フランス料理界のトップを走り続ける老舗レストラン「トロワグロ」の日常を巨匠フレデリック・ワイズマン監督がフィルムにおさめ、第58回全米映画批評家協会賞 ノンフィクション映画賞ほか数多くのドキュメンタリー映画賞を受賞した本作。創業以来94年もの長きにわたり愛され続けてきたレストランの日常を追い、変わらぬ人気の秘密を探ります。その主人公の1人、4代目を担うセザール・トロワグロ氏に、映画の見どころや料理への向き合い方などお話しいただきました。
美しい映像で描かれるレストランのバックステージ
―「トロワグロ」の歴史と映画化のきっかけを教えてください。
「トロワグロ」は、初代ジャン・バチスト・トロワグロがフランス南東部に位置するローヌ=アルプ地方、ロアンヌでレストランを開業、その跡を継いだ祖父であるピエール・トロワグロ、伯父のジャン・トロワグロは“トロワグロ兄弟”として世界的に名を馳せた料理人です。55年間ミシュランの三つ星を維持しており、現在は、3代目オーナー・シェフ である父、ミッシェルのもとで私がシェフとして采配を振るっています。2017年には郊外のウーシュへ移転し、緑深き湖に囲まれた森の中にレストランをオープン。ドキュメンタリー作家、巨匠ワイズマン監督が食事にいらした際に興味を持っていただき、映画化の話が進みました。
―レストランをとりまく田園風景の映像は耽美で、映画の中に登場する料理はまさにアートですね。今回の映画の見どころについて教えていただけますか。
建築家・パトリック・ブシャンが手掛けた森の中のモダンな邸宅レストランが舞台です。その中でわれわれスタッフは、日夜、食への追求を続けています。約4時間の映画の中では、レストランの日々のルーティンが映し出され、仕入れや仕込み、調理風景、味の追求、メニューの策定など調理場のバックステージを余すところなくお見せしています。牧場主やチーズの業者、ワイナリー、ブレンダーなど生産者との密な連携の様子、ゲストとの触れ合いなどレストランの何気ない日常が美しい映像で流れます。一番見ていただきたいのは、厨房のなかで料理を作っているときの流れるような所作。素材選びから下処理、盛り付けまでの美しい動線をワイズマン監督が仔細に撮ってくださっており、その映像美がすばらしいと思います。料理を作ることには膨大な時間が必要です。食材の選別、料理を作る仕草、その作業の正確さ、そして蓄積されたノウハウなどさまざまな角度から料理人の仕事を見ていただきたいですね。
老舗を受け継ぐ重積と料理人として大切にしていること
―4代目として、現在取り組んでいることや挑戦していることはありますか。
この仕事を引き継いだ理由は、「トロワグロ」を継ぐことは自分の役割であり、自分の仕事であると理解していたからです。両親とは13年ほど前から一緒に仕事をしておりましたし、2人の働く姿をずっと見てきましたので、とても自然なことだと受け止めていました。両親には自分からメゾンを継ぎたいと伝え、家族会議で話し合いました。
―料理を作る上で大切にされていることはありますか。
一番大切だと思っていることは、召し上がる方に楽しんでいただく、喜んでいただく、そしておいしいと感じていただくことです。料理人としては、食材に対してリスペクトを持って向き合い素材を大切にすること、料理の工程を正確に行うこと、流行を追うのではなく、新しい技術や食材を取り入れることを恐れないことを信条としています。
―映画の中では、日本の調味料や素材も登場しますが、日本の料理から学んだことはありますか。
料理には意味があるということ、守らなければいけない法則や摂理があるということを学びました。たとえば、3つ以内で食材を組み合わせて作ること、温度と味付けのバランスを正確にすることは、日本の料理から学んだと思っています。
―料理に関して日本からインスパイアされたことはありますか。
日本に行ったのは、2009年が最後なのですが、それまでに10回ほど日本を訪れています。日本の料理は、「驚くべき」という言葉に値するくらいさまざまな魅力に満ちています。料理人の方たちは、素材に対してのリスペクトを持ち、知的なアプローチをする印象があります。また、日本には、驚くほど多様なジャンルの料理が存在していますよね。フランス人にとっては、寿司ぐらいしか思い浮かばないかと思うのですが、蕎麦屋、うなぎ屋、焼鳥屋など一つの国にここまで多彩な料理が溢れているのは世界の中でも日本だけではないかと思います。日本を旅していると食を通して感動する機会が多いのですが、和食ほど体に良い料理はないということを痛感します。軽やかで消化にもいい、それは日本食の優れた特徴かと思います。日本で好きな店を挙げるとすれば、東京・目黒にある「八雲茶寮」、銀座の「すきやばし次郎」ですね。
―日本の料理人に対しては、どのように思われていますか。
日本の料理人には、クリエイティブな方もいれば、保守的に伝統を守る責任を背負い、次の世代に受け継ぐ使命感を持って取り組んでいる方もいます。その対照的な存在は、日本ならではの食文化の豊かさを担っているのではないでしょうか。特に日本料理の料理人は、職人の技を大切にして昔からの手法を今も受け継ぎ次の世代に伝えていこうという姿勢が徹底していますよね。フランスは、変化を求める国ですが、時には変化を求めすぎて大切なものを失ってしまうことがあるんです。フランス料理に脈々と受け継がれている料理のノウハウや伝統をおざなりにしてしまうこともある。日本はそうした点を大切に守っています。
ウーシュへの移転で変わった料理への取り組み方
―ロアンヌからウーシュに移転にして変わったことはありますか。
ロアンヌとウーシュは雰囲気がまったく違います。ロアンヌからウーシュに移り、場所が変わっただけではなく、環境の変化がなにより大きいです。ウーシュには広大な敷地があり、自然に囲まれています。その自然の中で暮らしていると物の見方が変わりますし、物事への取り組み方、料理との向き合い方も変化しました。
―なぜロアンヌの店を閉めてウーシュに新たな店をオープンしたのですか。
