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名古屋「仏蘭西料理 壺中天」上井克輔氏・河村英幸氏に聞く、世代の異なるシェフが織りなす華やかなフレンチへの想い

名古屋の新栄駅から徒歩約1分の場所にある「仏蘭西料理 壺中天」。伝統的フランス料理を追求しつつ、進化する一皿と選りすぐりのワインで、名古屋の賓客に愛されてきた名店です。今回は、オーナーシェフである上井克輔氏と、シェフの河村英幸氏にインタビュー。お店の誕生と名店ならではの、記憶に残る華やかな料理をどのように作り上げるかについてお伺いしました。

本場・フランスでフランス料理のモードに触れる

―「仏蘭西料理 壺中天」と言えば名古屋を代表するフレンチの名店ですが、上井シェフがフランス料理人を志されたきっかけについてお聞かせください。

(上井克輔氏、以下上井)最初は特にフランス料理のシェフになろうという思いは全くありませんでした。高校時代、母親が働いてたので、僕の家が友達の溜まり場になってたんですよ。お腹が空いたら冷蔵庫の余り物で簡単なものを作ったりするのが始まり。高校3年生の時には、和洋中の料理本6冊ほどのものは大体作れるようになって、友人からは「そんなに料理作れるなら、そっちの世界に行けよ」と言われていました。
ただ料理業界はその頃、3K労働(「きつい」「汚い」「危険」)と言われていました。大学進学をしたかったんですが浪人をして途中で諦めて、20歳の頃に友達と会社をやっていた時期があるんです。当時、名古屋は大型店舗が流行っていて、お店の内装工事みたいなことを頼まれて、結構儲かっていました。だんだん飲食店に興味を持ち始めて、会社を一緒にやっていた友達に「もうそろそろやめて、料理の世界に行きたい」と伝え、料理人として何店舗か働いた後にフランス料理店で働きました。

―岐阜の「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」で働かれるようになりましたが、どのような修業時代を過ごされたのでしょうか?

(上井)山村シェフのことを知ったのは、中央公論社「シェフ・シリーズ 19」料理のムック本のシリーズがきっかけ。岐阜でお店を開いてると知り、食べに行ったら美味しくて。お会計のときには、もうここで働きたい!という気持ちになっていて、お店に入りました。当時22~3歳だったのですが、山村さんは全国的にも厳しいシェフとして有名で、ものすごくしごかれましたね。叱られながらも、楽しく過ごしてはいたんですが、やっぱり厳しいんで皆どんどん辞めていっちゃうんですよ。僕の上に2人いたんですけど、1年後にはいなくなってて、自分がスーシェフになっちゃって。
4年ほど働いている間に、東京のフランス料理店、田代シェフの「ラ・ブランシュ」や川﨑シェフの「アラジン」などでも研修させていただいて“フランスに行きたい”といつの間にかスイッチが入っていきました。

―27歳でヨーロッパに渡られます。イタリアの「レ・カランドレ」、フランスの「シェ・ミッシェル」をご経験されますが、当時はどのような料理にご興味がありましたか。

(上井)フランスに行くのに100万ほど貯めていたんですが、フランスにはつてを辿って手紙を書いたりしても、なかなか良い返事が無くて。イタリアの二つ星のお店なら働けるという話が来て、二つ返事でイタリアに行きました。イタリア語も話せなかったけれど着いたら何とかなるだろうと。
当時、日本はイタリア料理ブームだったので、商売になるかなとか思ったり、ここで鞍替えしようかな、と思ったりしたんです。初めてイタリアにミシュランが入ってきた頃で、色々と連れて行ってもらいましたが、強引にフランス料理を持ってくるような感じで、ぐっと来なくて。たまにパリに行って食べると、やっぱり惹かれるなと。結局イタリアには1年ほどいたんですが、その後フランスに移りました。
当時のフランスはあまり景気が良い状態ではなかったですが、エリック・フレションなどのシェフが始めた“ビストロノミー”、ビストロにちょっと高級のエッセンスを入れたお店の走りの頃でした。プリフィクスでこういう高級な雰囲気を出すという点に惹かれて“日本に帰ったらこんなスタイルをやってみよう”という強い思いがありました。

