門前仲町「みかわ是山居」グルメレポ。“天ぷらの神様” による唯一無二の高みまで上り詰めた天ぷらの数々

グルメ界隈では、言わずと知れた食通・マッキー牧元氏。今回訪れたのは“天ぷらの神様”と称される、早乙女哲哉氏による「みかわ是山居」。60年以上揚場に立ち続ける早乙女氏が揚げる天ぷらの数々に、マッキー牧元氏が感じた思いとは。

みかわ是山居の外観

今や世界中に天ぷら屋はある。
しかし「みかわ是山居」の天ぷらをいただくと、こんな天ぷらは世界のどこにもないことに気づく。「みかわ」をはじめとして、日本中の天ぷら屋に出かけたが、その思いは今も変わらない。その魅力は、一言では言い表せない。だが強いて言うとしたら「エレガンス」ではないだろうか。魚介の命を最大限に高めた味には、気品漂う美しさがある。

海老は海老であり、穴子は穴子であり、メゴチはメゴチが持ち得る真性の深みが舌に広がり、鼻に抜け、圧倒する。極限まで高められた滋味が、客の前に置かれる。しなやかさや上品さ、あるいはしたたかさやしぶとさを併せ持った魚の息吹が、口の中で巻き上がる。その強靭さが胡麻油の香ばしさと拮抗し、共鳴しながら唯一無二の高みが生まれ、天ぷらという料理の凄みに圧倒されるのである。

最初に出される海老は、塩もつけずにそのまま食べる。サクサクサク。霜柱を踏むかのような衣が弾け、胡麻油の香りの向こうからエレガントな甘みが現れて、舌を包む。そこにはうっとりと中空を見つめてしまう、甘美がある。そしてカリッと揚げられた海老の殻は、高められた香ばしさが胡麻油の香りと重なり、思わず「うまいっ」と口走ってしまう。

次は、身側だけ粉を叩いて衣を潜らせたキスである。ふわりと膨らんだ身に歯が包まれると、キスの身が花弁のように口の中で舞い、繊細ながらもしたたかな甘みを滴らせる。

スミイカの天ぷらに、少し力を入れて噛む。するとどうだろう。8回噛むあたりから甘みが滲み、その甘みはぐんぐんと膨らんでいくではないか。
ややカリッと揚げられたウニの大葉挟みは、紫蘇の香りからウニの風味が現れ、最後は胡麻油とウニの香りが混じって濃密になる。そして余韻が長い。

トリュフを射込んだ白子は、軽快な衣が破れると、妖艶な甘みがとろりと流れ出し、そこに隠微な香りが寄り添い、合体する。

さらには、胡麻油の香りがより強く感じるメゴチのしたたかさに唸り、穴子というクライマックスを迎える。衣をカリっと揚げた穴子は、褐変した香りの凝縮が鼻腔をひっぱたき、太い甘みが舌をうねらせる。極限まで旨味を引き出した穴子天ぷらの味わいは、他の天ぷら屋の穴子が腑抜けに思えるほどである。どの天ぷらも、わずかな一点の頂上を目指し、極められている。その一点の先は、奈落の底である。料理として成り立たない、奈落の底である。恐れを知りながら動じることなく、繊細に大胆に、一点まで揚げ切る。そうしてこそ魚は、命の輝きを取り戻す。

どの天ぷらも、早乙女さんが現状を厳しく的確に把握しながら、目標を明確に定めて常により良き方法を探ってきた結実である。材料、お客さん、漁師や農家、運搬者、仲買人に対しての想いを、百も二百も重ねてきた「想いの量」が頭抜けているからこそ、世界一なのである。早乙女さんが天ぷらを揚げる流麗な姿が誰よりも色気があるのは、そんな「想いの量」があるからなのかもしれない。「エレガント」の語源はラテン語で「注意深く丁寧に選ぶ」「選択する」という意味だという。確固たる自信と軸の中で、現状に決して満足せずに、常にベストな選択をし続ける。理想を追い続けているからこそ、早乙女さんの天ぷらは、限りなく「エレガンス」なのである。

※こちらの記事は2024年10月21日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

マッキー牧元

「味の手帖」編集顧問。 国内、海外を問わず、年間700食ほど旺盛に食べ歩き、雑誌、テレビ、ラジオなどで妥協なき食情報を発信。近著に「超一流サッポロ一番の作り方」(ぴあ)がある。

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