大阪・北新地駅から歩くこと約5分。人気店が軒を連ねるエリアに佇む「焼鳥 とり泉」は、希少な「松風地どり」を扱う焼鳥店。「松風地どり」を丸ごと一羽使う“一羽完結”のコースを提供していることも大きな特徴です。今回は、社長兼大大将・大上真仁氏と大将・尾鼻恭兵氏にインタビューを実施。「松風地どり」の特徴やこだわりをはじめ、鶏の「命」を繋ぐ料理への思いについて伺いました。
目 次
希少な「松風地どり」に込める思いとは
-焼鳥店のメインとも言える鶏肉。愛媛の本店を含め、こちらのお店ではとても貴重な「松風地どり」扱っていると伺いました。まずは「松風地どり」について、詳しくお聞かせいただけますでしょうか。
(大上氏:以下大上)「松風地どり」のお話をする前に、鶏の歴史から入ったほうが種の希少さが伝わりやすいと思います。まず大昔の電灯もない時代、闇深い夜から朝が来たことを鳴き声で告げてくれる鶏は、縁起が良い生き物とされ神事でも扱われてきました。神の使いとも言える鶏ですから、食べることなどできません。
産んでくれた卵は豊かさの象徴ですからありがたくいただきますが、卵を産まなくなった鶏を食べることはあっても、そうでない鶏を食べることはありませんでした。現在、世間一般で認識されているのはスーパーで売っている鳥肉がほとんどだと思いますが、私たちは今でも鶏を「神聖なもの」としてとらえています。
大上:鶏の中でも、現在いる日本鶏(日本固有の品種)は32種類。これは世界的に見ても数が多いと言えますが、そのうち31種類は種の保存のため天然記念物となっています。
一方で、32種類のうち1種類のみ天然記念物になっていない鶏がいまして、それが学術名称で言う「名古屋」。これだけは食べることができます。昔の尾張地方の品種で、それがやがて「名古屋コーチン」と呼ばれるようになりました。皆さんも聞き馴染みのある名前かと思いますが「純系名古屋コーチン」は商標登録された名称であり、学術名称は「名古屋」です。
大上:この「名古屋」がやがて大阪に入ってきて、人気が出始めると「黄鶏(かしわ)」と呼ばれるようになっていきます。この「名古屋」を兵庫県で育てたものが今店で扱っている「松風地どり」です。ですから「名古屋」を愛知流に言うと商標登録の「純系名古屋コーチン」、兵庫流に言うと「松風地どり」というわけです。
牛肉も「松阪牛」「神戸牛」「近江牛」などはすべて黒毛和種ですが、それが各地域によって名前が変わっていますよね。それと同じです。ただし、血統は同じであっても、育て方によって全く異なる品質になっていきます。
大上:よく「三大地鶏」という呼び方をしますが、それはやはり血統が優秀だからこそそう呼ばれるわけです。日本に地鶏ブームがやってきた頃、各県は自分たちの地域のブランド鶏を作りたいと、様々な種類の鶏を掛け合わせた結果、後発的に地鶏の種類が増えていきました。それでも歴史的な経緯から見ると、やはり血統100%の「名古屋」です。鶏に関して一番重要なのは血統で、美味しさの70%は血統で決まると言われています。あとの25%は育てる人や飼料、育つ環境。鶏の美味しさのほとんどは、血統や飼育環境にかかっているので、我々の仕事は最後の5%くらいと考えます。
-非常に希少な「松風地どり」。他のお店ではなかなかお目にかかれないのは、何か理由があるのでしょうか。
大上:少し昔の話をすると、昭和の頃はタレ焼きの店が多くありました。なぜかと言うと、品質を甘さでごまかしていたわけですね。その後、一般のブロイラーも改良が進み、少しずつ味が良くなってきたところで、やっと塩焼きが広まりました。すると今度は収益をあげるべく、あらゆる人たちが鶏肉に価値を付け始め、地鶏ブームが到来。ただ、当時は地鶏の定義があいまいだったため、今では地鶏と呼べないようなものもそう呼ばれ始めます。後にJAS法が制定されるまで、むちゃくちゃな時期もありました。
大上:とはいえ、現実問題でやはり地鶏は高すぎるため、使い続けるのは難しいことです。地鶏一羽の単価は、一般的なブロイラーと比べて約8倍の値段からスタート、松風地どりの場合は約23倍です。かなりの違いがありますが、だからと言って串の値段まで23倍にしてしまったら、売れ行きはかなり悪くなってしまう。作るからには売れなければなりませんが、売りやすさを基準にしてしまうと、味を良くしていくことは難しいと言えます。