1999年に帰国して、当時フランス料理のレストランがなかったので、働き口が無く、釣りばかりしてました。ちょうど「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」の山村シェフが洋食店を出す時で「シェフの代わりにレストランをやってくれ」と言われて、1年間働かせていただきました。プリフィックスもやりたかったので試したりしていました。
独立の前に、またフランスに行く選択肢もあったんですが、考え直したのは「御懐石志ら玉」という名古屋の料亭の方との出会い。お客様で来ていてくださっていて、初釜で人手が足りない、ということでお手伝いに行ったんです。茶事を見た時に、日本人は昔からこんなホスピタリティが完成していたのかと感銘を受けました。
ヨーロッパは華やかな雰囲気で、日本人、特に女性はそのキラキラ感が好きですが、一方で戦争の歴史で、色々なものが力づくの面もあり、しっくりこないと思う部分もありました。茶事を見て、日本は昔からもてなしの基礎が出来上がってるのだから、自分はこういうものを実験して、始めてみようと。2001年頃に名古屋ではフランス料理店はなかったし自殺行為に近かったのですが、屋号も「壺中天」という名前にして、和のテイストを取り入れて“何でもやったろう!”と思ったんです。

「仏蘭西料理 壺中天」流の料理とおもてなし

―チャレンジの気持ちで「仏蘭西料理 壺中天」をオープンされたんですね。当時のお店のスタイルについてはどのような形だったのでしょうか。

(上井)最初は色んな料理を出していました。タイカレーなんかも作ってましたし、パスタがありジビエがつるしてあるようなお店でした。
オープンしたての頃は全然お客さんが来なくて。たまにキャリアを聞きつけてグルメなお客さんが来るんですが、500円~1,800円程度のメニューしかなくてなんか違うなとか言いながら帰っちゃうんですよ。
そこでフランス料理に振り切りました。3,800円のプリフィックス。オープンキッチンのフレンチでプリフィクスの隠れ家レストランの走りですね。最初の3年は鳴かず飛ばずでしたが、だんだん流行っていきました。ただ、満席にはなるけど当時原価が50%越えてたんで全然儲かってなかったですね。
少しずつ値上げして5,500円位になった頃に「ヤマザキマザック」の会長さん(当時の社長)がお客様として月に1度程来ていただいていて。現ビルのテナントに声をかけてくださり、バーと一緒に2010年に移転オープンしました。

―人気の一皿であるスペシャリテについてお聞かせください。

「オマール海老と雲丹のコンソメジュレ」

(上井)プリフィクスを始めた頃、前菜12種類、メイン12種類、デザート12種類を作っていたんです。キッチンが2人、ホールは家内1人。最初はソムリエも兼任していたので、美味しさに最短距離のメニューの商品開発をしていました。味がぶれないもので美味しい料理を考える中で、コンソメの味や、硬さを調節することで、均一化できると思い始めました。お出ししたらすごく受けまして。
作っているうちに色々な具材も試したくて、サザエやムール貝とか、だんだん形を変えていったんです。オマールに飽きて別の食材に変えるとお客さんが怒るので、結局元の味が支持されるんですね。

「うずら詰め物のコンフィ」

うずらは、隣にいる河村シェフに引き継いだ料理。コンフィはオンメニューしていなかったですが、常連の人にお出しするようになって始まりました。頻繁にくるお客様に、ちょっとこの料理出しておいて、みたいな。自分以外のスタッフに任しても味がぶれない、なおかつ、お客様が呼べる料理を考えた結果ですね。今でもいくつか残ってて、グルメな人達が絶賛してくれました。

移転してからは本当に忙しくて、この席数だと人数的にさばけなくて、スタッフもすぐ辞めちゃったりするし。ちょうど4年前位に共通の知人がいて河村シェフを紹介してもらったんです。

オーナーシェフ・シェフの2名体制で、今後挑戦してみたいこと

―河村シェフが料理人を志したきっかけは?

