「Restaurant L’aube」シェフ今橋英明氏・シェフパティシエ平瀬祥子氏に聞く、畑や人との対話が生み出す新たなフレンチの世界

赤羽橋駅から徒歩約2分、東麻布の閑静な住宅街の2階に佇む「Restaurant L’aube」。シェフ今橋英明氏・シェフパティシエ平瀬祥子氏が紡ぐフレンチは、素材の味を活かした野菜たっぷりの華やかな料理と、繊細でエレガントなデザートの世界を楽しむことができます。「L’aube(ローブ)」とは、始まりや夜明け、誕生を表すフランス語。自然が創造した美しさと、人が創造した美しさの絶妙なハーモニーを生み出すお2人が、料理を作る上で大事にされていることについて伺いました。

同じ世界観を持った2人の、運命の出会い

―まず、お2人が料理人になりたいと思われたきっかけを教えていただけますか?

今橋英明氏(以下、今橋) :学生時代、本当は考古学者になりたいと思っていたんです。でも、高校の先生に考古学では食べていけないぞ、と言われて(笑)。それで、海外でも働けて世界で通用するものは?と改めて考えた時、料理人もいいかなと思いました。うちの両親は共働きだったので、子供の頃から食事は姉2人と作るのが日課でしたし、休日は父が腕を振るうこともあり、料理作りが手近だったこともきっかけだったかもしれません。

平瀬祥子氏(以下、平瀬):うちでは、母がパン教室を開いていたこともあり、お菓子作りは子供の頃から身近でした。でも、最初は職業にしようとは思っていなくて。ただ自分が食べたい一心で作り始めたお菓子を美味しいと喜んでもらえるのが、単純に嬉しかったですね。
実を言えば、お菓子屋になりたいというのは元々母の夢で、進路を決める際、母の後押しもあり、この道を選びました。

―今橋シェフの修業先はどちらでしたか?

今橋:横浜市の元町にある「横濱元町 霧笛楼」で6年ほど修業した後、26歳の時に渡仏しました。2年間の滞仏中、ブルゴーニュやパリなど三店舗で働きましたが、そのうちの一軒がニースの「KEISUKE MASTUSHIMA」です。

―松島シェフのお店で働いたことがご縁で、原宿の「KEISUKE MATSUSHIMA」のオープニングスタッフに呼ばれたのですね?

今橋:はい。でも、一年足らずで退職してしまったんです。家庭の事情で大船に引っ越すことになり、そんな時、鎌倉でレストランのシェフとして働かないか?という話を頂きました。それがちょうど2011年の東日本大震災の年で、店はできたものの、計画停電などで営業が立ちゆかず、結局、閉めざるをおえなくなった時、「KEISUKE MATSUSHIMA」からスーシェフとして手伝ってほしいとオファーを頂いたんです。でも、大船から通うのは大変だし、仕事への自信も失いかけていたこともあり、迷っていました。その時に出会ったのが、鎌倉野菜を生産・直売している加藤宏一さんでした。

誘われるままに、平日月曜から木曜日までの4日間は朝8時から夕方5時まで畑仕事を手伝い、週末3日間は料理人として厨房に立つ。そんな毎日が10ヶ月ほど続きました。それまでずっと閉鎖的なところで働いていたので、自然と触れ合うことがとても心地よかったですね。ヒーリングになったと思います。

―まさに兼農シェフですね(笑)。その後、再び「KEISUKE MATSUSHIMA」に戻られたのですか?

今橋:次第にレストランで働く時間が増えていき、中途半端な状態も良くないなと思い、戻ることにしました。スーシェフとして一年半ほど働き、その後、前任のシェフの独立に伴って、シェフに就きました。

―そこで、平瀬祥子さんと出会うわけですね。

今橋:ちょうどパティシエを探していた時に、二番手の子が紹介してくれたのが平瀬でした。パティシエというのは、ただの一つのポジションというのではなく、シェフと同じような立場で同じような考えを持つもう一人のシェフという立ち位置だと僕は考えています。世界観を共有できてこそ、コース全体がデザートも含めて完結します。面接で初めて会って、同じ世界観を持っていると直感しました。それに話し合いがきちんとできる点も、平瀬と組みたいと思った理由の一つです。

―平瀬さんのバックグラウンドも教えていただけますか?

