静岡「なかむら」中村友紀氏に聞く、名店「成生」で磨いた技と「サスエ前田魚店」厳選の素材が生み出す独自の天ぷらとは

静岡・焼津駅から歩いて5分ほどの場所に店を構える「なかむら」。店主・中村友紀氏は、同じく静岡にある天ぷらの名店「成生」で長きにわたり研鑽を積んだ、腕利きの料理人です。地元でも有名な老舗魚店「サスエ前田魚店」の店主・前田尚毅氏とは「成生」に入る前から面識があったのだそう。今回はフードコラムニストの門上武司氏を迎え、独立した今もなお深い関係にある前田氏とのお話や「なかむら」ならではの天ぷらに込める思いまで、広くお話を伺いました。

親方と進化を体感して

―中村さんは「成生」の志村剛生さんに師事する前、居酒屋で修業しているころから「サスエ前田魚店」の前田尚毅さんとは面識があったそうですね。

当時からいまと変わらず、前田さんの目利きは圧倒的でした。僕の働いていた居酒屋とも取り引きがあって、地元で獲れた鮮度のいい魚を卸してくれていたのですが、それがやはり他のものとは違うんです。「この魚はこんなふうに使ってみたら」って教えられることも多くありました。同じ焼津の街で仕事をしているので、評判になる店と前田さんとの関係がよくわかります。僕も「成生」へ行って、革新的と注目される天ぷらを実際に食べて衝撃を受けた一人なので、修業させてもらえないかと前田さんに相談してみたんです。そのころは「お前のキャリアではとても無理だ」と言われていました。

―でも結局その後、親方の志村さんについて一番弟子にまでなりましたが、店に入れたきっかけみたいなことは何かあったんですか。

まずは、自分がしっかりした料理人にならなければいけないと決意して、前田さんのところで勉強させてもらうことにしたんです。通ったのは1年ほどでしたが、魚のことをしっかり学ぼうと必死でした。その一方で、ゆくゆくは親方の隣に立って魚をおろしたり、サポートをするのだと勝手にイメージしていました。その考えは安易だったかもしれませんが、待っていたらちょうど親方も若い人を探し始めまして。本当にタイミングがよかったんですよね。

―僕も「成生」には何度か伺っていて、中村さんのことは店に入られたときから知っていました。初めのころは後ろに控えて、志村さんと言葉を交わすでもなく、魚をはじめネタに触らせてもらっているわけでもない感じでした。

親方の調理の仕方というか天ぷらに向かう姿勢は、それまで自分が身につけてきたこととはまったく違ったので、これはマズいと思っていました。サポートをする前に、親方の考えを理解できていなかったので何をすればいいかさえわからない状態です。そうなると、こちらから聞くしかないわけですから、機会があれば親方に話しかけていました。仕事中よりも、店を閉めた後に色々話せるようになって、そうして教えられたことがいまの自分につながっているんです。

―まともに会話ができるようになったのは、志村さんが中村さんを信頼していたからでしょう。仕事をする姿を横で見ていた中村さんが、能動的になったと伝わったのではないですか。

魚のことは前田さんのところで一応学んでいましたから、前田さんが持ち込んだ魚を前に、親方と前田さんがどのように調理しようかと話している内容もわかりましたし、余計なことまで質問せずに済みました。

―もちろん、時間の経過とともに店の立ち位置や環境、お二人の関係も変化したでしょう。前田さんが持ち込む魚や志村さんの天ぷら料理、お客さんの反応も変わっていったはずです。中村さんは志村さんのそばで、激動する歴史に身を置いていたんですね。そういう意味では「成生」が成長し、進化していくことを体感できていたんだと思います。

「なかむら」の天ぷらへ

―以前「成生」に伺ったとき「本日はこんな活きのいい魚が届きました」と見せられて、さてどんな天ぷらになるのかと待っていたところ、出てこなかったことがありました。志村さんは何を感じたのか、天ぷらにはできなかったのかなと思ってみたりしたのですが、ああいうことはよくあったのですか。

そのネタを料理に使うかどうか、最終的な判断は自分でしなさいと教えられました。親方も前田さんも、この考えは同じだったようです。前田さんの目利きは素晴らしいものですが、それに頼りきりになるのではなく、自分でもネタをしっかり見極めなさいと。最後は料理人の責任として返ってくるわけですから。さらに、お客さんの表情は常に注意して見ていなさいということも教えられました。食べたときの表情とか、食べてどんな言葉を発するかとか、そうしたことからも提供した料理への判断ができると。

―それは素晴らしい。中村さんは、志村さんならではの仕事振りを色々と目の当たりにしてきたのですね。

親方はそうしたスタイルなので、全国から色々な方が来られても一発勝負で満足させられるものを提供できていたんです。その一貫した姿勢は、カウンターで見ていても本当にかっこいいなと思っていました。親方は自分で納得できないときは揚げないというか、僕が横で見ていて、それ出さないんですかと思うこともよくありましたから。

―出すか出さないか、境界線みたいなものがあるんですか。志村さんにあるのなら中村さんにも当然あるわけですよね。それも、前田さんの魚だけでなく、野菜もそうでしょうし食材選びにも関係してきそうですね。

あるにはあるのですが、とにかく前田さんの進化は凄すぎて、鮮度や保水に対する考え方、技術を向上させることなんて追いかけてゆくのが精一杯ですよ。それらに比べれば、僕の場合はまだチャレンジしながらという感じです。とりあえず自分の店で提供するのは、前田さんとしっかり試食したうえで、これだったら出していいんじゃないかって確認できたものにしています。お客さんが食べたことがないような魚も天ぷらにしてみたり、そういう段階ですね。もう少し色々な情報がほしいし経験も積んでいきたいので、揚げられるものは可能な限り揚げてみています。

