六本木「Héritage by Kei Kobayashi(エリタージュ バイ ケイ コバヤシ)」村島輝樹氏に聞く、小林圭氏のこだわりを昇華した東京ならではのフランス料理とは

六本木駅直結のラグジュアリーホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」。その45階に「Héritage by Kei Kobayashi(エリタージュ バイ ケイ コバヤシ)」が2024年1月オープンしました。レストラン監修を務めるのは、フランス・パリでアジア人シェフの店として初のミシュラン三つ星を獲得した「Restaurant KEI」のオーナーシェフ、小林圭氏。今回KIWAMINOでは、小林氏とタッグを組み、同店で料理長を務める村島輝樹氏にインタビューを実施。市場に毎朝通うという食材へのこだわりや、開店1年目にしてミシュラン一つ星を獲得した心境、そして今後の挑戦について伺ってきました。

幼少期の経験と偶然が重なり、料理人の道

―まずは、料理人の道を選ばれたきっかけについてお聞かせください。

実は、最初から料理人になりたかったわけではありませんでした。元々は小さい頃から大分に住んでいた祖父母の畑を夏休み中に手伝っていたこともあり、農業に興味があったんです。そのため、高校も大分の農業高校への進学を考えていました。ただ、中学生の時に畑を売ることになってしまい、自分の中で行く理由がなくなってしまったんですね。

調理の専門学校への進学を決めたのも、テレビ番組『料理天国』を見ていて面白いなと思っていたことや、食べるのが好きだったことが理由で、正直料理人になりたいという気持ちはそこまで強くはなかったです。

―調理学校卒業後、フランスへ渡った経緯をお聞かせください。

調理学校の1年目は、トラック運転手のアルバイトをしていて料理は全くしていませんでした。2年目になり、知り合いの紹介で有名なシェフのもとでアルバイトを始めることになったんです。その時にシェフから「ここで1年働くことができたら、好きな店を紹介してあげる」と言われ、1年働き続けてフランスのレストランで働くことになりました。

フランスを選んだのは、「フランス料理を食べたことがなかった」から。もっと自分が知らない料理を食べて、自分の好みを判断してみたいと思ったんです。自分が今できることを追求したい、知らない土地で暮らしてみよう、という気持ちもありましたね。

―その後、数々の名店で研鑽を積まれ、料理長のご経験もある村島シェフ。印象的なエピソードなどがあればお聞かせいただけますか?

全てが印象的でしたね。ただ、いろいろな先輩に恵まれたと思います。フランス時代の先輩とは10歳ほど年齢が離れていたこともあり可愛がってくれることが多く、日本に帰ってきてからも、仕事を紹介していただいたりとつながりがありました。

特に、自分が最初に働いたパリのお店で出会ったパティシエ・成田一世さんとは30年ほどの付き合い。成田さんが自分の仕事の8割を決めたといっても良いくらいです。今の「Héritage by Kei Kobayashi(エリタージュ バイ ケイ コバヤシ)」もそうですが「レストラン モナリザ」や「ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション」「レストラン エスキス」を紹介してくださったのも全部成田さんでした。

―小林圭氏との出会いについてお聞かせください。

初めてお会いしたのは「レストラン エスキス」でしたがKEIさんは覚えていないようでした。その後縁あって今のお店の話をいただいた際に、KEIさんの「フランス料理に恩返しをしたい」という気持ちや、料理を通じて新しい価値を生み出したいという考え方を聞き「自分が昔フランス料理に対して感じていた想いとすごく似ている」と思い、お話をお受けすることにしました。

―小林圭氏の印象はいかがでしたか?

KEIさんは“チームが一番”と考えている方。一人では何もできない部分は、周りに手伝ってもらう必要があると考えていて、スタッフを大事にしている方ですね。その考え方はとても素敵だと思っています。

日本の食材も使った“最高のフランス料理”を提案していきたい

―お店のコンセプトについてお聞かせください。

コンセプトは、オープン当初からすると変化しましたね。最初は“トラディショナルなフレンチ”を軸にしていました。KEIさんが自分を選んだのも「ル・マノワール・ダスティン」や「ジュエル・ロブション」に在籍していたことがあり、トラディショナルかつクラシックな料理を知っているという点や、ミシュランの星を狙ったことがある、という点が大きな理由だったそうです。

ただ、ホテルの中にあるフレンチとなると、そのコンセプトは難しいという話になり「東京から発信する、日本の食材を使った最高のフランス料理」を目指す方向になりました。日本の食材を使うからといって和食になるわけではなく、日本の食材の使い方を提案することをコンセプトにしています。

