門前仲町「みかわ是山居」早乙女哲哉氏に聞く、“天ぷらの神様”が語る料理文化と哲学。珠玉の江戸前天ぷらとは

「天ぷらの神様」として知られる、早乙女哲哉氏による「みかわ是山居」。60年以上揚場に立ち続ける早乙女氏の天ぷらは、長年にわたる経験、そして計算し尽くされた技術によって生み出される唯一無二の味わいです。今回は、早乙女氏にタベアルキスト・マッキー牧元氏がインタビューを実施。早乙女氏の思う文化としての飲食店の役割、そして珠玉の天ぷらを揚げる上でのこだわりなど、幅広くお伺いしました。

「みかわ是山居」について

2009年、かつての御成街道・江戸の目抜き通り沿いに開業した「みかわ是山居」。天ぷらの世界で60年以上のキャリアを持つ早乙女哲哉氏による珠玉の天ぷらを楽しめる、天ぷらの名店です。素材は江戸前の魚介や旬の食材を使用し、計算し尽くされた技術でそれぞれの旨味を最大限に引き出します。まるで美術館のような店内には、早乙女氏のトレードマークでもあるハットをイメージした通気口や、アーティストによる作品がそこここに。早乙女氏の所作と空間、そして料理、そのすべてが交わるアート空間で、唯一無二の天ぷらを満喫できます。

江戸前を突き詰めて、満を持して開業した「みかわ是山居」

―この地に作家の作品に囲まれた文化度の高いお店を開かれていますが、そこにかけられた思いを、お聞かせください。

飲食店というのは、食べ物を売るだけじゃなくて「文化度がいかに高いか」っていうことが大事です。文化の一つとして食事を出すというのが、飲食店だと思うんですよ。自分自身の文化度を高めつつ、お客さんたちにも文化面でアプローチができたらなと思い、この店を構えました。自分が揚げている天ぷらよりいいものは、世界中どこを探しても絶対にないと思っています。でもそれは、自分が並々ならぬ思いを込めて天ぷらを揚げており、文化を始め、何から何まで全部加味した上で、ようやく到達した領域にいるからです。色々な面から考えた時に、自分は江戸前をやっている。形じゃなくて精神的なものね。自分の生き様が江戸前でなかったら、江戸前なんかできないんです。

―その江戸前という精神性を生かす場所として、何故、この地を選ばれたのですか?

江戸前をやるには、やはり地に足がついてないとまずいんじゃないかっていうのがあったんです。古いもの好きなので、江戸図なんて10も20も持っています。そこで江戸時代の地図を見ていくと、御成街道を中心に江戸は成り立っている。
当時の新宿とか渋谷とかはね、東京じゃないからね。2日目、3日目の泊まるところですから。御成街道を中心に江戸はできていて、皇居から上野の寛永寺、皇居から「深川の八幡様(富岡八幡宮)」、これに沿って2本の御成街道があるんですよ。そこを将軍様はお参りしている。
その御成街道の一角が、この店の前の道なんですよ。江戸前をやるにはね、やはり「御成街道に面していないと」と思い、約40年前にこの土地を買いました。だけど、店を始めたのが13年前です。やりたいと言って始めたはいいけど、すぐに潰れちゃったらみんなに笑われるでしょ。江戸前をやるために敢えてここでやると言っているんだから、失敗したくなかったので、機を見ていて「今ならできる」っていう時に始めたんです。

―その機が13年前に訪れたんですね。

そう。天ぷらの店で、ビルを建ててまで天ぷらをやっている人なんていないよ。3階は待合室。待合室では、お客さんが待っている間、文化的なものを色々見られます。そのあとに1階に降りてくるというのが、飲食店の理想の形じゃないかなって思ったんです。
ここの他に、牡丹町にもギャラリーがありますよ。そのギャラリーは、若い人たちのための場所と思って作ったんです。だから、ギャラリーの名前は「20代、30代」。相当いい加減でしょ(笑)。

文化の一つとしての料理を体現する「みかわ是山居」

―今は、食や文化の経験値が浅い、食へのリテラシーが低いような方も来られると思います。昔は、両親や祖父、企業の先輩といった、文化に精通した人に連れられて教わっていくというのがあったと思うんですけど。

