インタビュー|

「祇園 さゝ木」佐々木 浩氏インタビュー。 唯一無二の「楽しい」京料理の根底にある、未来へ続く情熱の炎

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数ある名店が立ち並ぶ祇園の中で、ひときわ輝きを放つ「祇園 さゝ木」。カウンターで手際よく調理され、生き生きと皿に映える「佐々木劇場」の料理は、旧習を打ち破り京料理を昇華した、まさに感無量の味わいです。若き料理人や見習いの一人一人が、朗らかに、かつ細やかに客人をもてなす姿も印象に残ります。今回は、佐々木 浩氏にお店の立ち上げから今までを振り返っての想い、そして将来の夢をお聞きしました。

「料理で人を笑顔にできる」、それが料理人の原点

―佐々木様は奈良のご出身で、ご実家はおじい様やお父様も料理人であられたそうですが、料理人を志されたきっかけは?

小学校の頃はパイロットになりたかったんです。それは子供時代の話ですが、料理人を志したことは全くなくて。

僕の家系は祖父、父親、叔父もいとこも全部飲食関係の仕事をしているのですが、サラブレッドと言う訳ではないんです。父親も修業して料理人になってから、一度離れて会社員をしていたのですが、僕が16歳の頃に改めて滋賀県でお店を開きました。両親がお店を始めて「かぎっ子」になったわけで、家が友達のたまり場になっていきました。バイクを転がしてるようなちょっとやんちゃな仲間たちが腹減ったと言うんで、冷蔵庫にあるものでハンバーグや焼きめしなんかを作って食べさせたら「むちゃくちゃ旨いな」とすごく良い笑顔で言ってくれたんです。料理は人を笑顔にできるし、喜ばせることができるんだと思いました。

勉学にはそこまで興味なかったですが、会社員になって定年まで勤めてある程度の役職にとどまるくらいなら、料理人になって自分のやりたいことができる職業を目指すのがいいなと考えて料理人になりました。

「借金」をつくることもチャレンジの一つ

―数々のお店で修業をされ、祇園にお店を出されました。今のお店はご立派な一軒家ですね。

祇園にお店を出したきっかけは、バブル崩壊の昭和63年ごろです。その前は京都の先斗町のある店で料理長兼店長をさせていただいてました。社長から店をやってくれないかと言われたのですが、経営状態のこともあって断り、独立しようと思いました。先斗町で2~3件おすすめの物件を紹介してもらったんですが、せっかくなら橋を隔てて祇園に出ようと思ったんです。そんな経緯で祇園に来ました。

今からちょうど14年前に、移転して3軒目となるこの店との出会いがありまして購入しました。この店を購入した理由は、土地を買ってやることで、腹を据えて京都にいるなと思われるだろうと。軒先で商売していれば京都に息づかない人だって思われてしまいますから。
13年でローンを返しまして、いま還暦で60歳ですが、もう一発勝負するつもりで、来年お店を改装しようと思っています。お金もかかりますが、まだあいつ生きとるなぁと思われたいんです。

―ピザ用石窯で鮑や旬の魚を焼き上げる、京料理には珍しい魅せ方をご考案されたきっかけは?

石窯はこの店を特徴づけるものとして考えたものです。

京都は特にですけど、お店を大きくすれば不味くなった、高くなったと言われるのが関の山なので、それを排除する店づくりをどうするか半年ほど悩みました。

その頃、カチョカバロのチーズで有名な岡山の「吉田牧場」の吉田全作さんがピザ窯を造られて、招待してくれたんです。料理人の仲間(三國 清三さんや村田 吉弘さん、門上 武司さんなど)と一緒に、持ち寄った食材をピザ窯で焼いてみました。僕は鮑を持って行ったんですが、焼いた鮑の旨さ、火の入り方の面白さをみんなが絶賛したんです。

それを食べたときに、石窯を入れてオープンしたらどうかと思いました。これがやりたかったからステップアップするためにお店を大きくしたんだな、となりますよね。

―斬新な発想で京料理を塗り替える「胃袋をつかむような料理」は、色々な考えから生まれていたのですね。

京料理の枠があるとしたら、これを1cmでも広げたような気がしますが、もっと広げていかなあかんな、と思っています。「攻撃は最大の防御」という言葉がありますが、僕もまだまだ4~5年は突き進みたい。それにうちの若い子がうまくついてきてくれて、柔軟な発想をどれだけくれるかなと思っています。60歳を過ぎると、柔軟さが欠けてくるので。
うちの若い子とは、月に1度勉強会をやっています。22人に料理をだしてもらって試食をする中で、料理に使えそうなアイデアがいっぱい浮かんできます。僕のこれまでの経験を活かして、組み合わせながら新しい料理に結び付けていく。そのシステムを取っていると、京料理はまだまだ広げられるな、と思いますね。

