清澄白河「eman」小林悟氏に聞く、本場の伝統料理を日本食材で表現する渾身のスペイン料理とは

昔懐かしい下町の風情を残しつつ、近年ではお洒落な飲食店のある街としても話題の街・清澄白河。駅の目の前に佇む「eman」は、築60年以上の古民家をリノベーションしたスペイン料理レストランです。今回は、シェフ・小林悟氏にKIWAMINO編集部がインタビューを実施。スペシャリテとも言えるパエリアへの思いや、二人三脚でお店を営むマネージャー・原薗理志氏とのエピソードなど、幅広くお話を伺いました。

初めて目にしたパエリアの華やかさに魅了され、スペイン料理の道へ

-料理人、そしてスペイン料理の道を選ばれたきっかけについてお聞かせください。

もともと洋食が好きだったことはもちろんですが、学生の頃にスペイン料理のお店でアルバイトをしたことがきっかけです。パエリアを初めて目にしたとき「世界にはこんなに華やかな料理があるんだ!」と感動して、料理の道へ進もうと決めました。

その後は料理の専門学校に通ってから、東京のフレンチレストランに就職。もともと、学校が提示する数店の中から就職先を選ばなければならず、結局1年ほどで辞めてしまいました。でも改めて考え直してみると、やはり自分はスペイン料理がやりたいのだと気付いて。もう一度挑戦すべく都内のスペインレストランに入り、転職も重ねつつ、スペイン料理一筋でここまで来ました。

日本人のシェフだと、皆さん最初はフレンチやイタリアンを経験してからスペイン料理を始める方が多い気がします。一方で僕は、基礎の勉強はしているもののフレンチやイタリアンのことをあまり知らないので、珍しいタイプなのかなと。

料理の世界なので厳しいお店も多くありましたが、アルバイト時代から「自分はどこまで通用するのか」「挑戦してみたい」という気持ちはずっと持ち続けていましたね。“人よりも秀でたもの”が欲しかったんです。

美食の街・サンセバスチャンなど、本場の有名レストランでの修業時代

-国内はもちろん、本場の星付きレストランでも働かれていたそうですね。修業時代のエピソードについてお聞かせいただけますか。

修業時代というと、当時まだ日本にはスペイン料理のお店が少なかったので「このままずっと日本でやり続けるだけでいいのか」と自問自答していました。やはり本場のレストランを経験したほうが自分のためになるのではと思い、26歳で思い切ってスペインに渡りました。

-行く当てといいますか、お知り合いの方などはいらしたのですか。

完全に勢いです(笑)。一人だけ、あるレストランのオーナーシェフが知り合いだったので、住む場所だけは紹介してもらって。スペイン語が全く喋れない状態での就職活動でしたから、ものすごく苦労しました。

大変な毎日でしたが、ルームメイトや現地で知り合った日本人の方など、色々な人たちに助けていただきました。その後3か月ほどで、僕が住むマドリードからは少し離れた、郊外のミシュラン一つ星レストラン(当時)で働けることに。
地元食材を用いたメニューが評判の高級店で、1年ほど働いて多くのことを学びました。良い意味で、料理に対する考え方も変えてくれたお店ですね。

カウンター9席にテーブル席が4席、調理風景を目の前にするライブ感も魅力

その後は、バスク地方のビルバオという街へ。“世界一の美食の街”とも言われる、サンセバスチャンからも近いエリアで、休みの日にはよく食べ歩きもしました。何かしらのコネがなければ働けない場所のため、知り合いのシェフにお願いして、当時ミシュラン二つ星だった「アスルメンディ」というお店を紹介していただきました。

三つ星を目指しているレストランでしたから、士気も高く厳しいお店ではあったものの、とても良い経験ができたと思います。皆さんすごく良い人たちでしたが、仕事のこととなると厳しくて。そういったストイックな姿勢があるからこそ、あのレベルを保ち続けられるのだと実感しましたね。

-苦労が多い分、実りも多い時期だったのですね。

確かに大変な時期もありましたが、自分にとってプラスになることばかりだった気がします。人との繋がりがたくさんできて、人生や物事に対する考え方がガラッと変わりました。スペインでたくさんの壁を乗り越えた2年間は、大きな自信に繋がったと思います。いつかは自分でミシュラン星付きのレストランをやりたいという、大きな目標もできました。

戦友・原薗氏との出会い、苦節を経て「eman」をオープン

-その後、独立するまでの経緯についてお聞かせください。

スペインから帰国後、知り合いに紹介してもらったお店で1年ほど料理長として働きました。そのお店には、飲食店を経営している社長さんがよく来ていたのですが、ある時声を掛けていただいて。それをきっかけに話が進み、前職である銀座の「アロセリア ラ パンサ」の立ち上げを任されることになりました。

