インタビュー|

恵比寿「AU GAMIN DE TOKIO」木下威征氏に聞く、沖縄・宮古島でオーベルジュに挑戦する理由とは

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ここ数年、名店のシェフ達が地方にオープンするホテルレストランをプロデュースしたり、自ら地方に出店したりするケースが増えており、美食家達からはもちろん、旅好きからも注目を集めています。シェフにとって、東京ではない場所でレストランをやることの魅力とは一体何なのでしょうか?

今回は、ほんの14年前に、たった5人の小さなビストロからスタートし、現在では恵比寿のフレンチレストラン「AU GAMIN DE TOKIO」をはじめ、都内に5軒の人気店を展開するオーナーシェフ・木下威征氏にインタビュー。メディアなどでも幅広く活躍してきた木下氏は、2020年2月、宮古島に自身初となるレストラン付プライベートヴィラ 「Grand Bleu Gamin(グランブルーギャマン)」をオープンしました。
シェフにとって、宮古島でオーベルジュをやることの意味とは何なのか?実現に向けての原動力は何だったのか?インタビューを通じてたっぷりと語っていただきました。

「叶うまで努力する」ことを10年間続け、宮古島にオーベルジュを開業

-東京でのご経験が長いかと思いますが、宮古島でオーベルジュをやろうと思われたきっかけは何だったのでしょうか?

ゲストシェフとして宮古島に呼ばれたときに「こんな素敵な場所、こんな綺麗な海をスタッフ達に見せてあげたい」と思ったのが一番のきっかけでした。

そもそも、ヨーロッパやアメリカなどと比べて、日本の飲食店はなかなか休みを取れないし、そんなに儲かるビジネスではないことにずっと疑問を感じていました。
それを変えたいと思って、2011年に会社を立ち上げました。組織作りから始め、様々な取り組みをしながら収益を上げていくことで、社員達が毎年昇給したり、週休2日が当たり前に取れるようになったり、と順序を立てて取り組んできました。
そんな中で出てきた次の目標が、社員旅行。それが叶い、宮古島に実際に社員達を連れて行くと、みんな目を輝かせて楽しんでいましたし、あるスタッフは「僕はこうゆうリゾートで働くことが夢だったんです」と言ったんです。
当然、レストランを作るのとホテルを作るのとでは資金が1桁も2桁も違って簡単なことではありません。でも、夢をどう実現すればいいかわからないという子が多い中で、僕はかねがね「努力すれば叶うではなく、叶うまで努力するのが正解だ」と若手の子達に言ってきていたので、僕自身の言葉を立証するためにも「いつか宮古島に店を出そう」ということを次の目標に決めました。

そこから約10年を経て、2020年2月に「Grand Bleu Gamin」をオープンすることができました。
ちなみに「Grand Bleu Gamin」の名前の由来は、約30年前にジャン・レノが主演した「グラン・ブルー」という映画。そのロケ地で僕は働いていて、実際にジャン・レノの賄いを出していたんですが、そのときに「いつか僕が『グラン・ブルー』という映画の名前を付けますよ」と約束したんです。

-なぜ、レストランではなくオーベルジュだったのでしょうか?

旅行先で過ごす空間も楽しみですが、職業柄、食事にも重きを置いていて、いくら宿が素晴らしくても「この料理勿体ないな」ということが結構ありました。衣食住において、やはり食はすごく重要ですし、旅先でも同じだと思っています。
あと、自分がお客様になった立場で見て「最高の贅沢とは何か?」となったときに「非日常」というのがすごく贅沢に感じました。

普段、満員電車で通勤をして頑張って働いて、仕事終わりにお酒や食事を楽しんでも、すぐに現実に取り戻されてしまいます。そうではなく、バカンス気分で3~4日ゆっくりのんびりと、最高のベッドやグッズに囲まれた空間で、目の前にはプールと、30秒も歩けば誰もいないビーチがある環境で、朝昼晩の食事が付いているとなったら「このまま一生ここに居たい」と誰もが思うはずです。それにはやっぱり、宿泊施設も無いと表現できないので、オーベルジュをやろうと考えました。

宮古島でやるからこその想いとこだわりの実現に向けて

-木下シェフにとって、宮古島で料理をすることの意味とは何でしょうか?

