名店「鮨 さいとう」と現代美術ギャラリー「NANZUKA」がコラボレーションを果たした「3110NZ by LDH kitchen」。日中はアートギャラリー、夜はそのアート空間が鮨店になるという前例のない新業態が注目を集めています。今回は、店主を務められる小林郁哉氏と「NANZUKA」の南塚真史氏に、前例のないコラボレーションのきっかけから、お客様に体験して欲しい食体験など多岐に渡ってお伺いました。
唯一無二のコラボレーション「3110NZ by LDH kitchen」誕生の経緯
-「鮨さいとう」と「NANZUKA」がコラボレーションされ、「3110NZ by LDH kitchen」が開業するに至った経緯を教えてください 。
南塚真史氏(以下、南塚):NANZUKAの所属アーティストと大手スポーツメーカーとのコラボレーション展があったんです。その展覧会のプロモーションの1つとしてギャラリーでケータリングのディナー会を実施し、100人を超えるVIPをお呼びしたのですが、そこに「LDH」のHIROさんもいらしてたんです。その時、ケータリングの1つにお鮨もあって、実際にその場で握ってもらうスタイルにしてたんですけど、そのギャラリーで食事をするという体験をHIROさんが非常に気に入られたようで、そこからお店を出したいという流れになり始まったんです。つまり、そもそもの発端は、僕でもなく齋藤さんでもなく、HIROさんなんですよ(笑)。
-その時にお鮨が出ていたこともあると思うのですが、なぜアート×鮨だったんでしょうか?
南塚:HIROさん自身、非常にお鮨が好きというのもあると思いますが、日本の文化やコンテンツをどうやって、日本の代表として発信していくかといことを色々と考えていらっしゃるので、その中で日本の誇るべき食文化というところでお鮨になったんじゃないかと思います。
-こちらのお店の前は「香港鮨さいとう」で活躍をされていたと思うのですが、どういった経緯で「3110NZ by LDH Kitchen」に関わることになったのでしょうか?
小林郁哉氏(以下、小林):タイミングがあったのが1番です。2019年頃の香港はデモが非常に活発で。それに新型コロナウイルスも騒がれ始めていて、当時は香港や中国から広まっていたこともあり、出国ができなくなりそうな時期だったんです。ギリギリでなんとか帰国できたのですが、そのタイミングがちょうど「3110NZ by LDH Kitchen」のオープンの年と重なりました。齋藤から「史上初の試みでなかなか面白いお店を出すんだ」「お前っぽいからお前がやったら」と言われて、やることになりましたね(笑)。
南塚:僕の会社は香港にも支店がありますが、現地のVIPのお客様のほとんどが、小林さんのお店にいってらっしゃったと思いますよ。
-すごいですね、新型コロナウイルスの状況が少し落ち着いて、海外からも日本へ渡航しやすくなれば、そういった繋がりからのお客様も期待できそうですね。
南塚:今は渡航制限があるので、一般のお客様は難しいですよね。
小林:でも徐々に海外のお客様からも予約を取りたいと、秋の問い合わせが増えてきていますよ。
-これから状況が回復していくことに期待ですね。
-次に、開業にあたりどんなコンセプトでお店を作られることになったのか、教えていただけますか?
南塚:なんといっても世界のどこにもないお店ですよね。レストランの中にアートを飾っているお店はいっぱいあると思うんですけど、ここは「NANZUKA」のアートギャラリーとして日中は営業していて、展覧会も1か月に1回くらいのペースで実施しています。それが夜になるとかなりクローズなレストランになる。普段は誰でも鑑賞していただけますが、夜はお食事される方だけがギャラリー空間を体験しているので、またステージが上がりますね。
-「香港鮨さいとう」では「鮨 さいとう」というブランドでやられていたと思うんですけど、こちら「3110NZ by LDH Kitchen」では、独自のコンセプトというのはあるんでしょうか?
