武家屋敷や明治の洋館などが立ち並ぶ名古屋の白壁エリア。
そんなレトロな景観に佇む「ラ・グランターブル ドゥ キタムラ」は、今年で開業18年のグランメゾンです。オーナーシェフの北村竜二氏は若くして渡欧し、フランスの名店で修業を積み、スイスの「ジラルテ」ではスーシェフとして活躍された実力者。今回は、北村氏に料理人になられたきっかけから、お料理をされる上で大切にされていらっしゃることなど、多岐に渡ってお話を伺いました。
目 次
早くに料理の世界に入り、海外の名だたるシェフの元で研鑽を積んだ13年間
―料理の道を目指されたきっかけを教えてください。
16歳で料理人になりました。早くに父親を亡くしましたので、若くして働こうと決心していました。当時「天皇の料理番」というテレビ番組がありまして、その主人公である秋山徳蔵さんに憧れて「料理の世界に入りたい、いつかはフランスに行きたい」と思い、料理の世界に入りました。
―早い段階からフランスに行くことを考えられていたんですね。
16歳の時にフランスに旅行へ行き「次にここへ来る時は修業にこよう」と思っていました。その後フランス語などを学び、できる限り準備しておいて、1986年に渡仏しました。
―初めての修業先が三つ星の「シャルル・パリエ」さんだったんですね。
はい、トゥールの「シャルル・パリエ」です。たまたまパリの「ホテル ドゥ クリヨン」のシェフであった「ジャンポール・ボナン」さんに紹介していただき、そちらで1年間お世話になりました。
―「シャルル・パリエ」さんで修業されている時、特に印象的だった出来事などはございますか?
トゥールという町は、地方色が素晴らしくて。食材もロワール川で採れるものや、地元で採れるジビエであったり、ワインももちろんトゥーレーヌ産を使っていたりと、料理が素晴らしかったですね。
―その土地ならではの食材を使ったお料理を学ばれていたのですね。
そうですね。その後は「シャルル・パリエ」さんの紹介でジョエル・ロブションさんの「ジャマン」で1年間お世話になりました。
―HPには、ロブションさんはちょっと機嫌が悪くなるとお皿を割ってしまうなどのエピソードも書かれていましたよね。
はい、いつもピリピリされていて非常に厳しかったですね。朝も8時から夜遅くまで一生懸命仕事をしていました。ただやっぱり、それだけ学ぶことも多かったですね。
―厳しい修業時代を過ごされていたんですね。その後「タイユヴァン」さんに移られたのですね。
はい。「タイユヴァン」では、冬のジビエのソースを勉強したくて、3か月間だけお世話になりました。
―専門性を磨くために短期間いらっしゃったんですね。その後はスイスの「ジラルデ」さんですよね。スーシェフも務めてらっしゃったんですか?
最初の1989年にお世話になった時はジョエル・ロブションさんに紹介していただき、最初の3年間は下処理をするセクションで働いていました。のちに3年間だけですが、スイス・バーゼルの「ストゥッキー」というレストランでお世話になって、再び「ジラルデ」さんに戻って4年間を過ごしました。なので、合計7年間お世話になりましたね。セクション長を経て、スーシェフという機会をいただくことができました。
―日本人でこのような名店でスーシェフを務められるというのは、並大抵のことではないかと思うのですが。
本当にありがたかったですね。最初の下処理をするスタッフの時も学ぶものが多かったですが、立場が上に上がる程、料理を考える立場、管理する立場になり、それも勉強になりましたね。ジラルデさんには1番長くお世話になりましたし、そこで学んだ料理の考え方は、私が今作り上げる料理の基本になっています。
「ミクニナゴヤ」での料理長を経験後、満を持してグランメゾンをオープン
―その後日本に戻られてご自身のお店をオープンされる前は、名古屋にある「ミクニナゴヤ」の料理長を3年間務められていたんですよね。
はい、日本で最も尊敬する三國シェフから「『ミクニナゴヤ』の料理長を受けないか」というお話をいただいて、2000年から3年間だけですが、料理長をやらせていただきました。
―海外でずっと修業されていたと思うのですが、三國さんとは元々どういった繋がりがあったんですか?
三國シェフが「オテル・ドゥ・ミクニ」を立ち上げる前の市ヶ谷にあった「ビストロ・サカナザ」で初めてお会いして、色々とお話をさせていただきました。食事の際に「ムニュ・ドゥ・ムッシュ・ジラルデ」というジラルデさんのエスプリの料理をいただいて、僕もいつか「ジラルデ」さんで働きたいと思うようになりました。
―「フランスに行きたい」という思いは早い時期からあったとのことですが、ご自身のお店を持ちたいと思われたのはいつ頃からでしょうか?
ヨーロッパで修業している間、お世話になったシェフが全てオーナーシェフでしたので、必然的に独立したいなという気持ちになりました。
―名古屋の白壁エリアにお店をオープンされたのは何かご理由があったんですか。
出身は岐阜県なんですけど、地元に帰ってきたいという思いがあり、名古屋を選びました。
この町は由緒あるお屋敷が非常にたくさんありまして。このレストランも、中部電力の初代社長様のお屋敷を改築して作りました。
―その建物を選ばれた理由は何ですか?