利益を考えると様々な事情がありますが、ではどうして今の「松風地どり」を仕入れているかと言えば、歴史的背景も含め、この血統が最も優秀であると考えているからです。優れた日本の鶏を扱って守っていく、そういった使命感がなければやっていけません。
大上:また、鶏の世界はとても厳しいものです。「生産」と「品質」のピラミッドがある。ただ、生産者の目線で見ると1,000羽いたらそのすべてを無駄なく出荷したいわけです。つまり、ピラミッドがあると都合が悪いので、争わない世界を作ってあげれば全て均一に出荷できる。でも、そうやって成長した鶏の血統が持つ個性が、頂点に達するかは別の話です。綺麗な言い方をすれば「切磋琢磨」、厳しい言い方をすれば「淘汰」があってこそ、鶏も進化していくのだと考えています。生産者と共に磨き上げた鶏を味わっていただきたいと思っております。
信頼と覚悟、年月を経てたどり着いた生産者との絆
-並々ならぬこだわりがある中で、仕入れ業者の方とはどのようにやり取りをされていらっしゃるのでしょうか。
大上:先ほどお話ししたように、鶏肉の美味しさの25%は育てる人やエサなどの飼育環境が関係してきますから、生産者側の意識も非常に重要です。実際に生産者の方と会ってお話をすれば、どこまでの鶏を育てられる方かがよくわかります。だから、まずは会うことが大事。今関係がある生産者の方とは、先代の社長からのお付き合いです。信頼あってこその今ということですね。
そして、生産している鶏のうち、どのくらいをうちで仕入れるかも重要です。週に数羽しか仕入れない状態で色々と意見を言っても、なかなか聞き入れてはもらえないでしょう。
ある程度の量を仕入れて、生産者を守らなければならないのです。
大上:鶏の歴史からお話ししてきましたが、量産が広まったのはごく最近の話。ここまでの内容を一般の方が知る機会は、なかなかないと思います。だからこそ我々は、日本の「松風地どり」を知ってもらいたいのです。
量産自体は悪いことではないですし、むしろ必要なことだと思っていますが、私が危惧しているのは量産したものが庶民の味になっている、ということです。経済面の事情から、量産が本流になっている。これが近い将来さらにコストを落とそうとなれば、培養肉のようなものに取って変わられるでしょうし、今度はそれが庶民の味になっていくはずです。だからこそ我々の世界は、今よりももっと尖っていかなければならない。その先端に踏み出すための準備をし続け、今に至ります。
扱うのは「命」、鶏の魅力を余すことなく味わえる“一羽完結”のコース
-希少な鶏を扱っていることはもちろんですが、その鶏を“一羽完結”というスタイルで提供していることも大きな特徴かと思います。
大上:おおよそ2名様あたり一羽の鶏を使っていて、心臓やレバーなども一羽を2つに分けて提供しています。肉を取ったらあとはスープに回したり、他の店だったらつくねにするところを、うちでは餃子にしています。餃子は店外販売もできますので、鶏を丸ごと使い切ってあげられるようにしているわけです。内臓も含め100%「松風地どり」しか使いませんし、それを余すことなく料理するのが役目だと考えます。
(尾鼻氏:以下尾鼻)お客様には、当日食べていただく鶏のデータをまず見てもらい、命があったものだということをわかっていただきたいのです。我々の身体は食べたもの、つまりいただいた命で作られていると言えます。食べた鶏をものとして認識するか、命として認識するか。「あぁ、命をいただいているのだな」と思うと、感謝の心が生まれてくるはずです。厚かましいことを言うつもりはありませんが、食べながら命を感じてもらえたらと思っています。
大上:日本には「いただきます」「ごちそうさま」という言葉がありますが、私はこれをただの挨拶だとは考えていません。命が巡っているこの世界、そこに携わってくれたすべての人に対しての思いが「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉に込められていると感じています。
