京都「南禅寺畔 瓢亭 本店」髙橋義弘氏に聞く、時代の変化と共に変化する日本料理の在り方とは

京都府・南禅寺のほど近くに佇む「南禅寺畔 瓢亭 本店」は、時代の変貌を見守り続けて約450年。日本を代表する老舗料亭です。今回は、そんな名店の15代目当主・髙橋義弘氏にフードコラムニストの門上武司氏がインタビュー。時代と共に変わりゆく日本料理に対しての思いや取り組みなど、様々なことを語っていただきました。

創意工夫で京都との違いを昇華する、革新的な東京進出

ー義弘さんが当主となられ、本店改修や通信販売商品の開発など、革新的とも言える動きを打ち出してこられました。その1つが2018年「東京ミッドタウン日比谷」への出店。カウンター席を設けて割烹スタイルにしたのは、初めての試みですね。

本店は茶室で座って食事するのが伝統的な形で、別館はカジュアルに椅子で過ごせるように改装しましたが、空間体験にどうしても差が出てしまいます。なので、東京に出店するときは、料理、価格、しつらえも中間みたいなところを提供できるように目指したのです。

日比谷店 カウンター席

お客様には気を張って食事をしに来ていただきたいと思う一方で、寛いでいただきたいという気持ちもあります。なので「南禅寺 瓢亭 日比谷店」は、カウンター席とテーブル席に茶室も加えた構成にし、お客様が自由に選べるようにしました。そうすると、スタッフも色々経験できるようになったんです。本店の厨房は客室から見えませんので、カウンター席のお客様の前で調理しながら対話したりできると、スタッフの意識も変わっていいかと感じています。

―京都と勝手が違うと言えば、食材の調達も変わってくるでしょうし、なにより日本料理には大切な水も異なるのでは?

その土地だからこその料理、極端に言えば東京の食材を使い、京料理を仕立てるみたいなスタンスがあっていいのかなと思っています。ただ、いきなり全部そうすると自分たちの負荷が大きくなって大変です。なので、京都で使う食材に加えて東京で調達できる食材を活用しながら、本店でも東京店でもお客様に「瓢亭」の料理を違和感なく味わってもらえるよう、配慮しています。

同じレシピですが、東京独自のルートで入手した食材には、それに合うように調理方法を変えるなどの柔軟性が求められる。スタッフにはそういう感覚も身につけてほしいのです。水に関しては、東京では京都と同じ水は使えません。京都より硬度の高い東京の水を、浄水器で調整しながら使わざるを得ません。

―そうなると、もう言わば科学の力ですね。

自分には「昆布出汁が上手に引ければ、鰹節でも鮪節でも美味しい出汁を引ける」という確信があるので、浄水器を調整することで東京の水でも良い出汁を引けています。でも、やはり変化に気付くお客様もおられます。そこは、同じ料理でも原価のかけ方が変わってきます。京都と東京で、食材や分量もまったく同じという料理にはなりませんから、食材調達を工夫しながら料理を組み立て、料金に見合ったものを提供させていただいております。

時代のニーズによって変わりゆく懐石の心得

―現象として表れるものは変わっていきますが、茶懐石から始まり、連綿と続く本質はぶれずに変わりようがないということですね。

京都の本店は、茶室という空間において高膳で提供するかたちで、ずっと続けてこれています。それに合う料理ですから、自ずと茶懐石で供される料理から発展した「懐石料理」を基本に提供しています。 なので、日本文化の一翼を担う食文化をしっかり継承してゆくということが大切。その役割を負いつつ、かつ時代に合わせたプレゼンテーションをしてゆけるような創意工夫は、常に求められているのです。

―お茶会というと何となく「堅苦しい」「難しい」といったイメージがありまして。でも実際にお茶会に参加させてもらったり、色々読んだり、達人に話を伺ったりすると、けっこう自由なんだと思えてきます。

茶懐石の料理は“温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに”、そうしてお茶会にお呼びしたお客様のことを思いながらお料理を考案し、供するというのが基本です。なので、味の好みや嗜好の変化に応じて変わっているものなのですね。
例えば今ではトマトを使った料理がかなり浸透してきているように、時代と共に食材や調理法は進んでいくんです。見た目は変わったようには見えませんが、食べると味がまったく違う料理というのは、けっこう出てきていますよ。

―「瓢亭」を代表するシグネチャー的な料理「半熟煮抜き玉子」や「お粥さん」は、変えようがないのでは?

