも、古田シェフからよく言われました。
-その後、2009年3月に目黒区八雲にご自身の初めてのお店である「わさ」をオープンされましたが、独立に至るまでにはどのような経緯があったのでしょうか?
24歳で初めて古田シェフに会ったときに「5年後を常に考えろ」と言われ、5年後の29歳には独立しようと意識するようになりました。
「開化亭」での修業時代に古田シェフが海外出張で1か月間店を不在にすることがあり、シェフの代わりをやらせていただきました。朝の仕込みも仕入れも全部自分でやらせていただいて、「僕でもできるんだ」と思うことができたので、そこで初めて「自分で店をやってみたい」というはっきりとした感情が芽生え、実際に29歳で独立をしました。
-古田シェフの言葉で独立を意識されるようになり、実際に独立する前の2年半を古田シェフの元で経験を積まれたということで、良い流れで積み重ねが出来ていたのですね。
そうですね、最初にも言いましたが、古田シェフをはじめ、人には本当に恵まれたお陰です。「開化亭」を辞めて八雲の店を作っているとき、滋賀県にある「日本料理 きた川」の店主の北川さんに出会い、暫くアルバイトをさせていただいていました。北川さんとの出会いも、僕にとってはとても大きいです。「わさ」の料理に使っている「わさラー油」は、元々は北川さんから教わったもので、それを今も大事に作らせてもらっています。
会う人会う人がすごい料理人ばかりで、そういった方と一緒に仕事をさせていただくことで、自分の料理もどんどん良くなっていったと思います。
2.約1年の充電期間を経て、2020年10月に恵比寿にオープンした新生「わさ」
-今回のお店は、厨房を囲むように8つのテーブル席が並ぶレイアウトが斬新ですね。「劇場型モダンチャイニーズ」と言われていますが。
今回の店のオープンには、株式会社ダイニングイノベーションの西山さんの力をお借りしました。お客様を楽しませることを第一に考えられている西山さんのアイディアで、この「劇場型」のスタイルになりました。
以前の僕は、調理のしやすさや効率を重視したいという思いの方が強かったんですが、お客様が飲食店に来る理由は美味しいだけではないということ、お客様を楽しませることを考えながら仕事をすることの大切さを、西山さんから教えていただきました。お陰で今では、お客様をどう楽しませようかを考えながら料理を作っています。
-以前からの名物メニューも引き続きいただけるコース内容になっているのは嬉しいですね。なかでも「搾菜」は、丁寧な仕込みと、それによって生まれる絶妙な味わいを絶賛するクチコミを多く拝見しました。
搾菜は、前日の深夜にキュウリやネギなどの準備をしていますが、僕にしか作れないという自信がある料理です。
お客様からは搾菜や餃子を褒めていただけることが多く有難いですが、褒められれば褒められるだけ悩むこともあります。餃子は丸2日かけて仕込んでいて、どちらの料理も手間と時間は誰よりも費やしていると自負していますが、所詮は「搾菜」と「餃子」。フランス料理のように華やかな料理ではないので、これでいいのかと不安に思うこともあります。もっと経験を積んで50歳くらいになれば、今よりももっと自信を持って「僕の餃子」と言えるようになるかも知れないですね。
-「所詮は」とおっしゃいますが、餃子は具材にもかなりこだわっていらっしゃると拝見しました。
そうですね。餃子は、塩や醤油、ニラ、肉などの素材選びや、材料の配合などをかなり研究して、自信を持って出せるまでに約10年かかりました。最初の店を始めた頃から全国にある有名な豚と鶏を一通り試してきて、ようやく自分に合うものを見付けることができたので、餃子に関しては誰よりも熱意も自信もあります。たまに違うものも使いますが、基本は熊本県坂本牧場の「梅山豚」、茨城県塚原牧場の「梅山豚」、丹波篠山の「高坂鶏」の3種類です。
-そういったこだわりの食材は、どのように見付けられるのでしょうか?