―独立されて1年強が経過しましたが「成生」の天ぷらから「なかむら」の天ぷらへと、中村さんなりの世界観みたいなものが現れていますよね。例えば、スペシャリテになりそうな天ぷらってありますか。

いま推しているのは、前田さんが入れてくれる金目鯛の天ぷらですかね。初めはうろこを取って揚げていましたが、最近はうろこ付きにしてみたり少しずつ進化させています。「成生」にはないはずですから「なかむら」独自の天ぷらとして早く確立させたいですね。今のコースは全体的に油少なめ、打ち粉も衣もなくすのではなくちゃんと付けて、天ぷららしい天ぷらでありながらも少し軽めなところを狙っています。

―中村さんはいまや志村さんと比較される立場になっているわけですから、志村さんに教わったこととはまた違うことにトライしていかねばならないでしょうし。それってある意味ハードルがかなり高いと思われますが、遣り甲斐もあるはずですよね。

色々試しに揚げていると、親方に教わったときのことを思い出すんです。こういう状態ならこうしなさいとか、一つひとつそうだったなって。そのときは一つの点なんですが、その点が繋がる瞬間があるんですね。あれとあれが繋がって、こういうことだったんだと気付かされ、あらためて意味がわかったりするんです。天ぷらという所作のなかで、この材料がなぜこういう状態になるのか、自分で揚げてみて初めてわかることもありました。

―そうした中村さんなりの手応えをつかめたのは、オープンしてどれくらい経ったころでしょうか。また、現在の仕入れに関してはどうですか。

半年くらい経ってからですね。自分の店を構えた年の暮れになって、何とかわかってきたかもしれないというか。魚の仕入れは前田さんに頼っていますが、野菜とかその他の食材はまず地元のものでと思い、いまも探しています。うまくいかないことも多いですが、それもいい経験です。やはり近道するよりも、遠回りしながら色々な経験を積んでいくほうがいいのかなと思っています。

これから先を見据える

―中村さんはこれから先にこういうことをしてみたいとか、目標のようなものはありますか。

僕は最初、親方のもとで3年働いたら独立しようと考えていたんです。その間は何でもしますから全部教えてほしい、いけないことをしたらすぐ直しますので指摘してくださいとお願いしました。ところが、3年では独立して勝負できるような力量がつかなかったんですね。それで、結局8年お世話になりました。

「なかむら」は独立させてもらうかたちで始めた店なので、まず3年は頑張ってみようと思っていまして、将来の目標を立てているわけではありません。ただ、いま思っているのは、自分の店に若い子がもっと入ってくれて、天ぷらという料理に興味を持ってくれたらいいなと。それこそ地方でも天ぷらの店を増やして、天ぷら業界が盛り上がるようにしたいですね。

―それは大事なことだと思います。関西にしても天ぷら専門の店が多いわけではないし、静岡から全国、そして世界へと天ぷらの新しい美味なる魅力が拡散してゆくことに繋がればうれしいじゃないですか。

「成生」で親方が自分を鍛え育ててくれたように、今度は僕が次の世代を担う若い子たちを育てるということを、真剣に考えていきたいです。店がもう少し落ち着いてきたら、若い子を入れるのもいいかなと思っています。

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中村友紀氏 プロフィール
1985年生まれ、静岡県出身。飲食店で働きはじめたことをきっかけに料理の道へ。同時期、「成生」店主・志村剛生氏が揚げた天ぷらに魅了される。その後「サスエ前田魚店」店主・前田尚毅氏に師事し、魚の扱いを学んだのち念願叶って「成生」に弟子入り。志村氏の一番弟子として8年間修業後、2023年5月に「なかむら」をオープン。
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公式Instagram:https://www.instagram.com/naka_mura.yaizu/

【編集後記】
「なかむら」の中村友紀さんの天ぷらは素直である。それは本人の性格がストレートに現れていると言っても過言ではない。まさに“食は人なり”という言葉がピタリと当てはまる料理人。天ぷらの概念を変えた名店「成生」での8年間の修業を基に「サスエ前田魚店」の前田尚毅さんの協力を得て、日々進化する姿が美しい。毎朝、前田さんの店に行き、前田さんの仕事を見て、仕入れた魚と熱中するぐらいの真剣勝負が続く。それを味わうことができる喜びを、噛み締めて欲しい。

※こちらの記事は2025年02月19日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

門上 武司

1952年10月3日大阪生まれ。フードコラムニスト。
株式会社ジオード代表取締役。
関西の食雑誌『あまから手帖』の編集顧問を務めるかたわら、食関係の執筆、編集業務を中心に、プロデューサーとして活動。「関西の食ならこの男に聞け」と評判高く、テレビ、雑誌、新聞等のメディアにて発言も多い。一般社団法人 全日本・食学会 副理事長。2002 年日本ソムリエ協会より名誉ソムリエの称号を授与。
著書に、『門上武司の僕を呼ぶ料理店』(クリエテ関西)のほか、『スローフードな宿』『スローフードな宿2』(木楽舎)、『京料理、おあがりやす』(廣済堂出版)等。2023年11月29日発売の「あまから手帖別冊 食べる仕事 門上武司」(クリエテ関西)はこれまでの門上武司の食の歴史と、これからの「食」を考える刺激的な一冊。

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