【インタビュー】名古屋「料亭 河文」若女将に聞く、創業400年の老舗が発信する現代の料亭文化

創業400年、尾張徳川家ご用達のご馳走処として名を馳せ、中部地区の迎賓館として多くの賓客をもてなしてきた名古屋の料亭「河文」。名古屋最古の料亭ならではのおもてなしとこだわりを、若女将の香川 絢子さんに伺いました。

※本インタビューは、2021年1月22日にオンラインにて行いました。

尾張徳川家ご用達のご馳走処として積み重ねた歴史

―「河文」は400年の歴史ある料亭として名古屋を代表する飲食店の一つですが、まずは料亭の成り立ちをお聞かせください。

名古屋の街はもともと清州越(徳川家康の名古屋城築城に伴う清洲から名古屋への都市移転)により、旧名古屋市街となる城下町が作られたことに由来します。「河文」の目の前の通りが「魚の棚通(うおのたなとおり)」という名ですが、魚屋が軒を連ねた通りであったことが由来です。

創業者は河内屋文左衛門(かわちやぶんざえもん)と申しまして、元は魚屋として釣った魚を振り売りしていました。
尾張徳川家に献上をしており、鮮度が良く美味しいと魚の目利きが認められ、仕出し屋、お料理を出すお店へと変遷を遂げました。創業380~400年ほどと言われおり、名古屋で現存する一番古い飲食店ということになります。

―江戸時代は尾張徳川家ご用達のご馳走処として、明治以降も数々のVIPが訪れたとか。

歴代の御用達として伊藤博文氏を筆頭に、歴代の総理大臣の方にお越しいただいていておりました。また、新紙幣の一万円札の図柄になることで話題の渋沢栄一氏も、日記の中に「河文楼」という名で記しており、足繁く通っていただいたようです。

鹿島 茂 (監修)『渋沢栄一: 天命を楽しんで事を成す (別冊太陽 日本のこころ 285)』,
平凡社 ,2021年

―近代建築の巨匠、谷口吉郎氏が手掛けた中庭と「水鏡の間」があることでも知られています。

仰る通り、中庭と「水鏡の間」を作られたのは明治村初代館長である谷口吉郎先生です。元名古屋鉄道株式会社会長の土川元夫会長のアドバイスにより、中庭全面の水鏡と、それを見渡せる「水鏡の間」を手掛けられたと伺っております。東京・赤坂の迎賓館和風別館の試作として作られたようで、ほぼ同じ設計様式になっているのが面白いです。
通常、鏡池と呼ばれる様式は水面下が深く黒石を敷くことが多いのですが、「河文」は白っぽい緑の庵治石で、独特の形状になっているところも、試作の跡が垣間見えます。
その後、世界的に活躍する彫刻家、流政之氏が、「床の間が水に浮いたような感じにすると良い」と石で能舞台と同じ三間四方の石の床の間が完成しました。時代と共に様々な方にご意見をいただき、変遷を遂げており、400年の歴史の中でも進化を感じます。

ニーズを踏まえた現代の料亭として

―歴史的な建築を残しながらも、しばしば改装をされ、バリアフリー対応をされているそうですね。

2011年から、株式会社Plan・Do・Seeが運営しており、その年に大きな改装工事を行いました。以前は玄関で靴を脱いで上がる様式でしたが、後期高齢化社会を見据え、バリアフリーにしようと考えました。車椅子でも上がれるように玄関にスロープを付け、杖を突いたお客様でもお過ごしいただけやすいように、1階は全て靴履きのままで入れるようにしております。
外門から大広間まで続く母屋部分は登録有形文化財に登録されていますので、大きな部分を変えられない制約はありますが、形状を保ちつつ、これからのニーズを踏まえて徐々に変えております。

―料亭内にカウンターキッチンを設けられているのも、他ではなかなか見ない珍しい試みだと思います。

料亭文化は、個室で給仕し、芸舞妓を呼び楽しんでいただくのが常ですが、2011年頃から板前がお客様の声を直接聞き、料理に反映し、開発していく経験が必要ではないだろうかと「割烹 河内屋」を始めました。当初は「おひとりさま」が流行の兆しを見せていて、個室はお2人からのご利用になるのですが、お1人でも楽しんでいただけるようになり、ちょうど10年になります。
(※2021年3月現在、新型コロナ感染拡大防止のため割烹は一時的にクローズされています)

