京都「祇園 さゝ木」佐々木浩氏に聞く、匠の技と若い感性の融合が生み出す京料理の未来とは

京都の風情漂う八坂通り沿い、建仁寺近くに店を構える「祇園 さゝ木」。2023年8月、京料理の新たな時代を拓くべくリニューアルオープンしました。扉を開くと目の前に飛び込んでくる広々としたオープンキッチンで、店主の佐々木浩さんと若い弟子たちが意気揚々と料理を創り出していきます。未来を見据え、還暦を越えた佐々木さんが弟子とともに模索する京料理の進化とは?これからも勝負をかける、という佐々木さんにその意気込みを語っていただきました。

還暦を過ぎて勝負をかける。やはり、カウンターに立ちたい

―2023年8月に、お店をリニューアルオープンされましたが、改装されるに至った経緯をお伺いできますか。

祇園 さゝ木の佐々木浩氏

八坂通りに移転したのが2006年ですから、これだけ時間が経つと調理場だけではなく、いろいろなシステムが古くなってきた、ということが第一の理由ではあるのですが、僕は今年63歳になります。京都の老舗さんに対して、還暦を過ぎてからもまだ勝負をかけているということを知ってほしかったんですね。京都の町には白足袋さん(※)がいて「白足袋に逆らうな」は、京都で仕事をする上では昔からの鉄則です。失礼がないようにくれぐれも気を遣う必要があります。その白足袋さんに対して「京都の土地を買って骨をうずめますよ」という気持ちでこの店の土地を購入しました。京都の店として初代となることを「認めてほしい」という気持ちが爆発したというか。「僕はこれだけ京都を愛しています」ということを白足袋さんにわかってほしかったんです。そうすることによって、舞妓さん、芸妓さん、神社仏閣などの方に認めてもらえるのではないか。そういう気持ちで今回、踏み切りました。
※普段から白い足袋を履いているお坊さんや女将さん、お茶やお花の先生、舞妓さんや芸妓さんなどを指す

―新しい店になってからは、8メートル50センチもの迫力ある白木の新しいカウンターが印象的ですね。

お金を出しても、なかなか手に入らない檜です。おそらく室町時代の木だと思います。15代にわたって育てられ、伊勢神宮内宮、出雲大社に年に1回奉納する木に選ばれていたのですが、ご縁があってうちにきた、という経緯があります。そもそも僕はカウンター仕事が好きなんです。もう年齢が年齢だから、個室を多くしたほうがやりやすい、とよく言われます。それはわかっているのですが、やはり「カウンターに立ちたい」「お客さまの笑顔が見たい」とどうしても固執してしまいます。以前テーブル席だった個室もカウンター席にしました。自分にとってしんどくなるのは確かなのですが、やはりカウターに立つのは嬉しいし楽しい。将来は、若い弟子にメインカウンターをある程度委ねて、僕は個室の小さいカウンターに立とうかとも考えているんです。

―リニューアルをしてみての思いをお聞かせください。

リニューアルをすることにより、若い弟子たちにも励みになって、一人ひとりが自覚を持って店に貢献してくれるのではないかと思いました。今、独立した8人の店が、それぞれ予約が取れないほどの人気となっており、嬉しい限りです。うちの店を入れて9軒をぐるぐる回っていただいているお客さまもいらっしゃいます。そのお客さまがうちの店に帰っていらしたときに「さすがやっぱり本店やな、親方やな」と言ってもらうと、僕も含めて弟子も切磋琢磨してお互いに進化できる、それがリニューアル後の理想ですね。

日本料理の基本である炭火焼きを学んでほしい

―リニューアル後のコンセプトである“若いスタッフと一緒に料理する”について詳しくお聞かせいただけますか?

オープンキッチンにしたのは、誰もサボれない、という単純な理由なんですけど(笑)。誰かが追われているときに、みんながそこに助けに行くことができる。一人ひとりが持ち場を守るだけではなく、全員が一つの料理に対して向き合っている、という意識が出てくるのではないか、と考えたからです。
僕にとっても、弟子とコミュニケーションが取れるし、若いスタッフはお客さまとも会話が弾む。みんなで食事を盛り上げていける雰囲気があります。以前は、僕がずっとカウンターに立っていると、裏方を教えられないということがあったんです。オープンキッチンの場合は、目に付いたらすぐそこに行って「いや、そうではなく、こういうふうにやっていったら、包丁がうまく動くよ」と具体的に教えられる。70歳を料理人人生の次の目標とすると、あと7年間で僕に付いてきてくれているみんなを一人前にしていかなければならないという使命があるんです。ただ、オープンキッチンの欠点もあるんですよね。お客さまの前で弟子を怒ることができない(笑)。

原点に立ち戻り、炭火焼きで日本料理の基本を学ぶ

―名物だった石窯は今回のお店には配置されなかったそうですが、石窯への思いや、新しいハイライトである炭火焼場などについてお話を伺えますか?