(河村英幸氏、以下河村)小さい頃からお菓子が好きで、プリンなど簡単なものを母に作ってもらったのがきっかけです。高校に入学後の進路では、製菓学校に行くか調理師学校に行くかで悩んで、高校時代好きだった人(今の奥様)に「料理できたほうが良いんじゃない」と言われて料理人になりました。
地元の名古屋で探して、たまたま住み込みで名古屋のイタリアンのレストランで働きました。元々フランス料理をやっていたシェフで、当時はフレンチできればイタリアンもできると言われていたんですが、当時自分は全然ダメで本当に叱られていました。実は兄も料理人なのですが、当時兄が働いていたお店の新店に誘っていただき、フランス料理の道に入りました。
そのお店は渡仏経験がある人が多かったんです。フランス料理をやるうえで、フランスの食材にも興味があり、招待していただきました。そこからいくつかのレストランで働いたのちに「MAISON LAMELOISE(メゾン ラムロワーズ)」で働きました。

―河村シェフはフランスの「第6回パテ・クルート世界コンクール」で優勝したご経歴の持ち主ですが、「壺中天」との出会いは?

(河村)実は、本当に3年ぐらい働いたら日本に帰ってこようと思ってたんですけど、いつの間にか12年ほど経っていました。高校時代付き合った彼女と結婚し、子供も生まれて。子供が大きくなってきて、奥さんもちょっとフランスに合わない感じもあり、そろそろ帰国しようかなと思ったとき、共通の知り合いのシェフに上井シェフを紹介していただいたんです。地元に近いお店で働きたいというのと、このお店ならフランスでやってきたことを一番発揮できるような気がしました。

(上井)ちょうど豊田市美術館の「ル・ミュゼ(味遊是)」という店をやらないか、と誘われていた頃だったんですよ。面接はしたんですが、彼から「OK」の返事をもらってなかった。だけど、何となく来てくれるなと思ったんで、見切り発車で豊田市美術館のオファーを承諾しちゃったんです。

―河村氏の印象についてお聞かせください。河村氏が加わったことによりどんなことがアップデートされましたか。

(上井)僕とは性格が全く逆なんですよ。彼は本当に誠実で真面目でコツコツ、僕も真面目なんだけど、真面目の質が違う。料理の開発で例えると、僕がいわゆる土方工事で基礎の部分。河村が、内装やその他の大工仕事。
フランスに行った人は分かると思うけど、フランスで実際にやってた通りに日本ではできないんですよ。素材が違うし、水も違うし、日本の食材で同じことやっても9割近くうまくいかない。未だに悩みながらやっていますが、お客様が喜んでもらうような料理を作りたい。
俺以上、河村以上。2人で、役割分担みたいなことをしながら、何倍以上も試作をしています。

また、世代とかの感性も必要。フランス料理には、時代のモードや感性、世界観が現れる料理です。今年でお店も24年目になりますが、お客様も年齢が上がってくるので、70歳過ぎの人も来る。そういう中で50歳半ばになる僕が、30代~40代のお客様を喜ばせる料理を作れるか、というとちょっと違ってくる。この10年で新しい技術もどんどん入ってきて、模索しながらやっています。

―コースの中での、お2人の役割分担について教えてください。

(河村)料理を作り出すのも、シェフに味見してもらってアドバイスをもらいながら。僕が料理を作ると、結構やりすぎちゃうこともあって。料理人のタイプも違うので、シェフのフィルターを通して、お客様に喜んでもらえるようなメニューを作りたいなと思っています。良いものを使って、より良い状態でお客様に提供していきたいなと思います。