-現在「eman」のマネージャーをされている原薗様とは「アロセリア ラ パンサ」で知り合われたそうですね。

「アロセリア ラ パンサ」の立ち上げ時は、僕と原薗の2人体制でした。一緒に頑張っていこうという気持ちでいましたが、オープンしてからは暇な日ばかりで。一日一組の日も多くあって飲食店の厳しさを痛感しました。

そんな中、1年ほど経ってやっと予約が入るようになり、さらにミシュランのビブグルマンをいただいたタイミングで連日満席に。美味しい料理はもちろん大切ですが、お店のコンセプトやブランディングの重要さにも気づかされました。

独立のきっかけは、やはり自分の目標を実現したくなったから。「アロセリア ラ パンサ」の立ち上げ時にも、社長には「ミシュラン星付きのレストランを作りたい」と伝えていましたし、彼もその思いを汲んでくれていました。ただ3店舗目、4店舗目の新しいお店を出そうと話が進んでも、それらは僕がやりたいレストランではなくて。お互いが描くビジョンの違いに気付いてしまったんです。

もともと30代のうちに目標を達成したかったので、このままだと40代になってしまうなと。社長とも改めて話をしましたが、ちょうどコロナ禍で考える時間もたくさんあったので、独立しようと決意しました。

-原薗様と2人で独立しようということは、どのタイミングで決まったのですか。

僕から原薗に声を掛けたかたちです。彼は、お店にお客さんを呼ぶことや流行らせることの大変さをよく知っていますし、一緒に苦労もしてきましたから。お店を立ち上げても上手くいく確約なんてありませんでしたが、それでも彼と一緒にやっていきたいと思っていました。今ではお店ではもちろん、僕と僕の奥さんと彼の3人で旅行へ行ったり、お互いの自宅で飲んだり、プライベートでも仲良くやっていますよ。

清澄白河という地を選んだ理由、築60年越えの物件との出会い

-お店のコンセプトについてお聞かせください。

僕はもともと、スペイン料理の中でもクラシックなタイプが好きなんです。ただ、現地では料理の味や盛り付けの美しさなど最先端の技術も学んできましたから、スペインの郷土料理をベースに、オリジナリティを加えた一皿を創り出す。“古き良きものを大切に、新しいスペイン料理を創造する”が「eman」のコンセプトだと思っています。

-どのようなきっかけから、出店を清澄白河のこの場所に選ばれたのでしょうか。

僕も原薗も住まいが清澄白河なんです、銀座のお店にいた時からずっと。
実は、お店の近くに「ガゼボ」さんというワインバーのお店があるんです。料理も美味しいし内装もすごく素敵で「清澄白河にこんなカッコいいお店があるんだ!」って思って。何と言うか、清澄白河らしい個性がある。もちろん他にも良いお店がたくさんある地域ですから、最初から出店先はここと決めていて。「ガゼボ」の店長さんに不動産屋を紹介してもらいました。

この物件はもう築60年以上経っていて、以前はどこかの会社の社長さんの事務所兼自宅だったらしいんです。たまたまご紹介いただいたのですが、原薗と一緒に物件を見に来て「もうここしかないでしょ」って二人とも即決。“古き良きものを大切に”という「eman」のコンセプトにもぴったり合う物件だと思っています。

-実際のオープンは、2021年12月。年の瀬だったそうですね。

オープンしたのが12月23日。もう少し早くオープンしたかったのですが、コロナの時期だったこともありお店の工事が遅れてしまって。最初の2~3か月は暇だなと思う日もありましたが、原薗と2人で色々とアクションを起こしつつ、のんびりやっていこうと考えていました。過去に同じような流れを経験していますから、お互いに強くなったのかなと。その後、割と早い段階でお客さんにも来てもらえるようになったので、特に不安になることはなかったです。

コンセプトは“古き良きものを大切に、新しいスペイン料理を作る”

-本場スペインの伝統料理に日本の食材を取り入れている「eman」。このお店ならではの一皿を表現する際に、意識されていることはございますか。

意識しているのは、やはりスペインの郷土料理らしさを感じる一皿にすること。ただ「良い食材を使って美味しい料理ができました」ではお店のコンセプトからかけ離れてしまいますから。あとは、日本の食材を使うことですね。やはり僕たちが生きている場所は日本なので、身近な日本食材を使うことこそ自然の流れだと思います。

一方で、スペインらしさを残すというコンセプトがあるので、生ハムなどはスペイン産の食材を使っています。でもいわゆるフォアグラやキャビアといった、海外産の高級食材は基本的に使っていません。