愛媛を経て大阪へ、思いを次世代へ繋ぐお二人の姿勢と未来への展望
-愛媛のお店も評判ですが、どのようなきっかけから大阪での出店に至ったのでしょうか。
大上:うちの店は、もともと愛媛の道後に本店を開業しましたが、そこは21席しかありませんでした。その後、繁華街に現在の本店となる90席の店を開業。席数が多いということは、それだけ鶏を仕入れる量も増えますから、それが生産者の方を守ることに繋がります。その二軒目ができたときに、尾鼻が来てくれたわけです。
実は、東京へ出ようかと思った時期もあったんです。でもそのとき「いや待てよ、やはりかしわ肉の文化がある場所で店をやることが筋だろう」と考え、大阪に決めました。では、誰が行くのか。私の片腕である2代目は現在本店を守っていますから、私のあとを確実に守ってくれる者をと考え、尾鼻に任せることにしました。私は焼くことはせず、次の世代に任せていかなければと思っています。
尾鼻:僕も愛媛出身で、学生時代に松山のお店を見つけて最初はアルバイトとして働き始めました。親方や社員の皆さんの仕事に対する考え方など、様々な面で勉強させていただきながら、今のお店に入りました。命を扱っていることなど、仕事をするうえで大事な部分をまず自分が勉強し、学んだことをお客様にも感じていただけたらと考えています。
また、命をいただくのなら、そのいただいた命でできている自分の命の使い方も大事なことです。自分自身も大きな循環のうちの一部分ですから、大事にしている思いや覚悟を、どのように次の世代に受け継いでいくかということも重要ですね。
大上:うちの一番のお客さんは一緒に働いてくれるスタッフ、二番目は出入りしてくれる業者さん、三番目が来店してくださるお客様です。つまりスタッフに思いが伝わっていなければ、話になりません。業者さんに不義理を働くことはしませんし、来店してくださる方がいなければ店はやっていけません。土台の石垣がしっかりしていなければ、上に城は立てられないのです。ですから「やり方」ではなく「在り方」、これがすべてだと思っています。
―最後に、今後の展望についてお聞かせください。
大上:経済面での成長としては、新たに店を展開するなど様々な方法があると思いますが、私はそれだけが良いことだとは考えていません。まず優先されるべきは、第一次産業を守ること。周りの人たちを守ることで、結果的に自分たちを守ることにも繋がります。
人生は誰もが平等に終わりを迎えます。それを心にとどめて仕事ができる人とただ漠然と生きる人では、あらゆる面で全く異なる人生になっていくと思います。自分たちもそういった覚悟をしっかり持ちながら、これからも仕事をし続けていきたいですね。
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プロフィール
大上真仁氏:
1966年(昭和41年)生まれ
1995年 愛媛県道後にて創業
2006年 愛媛県二番町に2店舗目を開業
2020年 大阪北新地にて開業
学生時代、鶏を扱う飲食店での勤務を経て、地元松山で開業。
社長兼大大将として、自らの想いを次の世代へ継承すべく、後継者の育成などに尽力し続けている。
尾鼻恭兵氏:
1988年(昭和63年)生まれ
2011年 入社
愛媛で生まれ育ち「焼鳥とり泉 松山」に入社。
大上氏の想いを受け継ぐ三代目として、現在は大阪・北新地「焼鳥 とり泉」の大将を務める。
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公式HP:http://www.chidoriya-torisen.jp/
【編集後記】
「松風地どり」のお話から始まった今回のインタビュー。希少であるということはもちろん、鶏の歴史や命をいただくこと、そして自らの命の使い方など、焼鳥だけにとどまらない幅広いお話を伺えたひとときとなりました。鶏の命を余すことなくいただく、並々ならぬこだわりが詰まった“一羽完結”のコース。舌で味わい、心に響く料理をぜひ一度味わってみてはいかがでしょうか。
※こちらの記事は2024年10月08日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。