平瀬:地元熊本のホテルで5年ほどキャリアを積み、2003年、23歳の時に渡仏しました。パリ最古のパティスリー「ストレー」で研修後、パティスリー「パスカル・ピノー」のスーシェフを務め、その後、エッフェル塔内のレストラン「ジュール・ヴェルヌ」ではシェフ・ド・パルティを任されました。

―パティスリーからレストランに方向転換されたわけですね。レストランのデザートに惹かれたわけは?

平瀬:きっかけは「Restaurant TOYO」の中山豊光シェフとの出会いですね。中山シェフの作る独創的な料理に感銘を受け、身近で働きたいと思いました。お店はカウンターでしたのでお客様の反応は一目瞭然でしたね。その様子を見ながら、味や量などを微調整していく、そんな瞬発力のあるレストランのデザートに惹かれました。「Restaurant TOYO」では、シェフ・ド・パルティとして自由にいろいろと作らせていただき、楽しかったですね。いわゆるお菓子とデザートの違いを考えるいい機会でもありました。
フランスには、おおよそ8年いて、2011年に帰国しました。その後、自分でお店をやりたいと思って上京しまして、「エディション・コウジ シモムラ」などを経て「KEISUKE MATSUSHIMA」に入ることになりました。

―今橋シェフの第一印象はいかがでしたか?

平瀬:信頼のできる人という印象でしたね。今橋は、人に対してとても真摯。人間力とでも言いますか、ソムリエの石田博さんなど、協力したいという人が自然に集まってきます。レストランは一人では出来ず、それぞれにポジションがあって成り立ちます。(彼は)それぞれの立場の方ときちんと向きあい、尊重もでき、人の気持ちを汲み取れる人なんだなと思いました。

今橋:それは、最初の修業先だった「横濱元町 霧笛楼」の今平茂シェフの影響が強いかもしれませんね。今平シェフは、人として大切なことを常に優先する方でしたから。当時は、よくわかりませんでしたが、職場が変わりシェフという立場に立つにつれ、その言葉の重み、大切さがよく理解できるようになりました。

それぞれのフィルターを通して表現する「Restaurant L’aube」の料理の世界

―お二人でタッグを組んで独立を選ばれた理由、お店をオープンされるまでの経緯は?

平瀬:まず、お互いに独立を考えるタイミングが合ったということがありますね。当初、私は、一人でもできるスイーツバーのようなお店をやりたいと思っていました。でも、いろいろと調べていくうちに、お菓子作り以外のこと、例えば経理や経営的なことを自分がきちんとやっていけるのか、不安に思っていました。

今橋:私は、それほど独立を熱望していたわけではなくて。でも、他人のフィロソフィーの中で料理を作るより、もっとシンプルに自分の作りたい料理を作りたい、そんな思いもありました。一方、平瀬の方は独立してスイーツバーをやりたいけれど、どうやったらいいかよくわからないという状態でいたので、それなら、一緒にやろうということになったんです。

平瀬:年代的もちょうど同じでしたし、考え方も似ていたので自然な流れでしたね。

今橋:店を出すなら小さくやりたいと思っていました。それで、最初は地元の横浜に出すつもりでいたんです。

でも、ソムリエの石田さんや金沢「銭屋」の高木慎一郎さんに「東京で勝負すべきだ!」と諭されて。東京で挑戦することに決めました。

―石田さんとの出会いも「KEISUKE MATSUSHIMA」だったそうで、3人の絆はどこか運命的ですね。石田さんをソムリエ兼マネージャーとして招いた経緯はどうだったのですか?