-仕入れについては、どのようなこだわりを持たれていらっしゃいますか。

自分で仕入れ先に足を運ぶこともありますし、昔からお付き合いのある仲買さんにお願いすることもあります。あと、野菜は清澄白河の八百屋さんにお願いしているんです。ここでお店をやるようになって、お客さんを含め地元の人たちには本当にお世話になっていて。

何かこの街に貢献できることはないかと考えた時に、たまたま近くに良い八百屋さんがあったので、仕入れをお願いするようになりました。小さなことかもしれませんが、少しでも清澄白河に恩返しができればと思っています。

-「eman」のスペシャリテとも言えるパエリア。お店ならではのパエリアの魅力や特徴についてお聞かせください。

僕がスペイン料理の道を選んだのも、アルバイトをしていたレストランで華やかなパエリアを見たことがきっかけ。やっぱり、パエリアという料理がすごく好きなんです。好きな分美味しく作る自信もありますから、季節の食材を使って華やかに仕上げることを意識しています。

実はパエリアって、本場の高級レストランでは出ないメニューなんです。だからこそ、日本で高級なスペイン料理店をやるなら、あえてパエリアを出すのは面白いんじゃないかなと考えました。今でも、このやり方のお店って少ないと思います。お客さんの心を掴みやすい料理でもありますから、「eman」が皆さんに喜ばれる理由の一つになっているんじゃないかなと。

-料理に合わせるワインも種類豊富だそうですね。普段は原薗様が選ばれていらっしゃるのでしょうか。

ワインはすべて原薗に任せています。うちのお店はペアリングが好評で、わりとリーズナブルにお出ししているんです。スペイン料理でペアリングまでできるお店ってまだまだ少ないので、それも喜ばれている理由なのかなと。最初に僕が料理を考えて、原薗に食べてもらってからワインを合わせています。

-本場で親しまれるワイン「チャコリ」もあるそうですね。

リノベーション前から残されている金庫はワインセラーに

そうですね。「チャコリ」は本場と同じように「エスカンシア」という、高いところからグラスに注ぐ方法で提供しています。空気が含まれてワインが泡立ち、飲んだ時の口当たりが変わるんです。味の変化はもちろんですが、パフォーマンス性もあってお客さんも喜んでくれるんですよね。それもあって、うちのお店では結構取り入れています。

ミシュランの星を目標に、清澄白河に貢献するお店を作りたい

-これからも続けていきたいこと、未来で挑戦したいことがあればお聞かせください。

まずは、原薗と一緒に一つひとつの目標を実現させていくことですね。「eman」はミシュランの星を目標に開業したお店なので、目指していきたいなと思います。
「eman」を始めるときは僕が原薗を誘ったわけですが、実は彼自身もいつか独立してバルをやりたいと考えていたそうなんです。僕も1店舗では収まりたくないと思っているので、今後はカジュアルなお店をやることも視野に入れていきたいです。

あとは、清澄白河の街や地元の人たちに貢献していきたいという思いもあって。
「eman」ってバスク語で「与える」という意味があるんです。でも今の僕たちは、まだまだ何かを与えるとまではいっていないかなと思っていて。

僕はこれまで都内の色々な地域に住んできましたが、清澄白河が一番好きなんです。空気が自分に合っているし、街の人たちもみんな良い人ばかりで。この地域を楽しく盛り上げていけるお店を出して、僕らなりの方法でこの街に貢献していきたいと思っています。

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小林悟氏 プロフィール
都内のスペインレストランに勤務後、スペインへ渡る。
スペイン・バスク地方のミシュラン三つ星レストラン「アスルメンディ」をはじめ、ラマンチャ地方のミシュラン一つ星レストラン「エルボイオ」で2年半研鑽し帰国。
その後、奈良のガストロノミーレストラン「アコルドゥ」や、東京「アロセリアラパンサ」の料理長を経て「eman」オープンにいたる。

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公式HP:https://eman.jp/

【編集後記】
ほぼスペイン料理一筋で研鑽を積まれてきた小林シェフ。
たくさんの苦労を共にしてきた“戦友”である原薗氏とのエピソードは、時折胸が熱くなるような内容でした。今でも家族ぐるみの関係を続けていらっしゃるとのことで、まさに二人三脚でお店を営まれているお二人。今後の活躍からも目が離せません。

※こちらの記事は2023年11月30日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Yuri

校正の仕事に興味を持ち、スクールを経て一休コンシェルジュ編集部へ。好き嫌いはほぼなし。食べることが大好きで、どんなものでも美味しく・楽しくいただきます。編集部メンバーとのお店巡りが最近のマイブーム。もう少しお酒が強くなりたいと思う今日この頃です。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:さ行/デンクシフロリ/BLESS/レストラン プルニエ/ラフィナージュ

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