(上井)彼はやっぱりパテ・クルートで優勝するぐらい技術も本当に高いし、一つひとつがすごい精密で繊細。お店やってる友人が食べに来てくれたんだけど「料理の中に繊細な部分と大胆な部分が共存している」と言ってくれて。その振り幅がより伝わればいいなと思っています。僕らは世代が違うし性格も違うから、感じ方も違うので、2人ですり合わせて、良いなと思うものができれば。

―2人体制になったことで、チャレンジしてみたい点を教えてください。

(上井)これからはもっとお店のカラーをもっと出していきたいですね。フランス料理は表現が多彩で、時代を象徴する料理。自由な料理とも言えるけど、未完成な料理でもある。自由なりにぼんやりやっていたら、お店が継続できて流行るわけでもない。だから万人に幅広くするっていうコンセプトは、ちょっと違うのかもしれないです。

今後は安心で安全な食材を選んで、良い料理を作ることも大事。魚も高騰しているし、野菜も昔とは違う。「まず素材を厳選して、それを丁寧に調理しよう」というようなことは、このあいだも話はしてましたけどね。素材に見合った料理を見直して、次の世代に繋げるような土台を作りたいと思っています。

―最後に「仏蘭西料理 壺中天」を愛するお客様や読者にメッセージをいただければと思います。

(上井)彼が来て4年経って、2人が良いと思ったものを出しながらやってるんですけど、今非常にお客様の反応は良いんですよね。少し迷ってるうちはお客様の反応も微妙な人が出たりとかするんですけど、迷いなくやっていると、お客様も「楽しかったです」って言ってくださって。若い30代~40代のお客様もおっしゃってくれたりするので、すごく嬉しいですよね。励みになりますし、これからもいい料理を作っていこうと思います。

(河村)いつもお客様に満足していただけるように、気持ちを込めて作ってます。色々なお言葉をお客様からおっしゃっていただけると嬉しいので、ぜひ今の「仏蘭西料理 壺中天」の味を味わっていただきたいですね。

***

上井克輔(うわいかつすけ)
1969年、愛知県名古屋市生まれ。
岐阜のフランス料理店「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」山村幸比古氏に師事。
27歳(1996)でヨーロッパに渡り、イタリアの「レ・カランドレ」、フランスの「シェ・ミッシェル」などで修業。
帰国後、「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」をはじめ、複数の料理店を経て、
2001年6月、32歳で独立、名古屋市中区新栄に「壺中天」を開店。
2010年4月、名古屋市東区葵マザックアートプラザに移転オープン。
 
河村英幸(かわむらひでゆき)
1981年岐阜県生まれ。
調理師専門学校卒業後名古屋のフランス料理店で勤務後渡仏。
「La Cachette」「La Maison Lameloise」など12年フランス各地での勤務を経て帰国
2019年に壺中天入社。

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フランス料理

フランス料理 壺中天

地下鉄東山線 新栄町駅 徒歩1分 (1番出口直結)

15,000円〜19,999円

【編集後記】

世代の異なるお2人ながら、フランスでの経験を経て、日本でフランス料理を作り上げることへの情熱は同じように熱いと感じました。フランス料理は、時代を映す料理だから、世代とかの感性も重要と語る上井シェフからは、河村シェフへのリスペクトを感じます。アップデートを重ねる「仏蘭西料理 壺中天」で、今の時代を彩る料理を味わってみては。

※こちらの記事は2024年05月11日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Airi Ishikawa

一休のメディア事業部長。日本全国を旅しながら、その道のプロにインタビューや取材をしています。休みには足をのばして国内ワイナリーを巡るのが好き。地産地消や、生産者に近い距離で食材や料理に向き合う「極みのシェフ」がいる店をご紹介します。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:銀座 しのはら / 南青山 まさみつ / サエキ飯店 / コートドール
・好きなお店:鮨 梢 / フランス料理 エステール / コンチェルト / エンボカ 京都
・注目しているお店:SeRieUX / プルサーレ / bistronomie Avin
・得意ジャンル:フレンチ / バー
・好きな食材:山菜 / 鴨

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