銀座「すし おおの」大野英朗氏インタビュー。40年間歩み続けた江戸前寿司の道

名店が連なる銀座に店を構える「すし おおの」。店主の大野英朗氏は約40年間、江戸前寿司の本道を歩んできた真の職人。独立して出したお店は、ミシュラン一つ星を獲得しながらも、2018年に店舗の立ち退きやご両親のサポートなどがあり、惜しまれつつ閉店。その2年後、2020年に同じ銀座の地で、満を持して完全復活しました。当時と変わらぬ味を提供し続ける寿司の匠・大野氏。今回特別にKIWAMINOのインタビューに応えてくださいました。

職人歴40年の匠が歩んだ寿司の道

―店内に入ると檜がふわっと香って、とても癒されました。ここが銀座のビルの5階だということを一瞬で忘れてしまいます。

2020年の2月にオープンしたんですが、まだ香りますか?ずっといると慣れてしまうようで、自分では感じないんですよね。お客様には、路面店のような門構えや玄関からのストロークが素敵だと、お褒めの言葉をよくいただきます。

―大野様は約40年、江戸前寿司一筋と伺いましたが、その原点をお聞かせください。

地元の千葉県八千代市で、寿司職人の親方と17歳の時に出会って、その方の下で働き出したのが寿司の世界の一歩目。それまでは、寿司職人になろうとは全然考えていなくて、この何気ない出会いがきっかけでしたね。それで20歳の時に、東京の料亭の親方と知り合い「寿司職人を目指すなら、東京へ出ておいで」とアドバイスをいただき、麻布十番の「まつ勘」さんにお世話になりました。

ボストンバッグ1つ持って出てきましたね、まさに昭和の時代といった感じですよね。私が入店させていただいた当時は、「まつ勘」の親方はまだ若くて30代くらいでした。それまで3年の経験はありましたが、ここではイチから勉強しなきゃと思って働かせてもらいましたね。

バブルの時期とも重なったので、かなり忙しかったです。先輩たちに追いつこうと、朝イチで調理場に入って雑用を早く終わらせ、閉店後は包丁の練習。休みの日は市場に行ったり、寿司以外の料理も勉強しようと和食屋さんの皿洗いの仕事もしていました。その結果、つけ場には4,5年で立たせてもらいましたね。

つけ場に立たせてもらった2年後の26歳の時に、吉祥寺にも店を出すことになったので、その二番手として立ち上げから携わらせてもらいました。10年後に一番手の方が独立され、その次に、私が一番手で店長として店を任されました。それから4年後の40歳の時に、私も独立したんです。

―独立を決意された際の思いや、店舗を銀座に構えた理由をお聞かせください。

独立するのは、一抹の寂しさもありましたが、下の者を育てるためというのもありますし、いずれは自分の店を持ちたいという思いが入店当初からありましたので、そろそろ機が熟したのかなという思いでしたね。
銀座で自分の店を開こうと、最初は考えていなかったんです。こだわりとしてあったのが、席は10席以下でカウンターのみということ。自分が納得のいく形でお客様をおもてなしするには、その席数が限界と思っていたんです。そのこだわりが叶う店舗が、銀座で見つかったんです。それが2004年でしたね。

―オープン3年目でミシュラン一つ星を獲得されたとお聞きしました。

ミシュランがはじめて東京版を出すというタイミングで、星をいただきましたね。今ですと、掲載数が結構多いですが、当時は20件もないくらいじゃなかったかな。選ばれてびっくりですよね。グルメ雑誌の海外版程度のものかと思っていたら、全く違っていて。反響がすごかったですね。お客様にも喜んでいただきました。逆に、予約が取りにくくなったという声もありましたね。

―オープンされて14年後、人気絶頂の中で閉店されたそうですが。

開店して14年経った2018年頃ですね。ビルの立ち退きのタイミングと、両親が体調を悪くしてしまって、そのサポートのために店をいったん閉めることにしたんです。立ち退き前から新店舗探しはしていたんですが、なかなか自分のこだわりを叶えてくれる物件がなくて。見つけるのには、かなり苦労しましたね。

―座席数は10席以下など、店舗のこだわりを変えなかったんですね。

美味しいものを出すのは当たり前なんです。どこでも美味しいお店はいっぱいありますよね。お客様に“暖簾をくぐってお店に入って、暖簾をくぐってお店を出るまでの時間”をいただいているわけですから「ここへ来て良かったな」という思いを、料理だけではなく、時間も楽しんでいただきたい。そのこだわりがあるので、店舗の空間にも妥協はしたくなかったですね。そして奇跡的に、この店舗と出会うことができました。

