2020年8月、大阪・福島で人気を博した「Ristorante Heiju」が「HEIJU+」という名前に一新し、東京・白金で新たにオープンしました。
今回はレストランで働きながらも卸鮮魚店で修業するなど、面白い経歴の持ち主でもあるオーナーシェフ・吉野平十氏にインタビュー。
「HEIJU+」の魅力から今後のチャレンジまで、多岐にわたってお話を伺いました。
※本インタビューは、2021年9月14日に感染症対策の上で行いました。
1.大阪から東京へ、目標に向けた新たなステージ
―料理の道に進まれたきっかけをお聞かせください。
母が家でクッキーをよく焼いてくれていたんですが、小学生の時から一緒に作るようになって、そこから何かを作ることに興味を持つようになりました。
作ったクッキーを学校に持って行き、友達に配ったら「美味しい」と言ってもらえて、それが嬉しかったんですよね。
本屋さんでお菓子の本を買ってケーキを作るようになり、それをまたみんなに食べてもらう中で、のめり込んでいきました。
―パティシエではなく、イタリア料理の道に行かれたのはなぜですか?
高校卒業後に調理師学校に行ったんですが、当初はお菓子を専攻していました。
1年目はフランス料理やイタリア料理、日本料理など全教科を勉強するんです。そして2年目から専攻という形になっていて、第一はお菓子を取りました。もう一つ選べたので、お菓子もある西洋料理をと思って。
先生と色々なお店に食事に行く研修があったのですが、その時イタリア料理店で食べたパスタが美味しくて。そして工程を組み立てていくフランス料理よりも、イタリア料理のシンプルな調理方法の方が自分に合っていると感じ、イタリア料理を選びました。そこから道が変わりましたね。
―調理師学校を卒業後、イタリア料理店やホテルで修業をしながら、中央卸市場の鮮魚店でも働いていたそうですね。なぜ卸しのお店でも働こうと思われたのですか。
きっかけは反骨心ですね。2件目の修業先のシェフは焼肉屋さんでお肉の勉強をされたり、スペインやイタリアの星付きレストランで働いていたりするすごい人だったんです。
そんなシェフと考え方が合わずにお店を辞めたんですね。
当時僕は21歳だったんですが、「あのシェフを越えたい」という闘争心が燃えまして、シェフがお肉の勉強をしていたなら、僕は魚だと。
僕の父は魚を買うなら魚屋さんに行くような、素材にこだわりがある人で、とりあえず父と仲がいい近所の魚屋さんを紹介してもらったんです。
そうしたら「大元に行きなさい」と、卸鮮魚店を紹介してくれました。そのシェフが魚屋さんだったら、僕はたぶん肉屋さんに行っていたでしょうね(笑)。
―2020年8月、大阪・福島から東京・白金にお店をオープンされました。移転を決められた理由をお聞かせください。
大阪でやっていた時に東京のお客様も何人かいらっしゃって、僕の料理を食べて「東京においでよ」と言ってもらえることも結構あったんです。
東京もいいよな、と思いながらも寝かせていたんですが、ある時、占い師のお客様に手相を見てもらって「50歳以降の目標はある?」と聞かれ、改めて50歳以降のことを意識してみたんですね。そしたら「イタリアに行きたいな」と思って。
実は20代前半の頃にイタリアへの修業を真剣に考えていたこともありました。だけどその当時は一旦ストップしたんです。その時の想いがよみがえってきて。
50歳になったらイタリアにお店を構えるのが目標です。そうなると世界で勝負することになるので、まず日本だと一番人が集まるのは東京で、大阪よりも色々な人と出会えて勝負ができると思ったことと、それにあわせて協力してくださる方々の支えもあり、移転することにしました。
白金に決めたのは、空気の流れがいいと感じたからです。
ゆっくりとお食事できるお店にしたくて、デザイナーさんと一緒に一から作り上げていきました。
2.ノンジャンルで素材にフォーカスした「禅イタリアン」
―移転と共に「HEIJU+」と店名を変更されました。お店の名前に込めた想いをお聞かせください。
大阪に「Ristorante Heiju」を開業した当時は、いわゆるトラットリアという形でやらせていただいていたのですが、だんだん今のスタイルになって、ただの「イタリア料理店」じゃなくなってきたんですよね。なので、東京に行く時は名前だけにしようと考えていました。
大阪でご縁があり、仲良くさせて頂いたデザイナーの方にロゴを作ってもらったのですが、「+」を入れましょうという提案をいただいたんです。
+は「これからどんどんアップデートしていく」という意味のプラスと、平十の
十を掛けたそうで、すごくいいなと思ってこの店名とロゴになりました。
―店内もとても落ち着く空間ですごく素敵です。小物やアイテムなどにこだわりはありますか?