あまり公言できる話ではありませんが、僕が知る限りでも仕入れ先の卵屋さんは4軒代わっています。理由は、ある種の環境問題なんです。鶏飼育場の周りに住宅地が増え、以前のように理解を得られず、卵屋さん自体が肩身の狭い思いをし、廃業していくというケースですね。その都度、新しい卵屋さんを探さねばならない。実際に現場へ見に行き、餌や飼育方法を確認して、うちで提供できる理想の卵を探すのです。

そうやって見つけて、ようやく安定的に供給してもらえるようになっていますから、名物も絶やさずに続けていられるのです。野菜もそう。先代である父の頃からお付き合いのある農家さんには、京野菜をいかに美味しく育ててもらうか努力してもらい、今や生でも美味しい京野菜が増えましたから。そうすると、料理も変わってゆくんですね。

15代目当主として、時代のニーズにあった食事を生み出す

―食材の話にしても、今や料理人も生産者さんと一緒に考えていかねばなりません。先代の頃とはまったく違う自然環境になっているでしょうし、料理人の働く環境も大きく変わり、昔より考えないといけないことがたくさん出てきていると思われます。

僕ら料理人は、まず食材ありきなんですね。例えば魚介類でも、とくに天然ものが少なくなってしまうようであれば、野菜をいかに活用していくかを考えなくてはならないわけで。京料理でも、これからもっと菜食に力を入れようとする動きが出てきています。

―いわゆるプラントベースですね。義弘さんはけっこう早くから取り組んでおられました。

僕なりにテーマとして掲げ、店でいかに献立の中に取り込めるかをすごく考えてきました。なおかつ、インバウンドも含めたお客様の立場になると、宗教上やアレルギーなど色々なことで制限のある方も多いですから、そういう課題にも応えられる献立にできるか、というところも考えないといけない状況です。

ケースにより、どういった食材で賄えればいいのか、その方法や技術などについて、スタッフと一緒に考えているんです。例えば甲殻類アレルギーのお客様が来られたら、どういう献立なら満足していただけるかなど「こういうものが出せたらいいよね」と、皆で取り組んでいます。

―「SDGs」や「サステイナビリティ」は、 言葉にするとあまり美味しそうに感じられなかったりしますが、やっぱり“食べて美味しい”ことは大事ですよね。

「SDGs」というと、節約的な要素に捉えられてしまいがちですが、実はそういうのが大事ではなく、連携したり共有したりして、共に活動していくということが、すごく大事なんですね。我々も畑に直接行き、収穫させてもらうことがありますけれど、なかには「売り物にならないから使って」と言われて貰う食材もあります。逆にそういったものでも、料理にしっかり昇華させることが求められる。海では磯焼けするところがすごく増えている中、陸上養殖の魚をあえて使うことも考えねばならないでしょう。

これからの食にどういう支援ができるのか、我々料理人には投げかけられているんだと感じています。本当に生き残っていくためにも、生産者さんと一緒に取り組んでいくにはどうすればいいか、大きな課題としてあるなと思いますね。

これからの食を担うためにはどうすればいいのか、心根を育てる

コロナ禍は、自分の店の体制を見直しするのに、良い機会でした。働き方改革のこともありますが、そういう限られた中でスタッフに、いかに成長してもらうかを考えていて。そのためには、日本料理に対する理解や自分の店のことを改めて知ってもらうのを前提にして、今後この食の世界を自分たちはどういうふうに担っていくのか、いかに意識を芽生えさせるかということがすごく大事だなと思っています。 若い人たちにこれからの食を担ってもらうためにも、とくに今の若いスタッフたちには「どういう食を目指していけばいいか」という指針を持てるよう、一緒に働いてもらっているんですね。