うちの名物だった石窯は、泣く泣く外したんです。撤去に3日ほどかかったのですが、壊されていくのを見るのが辛くて、その間、店に入れなかったですね。いい仕事もできたし、話題性もあったのですが、あえて外したのは、炭火焼きをきちんとした形で弟子に伝えたいと考えたからです。 つまり、石窯をなくすことによって原点に返ろうということなんです。若い人たちには、日本料理の基本である炭火焼きをきっちりと学んでほしいんです。炭火で焼きものを焼く、それをお客さまの前で盛り付けして提供する、それが日本料理にとって一番大事なことなんです。

―以前のお店と比較してアップデートされている箇所がいろいろあると思いますが、どんなところをアップデートされたか教えていただけますか?

新しい調理器具を入れることより、これもすべて原点に戻したということですね。今の時代は科学的な料理法が重視されていますから、本来なら最新の調理機器を備えるところです。それをあえて外した理由は、たとえば、キャンプに行ったとして「お前、料理人なんだから何か一品作れよ」と言われたときに「いや、僕、機械がないとできないんです」という料理人にはなってほしくないんですよね。今のこのシチュエーションで、自分ならこれができるという、臨機応変な料理人になってもらいたい。だから原点に戻しました。スチコンとバーミックスぐらいはありますが、それ以上新しい設備は入れていないんです。
それは、自分の経験に基づく考え方からです。ブルゴーニュに親戚付き合いをしているワイナリーがあるのですが、そこを訪れると「DRC(※)やルフレーヴのトップを招いたから何か作って」と言われるんですよ。日本の食材も調理器具もありませんが、みなさまが期待するのは日本料理。買い出しに行ってワインに合う魚を探して煮付けにしたら「もう一人前食べたい」と喜んでもらえたんです。最新設備がなくても美味しく作れる調理法を知っていなければならない、それが料理人だと思います。
※Domaine de la Romanee-Conti(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)の頭文字を取ったもので「ロマネコンティ」の生産者

―新しく、物販店をオープンされましたが、オープンの背景やどのようなものを販売されていらっしゃるのかなど教えてください。

うちの店で料理に使っているポン酢や三杯酢、黄身酢、出汁などを販売しているのですが、美味しいだけではなく安心安全なんです。最近の合わせ調味料は、何らかの形で添加物が入っています。そこがすごく気になる。僕は今、孫が6人いますが、味覚は6歳までが勝負だと言われていますから、小さい頃からうちの出汁や調味料を味わうことによって、大人になってから「じいさんの作ったもん、うまかったな」と思い出してほしいんです。その頃には、無添加の調味料はなくなっているでしょうから。
昔の人は贅沢なものを食べていませんでしたが、自然な食品を食べていたから、日本は長寿国なんでしょうね。

弟子のアンテナで考える献立づくりの総監督として

―料理についてもお聞かせください。緩急ある構成が特徴のコースについて以前よりアップデートされていることなどをお話いただけますか。

一番意識したのは、献立づくりです。若い人たちの意見を聞いて、その考え方をどんどん取り入れていく。僕が修業していたときは、親方が献立を決めて、僕らは忠実にその真似をしていたわけですが、自分はもうピークを過ぎてヘタっている。その人間が献立を書くよりも、今いる8人の弟子が、8本のアンテナで考えればいい。それぞれがいろいろなところに食事に行ったり、料理本を見たりして情報を持っているわけですよね。その情報をみんなで共有して「こんな店に行ったんですけど、これ、美味しかったですよ」と、携帯の写真を見せられたときに「じゃ、これを作ってみよう」となる。

もちろん、コピーするのではなく、僕やみんなのテイストを重ねていくことによって、オリジナルの料理になります。経験がある僕が、みんなの情報を一つにまとめて「これはワサビを使っていたけど合わない、カラシにしよう」などアイデアを組み入れていきます。その料理をお客さまに紹介するときに「今日はこいつがこの料理を提案しよったんですよ」と伝えると、ニコニコしながらその料理を説明し始めます。「あんた、考えたんか」と会話が弾む。僕の手直しはありますよ。でも、それを考えたという功績をお客さんに認めてもらったら、お客さまも、その弟子が独立したときにその店に行ってみようという気持ちになってくれる。これが継承していくということなんです。これからもどんどん若手を送り出し、一軒でも多く良い店作りをしてくれれば京都に対しても恩返しができるのではないかと思っています。