小林: “調和を取る” ということが大事だと思っていて、ちぐはぐにならないように意識しています。空間自体が非常にユニークですので、ここでお鮨を出す中でこのカウンター部分だけが切り離されたら、落ち着かない感じになってしまいます。なので一体感のある空間を作れるように、そして「鮨 さいとう」の王道は外さないように意識しています。
-とてつもなく難しそうです。このお店を通して新しい挑戦をされていらっしゃるんですね。
そうですね。
小林氏が握る鮨へのこだわり
-次にお鮨について、そして小林さんについてお聞かせください。まず小林さんが料理人を目指されたきっかけをお聞かせください。
小林:偶然なのかもしれないのですが、今まで関わってきた人の多くが料理人だったんです。高校生の時に「小林は就職も進学もできない」って言われていて(笑)、それで海外に1年間ワーキングホリデーに行ったんです。そこでお世話をしてくれた方や帰国後にお世話になった方がたまたま元料理人の方達で。カッコいいなってずっと思っていたんです。そんな中、料理人の道を薦められたこともあり、料理人としての道をスタートさせました。
-その後、料理学校での経験や修業を経て「鮨 さいとう」へ入られたと思うのですが、修業時代で特に印象に残っていらっしゃることをお聞かせください。
小林:当時の「鮨 さいとう」は、移転前で赤坂の自転車会館というところに店を構えていました。そこは世界で1番小さいミシュラン三つ星レストランと言われるくらい本当に小さな店舗で。従業員も3人だけで、キッチンは2人がすれ違えないくらいの広さでした。SNSもない時代にそんな環境でも世界的に有名というのは本当に凄いなと今も思います。ただ、そんな中僕にできることと言えば掃除・下準備くらいしかなくて、1年~2年くらい下積み時代が続き途中で気持ちが折れてしまって、齋藤に「やめます」と伝えたんです。次の日は、いつも通り出勤したんですけど。そんな中常連のお客様にお茶を出していたら、そのお客様が「小林くんが淹れるお茶が1番美味しい」と言ってくださったんです。齋藤は常々「鮨を一貫出すのもお茶を出すのも同じことだから、そういう気持ちで出しなさい」と言ってくれていたんですが、自分の中ではあまり理解できてなくて。とりあえず業務をこなすような気持ちで取り組んでしまっていたんですが、その一言に「こういうことなんだな」と再認識することができて、思いが切り替わりましたね。そこから気持ちを持ち直すことができたのですが、そういう誰にも見られていないことにもどれだけ気持ちを込めて意識的にやっていくかということが大事で、それが全て繋がっていることを再認識できたとても良い経験でしたね。財産です。
-お店では随所に「鮨 さいとう」さんのエッセンスを取り入れたお鮨を提供されているとのことですが、「3110NZ by LDH Kitchen」ならではのお鮨のこだわりを聞かせていただけますか?
小林:良い素材を使うということはもちろんなんですが、魚やお米は漁師さんや農家さんが命がけで獲ったり、作ったりしてくださったものが、市場で選別され、仲買いさんを通してやっと僕たちが扱うことができて。最終的にお客様に完成形としてお出しできるという全体の流れを1番意識しています。素材選びに関しては、修業時代に齋藤と一緒に市場を回ったりしてできた仲買いさんとの信頼関係を頼りにしていますね。
-修業時代からの信頼のおける仲買さんから仕入れつつ、食材を入手する上での全体のストーリーを大切にされているんですね。
小林:お客様にもそれぞれの食材に秘められた背景などを、きちんと説明することを心掛けてます。
-その厳選した素材をお鮨にしていく上でのこだわりを教えてください。
小林:魚だけでなくお米もそうですけど、素材の質は常に日替わりで異なります。魚だったら脂の乗り具合だったり、お米も水分量が違ったり、毎日違うのでそこをしっかり見極めて、チームで連携しながら1番最適な形で提供できるように気を付けています。
-シャリに関してはいかがでしょうか?
小林:佐賀県産の「さがびより」というお米をこだわって使っています。水分が程よく、お米の持っている旨味が非常に強いので、必要最小限のお酢とお塩だけで完成できるお米です。粒の大きさも自分の理想としているサイズ感ですね。色々と試した中でネタと合わせるイメージが1番しっくりきました。
-厳選した食材をお鮨に昇華されていらっしゃるんですね。色々と「鮨 さいとう」の流れを汲んでらっしゃると思うのですが、逆にオリジナリティを出されていらっしゃる部分はどんなところになりますか?
小林:僕は、齋藤が世界で1番美しく鮨を握ると思っています。そこはしっかり継承して、手数少なく、無駄のない所作かつ美しく握るというところはここでもしっかり出していきたいと思っています。オリジナリティに関しては、経験値の集合したものが板場で出るので、ここに立った時点でその人らしさがプラスされるとは思うんですが、ベースはしっかり齋藤の握りを踏襲していますね。
-小林さんの所作自体がもうアートですね。
南塚:小林さんの動きは本当に美しいですよ。
-南塚さんが思う小林さんの握る鮨の魅力とはどんなところでしょうか?
南塚:小林さんの握る鮨って非常に高潔だなって思います。大きさも齋藤さんの握りと比べると少し小さめで、シャープで無駄のないお鮨が魅力ですね。ミニマルの美学というのにふさわしい一貫だと思います。
-特にお気に入りのネタはございますか?