今橋:石田さんは、ファイナリストにまで選ばれた世界最優秀ソムリエコンクールを終えて、ちょうどアルゼンチンから帰国したばかりでした。コンクール出場のため前職の「KEISUKE MATSUSHIMA」もやめられてフリーな状態でしたので、渡りに船とばかりにお願いしました。

―サービスは、レストランの良し悪しを決めるキーワードの一つ。その意味でも、石田さんは頼もしい存在ですね。

今橋:その通りです。「KEISUKE MATSUSHIMA」時代から、いろいろと教えられることが多くて。ソムリエ目線からのアドバイスが僕の料理にとって、とても勉強になりました。例えば「この料理は、ポーションが大きくて女性には食べにくい」とか「柔らかすぎる」とか些細なことなのですが、そういう意見を取り入れ、話し合いながら、少しずついいものができあがっていく過程が楽しかったですね。時には、石田さんの方から「この料理にはこういうワインを合わせたいからソースのテイストをこんな感じにして」と言われて、ワインと共に一皿が完成することも多々あります。

―「Restaurant L’aube」のコースはアミューズが3品ほど出て、料理が5皿、デザート2皿に最後はチョコレートで終わる構成になっていますね。メニューの構成、組み立てはどうされていますか?

今橋:まず、メインと魚料理、前菜を決め、その合間に“抜き”や“遊び”の料理を挟むというのが、パターンです。
例えば、5月のメニューは、メインが仔鳩で魚料理が甘鯛。前菜は雲丹とホワイトアスパラガスで、遊びの皿がフォアグラの料理になります。これは、シンプルにポワレしたフォアグラの上にすりおろした山葵をのせた一品で、清涼感のある山葵の辛味がフォアグラの油脂分をスキッと切り、シャープな美味しさを表現しています。また、コースにスープ仕立ての料理があると流れが良くなるので、すっぽんの出汁と鶏節でとった出汁を一対一で合わせ、煮詰めたものを最後にかけて仕上げています。

―チョコレートに焼き茄子を合わせてみたり、ミントの汁に漬けた蓴菜をマスクメロンとスープ仕立にしたりと平瀬さんのデザートは発想が独創的ですが、その源はどこにあるのですか?

平瀬:シェフとの話し合いからアイデアが生まれることや、生産者さんの畑に行った時の情景や畑の野菜や果物を見てインスピレーションがわくこともありますね。デザートに使う食用のバラの畑に行った時、近くでビーツを栽培していたので合わせてみようかな、と思ったり。また、料理からヒントを得ることもあり、例えば、ホワイトアスパラガスとイチゴのサラダをデザートに作り直したこともあります。桃、洋梨、いちごなど季節で絶対使いたい食材もあるので、それをベースに思いつくデザートもありますね。

―モダンでありながら、どこかクラシックな味わいを感じさせる今橋シェフの料理ですが、大切にしていることは?

今橋:コースの流れを第一に考えています。そして素材感を活かすことでしょうか。農業に携わったことやフランスでの修業等々、これまでの様々な経験やいろいろな方達との出会いが、私というフィルターを通して生まれてくる料理、それが、「Restaurant L’aube」の料理であり、個性になっていると思います。何を食べてもらいたいかが、はっきりと伝わる、素材感のある料理が好きですね。だから、一皿に盛りこむ主要な要素は3つまでと決めています。また、自分本位にならないことも大切。独りよがりな料理ではなく、お客様の立場で、どんなものが食べたいのかを考える姿勢を忘れないように気をつけています。

―平瀬さんの場合はいかがでしょう?