―今後は、なるべく佐々木さんの色を出さないようにお弟子さんメインにしていこうということですね。

そうですね。たとえば、温かい先付けを出すときに、クエを焼いてそれにキンカンや菜の花を入れて香るような味に合わせてくるのかなと思ったら「西洋わさびの香りでいきましょう」と提案してきた。僕だったら水溶きわさびで合わせていきます。発想はエネルギッシュなのですが、力強いばかりではうまくいかないので、今は、そのあたりをうまく調整していく“総監督”みたいな立場ですね。

―発想を大事にして、そこからいろいろな技術を教えてもらえる。お弟子さんが育ちやすいですね。食材の仕入れについてもお弟子さんに任せていく、ということをお考えですか。

まだ仕入れは自分一人でやっています。“旬”をわかっていないので、そこから教えていかなければなりません。長年の経験がないとなかなか目利きにはなれない。表面だけを見ても、クオリティを判断できないんです。仕入れに連れて行くと、一から教えなくてはならないので時間がかかるんです。でも、生産者の方との信頼関係もありますし、これからは、弟子を市場に連れて行って一緒に食材選びをしていかなければならない時期にきているかと思います。

―リニューアル後、特に意識していることはございますか?

6時半一斉スタートにしたのは、日本で初めてだったんですよ。オープン当初からこのスタイルにしています。同じ時間に来ていただき、同じ料金で、同じ料理を食べていただきたいという気持ちで踏み切ったのです。たとえば、ご飯を1合炊くより10合炊いたほうが美味しいからなんですよ。今は、それを理解していただけるお客さまが増えて、ありがたいことに予約困難と言われています。常連さんはもちろん大切ですが、長いスパンで見て満席を続けていくためには、新規のお客さまも大事にしていきたいと思っています。

他の店を回って自分の目の届くようにしていきたい

―今取り組まれていることや今後挑戦されたいことについて、お聞かせください。また、他に「楽味」「鮨 楽味」など何店舗か経営していらっしゃいますが、今後はどのような展開を考えていらっしゃいますか。

欲を言えば、僕がこの店に立っていなくても、満席になる店にしたいですね。「鮨 楽味」をオープンして3、4か月たったときにお客さまから「3貫だけ握りにきて」と呼ばれて行ったのですが、これが予想外におもしろかったんです。他の店にたまに顔を出したり、ぐるぐる回ってお客さまから「今日、あいつどこにおるんやろう」と思ってもらえるようなサプライズをやってみたいですね。他の店も大事にしていきたいし、自分の目の届くような形にしていきたいと思っています。

***
佐々木浩氏 プロフィール
「祇園 さゝ木」店主。1961年、奈良県生まれ。祖父、父が料理人だったことから料理人を志す。滋賀県の料理旅館から修業をスタート、複数の店で研鑽を積んだあと「割烹ふじ田」料理長に就任。36歳で独立し、祇園町北側に「祇園 さゝ木」をオープン。2006年、八坂通りに移転してまもなく「予約の取れない店」として名を馳せる。2023年8月、フルオープンキッチンを備えてリニューアルし、話題になっている。
***

京料理

祇園 さゝ木

京阪本線 祇園四条駅 徒歩10分

【編集後記】
佐々木さんがカウンターを縦横無尽に動きながらジョークを交えてゲストに料理を届けると会話が弾み、お弟子さんを叱る姿も愛にあふれる物語を見る思い。ここはまさに劇場だと感じる瞬間です。料理が創り上げる過程を眺めていると、この劇場から巣立った何人もの料理人の店が予約困難になるのも不思議ではありません。フレキシブルな思考で京料理の可能性を広げてきた佐々木さんは、次世代に繋げていく使命を背負って日々カウンターに立ち続けるのでしょう。

※こちらの記事は2024年10月17日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Miki D'Angelo Yamashita

コロンビア大学・パリ政治学院修士。新聞社を経てフリージャーナリスト。専門は別だが、趣味が高じて食担当記者に。延べ3000人料理人インタビュー、約30カ国で食関連を取材。料理本も多数編集。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:未在 / 晴山 / レヴォ /茶禅華
・好きなお店:ギ・サヴォワ / Restaurant KEI / 祇園さゝ木 / 宮坂
・自分の会食で使うなら:ル・ブルキニオン / ラルジャン / 乃木坂しん / 蕎麦おさめ
・注目しているお店:お料理ふじ居 / 日本料理 研野 / ELEZO ESPRIT
・得意ジャンル: スイーツ
・好きな食材:麺類

このライターの記事をもっと見る

この記事をシェアする