南塚:圧倒的に赤身が好きです。漬けも好きですね。脂ののったトロよりも断然赤身ですね。
あとは季節にもよりますが、昆布締めも好きです。本当にちょうど良い感じで締めてあるんです。
-このようなアート空間で鮨を握る上で何か意識していることはありますか?
小林:器はちょっと意識していますね。品数よりも器は多めに持っていまして。絵の雰囲気や色、季節によって使い分けるようにはしています。
お鮨と調和する唯一無二のギャラリー
-お店のデザインに関して教えてください。内外装はダニエル・アーシャム氏とアレックス・マストネン氏による建築デザインユニット「Snarkitecture(スナーキテクチャー)」が手掛けられ、店舗のロゴは空山基 (そらやま はじめ)氏が作られていると伺いましたが、この2組にお願いした理由はなんでしょうか?
南塚:いわゆるギャラリーは、壁は白く、床は普通のコンクリートで、とにかくミニマルに作るんですけど、ここは一般的なギャラリーとは違う設えの空間にしたかったんです。とはいえアートを飾るとなると、ある程度アートに造詣がないと難しいなと思っていました。空山基はうちの所属アーティストですし、スナーキテクチャーは過去にお店のデザインも担当してもらっていて、非常にイメージにあった空間を作ってくださったので、今回のような特別なお店を作れるのは彼らしかいないなと思いお願いしました。
-お店のデザインで特にお気に入りのポイントはどちらですか?
南塚:実は床がすごく作るのが大変だったんですけど、お店に入った瞬間に異空間というか、まるで洞窟に入ったような気にさせてくれる、この床がお気に入りですね。どんなに壁を装飾したとしてもこの床がないと今の空間は成立しないです。
-天井、床、全体を通してのこの空間ということですね。確かにお店に入った瞬間、異空間に迷いこんだような錯覚になりました。
-空山さんはもうお付き合いが長いんですか?
南塚:そうですね、もう10年以上になりますね。
-今回空山さんにお願いするっていうのは初めから決めていらっしゃったんですか?
南塚:ロゴに関してはあまりデコラティブに作るとうるさくなってしまうので、できるだけシンプルでカッコいいものにしたいと思っていました。空山のテイストは非常にあっていると思います。
-4〜6週間のペースでギャラリーを入れ替えていらっしゃると伺いました。
年間を通してこういうコンセプトでやっていこうなどはあるんですか?
南塚:特に年間を通してこれと決めているものはないのですが、僕がキュレーションしているので僕のテイストが反映されていますね。本体である「NANZUKA UNDERGROUND」と連動していることもあれば、それに派生したシリーズものが展示されていることもあります。もちろんこのギャラリー独自のものを企画することもありますよ。
-現在展示中のアートは?
南塚:今回のタティアナ・ドールの作品は、レアなケースでこちらのギャラリー単独で展示しています。彼女は10年前くらいからお付き合いのあるドイツ人のアーティストなんですが、新しく絵を預かったので今回展示させてもらっています。
-海外のアーティストさんからこちらに展示したいというリクエストは多いんですか?
南塚:まず“ここで展覧会をしたい=ここで食事をしたい”というモチベーションがあるので、コロナが落ち着いたらもっと増えてくるんじゃないかと思いますね。現状ここ単体の展覧会だとビザが通らないのもあって。今はここと本体の両方に展示するという感じですね。
-ギャラリーや空間を通してお客様に伝えたい思いや世界観をお聞かせください。
南塚:この辺の喧騒とのギャップがこの空間の最大の特徴だと思うので、散歩ついでに来てもらって、この空間の中で自分の意識が変わるような体験をしてもらいたいなって思いますね。そしてさらにここで食事までしていただけたらより良いなって思います。
-ここのギャラリーはウォークインで見れるんですか?
南塚:無料で開放しているので、いつでもご覧になれますよ。
-ちょっと入るのに勇気がいりそうですけど(笑)。
南塚:そうですよね、扉を開けるのにはなかなか勇気がいりそうです(笑)。季節によってはドアを開けておいたりもするんですが、普段ギャラリーに慣れていないとなかなか入りにくいかもしれませんね(笑)。
-小林さんはどうですか?この空間を通してどんな食体験をしてもらえたらって思われますか?