―なるほど、確かに旅行や出張で有名店に行きたいけれど、1人では行きづらいという声をよくお聞きします。

気軽に料亭に足を運ぶことを日常にしていただければと。今お話している空間は、カフェ(茶房)としてお昼と夜の合間に開放しておりまして、コーヒーや紅茶一杯からでもご利用いただけます。
定期的に芸舞妓さんをお呼びしてお座敷遊びや尺八、丁半などを楽しんでいただく「Cultural Night」という企画を催しています。インバウンドの方を始め、国内の方にも文化発信としてお楽しみいただきたいと思っております。
20代~30代の方から「料亭は敷居が高い」というお話を伺うことが多いのですが、体験する機会や、言葉を知る機会が少なくなっているのも理由の一つかと感じ、料亭文化を知っていただきたく、発信する機会を設けております。

お節介ながら細やかにご説明させていただき、そのような知識を磨いていただくことで、面白いと思って楽しんでいただく気持ちが一人にでも伝われば、「河文」以外の料亭さんや割烹料理屋さんに訪問されたときにも気づきができるのではと考え、種まきとして会を賜っております。
例えば私どもは季節にちなんだおもてなしとして、1月は必ず玄関先にお正月のお飾りや干支の掛け軸を飾っています。松竹梅や鶴亀の器や、福寿草といった室礼でもてなす、というように季節毎で各種の調度品が変わります。
お食事の際はお客様を迎えるにあたって黒子に徹しており、全てをご説明することはできませんので、文化発信の機会を持っていきたいのです。

―400年の美食を今に伝える「河文」ですが、名物料理や季節のお献立についてお聞かせください。

「河文」ではひと月に1回お献立を変えており、節分や立春など、季節感を踏まえた一品にしておもてなしをさせていただいております。看板としているものは江戸時代から続く「鮑の塩蒸し」で、通年ご提供できる一品です。調理法は代々口伝で伝えられてきた歴史があり、もし徳川家が味わっていたとしたら、そのお献立だと言われています。

出汁の引き方については面白いエピソードがあります。私の修業元は京都「萬亀楼」という創業400年ほどの老舗料亭で、京都の料亭で働く板前さんは定期的に料理の勉強会をされていらっしゃいます。あるとき「河文」の板前が「萬亀楼」さんとお出汁の話をしたところ、出汁の引き方と全く一緒だったので非常に感動したそうです。
名古屋の料理組合の中では、「河文」と他のお料理屋さんでは出汁の取り方が違うそうです。また、名古屋のお雑煮と言えば澄まし汁ですが、「河文」では白味噌仕立て。元々仕出し文化や茶道文化など関西からの影響も多く、京料理にも通じるものがあります。

―尾張徳川家にお出ししていただけあって、やはり上品な味付けだったのですね。

尾張徳川家の方々は上品な料理を好んでいらっしゃったそうです。逸品と賞賛した食材やレシピ、お献立は「御留(おとめ)料理」と呼ばれ門外不出とされ、一般庶民は口にすることはもちろん、作ってもならないというものがたくさんあったようです。
江戸創業の老舗のお菓子屋や料理店にはそのレシピが残っておりますが、現代にはほぼ知られていないのです。
今、名古屋観光のキーワードになっている「名古屋めし」は手羽先、きしめん、ひつまぶしといったB級グルメがメインで、大衆的な料理しかないと思われがちです。実は老舗を訪れると皆様が知らない本当の「名古屋めし」を楽しめる、ということを少しだけPRしたいなと思っています。

料亭文化を未来に発信する取り組み

―先ほど、「料亭文化」を今に伝える催しをお話いただきましたが、「河文」のこれからの取り組みについてお聞かせください。2021年現在、外出自粛を余儀なくされる中で、「河文」でもお弁当のご提供をされているそうですね。