本物を知る家族は、3代かけて文化が培われていくんですよ。それが今は、いきなりお金を持って「ちょっと美味しいものを食べたい。贅沢したい」と、その贅沢が先に来ているんです。ステータスだけだから、中身がない。本当に文化を知るというのは、時間がかかるんです。
うちなんかでも、電話がかかってきて「カウンターでお願いします」って、言われるんです。それはいいよ。でもカウンターで食べる者にも責任がある。カウンターで食べるっていうことがどういう意味か、それを明確にわかった人が、カウンターに座る権利があると思うんです。
例えば、うちはカウンターの造りにもこだわっています。箸は「竹を人が使う」と書いて「箸」なので、この箸を2本縦に並べると、客席側のカウンターの奥行きと同じサイズになる。うちは、この箸を基準に店を作っているんです。

―客席側だけでなく、カウンターの中も同じサイズですよね。

はい。私が仕事しているところも同じサイズなんですよ。黄金比になっています。お客さんの陣地と私の陣地が一緒です。つまり、カウンターを予約するってことは「この時間を余すことなく仕事に組み込んで、ギリギリまで計算した料理を作ってください」ということなんです。そして、その方も「余すところなく食べます」っていう意思表示なんです。なので、お互いに責任があることを知らないで、カウンターを予約してはダメなんです。もしカウンターを予約されてお客さんに座られたら、私はもう全力で天ぷらを揚げますよ。それをね、天ぷらは置きっぱなしで、もし喋ってるくらいだったら、カウンターに座る意味がないので。そういう時は、黙って指差して「早く食べろ」と指導します(笑)。もし言葉がわからない方でも、それで大体こちらの思いが通じますよ。あとは天ぷらの衣も、霜柱を踏むような衣を作るために、全力をかけて作っているんですよ。それなのに、揚げたての天ぷらを口にする前に紙に何回か落として、さらに上から押し付けている人なんかもいる。

―それはひどいですね……

こっちは一生懸命「サクサク、サクサク」って霜柱のような衣を作ろうとしているのに、叩きつけて押し付けられちゃ、こら、ひどい。そんな時、私は真剣な顔をしてピッと駄目を出す。するともう、そのお客さんはじっと身動きが取れなくなっちゃいます。でもそういうのをね、ちゃんと教えていかないといけない。

緻密に計算し尽くされた天ぷらを揚げるプロの技

―先程、全力で天ぷらを揚げられているというお話がありました。いつも所作を見ていると、粉を振る時から、一連の動きに淀みがない。実に流麗な感じがしています。

お客さんが店に入ってきて座ったら「ありがとうございます」「ごちそうさまでした」っていうところまでを、一つの動きの中で仕事をすると決めています。
海外から料理の研究で食べに来た方々がいて、端っこの方からじーっと一部始終を見ているんだけども、最後にその外国人が言うには「お店に来てから帰りまで、1回も止まんなかった」って。「僕たちなら『これが終わった。じゃ、次に何をしよう』ってなるんだけども、早乙女さんは自分たちが座ってから帰りまでね、1回も止まらないままにその仕事が流れていた。これはね、びっくりしました」と言っていたんだよ。

―先を見据えて仕事されていると言うことですか?

はい。全部読んでいる。要するにね、出来上がりを全部読んで仕事をするんだ。天ぷらは、たまたまうまく揚がっているんじゃないのよ。天ぷらに衣をつける。衣をつけて出来上がりの様子を計算できたら、油に入れているんです。だから、そのあとにお客さんが食べて「美味しいですね」と言うんだけど、最初から美味しく食べられるように揚げているんですよ。偶然じゃない。そこにたどり着く計算が終わったので、私は衣をつけて油の中に入れたので、それができなければプロじゃないんです。最後にたどり着くところが計算できてなきゃ、プロとは言えないと思っています。

―いつも同じところから、最もいい状態の魚や野菜が届くと思うんですが、多少仕入れにブレっていうのはありますよね。どう見分け、仕事されているんでしょうか。

どうしても江戸前がなかったとかは、いっぱいあるんです。でも62年間やっている中で、 「この魚だったらどうする」っていう対応は、いつでもできる。今までに、大体天ぷらを2千万個ぐらい揚げているからね。

―2千万個!