大阪時代のお客様との繋がりのものしかなくて、集大成が「HEIJU+」です。
例えば、ワインクーラーは大阪の時のお客様の息子さんが滋賀にある「中川木工芸」さんという桶のメーカーさんで修業されていたので、東京に出てくる際にお願いしました。ドン・ペリニヨン公認のもので水滴も落ちないし、機能性も抜群です。
―落ち着いた内装ともぴったりです。そんな空間でいただく料理に関して、“最小限であり、最大限である”をコンセプトに、素材の最大限の持ち味を活かすことを心掛けているそうですね。
素材はとても重要ですね。仕入れは今も信頼する大阪時代の業者さんにほとんど任せています。魚も働いていた鮮魚店から仕入れているので、豊洲にも行ったことがないです。
その鮮魚店の大将の息子さんでもある若社長とは、当時一緒に働いていたのですが、言葉にできないくらいの信頼関係ができているので、彼が良いというのであればそれでOK。
多分、洋食であればうちが一番いいものを仕入れていると自負しています。
他の業者さんも同じで、注文していない食材が入ってくることもありますが、信用しているのでそれをどう調理するのかを考えますね。もちろん僕自身が生産地に赴くこともあります。
この前は日本酒の酒蔵の方が食事に来られて、おいでと言ってくださったので伺いました。その酒蔵の日本酒は、うちに置かせていただいています。
―日本酒まで取り揃えてらっしゃるのですね。
うちは和食寄りのイタリア料理なので、日本酒に合う料理もたくさんあります。
ソムリエールも日本酒の勉強中ですし、もう一人のスタッフは日本酒の資格を持っていたりします。うちは本当にノンジャンルなんです。
「割烹イタリアン」でもなければ「イノベーティブ」や「フュージョン」でもない。かと言って「イタリア料理」でも「和食」でもない。
今僕の中で一番しっくりきているのは、「禅イタリアン」という言葉です。禅の精神でもある“余計なものを付けない”“ミニマリスト”みたいな感じが、僕の料理に合っていると思っていて。
―「禅イタリアン」の考え方は、コンセプトとも近いものを感じますね。吉野さんのシンプルな調理法にも通じるものがあるかと思うのですが、素材の良さを引き出すために心掛けていることはありますか?
「何からできたんだ?」という料理は作らない、ということですね。
最近は液体窒素を使ったり、食材に手を加えたりする方法もありますが、僕は素材人間なので、あまり手を加えずに提供するというスタイルです。
普段お客様が食べている食材を「なんでこんなに美味しいの?」と言われたら、「ただ食材が美味しいんですよ」と返せるようにしたいですね。
―素材を活かすために意識されていることはありますか。
一番大切にしているのは食感ですね。ただお客様の好みもあるので、柔らかいものがいいと言われたら臨機応変に対応しますが、食感を残した料理が基本的に多いです。
食感が残っていると、よく噛むことになります。口を動かした後にお肉など脂身があるものを食べても、脂肪やカロリーが付きづらいというのは化学的にも証明されています。
それに沿って料理を提供しているので、コースでは2、3品目に必ず野菜をお出ししています。
―お野菜をふんだんに使ったプレートも出されていると拝見しました。その他にもスペシャリテはありますか?