小林:こんな空間でお鮨を食べるって他にはないことですし、唯一無二の体験をしたということに対して、満足感とちょっとした優越感を味わって欲しいですね。名店「鮨 さいとう」と、新進気鋭の現代アーティスト集団「NANZUKA」と中目黒の「LDH」という3つのスペシャルが集結した空間を楽しんでもらいたいです。
-日本を代表する3大巨頭が集結したような空間ですもんね。特別な時間を過ごしてもらいたいですね。
鮨とアートのコラボレーションが生み出す世界とは
-ご来店されるお客様は、アートに興味のある方もいらっしゃれば、食通の方、またはどちらも精通されていらっしゃる方など様々かと思うのですが、いらっしゃるお客様の反応や感想はいかがでしょうか。
南塚:うちのお客様は喜んで下さる方が多いですね。すでに常連になって下さったお客様が何人もいらっしゃいます。ある種体験型のレストランで毎回景色が変わるお店ってなかなかないと思うので、このお店を知ってくださる方が増えたらって思いますね。
まだ日本人のお客様しかアテンドできていないですけど、海外のお客様が来れるようになったらもっと喜んで頂けると思います。まず、海外から日本に来ること自体にハードルがあるので、その中での唯一無二の特別な体験は非常に喜んで頂けるのではないかと思います。
-小林様は実際にお客様と対峙して色々とお話されることが多いと思うのですが、どんなお客様が多いですか?
小林:食通の方はもちろんですし、展示のアーティストだからどうしても来たかったという方もいらっしゃいますね。僕自身も非常に勉強になります。後、NANZUKAさんがアーティストごとにコースターを作成してくださっているんですが、それを持ち帰ってコレクションしている方もいらっしゃるみたいです。そういうので楽しんでもらえているのも嬉しいですね。
-素晴らしい相乗効果ですね。食通の方もいれば、アーティストのファン、「NANZUKA」のファンで来てもらえるって素敵ですね。
-運営会社である「LDH kitchen」では次世代の職人を育てていくことを重視していて、飲食業界を盛り上げていくためにも“名店”とのコラボレーションを実施していると拝見しました。今回の新しいコラボレーションを通して、どんな風に業界を盛り上げていきたいと思われますか?
南塚:飲食店にアートを掛け合わせたポップアップを海外でできたら面白いと思います。海外は入国の規制も緩和していますし、お客様からも海外でやって欲しいと良く言われるんですよ。アメリカやカナダからもフランチャイズして欲しいなど、ヨーロッパからも声が上がってますね。
-小林様はいかがでしょうか?
小林:今、中国や上海など、大きなお金が動いているところに職人が引っ張られている状況がありますし、それを阻止ではないですけど、日本古来の文化や歴史を守ることにも繋がるので、変な流出の仕方は防いでいきたいなって思いますね。もちろん海外展開や、ポップアップイベントとして海外へ出ていくのも、海外のVIPを召喚するのもどんどんやっていきたいんですけど。日本の鮨文化というものはきちんと継承していきたいですね。
-今後挑戦していきたいことはございますか?
小林:先ほどの話にも繋がりますが、海外出張に行きたいです。
-ポップアップは決まりですね。
南塚:決まりだね。
-海外で握る魅力ってどういうところになりますか?
小林:海外って、シェフの地位が日本とは比べ物にならないほど高いんですよね。本当にスーパースターです。例えば齋藤が海外に行ったら大変なことになります。僕はそういう経験を若手にもして欲しいんですよね。僕が齋藤の背中を見てきたというのがあるので、今度は自分が若い子たちに背中を見せて、鮨だけなく飲食業界全体に希望をもってもらえたらって思いますね。
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小林 郁哉
1988年新潟県生まれ。
18歳で単身カナダへ
帰国後調理学校卒業し鮨職人の凛とした佇まいや規律に魅せられる。
2011年【鮨さいとう】の門をたたく。研鑚を積む。
2018年【香港鮨さいとう】のオープニング料理長に抜擢。
開店初年度から2年連続ミシュラン二つ星を獲得。
2年間努めあげ帰国。
2020年7月【3110NZ by LDH Kitchen】の料理長に就任。
さいとうの精神【全力投球】【誠心誠意】【一生懸命】の教えに倣い、志高く謙虚な姿勢で、
日々精進しております。
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南塚真史 プロフィール
1978年東京都生まれ。早稲田大学美術史学科卒業後、2005年渋谷に「NANZUKA UNDERGROUND」を設立。開廊以来、田名網敬一、空山基、山口はるみ、佐伯俊男といった美術の外のイラストの文脈に位置づけられてきた作家や、モリマサト、Haroshi、ダニエル・アーシャム、佃弘樹、トッド・ジェームスといった国内外の新進作家を取り扱ってきた。現在は渋谷と心斎橋のPARCOにある「2G」や、中目黒の「3110NZ by LDH Kitchen」なども手がけ、2013年、AISHO MIURA ARTS とのジョイントギャラリーとして香港支社「AISHONANZUKA」をオープン。
2021年6月に新たなフラッグシップギャラリーをオープン。既存の「アート」の文脈を拡張し、「ファインアート」の枠を壊すために、ファッション、音楽、デザインなどの異業種とのコラボレーションを積極的に行っている。
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