東京は何でも揃う場所ですが、地方でしか食べられないものもたくさんあります。7~8年前から、地方再生の仕事を受けるようになり、地元の農家さんと関わる中で「こんな立派な帆立や、こんな立派なイチゴがあるのに、なぜ中央で売らないの?」と聞くと「売り方がわからない」と言われることが多く、勿体ないなと思っていました。

「Grand Bleu Gamin」をオープンしてからも同じように感じたことがあって。ある時、宮古島の中学生達と、料理教室をしながらフルコースを食べるという企画をやりました。そこである生徒から「親父がやっている畜産農家を継ごうと思っているんですけど、いい家に住みたいしベンツにも乗りたいとも思っています。宮古島でもできますか?東京に行かないとダメですか?」と相談されて。
僕は「宮古島だから、できるんだよ」と答えたんですが、農家さんもそうですし、もちろんレストランも同じで「この島だからできる表現」「ここじゃなきゃできないこと」というのが必ずあります。
なので、僕が宮古島で料理をするときには、それを表現することを大事にしています。「Grand Bleu Gamin」を通じて、宮古島にもともと居た人達が「我々の島ってすごくポテンシャル高かったんだ」と自信を持ってもらいたいですね。

-宮古島で料理をする上で、心がけていることはありますでしょうか?

僕が意識しているのは、全てに歴史を考えて構成するということです。宮古島に限らず、歴史とともに食は変化しています。どの料理にも意味が必ずあるので、先ず歴史を調べるところから始めました。
例えば、宮古島本島の宮古そばには醤油が入っていますが、一部の離島では塩味です。お醤油は当時貴重品で、誰もが自由に使えた訳ではなかったので、一部の離島では塩味になったんですね。そば一つ取ってみても味の違いの背景にこのような歴史があります。お客様はそういったことを知りたいはずなので、歴史とセットでメニューを考えること、僕らが語れるように勉強しておくことがすごく大事です。

-沖縄ならではの食材があると同時に、手に入りにくい食材などのご苦労もあるかと思いますが、どのように工夫されているのでしょうか?

宮古島に店を出そうと決めた10年前から、僕は準備のために宮古島を訪れていました。地元の食材を調べたり、地元のレストランを食べ歩いたりする中で受けた最初の印象は、仕入れ所が一緒なのでどの店も同じ食材を使っているし、表現方法も似たり寄ったりで、面白くないということでした。
せっかく宮古島に来たんだからなるべく地元の食材を使ってあげたいけれど、オーベルジュをやる意味としては、自分が美味しいと思ったものを表現すること。納得がいかない食材は使わずに、国内や海外から厳選した食材も取り入れています。

そのためにも先ずはルートの確立がすごく大事でした。僕らが宮古島に行くまでは、発注をかけてから届くまでに中3~4日が当たり前で、魚介類なんて、届いたときには腐っていることもあるような状況でした。この壁を乗り越えるために、航空会社や日本郵政庁にも交渉に行き、今では翌日に届くまでになり、それができるようになったことで全国からの配送が可能になって、食材の鮮度が良くなりました。

同時に、新鮮で美味しい地元の魚介類を仕入れられるように、漁師さん達の元を訪れることもしました。「僕がやり方を教えるから、魚を釣ったらすぐに神経締めにして、クラッシュアイスに入れてほしい」「この魚が獲れたときは必ず買い取るから電話してほしい」など、丁寧にお願いして信頼関係を構築していきました。そうすることで、漁師さん自身も「どうしたら良くなるのか」と考えて質問をしてくれるようになり、今まで使うことができなかった魚が、食べられる魚に変わります。今では「Grand Bleu Gamin」専属で獲ってくれる漁師さんもできました。

-実現に向けて、かなりの年月をかけて準備を重ねてこられたのですね。

そうですね。普通はホテルが完成してからスタッフを呼びますが、うちは、完成する1年前からスタッフ全員を現地に呼びました。開業までの1年間、地元の人達との交流に力を入れ、農家さんや漁師さんには収穫や作業の手伝いをさせてもらいながら、人間関係・信頼関係を築き、スタッフ全員が食材の知識も身に付けてきました。

そんな中で、今まで捨てられていたものを、新しい食材として発見することもできました。
例えば、タマネギの苗の先端にできる蕾のようなものを「ネギ坊主」と言って、これを切り落とすことでタマネギ本体に栄養が行き渡って実が大きくなるので、今までは切って捨てられていました。でもそれを僕らが「どうにか使えるかもしれない」と調理をしてみるとすごく美味しくて、今じゃ市場にネギ坊主が並んでいます。
マンゴーやドラゴンフルーツなども、間引いて捨てていたものを譲ってもらい、コニャックやお酢に漬けて料理に取り入れています。2年前にマンゴーを漬けたお酢は、朝食のエッグベネディクトのオランデーズソースに使っています。お客様に料理を出すときに「2年前に僕らが農家を訪ねて間引いたマンゴーの種があってね」と説明をすると、お客様は「そんな貴重なお酢を使った朝食を食べているんだ!」となりますよね。