100万人以上に天ぷらを揚げていますからね。17歳から始まって、今は人数が少ないですけど、昔は1日に、100人ぐらいに平気で提供していましたから。そういう中で、全部ケースバイケースで仕事してきたので、下手なコンピューターよりも何倍も頭に入っています(笑)。

―料理の世界は必ず、量は質を生むということはありますよね。

最大公約数を求めるためには、ベースが大きい方が、正確な最大公約数が見つけられるんですよ。要するに、少ない中で真ん中を見つけたと思っても、そんなものは風で吹き飛ばされて、すぐ崩れちゃう。つまり、何百万という経験の中で真ん中を見つけているんだから、そんな簡単に崩れるわけがないんだよ。

―でも、最近の若い人は労働基準法の問題もあって、仕事量がイヤでも減っているから大変ですね。

今は頭のいい子が多いから、修業もしないでうちに食べに来て、様子を覗いて、店を出す。そんな「修業しないで、一流の天ぷら職人になりました」というような人を、マスコミが取り上げたりするけど。それは職人とは言えない。そんな例をマスコミがよしとすると、どんどん体制が崩れていくんですよ。
“前衛”っていう言葉がよく使われるけど“前衛”っていう意味をわかって言っているのか。“前衛”っていうのは、頭から突っ込んでいって、自分がいなくなっても、いい連中だけが残るような立ち場なんですよ。“前衛”は本営を守るためにいるんです。それをね、本営をないがしろにしても“前衛”が素晴らしいみたいな言い方をしている。もちろん100年後にも残っていたら素晴らしい。それは素晴らしい“前衛”だったということなんですよ。なので、100年後に残るまで、褒めるものではないと思うんです。

―今評価するものではない。そうですね。不易流行って言葉がありますけど、変わらないんだけども、新しいものを取り入れてやっていくっていう。早乙女さんも、新しいやり方を取り入れて行ったわけですね。

なんだかんだ言って、私が1番新しいと思います。新しさは、積み上げの中から生まれてくると思うからです。お客さんの前に立って、60余年。60年間、毎日天ぷらを揚げながら「ここはこれ、ここはこうだったら、どうなんだろう」っていうように、常に問いかけている。自分の仕事に対していつも問答を繰り返しています。要は、その問答の数ですよ。問答の数が自分の仕事をどんどん固めているし、新しい仕事も生むことになるんです。だから、その中で「これはやってみる価値があるな」っていうのは、どんどんやっています。

―でもそれは、そのそれぞれの天ぷらの種に対して、明確な目標を描かれているからこそですね。

そうです。天ぷらを出すと、お客さんが決まったように言うんですよ。最初に海老を出すと「甘い」って言いながら食べているわけです。そして今度は海老の頭を出すと「おいしい」と言う。それは私が甘く揚げているし、頭は美味しく揚げている。だから、私の明確な目標は、何にも伝えてないけどお客さんにきちんと反映されているの。今度はキスを食べる。キスにみんなが思うのは、水っぽくて、あまり味がなくて、ちょっと頼りない魚だとなんとなく感じていると思うんです。そこへ私がぱっとキスを出すと「おいしいっ!」と、驚かれる。それは当たり前。美味しくするように揚げている。そうやって、確実に自分が仕掛けたことはお客さんに反映されています。それはもう、私は天ぷらを揚げながら、必ずお客さん全員に目を配っていますから。

―100万人分も揚げていらっしゃるんで、気配で全部分かりますね。言葉が出なくとも。

まあ、ほんとにそうなんだけど、まだまだ東京だって1千万人以上いるんだから、あと300年か400年やらないと、全員分は揚げられないのよ。大変なのよ(笑)。

それぞれの素材に対して的確に揚げる神の業

―以前聞いたんですが、お弟子さんの練習会で、早乙女さんはいつも新聞を読んでいらっしゃり、お弟子さんが天ぷらを揚げた瞬間、その場を見もしないのに「まだ、早いよ」って言われるとか。

誰かが仕事していても、油の中に何かが入っていれば、音と時間は常にカウントしていますから。自然に「ちょっと早いんじゃないの」とかって反応しちゃいますね。大体24秒を繰り返してるんですよ。

―24秒を何回繰り返すかなんですね。

海老とイカの身が24秒っていうのは決まっているんです。なんでかと言うと、24秒後に海老、そしてイカの芯の温度は何度になるっていう計算をしているからです。大体この大きさだったら、24秒後に芯の温度は45度から47度になるっていうのは、もう計算できている。 人間はその45度から47度の温度のものを食べると、同じ甘さでもすごい甘く感じるんです。そしてその手前でも過ぎても、甘さがどんどん飛ぶんです。その一点に合わせているので、24秒が早いとか遅いとかっていうのは、「それがまだ甘さが出てねえよ、甘さが飛び出したよ」っていう話です。素材によって、その24秒を繰り返す数を調整しています。