―料理長である村島シェフ自ら豊洲市場へ通われているとのことですが、仕入れのこだわりについてお聞かせください。

自ら豊洲市場に足を運ぶのは“水族館に行くようなワクワク感”があるのと、モチベーションが上がるからなんですよね。市場に通うことは、全然苦じゃないです。また、自分で実際に魚を見て、話を聞いて選ぶことができるので、大変勉強になります。

良い状態の食材がなければ買わないです。そういう時に買っても仕方ないと思うので、そのまま帰ります。お客様にもご迷惑をおかけしたくないので……。

あとは食材を「二度殺さない」という点は強く意識していますね。やっぱり買った食材をより輝かせて提供したいという気持ちがあります。あと、KEIさんからは「食材に旅をさせないでね」と言われていますね。フランス料理だからといって、無理やりフランスから時間をかけて食材を調達するのではなく、日本の良い食材を使うようにしています。

―お客様に味わって欲しい食体験についてお聞かせください。

料理に正解はないので「こう味わって欲しい」というのは特にないですね。最近ではメディアでも映画「グランメゾン・パリ」が話題になっている中で、少しでも食に興味を持ってくださる方が増えたことは嬉しいです。これまでレストランに来たことがない方が来てくださったり、食文化に興味をもってくださることは素晴らしいことだと思います。

メンバーの個性や特徴を活かしたチームワークで、可能性を広げていきたい

―ミシュラン一つ星獲得の感想と今後の展望についてお聞かせください。

星を獲得できたことは嬉しいです。ただ、KEIさんからスタッフへコメントもあり、星を獲得したことで「ミシュランのレールに乗った」という自覚が生まれました。

それに、星を獲得したことで、これまで以上に厳しい目で見られることになりますし、今後はより高いレベルで仕事をしていく必要があると思っています。自分だけの力では無理ですが、チーム全体がお客様一人一人に対して「最高のレストラン」と思って頂けるように、調理場のメンバーだけではなく、サービスとパティシエのメンバーとも全員がチーム一丸となり、同じ方向を向いて頑張ってまいります。

ただホテルのレストランでは、様々な制約もあり、みんなが持つ個性や特徴を発揮するのが難しい点もあります。お互いにフォローしあうことが大事で、うまく連携していくことで、可能になることはたくさんあると思っていますね。

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村島輝樹氏 プロフィール
1973年生まれ、大阪府出身。
調理の専門学校を卒業後、渡仏し本場フランスで伝統技法の研鑽を積む。
老舗フレンチ店「ル・マノワール・ダスティン」を経て、東京でミシュラン二つ星「エスキス」の料理長を務める。姉妹店「アジル」では料理長として、同店をミシュラン一つ星に導く。2024年には小林圭氏が監修する「Héritage by Kei Kobayashi(エリタージュ バイ ケイ コバヤシ)」の料理長に就任し、開店した年に「ミシュランガイド東京2025」において、ミシュラン一つ星を獲得。合計30年以上のキャリアを持ち、小林氏も全幅の信頼を置く。

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フレンチ

Heritage by Kei Kobayashi(エリタージュ バイ ケイ コバヤシ)/ザ・リッツ・カールトン東京

東京メトロ日比谷線、都営大江戸線 六本木駅 東京メトロ日比谷線:4a出口側から地下通路を経由し、8番出口より地下通路直結  都営大江戸線:8番出口より地下通路直結

20,000円〜29,999円

【編集後記】
フランスでの研鑽を経て、フレンチの名店で料理長を務めてきた村島氏。研修時代に出会った先輩とのエピソードを、時折懐かしみながら語ってくださいました。個人の力ではなくチームを大事にしていきたいという想いや、食材の扱い方へのこだわりは、これまでの経験に基づくとのだとインタビューを通じて感じられました。また、印象的だったのは、小林圭氏と交わす料理に関するやり取りのお話。二人がタッグを組んで作り上げる「日本らしさがあいまった、六感を刺激するフランス料理」をぜひ味わってみてはいかがでしょうか?

※こちらの記事は2025年03月28日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Natsumi.T

メーカーの広報を経て一休コンシェルジュ編集部へ。学生時代にプロダクトデザインを学んでいたことから、インテリアやアートに触れる時間が日常の楽しみのひとつ。 今は趣味の野球観戦が高じて、全国をまわりながらそこで出会う様々なグルメに夢中です。 皆さまが“こころに贅沢な時間”を過ごすきっかけになれるような記事をお届けいたします!

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