「同じメニューを二度と出さない」今ここでしか食べられない料理のこだわり

-「Grand Bleu Gamin」の料理の一番のこだわりを教えてください。

一つは、ディナーのメニューにはシリアルナンバーが振られていて、同じお客様に二度と同じメニューを出さないということ。もう一つは、ストーリー性のあるメニューです。

そのために、月曜日はランチを定休日にして、料理人全員で契約農家さんのところに手伝いに行って、食材の勉強をしています。
市場に並んでいる食材を選ぶのと、現地に行って自分で引っこ抜いてくるのとでは全然イマジネーションが変わりますし、農家さんのご苦労を見たり聞いたりしていると、他では捨ててしまう部分も無駄にはできないと思いますよね。

例えば、自分で抜いた人参に根っこがいっぱい生えていたら、根っこをどうにかできないかと考えて、根っこ付のままでフライにしてみる。その、根っこがカリカリに揚がったフライを、どう提供しようかと考えてみる。鉢を買ってきて、目の前のビーチから取ってきた砂を入れて、お客様が収穫するように食べてもらうのはどうだろうか?という感じで、農家さんとのコミュニケーションや体験をヒントに、色々なアイディアが生まれてきます。
体験を通じて食材の知識を身に付けることで、ストーリー性のあるメニュー作りを意識できるようになり、その料理を通してお客様にストーリーや歴史を伝えることができるんです。

-同じメニューを出さないとなると、新しいメニューを考えるのは大変ではないですか?

これが全然大変じゃないんです。宮古島では毎日のように市場に行くんですが、一通り見て、食材の写真を撮って帰ってきます。それを見直して「そろそろこの野菜が出ているんだな」と考えながら、色々なところから届くFAXやメールを見ていると、フランスからのメールで「もうホワイトアスパラが出始めているんだ」となる。「じゃあ、さっきの野菜とこのアスパラを組み合わせてみよう」という感じです。

「料理は科学だ」というシェフもいらっしゃいますけど、僕はよく、鴨南蛮蕎麦を例に出していて。いつもとは視点を変えて、切る前の蕎麦生地にミンチにした鴨肉を挟んでセルクルで抜けばラビオリのようになります。白ネギの代わりに洋風のポロネギを切って蒸した上にさっきのラビオリを乗せて、コンソメスープを注げば、立派なフレンチになります。
もちろん不味かったら意味が無いですが、美味しかったら「よくそんなことを考えましたね!」となりますよね。いかに普段からいたずら心を持っているか、感動を求めてアンテナを張っているかが大事なんです。分析する力と、原理を知っていれば、頭の中で分解して再構築させることでいくらでも発想が生まれてきます。

開業2周年を迎えた現在の想いと、今後の展望

-2022年2月で開業2周年を迎えられましたが、実際にオープンしてみての手応えはいかがでしょうか?

最近はプロデュースという立場で宮古島に来るシェフも増えていますが、うちの場合はホテルの建築デザインから運営まで全て自分達でやっているので、思い入れが違います。

例えば部屋着は、LAに本社がある「ジェームスパース」というブランドのもの。灰皿は、武蔵野美術大学の卒業生と1年間話し合って作ったものです。アメニティ一つを決めるにも会議を開いていて、その甲斐もあって宿泊したお客様から「これいいですね」と言っていただくことも多いです。コロナ禍で宮古島に観光客が居ない中でも「Grand Bleu Gamin」には常にたくさんのお客様が来てくれて、レストランも満席というのは、そういったこだわりの積み重ねがあったからではないかなと思います。

決して安い値段ではないので、最初は「地元の人達に利用していただけるのだろうか?」と不安もありました。でも、オープンしてすぐコロナ禍になって東京からのお客様がキャンセルになったときも、ロビー中が埋め尽くされるくらいの花が届いて、レストランもずっと満席だったのは、地元の人達のお陰です。
実は最初はランチをやるつもりは無かったんですけど、宮古島の人達にも体験してもらいたいという想いから続けています。宿泊に関しては島民割というのをやっていますし、今では、旅行の方と地元の方の比率が大体半々くらいになりました。

-今後「Grand Bleu Gamin」をどのようにしていきたいですか?