平瀬:デザートは、美味しさはもちろん驚きやトキメキも必要だと思います。また、コースの締め括りとしての役割があります。ですから、デザートも料理の流れを考慮して作るようにしていますね。例えば、シェフは料理にハーブをよく使いますが、それにあわせてデザートにもハーブを用いてみて、香りのトーンを合わせるといった感じでしょうか。また、お店を作る際には厨房と客席の距離感にもこだわりました。温かいデザートが冷めないうちに運べるぐらいの広さや厨房からお客様の様子がわかる店のサイズ感が理想でした。「Restaurant TOYO」のカウンターで働いた経験を活かしていますね。

―お2人のお料理やデザートをいただいて、日本の食材への思いも深いように思います。

今橋:そうですね。コロナ禍もあり、国内の食材をもう一度見直そうという思いはありますね。わざわざヨーロッパの食材を取り寄せなくても、日本にも優れた食材がいっぱいありますから。日本の食材は、野菜にしても水分が多い。その水分をどう活かすかを意識して火入れや味付けの加減に気を配っています。

平瀬:デザートも同様ですね。特に日本のフルーツはフレッシュのままいただくのが美味しいので、それを活かすようにしています。

―これからの展望について教えてください。 

今橋:当たり前のことですが、より上質なサービスを提供したいと思っています。そして、次世代のシェフを育てていきたいという思いもあります。私が素敵なサービスマンやソムリエさんと出会ったことで育ってきたように、シェフを育てていきたい、そう思っています。男女の関係なく、いろんな人がそれぞれの個性を持っているので、その個性を活かせる環境を作ってあげたいですね。

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【プロフィール】

今橋英明
神奈川県出身。2006年に渡仏、フランス・ブルゴーニュ「オステルリー・ヴィユ・ムーラン」やニース「KEISUKEMATSUSHIMA」、パリ「シェ・ラミジャン」で修業。
帰国後は原宿「レストランアイ」で副料理長を務めると同時に農業にも従事。2013年より同店のシェフに就任し2016年自身がオーナーを務める「Restaurant L’aube」をパティシエの平瀬祥子氏と共に開業。
2017年からミシュランガイド一つ星を連続で獲得。
2019年「株式会社ローブ」設立
2021年パティスリー事業会社「株式会社ヒラセ」を平瀬氏と共に設立。2022年4月、金沢の歴史ある料亭跡地にて「Patisserie L’aube 花鏡庵」を開業。

平瀬祥子
熊本県出身。ホテルニューオータニ熊本入社後、2003年に渡仏。パリ最古の「pâtisserie Stohrer」で研修したのち「Pâtisseries Pascal Pinaud」にてスーシェフ、2008年にエッフェル塔内にある「Restaurant Jules Verne」を経て「Restaurant TOYO」シェフパティシエを務める。
帰国後は「Édition Koji Shimomura」、「KEISUKE MATSUSHIMA」シェフパティシエを経て、シェフ今橋英明氏と共に「Restaurant L’aube」開業。
2020年、Gault&Millauベストパティシエ賞を受賞、2021年に今橋氏とパティスリー事業会社「株式会社ヒラセ設立」。
2022年4月、金沢の歴史ある料亭跡地にて「Patisserie L’aube 花鏡庵」を開業。

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【編集後記】

店名の「L’aube(ローブ)」とは、始まりや夜明け、誕生を表すフランス語。自然が創造した美しさと、人が創造した美しさのハーモニーを生み出し、「その瞬間にしか存在しない美味しさ」を創りつづける、という想いが込められています。「生産者のこだわりや産地の情景を、2人のフィルターによって一皿に表したい」、そんなお2人の静かながら熱い情熱が、訪れるゲストを心地よい楽しさへと導いてくれることでしょう。

フランス料理

Restaurant L’aube

南北線 六本木一丁目駅 徒歩約5分

20,000円〜29,999円

※こちらの記事は2023年08月24日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

森脇 慶子

学生時代からの食べ歩きが昂じて食の世界に携わり、早や40年余り。
フードライターという言葉もない頃からこの道一筋。美味しいものへの探求心は、変わりません。
食は歴史、食は人をテーマに続けていければ、というのが目下の願い。「東京最高のレストラン」のメンバーとしても20余年のキャリアです。

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