歴史が長いお店なだけに、どうやって守られるかという質問を受けることが多いのですが、私は「伝統を守る」という言葉を使わず「発信するためにどうしていくか」、というように転換してお答えしています。料亭文化を発信していくことで、より多くのお客様に広く受け入れていただき、喜んでいただくということを、引き続き耐えまず続けたいと思います。接待を主にご利用くださっていたお客様にもテイクアウトでご家族のお手元に料理を持って帰っていただくことで、より多くのお客様に料亭の味を楽しんでいただけると考えております。


コロナの状況は、苦しい部分も多いのですが、「良い転換期」として捉えています。元来「仕出し」の文化、「お弁当」の文化を持ち合わせていましたので、振り返り見直しながら、良い形で発信してお客様にご提供を続けていきたいですね。

―日本も100年に1度は大病が蔓延していた中、400年の歴史の店が語る重みを感じます。

歴代の女将が素晴らしく、東海道新幹線が開通したときも「これからは新幹線の時代だ」と名古屋の新幹線のホームでずっといらっしゃったというエピソードもあります。
また、今の板長は42歳なのですが、お母さまも戦後「河文」で料理人をしていたそうです。当時から5~6人ほど女性の料理人がいたそうで、女性料理人が現代でも少ない中、ジェンダーフリーな環境でしたし、新しいことをどんどん取り入れていく気概が当時から備わっていたことを感じます。
400年続けていくということは、新しい社会の世相を読み取り、変革を続けながら営業を続けていたのだろうと確信しています。私たちもその精神を受け継ぎ、営業を続けてまいりたいという意識を持っています。

―オンライン上でも若女将の情熱がとても伝わってくるお話ですね。

ありがとうございます。このような状況ではありますが、皆様をもっと元気にするお店でありたいなと心から思います。今「河文」ができることは何か考えて、行動に移すということがまず一歩。そこから結果を結びつけていければと思います。
多くの方を受け入れてきた歴史から知恵をいただき、皆様に美味しく召し上がっていただける楽しい文化を未来に繋げていきたいですね。

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香川 絢子(かがわ あやこ)氏 プロフィール
広島市出身 龍谷大学文学部史学科卒業
半導体メーカーROHM株式会社に勤務の後、2006年 株式会社Plan・Do・Seeに入社
ウエディングプランナー、バンケットプランナーを経験した後に2007年秋 名古屋に転勤
京都「萬亀楼」にて女将修行をし、2011年3月より名古屋最古の料亭「河文」の若女将を務める
大学時代より表千家にて茶道を学んだ経験を活かし、伝統を継承しつつも多くの方に分かりやすく楽しんでもらえる和食講座、古典芸能の企画などを多数発信している
2019年11月「G20愛知・名古屋外務大臣会合」会食会場の実績を起点に、更に愛知・名古屋を盛り立てるべく邁進している

博物館学芸員
中部広島県人会 常任理事
名古屋市名城消防団 2019年ぼうさい国体登壇 応急救命普及員
愛知県警察署協議会委員
唎酒師
茶道表千家講師

【編集後記】

若女将の丁寧ながら情熱的な語り口からは、名古屋から料亭文化を発信し、盛り上げていきたいという熱い想いが伝わってきました。今のニーズを読み取り対応される姿勢からも、老舗の歴史が誇る芯の強さを感じました。
尾張徳川家を始め多くの要人が愛した「河文」の世界、名古屋を訪れたらぜひ堪能してみたいですね。

日本料理

河文

地下鉄鶴舞線・桜通線 丸の内駅 2番出口もしくは4番出口より 徒歩約5分

※こちらの記事は2024年03月26日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Airi Ishikawa

一休のメディア事業部長。日本全国を旅しながら、その道のプロにインタビューや取材をしています。休みには足をのばして国内ワイナリーを巡るのが好き。地産地消や、生産者に近い距離で食材や料理に向き合う「極みのシェフ」がいる店をご紹介します。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:銀座 しのはら / 南青山 まさみつ / サエキ飯店 / コートドール
・好きなお店:鮨 梢 / フランス料理 エステール / コンチェルト / エンボカ 京都
・注目しているお店:SeRieUX / プルサーレ / bistronomie Avin
・得意ジャンル:フレンチ / バー
・好きな食材:山菜 / 鴨

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