―よその天ぷらのお店で感じるのですが、マスコミが、海老の芯とかイカの芯が「ちょっと生っぽく見えてすごい」と褒めますが、みんな手前なんですよね。

でも生だっていうことを売っているからね。生っていうのは、それは料理しているわけじゃないんだ。ただ生を出しているだけだよ。

―天ぷらの美味しさへの加熱と言うのは、本当に針の1本みたいなところがありますよね。加熱というのは、始めは緩やかに上昇していって、途中から一気に上がります。一気に上がって、ある頂点でいきなり奈落の底に落ちるじゃないですか。僕が思うに、他は頂点まで行かずに八合目くらいで引き上げている気がするんですよね。 その一気に奈落へ落ちる頂点を極めていない感じがするんです。

頂点まで行ったら一気に、落ちます。うちはその瞬間を見極めて揚げているから、間髪を入れずに食べてほしいですね。そこまで仕事しているんだから、お客さんの感性も大事です。

―間を取るみたいなことって大事なんですか。

はい。結局、計算が常にできるか。材料がいいから、感性があるから、テクニックがあるからじゃなくて、全部揃ってないとね。頑張ったからってできるもんじゃないし。

―そうですよね。でも17歳で修業に入られて、そういうことは言葉で師匠からは教えられてないですよね。自分で考えられてきたんですか。

私が入った頃は、時代的には「俺がやるとうまくいく」っていう人ばっかりだった。なんだか説明はできないけど「俺がやればうまくいく」。そういう人ばかりだったね。今でもそういう人はいるけどね。私は、17歳の時から東京芸術大学に出入りしているんです。教授たちと、作家たちと、教官室でお茶を飲んでね。17歳からそういう人たちの感性に触れています。彼らは、的確に自分たちが表現したいことを表現する方法を理解しているんだなと気づいたんです。

作家連中は、それを数値化する術を持っているんですよ。みんなデータを持った上で、表現者としてそれを使っている。そこでね、これからの時代は料理人にもそういうことをきちっと自分の意識の中に持っていないといけないと思いました。
料理人がただの職人って言われているのは、それだなって。片方はアーティストって言われて、先生って言われて、 俺たちは「職人、職人」って言われて、何が違うんだろうと思ったら、やっぱりその意識の差が違う。最近は「自分はただの料理人ではなくアーティストだ」って言う人が増えていますけど、そのためには色々なプロセスを踏まないといけないんだ。「俺はみんなより料理が上手だから、アーティストだ」みたいになっているのには、違うんだよと言いたい。

―料理人は、科学者で、数学者で、なおかつ感性が優れていて、高いテクニックを持っておかないと、一流の料理人にはなれないっていうことですね。

そこが全部揃ったものとして、マスコミには扱ってほしいんですよ。

―最後にあえて聞きますけど、お弟子さんの店も10店舗程に増えました。今後の天ぷらの世界に期待する点はありますか?

今みんな、色々なことに挑戦しているね。もちろん挑戦するのは悪いことじゃない。その人たちが、元に戻ろうと思った時にちゃんとベースになる人をたくさん作っておこうと。「あんたたちの戻る位置だよ」って言って、うちで修業した人たちには、そこをきちっと認識して店をやってほしいね。

―本営ってことですね。

そう。要するにね、戻るところがわかんなくなっちゃうんですよ。うちを出た人たちは「ここが戻るとこなのよ」っていうのを ちゃんと認識してやってほしいと思っています。

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早乙女哲哉氏 プロフィール
1946年、栃木県生まれ。中学卒業後すぐに老舗「天庄」にて修業。
15年以上の修業を経て29歳で独立。2009年に「みかわ是山居」を開業。60年以上天ぷらを揚げ続ける。「天ぷらの神様」として名高く、多くの美食家を魅了し続けている。
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https://mikawa-zezankyo.jimdofree.com/

【編集後記】
早乙女さんとの出会いは古く、いつも発せられる言葉の含蓄と道理に刺激を受けてきた。今回改めてインタビューさせていただいたが、明確な言葉の裏にある生き様,精神性に強く打たれた。それはすべての料理人の指針となるだけでなく,効率を追い求め、高価格化が止まらない現代の料理界への警鐘でもある。また同時に、その飄々とした言葉の裏に隠された、壮絶なる感性と哲学は、料理に限らず、仕事をする人たちへの欠かせない心構えとしての道を説いている。

※こちらの記事は2024年03月29日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

マッキー牧元

「味の手帖」編集顧問。 国内、海外を問わず、年間700食ほど旺盛に食べ歩き、雑誌、テレビ、ラジオなどで妥協なき食情報を発信。近著に「超一流サッポロ一番の作り方」(ぴあ)がある。

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