最近できたものですが「ミルフィーユ」です。ミルフィーユって、クリームとパイ生地、苺というイメージがあって、うちでもフルーツを乗せたりしていたんですけど、たまたまフルーツを切らしてしまった日があって。
どうしようと考えていたところ、目の前にあったパルミジャーノチーズを乗せて食べてみたんです。そしたら、これはいいとなって。
パルミジャーノチーズは塩気があるので甘しょっぱい味になるんですが、甘いのが苦手な方にも甘さ控えめで、お酒にも合うしデザートとしても成立する。
食べづらいので正方形の形のパイ生地を倒して横に並べてみたんです。そうしたらバラバラにならなくて食べやすい。これはずっと出し続けられるなと思って、スペシャリテに認定しました。
3.50歳の目標に向けて東京で取り組むべきこと
―その他にもお持ち帰りのクッキー缶も人気だそうですね。どんなきっかけで誕生したのですか。
大阪時代にも最後のお茶菓子としてクッキーやマカロンを出していたんですけど、仲のいいお客様から「売ってないの?」と聞かれることが多かったんです。じゃあやってみようと、最初は既製の缶に詰めて作っていたんですね。
だんだん同様の声をいただくことが増えてきたので、東京に行く時にはちゃんと商品化しようと缶や袋を専用で作ってもらって、中に入れるしおりもしっかり作ってもらいました。
甘さをギリギリのところで作っているんですが、味覚ってちょうどいいところだと、甘さが苦手な方も食べられるし、甘いのが好きな方でもあっさりしているね、と食べられるんです。お酒にも合いますし、おやつでも食べられてお子様からおじいちゃんおばあちゃんでも食べられる。
あとはデザインもシンプルにしているので、プレゼントや贈り物としても使えます。
量産ができないので大々的に販売はできないんですが、食事に来てくださった方や連絡をくださる方からの注文を受けて販売しています。
―お洒落なクッキー缶、とっても気になります。最後に50歳でイタリアに行かれるのが目標とのことですが、それまでに成し遂げたい目標をお聞かせください。
今僕は36歳なので、50歳まではあと14年あります。
50歳までは5年刻みで目標を考えていて、まず35歳から40歳までは仲間を作ること、そしてもう一店舗を運営したいです。
そうするには誰かを育てるか、シェフクラスの方に来ていただくという形をとって2店舗を構える。それが40歳までの展望です。
そして40歳から45歳までに1回海外に店舗を出したいと思っています。
僕は将来フィレンツェにお店を出したいのですがそれ以外の所、例えばシンガポールであったりとか、ニューヨークであったりとか。
もし実現したら日本のどちらかの店舗は閉めるか、他の方に譲るかになると思います。
最後の45歳から50歳はイタリアに行く準備ですね。
なので、まずは「仲間を作る」というのが今の目標です。今までずっと一匹狼でやってきたので、人と一緒に仕事をするということができれば多店舗展開もできるのかな、と考えています。
―イタリアの中でもフィレンツェなんですね。
「冷静と情熱のあいだ」という映画に、料理の世界にも入っていなかった18歳の時に感激して、その後旅行で行ったんです。雰囲気も好きだしここだな、と思って。
フィレンツェの一角って丘になっているんですが、将来はあの一体のどこかでオーベルジュをやりたいですね。
カーテンを開けたらあの街並みが見える生活をする……それが50歳の目標です。
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吉野平十 プロフィール
幼少期の頃からお菓子作りを始め、高校卒業後に通った調理師学校でイタリアンの道へ進む。イタリア料理店やホテルなどで調理に従事しながら、大阪中央卸売場にある鮮魚店でも修業を積む。
2014年、大阪・福島に「Ristorante Heiju」をオーナーシェフ・ソムリエとして開業。2020年8月、東京・白金に「HEIJU+」として移転オープンを果たす。
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※取材後記※
時に笑いを交えながらお話をしてくださった吉野シェフ。50歳で実現したい目標をしっかりと捉え、今何をすべきかを着実に行動に移していく意思の強さと大阪時代の繋がりを大切にされる心意気が、誠実な一皿に表れているのだと感じました。
目を輝かせながら語ってくださった吉野シェフが見据える未来が、私もとっても楽しみです。
※こちらの記事は2021年10月13日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。