目指していたのは一軒家のお店、グランメゾンを作りたかったんですね。
フレンチで料亭さんのようなお店。単に日本家屋ではなく、日本家屋の中でもヨーロッパの文化を取り入れたようなお店がいいなと思い、天井も7メートルありますし、劇場のようなコンセプトでお店を作りました。
―コンセプトである“レストランは劇場”には、どのような思いが込められているのでしょうか?
小さいお店には小さいお店なりの良さがあると思います。ですが、グランメゾンは大きなお店なので、パーティーであったり、結婚式であったり色々なことができると思っています。サービスの方でもお客様の前でお肉を取り分けたり、ワゴンサービスでデザートやチーズを出したりもできますので。そういったヨーロッパでもやっているようなサービスを「キタムラ」でもできたらと思い、やっております。
―色々なものを提供して、お客様に楽しんでもらいたいという気持ちが込められているんですね。
―「同じお客様に、二度同じお料理は出さない」などお客様を感動させることへの熱意を感じたのですが、お料理を作る上で特に大切にされていることはございますか。
食材は限りなく地元のものをお客様に提供したいと思っていますし「同じお客様に、二度同じお料理は出さない」のも全員のお客様に対してできることではないですが、顧客リストというものを大事にしていて、その中から前回と違う料理を出したり、シチュエーションに応じてお祝いの料理を出したりとか、こちらで察しながらお出ししています。
また、野菜が主役になるような料理を作っているので、他のお店より野菜を使う機会は多いんじゃないかなと思っています。僕は料理人として、食材を無駄にしない、食材を使い切ることをモットーにしています。スタッフにも徹底させていますし、やはり農家や漁師の方々から取り寄せさせていただいた食材を無駄にしない、無駄を出さない、それを美味しくお皿に仕上げることが1番大切だと思っています。そしてそれがムッシュ・ジラルデの「キュイジーヌ・スポンタネ(素直な料理)」じゃないかなと思い、日々仕事をしています。
シェフ同士の繋がりによるシナジーで、ここでしかできない体験を
―現在取り組んでいらっしゃること、今までの経験を生かし、今後さらに取り組まれたいことについて教えてください。
今年3月12日に18周年を迎えるのですが、後2年で20周年という区切り、そして私事なのですが、60歳になります。いつも5年ごとの周期で目標を作ってきましたので、この2年間で20周年後、次の5年に向けての目標、夢を作っていきたいなと思っております。
―ちなみにこの5年間はどういったことを目標にされていらっしゃったんですか?
色々な方々とのコラボレーションで、例えばヨーロッパ時代の友人などとコラボレーションすることによって、他では経験できない体験やサービス、料理を提供できればなと思って取り組んでおりました。
―確かに「NARISAWA」の成澤シェフや「パティスリー・サダハル・アオキ・パリ」の青木シェフなどともコラボされてましたよね。
成澤シェフは大親友ですし、青木シェフもうちで出来立てのデザートを提供してくれたり、通常販売されているお菓子を小さくカットして出してくださったり、パリから直送でお客様にプレゼントしてくれたり。本当に素晴らしい会ができましたね。またフレンチだけでなく、日本料理「瓢亭」の高橋さんとのコラボも成功させましたし「一子相伝 なかむら」の中村さんともコラボさせていただきました。色々な方とご一緒させていただきましたね。
―本当に名だたるシェフの方々とご一緒されてらっしゃるんですね。今はコロナ禍でイベントの実施は難しいですかね。
そうですね、今は2年程中止していますが、コロナが落ち着いたらまたコラボを実施できたらと思っております。「エディション・コウジ シモムラ」の下村シェフや、仲の良い友人と一緒にできればと思います。
―お客様も本当に待ち遠しいんじゃないかと思います。
本当にありがたいですね。
―ちなみに、このコロナ禍で皆さんフレキシブルに営業されていらっしゃるかと思うんですが、キタムラさんはどのように営業されていらっしゃるんですか?
通常の業務とは別にテイクアウト、お弁当やオードブルセットなどを販売して、ご自宅へ持って帰って召し上がっていただけるようにしていますね。
―お店で召し上がれる時間なども制限されてしまっていますしね。お店に行きたくても行けないお客様もいらっしゃるでしょうし。
―お店のブログを拝見していて、お客様に対する思いや、シェフ同士や従業員スタッフの方をすごく大事にされている印象を受けました。北村様が料理人として大事にされていることはなんでしょうか?
若いスタッフがたくさんいますし、名古屋や東京でも活躍している「キタムラ」出身のスタッフがたくさんいます。これからもどんどん若いスタッフを育てていきたいですし、陰ながら応援していけたらと思っています。
―最後にお店を訪れるお客様や「KIWAMINO」の読者にメッセージをお願いします。
「キタムラ」では非日常的な空間をお客様に体験していただき、その日の食材を最高の調理方法で提供して参りたいと思っています。ぜひともご来店をお待ちしております。
*********
北村竜二氏 プロフィール
1964年、岐阜県出身。岐阜会館にて料理の世界に入り、23歳で渡仏。フランスでは「シャルル・パリエ」「ジャマン」「タイユヴァン」、スイスでは「ストゥッキー」など名だたるレストランで研鑽を積んだ後「ジラルデ」では、ス―シェフとして活躍される。帰国後は、2000年より名古屋マリオットアソシアホテル内「ミクニナゴヤ」にて料理長を務め、2004年にオーナーシェフとして「ラ・グランターブル ドゥ キタムラ」を開業し、現在に至る。
*********