ネットで見付けて自分で生産者さんに会いに行ったり、料理人からの紹介だったり様々ですが、生産者さんからの紹介が多いです。例えば、餃子の具材に使っている茨城県のニラは、「高坂鶏」の生産者である高坂さんに紹介していただきました。いいものを作っている方は、いいものを知っていますからね。
でも、ニラの生産量第1位を調べたら福岡県なんです。だから、紹介していただいた茨城県のニラを採用する前に、まずは福岡県内の生産量第1位から4位までを調べて、試して、食べて、ちゃんと自分たちが美味しいと納得したので選びました。
-食材選びにおいても、仕事の丁寧さが伝わります。全て納得のいくものができるまでの労力は計り知れないかと思いますが、美味しさを追求する山下シェフらしさを感じられますね。
-名物のひとつである「担々麺」に関して、今のお店をオープンされる前の充電期間に、湯河原にある「飯田商店」で修業をされたという情報を拝見したのですが。
たまたまクチコミサイトを見ていたら、僕の担々麺の考え方と、飯田さんの担々麺の考え方が一緒だったんです。そこですぐに「一度お会いしたいです」とメールを送りましたが、既読にならずそれっきりでした。その後約2年経って知り合いの方が繋げてくれて、六本木の店に飯田さんが食べに来てくれました。六本木の店を閉めることが決まっていたので、「研修をさせてほしい」と相談したら快諾してくれて、約2週間働かせてもらいました。
「わさ」でも水にはこだわっていますが、水のことやスープの取り方などを勉強させてもらいました。お陰でスープはだいぶ変わりました。麺は「飯田商店」のものを使わせてもらっていますし、店で使っているラーメンの丼も「飯田商店」からいただいたものです。
何の面識も無い僕を家に泊まらせてくれて、大切なお店で働かせてくれて、今も良くしてくださっているので、本当に有難いですね。ラーメン界の親方のような存在です。
-どのエピソードも、山下シェフの想いと行動力に驚かされます!古田シェフをはじめ周囲の方々の存在があって、今の「わさ」が、「山下シェフ」が在られるのですね。
3.オープン1周年を迎えた「チームわさ」の今後
-お店は間もなくオープン1周年を迎えられますが、今後の目標や、やってみたいことがありましたら教えてください。
僕だけの店ではないので、みんなで考えて、できることから着実にやっていきたいです。昔は自分のことを一番に考えていましたが、西山さんと出会って、まずお客様、次に従業員、最後に自分と、順番がだいぶ変わりました。
朝は早いし夜も遅くて大変ですが、みんなでこの店をやっていることが楽しいですし、幸せだと思っているので、どういう方向性で行くのか、先のことはみんなで決めていきたいと思います。
新しいメニューにも挑戦してみたいですが、今ある仕事の中でももっと丁寧にやらなければいけないことがあるので、まずはそこからです。つい最近は、四川料理の方と関わらせていただく機会ができたので、改めて麻婆豆腐などの四川料理を勉強しています。みんなで四川に行って現地の味を学ぶこともしてみたいです。その中で僕が作れる料理を模索して、「わさ」のエッセンスを加えながら、今あるメニューや新しいメニューに活かせたらいいですね。
でも、餃子も搾菜も古田シェフから教わった料理なので、新しいメニューをやったとしても、大切に作り続けていくと思います。ビーフンや杏仁豆腐も同じです。教わることが当たり前ではないですからね。「シェフから教わった料理」として、これからも大切に作らせてもらうことが大事だと思っていますし、僕のエッセンスが若干入るにしても、シェフが考えた料理なので、どれだけ作っても自分のものになることは無いと思っています。
-このインタビュー中に古田シェフとのエピソードをいろいろ伺いましたが、今のお話は特にシェフへの尊敬と愛情を感じました。
そうですね。あとこれから僕は若い子たちに、古田シェフから教えてもらった料理を伝えていかなければいけないと思っています。僕で古田シェフの料理を途絶えさせてはいけないですし、教えてもらった料理を次の世代に受け継いでいくことで、どんどん良い料理にしていけたらいいですね。
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山下昌孝
数々の中華料理店で研鑽を積み、2009年に東京・八雲に「わさ」を開業。
その後、六本木を経て、2020年10月から恵比寿に新生「わさ」をオープンする。
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▼公式Instagram
https://www.instagram.com/wasa_ebisu
【編集後記】
インタビューを通して感じられたのは、周囲の人への感謝の気持ちを忘れず、謙虚に、丁寧に料理と向き合い、美味しさを追求する姿勢。山下シェフが生み出す料理が、多くの人々に愛される理由はそこにあるのだと感じました。
取材の最後に、お料理を少し試食させていただいたのですが、体験したことのない杏仁豆腐の食感には、目から鱗でした!古田シェフのレシピを元に、水や火加減、砂糖や生クリームなどを山下シェフ流に研究されたそうですが、固まるか固まらないかの絶妙な加減が非常に難しいとのことで、毎日何種類かを作って奥様に試食をしてもらっているそう。美味しさの追求に加えて、奥様への信頼と愛情を感じられるエピソードには、最後の最後に心が和みました。
※こちらの記事は2024年01月25日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。