以前の店は、ロアンヌの駅前にあったのですが、借地であったことがまず一つ挙げられます。それから時代が変わり、お客様がわれわれのレストランに求めている環境ではなくなっていたことが気になっていました。そんなころ、駅前の再開発が進み、都会的で冷たい雰囲気の町になってしまった。そこで、お客様の求めている自然との触れ合いを作り出せる場所に移りたいと考え始めました。自分たちの土地で自分たちのメゾンを建てて、正真正銘オーナーになりたいという気持ちが強くありました。
―移転してから料理は変わりましたか。
料理に関しては、ロアンヌのときから変わらず、クリエイティブに料理と向き合っています。われわれとしては以前と変わらないスタイルでコースを提供しているのですが、この土地に導かれるようにして知らず知らずのうちに料理が変わっていっているのかもしれません。ウーシュという新しい土地のエネルギーが料理に吹き込まれて、お客様の料理に対する受け取り方も変わっていきているように思います。
―シグネチャーといえる料理が今の「トロワグロ」にはありますか。
店のシグネチャー料理を作りたいと思ったことはありませんし、作るつもりもありません。私の料理は少しずつ変わっていますが、ただ変わるのではなくて、家族で受け継いできたもの、それからお客さまが求めているものを大切にしながら日々進化しています。大切にしているのは、われわれのエスプリやスタイル、おもてなしの心です。それらは「トロワグロ」が本来持っているものであり、お客様に求めてられていることだと思っています。それがシグネチャーという形で表現されることはありません。
店を受け継ぎ、さまざまな前進をしていきたい
―4代目として、これから挑戦していきたいこと、現在取り組んでいることはありますか。
両親が、少しずつ私という次の世代にいろいろなことを譲り渡していこうとしてくれていますので、それを受け継ぎながら料理を作り続けていくことです。料理に関して言えば、自分でも、今後どういう方向に向かうか正直まだわかりません。料理を作りながら前に進んでいこうと試行錯誤の毎日です。大切にしているのはお客様を幸せにすること、それから食べる喜びを持っていただきおいしいと思っていただくこと。これらを心に留め、常に止まらず前に進んでいくことを心がけています。これは父親から自然に譲り受けたことなのですが、あまり先行きに不安を持つことなく、とにかく止まらないこと。うまくいくという確信を常に持って前に向かって進んでいます。
―これからどんなふうにお店作っていきたいとお考えですか。
今のところの希望としては、ウーシュにシンプルな料理が食べられる店をもう1軒オープンしたいと準備中です。ロアンヌにメゾンがあったときには、すぐ隣に「ル・サントラル」というプラッセリーがあり、そちらを案内していましたが、さらに近い場所に新店をオープンすることを考えています。具体的なプランはまだないのですが、数泊されるお客様に滞在中行っていただけるようなレストランで、地元の食材を使った野趣あふれる、同時にエレガントでもある料理を楽しんでいただける店を作りたいと思ってます。
また、最近、パン専用の平釜を備え、レストラン用のパンを天然酵母で作る施設を作りました。将来的には、テイクアウトできるようなブーランジェリーにできればと準備しています。おもてなしに関しては、よりパーソナルで家族的な雰囲気をお客様に味わっていただけるように、新しい施設を作ろうと画策中です。
―日本に再びお店をオープンする予定はありますか。
近い将来、また店をオープンしたいとは思っていますが、まだ具体的な話はありません。これから良いパートナーに出会えたら出店したいですね。
―この映画をきっかけにウーシュに行きたいと思う日本人も多くいると思うのですが、そうした方々に対してメッセージをお願い致します。
わざわざ遠くから日本人の皆様が来てくださり、レストランにお迎えできることを大変光栄に思います。映画の中では、実際に店で行われていることがリアルに映し出されています。キッチンの中における日々の仕事のすべてを知っていただけると思います。ワイズマン監督がウーシュに食事に来てくださったことによって、このようなすばらしいドキュメンタリーが生まれました。おそらくここまで細かく、そして正確に捉えているドキュメンタリー映画はほかにはないと思っています。ぜひ、映画を楽しんでいただいて、ウーシュにも来ていただければと思います。
***
プロフィール セザール・トロワグロ氏
1986年、フランス・ロアンヌ生まれ。リヨンのポールボキューズ料理学校で基礎を学んだ後、フランス、スペイン、アメリカなどの名店で研鑽を積む。
2011年より「トロワグロ」の厨房に入り、現在は同店の4代目としてシェフを務める。
****
【編集後記】
老舗の4代目の重積を担うセザール・トロワグロ氏ですが、ゲストに楽しんでいただく、というただ一つのシンプルな信念を貫き、気負うことなく日夜精進しているように見受けられました。映画の中に入っていきたくなる夢のような美食空間、トロワグロ家が創り上げた唯一無二のレストランへの憧れが募ります。
※8/23(金)よりBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
第58回全米映画批評家協会賞 ノンフィクション映画賞 受賞
第89回ニューヨーク映画批評家協会賞 ノンフィクション映画賞受賞
第49回ロサンゼルス映画批評家協会賞 ドキュメンタリー映画賞受賞 他
監督・製作・編集:フレデリック・ワイズマン『パリ・オペラ座のすべて』『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』
公式サイト www.shifuku-troisgros.com
公式X https://twitter.com/troisgros_movie
※こちらの記事は2024年08月22日作成時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。