東京から世界を狙うのは当たり前ですが、沖縄の宮古島から世界を狙って、万が一世界が獲れたら「Grand Bleu Gamin」だけでなく宮古島も一躍有名になります。
そのためには、やって満足ではなく、流行らせなければ成功とは言えません。日本列島から見たら日本の最南端の島ですが、アジアから見たら中心地にあるので、アジアの中の「Grand Bleu Gamin」と言われる存在を目指したいです。

あえて、宮古島の一番外れの何もないエリアに作ったのも、何もないところだからこそ、そこが満席になっていたら一番注目されると思ったからです。
もう閉店してしまいましたがスペインの「エル・ブジ」のように、田舎町の辺鄙な場所にあったレストランが、世界一予約が取れないレストランになったのであれば、我々にもできないことはないと思っています。「『Grand Bleu Gamin』に行かないと、宮古に行った意味が無いよ」と言われるように、更に進化を続けていきたいです。

あと、僕はずっと50歳で引退するつもりでやってきていて、今年が50歳なんです。宮古がまだ中途半端なので、5年延長することにしましたが「シェフいないんだったら面白くないな」と言われてしまうようではダメなので、僕の代わりになる子達を育てることが次の目標です。
僕が宮古島に来た一番の理由は、僕が東京に居るとどうしても僕にスポットが集まってしまうから。10年20年と一緒にやってきているメンバーにスポットライトを浴びてほしいし、僕が彼らに教えてきたことを彼らからお客様に伝えて、次の後輩を育ててほしいと思っています。僕が居るうちもそうですし、引退しても、働いている全員が、そこに自分が居ることを誇りに思えるような組織にしたいですね。

-宮古島以外で、レストランやオーベルジュに挑戦してみたい場所はありますか?

僕は海が好きで、海を見ていると元気になるというか、日の出の海も日の沈む海も、どちらを見るのも心が洗われる瞬間です。なので、もし国内でやるとしたらまた海があるところだと思いますが、今回が沖縄本島ではなく宮古島だったので、次は与那国島とか離島シリーズもいいですね。
あと、僕には日本の素晴らしさを世界に伝えていきたいという想いがあって、最後の最後はフランスで1日1組限定のレストランをやろうと思っています。それも、社内で年間MVP賞を決めて、年間MVPを獲った人がフランスで僕と一緒に仕事をする、とかね。

でも「Grand Bleu Gamin」をやって、ホテルレストランは大変だとよく分かりました。365日24時間お客様を見守るというのは、こんな大変なことなんだと実感しました。
宮古島ならではのことも多くて、例えばヤモリ被害や台風です。台風が来てしまうと一週間くらい島全体が停電になってしまいます。でも、僕らは開業前から宮古島に来てそうゆう経験をしていたので「Grand Bleu Gamin」は全室に自家発電を入れていて、島が停電になってもうちだけはエアコンもインターネットも使えます。そういったところも、お客様には「グランブルーで良かった」と思っていただけますが、その準備に時間もお金もかかりましたからね。
なので「次にまたホテルをやりますか?」と聞かれたら「もう次は、ホテルじゃなくてレストランにしておこう」となるかも知れませんね(笑)。

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オーナーシェフ 木下 威征

1972年生まれ 東京出身。
辻調理師専門学校を首席で卒業しフランスで修行。
三つ星レストラン等で研鑽を積み帰国後、人気店の料理長を経て2008年に独立「AU GAMIN DE TOKIO / オー・ギャマン・ド・トキオ」を開店。
現在は都内レストラン4店舗と物販店を経営し、2020年2月には沖縄宮古島に5室限定のプライベートヴィラ「Grand Bleu Gamin / グランブルーギャマン」をオープン。
雑誌掲載やTV等、メディアにも多数出演するほか、レシピ考案やプロデュース、地方支援業務と幅広く活躍中。
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ビストロ

AU GAMIN DE TOKIO

JR在来線 恵比寿駅 スカイウォークより徒歩3分

10,000円〜11,999円

「Grand Bleu Gamin(グランブルーギャマン)」の宿泊予約はこちら
https://www.ikyu.com/00002681/

Mika Tsuboi

一休.comの宿泊営業アシスタントから編集部へ。ワインと一緒に、美味しいものを少しずついただくのが最高の幸せ。こぢんまりとしたフレンチやネオビストロがお気に入り。
最近は日本ワインにも興味を持ち、旅先で出会った好みのワインを自宅で愉しむのが日課。パンやスイーツなどにも目がなく、週末にはカフェやパン屋巡りをし日頃の情報収集も欠かさない。
・最近行ったお店:Restaurant Fermier/六雁/Varmen
・好きなお店:広尾 ぺりかん/RESTAURANT MAMA./LATURE
・得意ジャンル:ビストロ
・好きな食材:ジビエ/蛤/伊勢海老/キノコ

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