―これからこんなことをしたいとか、具体的な方向性みたいなものはありますか。

僕は今年で50歳になりましたが、料理組合の若手の集まりである「京都料理芽生会」の会長をさせてもらっています。順番に回ってくるのですが、会長になるときに所信表明をするんです。その際、僕は「心根を育てる」というふうに掲げました。「心根」っていうのは、心の根っこですね。日本文化にもみられるある種の根っこ、日本人が持っている魂みたいなところを指します。その心根を育てるための手法として、僕は3つ挙げさせてもらいました。

1つ目は、そのルーツを辿るです。我々が店を構えるのは「こういう店にしたい」という思いがあってこそ。店の成り立ちには、必ず理由があるはずなんです。そのルーツや基本を大事にしましょう、ということです。

2つ目は、俯瞰的にモノが見られるようにと「ローカル&グローバル」にしました。各自身の周りはもちろん、それを俯瞰的に見て変えられるよう、視点を広く持とう、ということです。

3つ目は「京料理をバージョンアップする」というのを挙げました。各自がルーツを大事にしながら、自分の立ち位置や料理の方向性など、色々なモノを俯瞰的に見る。そして、食育や海外のシェフとの交流など、様々なかたちで国内外と相互に交流してきているんですけど、そういった交流をしながら自分自身を大事にし、自分の店を最終的にバージョンアップしていこう。
そうすることによって、共に新しい文化を生み出し、次代の食文化として継承していく。そういう意味でも「心根を育てる」というテーマを挙げさせてもらいました。

日本料理

瓢亭 本店

京都市営地下鉄東西線 蹴上駅 徒歩7分

日本料理

瓢亭別館

京都市営地下鉄東西線 蹴上駅 徒歩6分

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髙橋義弘氏 プロフィール

1974年、京都府出身。「南禅寺畔 瓢亭 本店」14代目、髙橋英一氏の長男で、15代目の当主を勤める。東京の大学を卒業後、石川県・金沢の割烹「つる幸」で研鑽を積み、1999年に帰洛。「日本料理アカデミー」に所属し。国内外問わず、京都の懐石料理を伝える活動にも力を入れている。「京都料理芽生会」会長。

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【編集後記】

「瓢亭」の髙橋義弘さんは、俯瞰してモノを見ることができる料理人である。京都の料理屋の在り方を考え、自分の立ち位置をしっかり把握する。それは伝統を尊びながらも、時代の息吹を感じること。見た目は変わらないが、実はそこに変化があり、味わいも違ってくる。そんな料理を提供すると同時に、東京ではカウンター仕事の場を作り、スタッフも料亭と割烹の違いを知り、技術を磨くこともできる。そんな環境作りができるのも、髙橋さんが時代を見つめているからである。

※こちらの記事は2024年04月10日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

門上 武司

1952年10月3日大阪生まれ。フードコラムニスト。
株式会社ジオード代表取締役。
関西の食雑誌『あまから手帖』の編集顧問を務めるかたわら、食関係の執筆、編集業務を中心に、プロデューサーとして活動。「関西の食ならこの男に聞け」と評判高く、テレビ、雑誌、新聞等のメディアにて発言も多い。一般社団法人 全日本・食学会 副理事長。2002 年日本ソムリエ協会より名誉ソムリエの称号を授与。
著書に、『門上武司の僕を呼ぶ料理店』(クリエテ関西)のほか、『スローフードな宿』『スローフードな宿2』(木楽舎)、『京料理、おあがりやす』(廣済堂出版)等。2023年11月29日発売の「あまから手帖別冊 食べる仕事 門上武司」(クリエテ関西)はこれまでの門上武司の食の歴史と、これからの「食」を考える刺激的な一冊。

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