京料理を世界へ導く、あくなき探求心と次世代への継承

―大将自らがそうやって動かれていくってすごいですね。

僕は疲れ知らずというか、「しんどい」って言わないんですよ。それを言ってしまうと止まってしまう。僕が言わないから弟子たちも若い子の前では「しんどい」って言わない。
スタッフが自分の背中を見ている中で、「親父はちょっとちゃうなぁ」って言われるんです。一生は一回。どうせならとことん生きたい、ということですよ。
やっぱり一番意識しているのは親方であり本店であること。「祇園さゝ木」出身の8人の弟子が独立し、商売をしていますが、僕は、やっぱりあくまでも本店でいたい。お客様がそれぞれのお店を回ってくれますが、「弟子のお店も全部流行っているね、でもやっぱり本店が良いなぁ」と言ってくれるのは僕の誇りです。僕が光るから8人が光るのではなく、8人が光るから僕も光る。その関係をずっと保っていきたいですね。

京都は3代目、4代目、下手すると15代目まで続く、まさにサラブレッドが集う街。その中で、暖簾をかけて25年、一代でここまで来た人間はなかなかいないでしょう。だからうちから育っていった子や8人の弟子のお店が今も予約が取れないという状況を心から嬉しく思っています。今でも弟子と僕はお互い切磋琢磨していますね。一門会含めこれからますます育っていくと思ってますし、継承していきたいと思っています。

―「祇園さゝ木」一門として、常に前進される情熱を感じます。佐々木様がこれから挑戦されたいことは?

僕は60歳で、65歳で引退するか70歳で引退するかまだ落とし場所は決めてないですが、これから5年かけて僕を含めた1代目の料理人を結束させて、3代目、4代目、15代目の京都に息づく料理人や店主に引き合わそうと思っています。それによって京都を発祥とする京料理の組織が大きくなって、世界へ発信できるようになるのではないかと思っています。
今、1軒1軒1代目の料理人のお店を回り、食事をしながら結束するためにその話をしています。おそらく2~3年かかるでしょうし、親方連中に理解してもらうのにも時間がかかるでしょう。

今、小さなお店で予約が取れない人気店と言ってますが、弟子を育てずにそこで終わってしまったら京料理は伸びないと思います。
修行して親方に色んな技術を教えてもらって今があること、京都や親方に対する恩返しのつもりで、少なくとも3人は弟子を育てていこう、という話をしています。
親方はみんな一生懸命結束してやっていました。自分の技術や技を伝承して、若い子が成長したときに若い子が伝承し、リレーになって繋がるのが職人だと思いますね。職人という名の人は沢山いますが、受け継ぐにはそれしかないんです。
京料理をもっと大きく、そして日本料理の結束を固めて、京都が発信できる地になればいいなと。それを自分の役目としたいです。これは絶対必要なんです。

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【プロフィール】
佐々木 浩
1961年、奈良県生まれ。祖父、父、叔父すべてが料理関係という料理人一家に育つ。高校時代、友人に料理を振る舞ううちに、料理を通して人を笑顔にできることに魅力を感じ、高校卒業後に料理の道へ。数々の名店を渡り歩きながら、元来の負けん気から「死ぬ気で努力した」という時代を経て、27歳で店長兼料理長を任される。
36歳で独立し『祇園さゝ木』を開店。2006年、健仁寺南側の一軒家に移転。2020年、ミシュランガイド三つ星獲得。

【編集後記】

柔軟な発想で京料理の幅を広げてこられた佐々木浩氏。お話を聞いて感じたのは、人一倍「京料理」への想いが熱く、次世代への伝承に向け自ら動かれているということでした。
「実は寂しがり屋なんで、周りに人がいないと」とユーモアたっぷりに語る、佐々木氏の人としての魅力もまた「祇園さゝ木」一門を支える原動力となっていることでしょう。

割烹・小料理

祇園 さゝ木

京阪本線 祇園四条駅 徒歩10分

Airi Ishikawa

一休コンシェルジュ メディア事業部長。高級旅館のお取り寄せが最近のマイブーム。インタビューを中心に、地産地消や、生産者に近い距離で食材と向き合う極みのシェフがいる店をご紹介します。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:祇園 さゝ木 / Crony / のぐち 継 / 津の守坂 小柴
・好きなお店:ベージュ・アラン・デュカス / ブラマソーレ / 美伶
・自分の会食で使うなら:鮨きむら / 中国飯店 富麗華 / エディション・コウジ シモムラ
・得意ジャンル:フレンチ / バー
・好きな食材: 魚卵

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