明日への活力に。「すし おおの」のひととき

―ファン待望の「すし おおの」が2年ぶりに復活。食材のこだわりを教えてください。

食材に関しては、目利きで良いものを仕入れるというのもあるのですが、仲買人さんとの関係を大事にして食材の情報を聞いていますね。例えば、カツオでも黒潮の中にいるのといないのとでは全然違いますし、釣って1日で帰ってくるのか、2日かけて帰ってきたのかでも違いますからね。まあ、他の職人さんも同じだとは思いますが、そういう食材の経緯も大事にしています。

うちで使わせてもらっているすし米は、山形県産のコシヒカリ。決まった農家さんで、1週間分や10日分など、使う分だけ精米して直接送ってもらっています。お米も鮮度が大事ですからね。お米一粒一粒が立っていて、私のお寿司にぴったりなんです。米も、その日の気温や湿度によって浸透度が変わってくるので、水の量なども炊く時に調整してますね。

酢飯は、白酢と赤酢の2種類をブレンド。今、赤を強く使っているところも多いですが、うちではそんなに使ってはいません。わりと白だけに近い感じで、アクセントで赤を感じるくらいですね。酢は開店当初から横井醸造さんのものを使わせてもらってます。

魚に関しては、今よく言われている“寝かし”もありますが、これは昔からあったものなんでね。単純に寝かせればいいというわけではないですし、塩梅が大事です。例えば「こはだ」の締め具合にしても、締めてからしばらく時間を置いたほうが、味も馴染んでとげがなくなりますし。

仕込みに関しては、お客様が来られるのが1週間後だとしたら、その時に最高の味になるように、最低でも3日前から準備を進めていますね。お客様に美味しいと言っていただくためには、時間も労力も惜しみません。

―「すし おおの」で味わってほしい品といったらなんでしょう。

お客様からリクエストが多いのは「こはだ」や自家製のカラスミ、あとは独立当初から変わらない味付けの「茶碗蒸し(梅肉かつおだし葛餡)」とかですかね。以前の店舗に来られていた常連の方からも「前に食べていた味だ」と喜んでいただけています。

つまみは煮物、焼き物、アンコウの肝などの珍味系など、握りと被らないように季節も感じてもらいつつ、お出ししています。量に関して、多い少ないは対応できますので遠慮なく言っていただければと思います。
お酒はビールや日本酒、焼酎だけではなく、白ワインやシャンパンも用意しています。料理に合うお酒を提供させていただきますよ。

―最後に、大野様がお寿司を通して伝えたいことはなんでしょうか。

お越しいただいたら、季節を楽しんでいただきたいと思っています。料理もそうですが、四季のお酒も用意していますので、それぞれの旬を目と舌、五感で味わっていただきたい。あと、お客様はいつも忙しく仕事をなさっていると思うんです。その中で時間を作ってくださって、たくさんのお店の中からうちへ来ていただいている。ですから、「明日もがんばろう!」と思っていただけるような、明日への活力になるお寿司を提供させていただきたいと思っています。

*******************
【プロフィール】
大野 英朗(オオノ ヒデアキ)
1965年、千葉県生まれ。17歳で地元千葉の寿司店し、江戸前寿司の道を歩む。20歳の時に「すし屋のまつ勘」へ。吉祥寺の新店舗の立ち上げに関わり、一番手として活躍。40歳の時に独立し、銀座コリドー街に最初の「すし おおの」を開店。2014年にはミシュラン一つ星を獲得するなど話題に。2018年にお店を閉めるが、2020年に現在の地で再オープン。確かな技術と味で、鮨ファンを魅了している。
*******************

【編集後記】
職人歴約40年の大ベテランにもかかわらず、物腰柔らかでお喋りがとても上手な大野様。当時常連だった方のお子様が大きくなり、「すし おおの」様の復帰を知って、ご両親へのお土産を買いに訪れたそう。こういった繋がりも、大野様の人柄だからこそだなと思いました。自分の大切な人と、リラックスして美味しいお寿司を楽しみたい方、ぜひ訪れてみてはいかがでしょう。

※こちらの記事は2024年08月22日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

吉田ふとし

人材業界系メディアの編集・制作を経て、現職。小学生の娘をもつ1児の父。アルコール(日本酒、焼酎、ウィスキー)を好むのは祖母譲り。読者のみなさまには、気づきのある多くの情報をお届けいたします。よろしくお願いいたします。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:ジランドール
・好きなお店:広東料理 センス
・自分の会食で使うなら:「赤坂浅田」
・得意ジャンル:和食 / バー
・好きな食材: ジビエ、白子

このライターの記事をもっと見る

この記事をシェアする