京橋「日本料理 山崎」山崎浩治氏が語る、富山の名店が新天地で挑戦する次世代に繋ぐ日本料理とは

2023年8月に東京・京橋に開業した「日本料理 山崎」。富山で約25年愛され続けてきた名店です。今回KIWAMINOは、店主・山崎浩治氏にインタビューを実施。修業時代の出来事や、富山から東京に移転された経緯、料理を作る上で大事にされていることなどについて、お話を伺いました。

料理人としての腕前とおもてなしを学んだ、大阪での修業時代について

-山崎さんが料理人を目指されたきっかけについてお聞かせください。

私は小さな頃から食いしん坊で、料理に興味がある子供でした。小学生の時にインスタントラーメンに人参を切って入れてみたり、ラーメン屋さんみたいに湯切りみたいなことをしてみたりして、料理人の真似をしていました。家に友達が来たらチャーハンを作って振る舞ってあげたりしたことも。

-小学生の時点ですでに料理をされていたのですか!そこからどのようにして日本料理の道に進まれたのですか?

中学校を卒業してすぐに富山の日本料理店に就職したんです。お客さんが300人くらい入るような旅館風の大きな店でした。そこで5年ほど働いて20歳くらいになった時に、東京に出てきてまた修業を始めました。
ただ当時は、自分が若かったこともあって、東京の店では富山でやっていた頃との感覚と合わず葛藤の日々を送っていました。そんな折に、後輩から電話がかかってきて「自分が働いている大阪の『日本料理 かが万』で募集があるから来てみませんか」ということを言われて、私も大阪でやってみることにしました。

-富山を出られて、東京・大阪と武者修業をされたのですね。修業時代に印象深かった出来事はありますか?

私がお世話になったのは「かが万」で、料理の腕やおもてなしなども勿論そこで磨かせてもらったんですが、当時はよく「京都吉兆 嵐山本店」にも食べに行ったり、お話を聞きに行ったりしていたんですね。何か1つでも吸収したくて。

その後、私も子供ができて、途中で「かが万」を辞めて富山に帰っていた時期もあったんですが、やっぱりもう一度修業したいな、と思っていました。ある時「吉兆」で食事をしていたら、お店の人が「今夜『かが万』の親方が来られますよ。挨拶してみたらどうですか」って教えてくれたんです。そしてその日の夜に、親方のご夫婦が食事している間に通してくれて、私はそこで「もう一度お店に戻りたいです」ということを伝えることができたんです。とても親切だと思いませんか、ただの若者のために「吉兆」さんがそこまでしてくれたんです。 

そのような経験は、今でも「心を込めてお客さんに親切に対応する」という姿勢に繋がっています。例えば富山の店では、家族連れのお客さんには「小さなお子さんも一緒にご来店いただいても大丈夫ですよ」とお声がけしたり。地元の人にも、あまり肩肘張らずに来てもらえるように心掛けていましたね。

-山崎さんのホスピタリティの原点となっているわけですね。

はい、そうですね。

「日本料理 山崎」の知名度を上げて、地元・富山に還元していきたい

-富山でお店を長年続けられた後、今年の8月に東京・京橋に移転されたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?

私は「富山で良い店をやっていこう」と思って25年以上続けてきたので、あまり東京に出ることは考えていませんでした。やっぱり、地元を元気にしたくて「富山にはこの店がある」と全国の人に思ってもらえれば、観光地の少ない富山も盛り上がるんじゃないかと思っていたんです。

ただ、今は“お客さんに来てもらう”だけではなく“ネットで拡散する”時代じゃないですか。でも私は古い人間なので、そういうのが苦手で。そんなことを東京の知り合いの人と話していたら「店の名前を広めるなら、やっぱり東京じゃないか」という話になって。東京なら自然とネットで店の評判を広めてくれる人が沢山いるから、と勧められ、それで心が動きました。

-なるほど。では、東京でお店の知名度を上げ、それを富山に還元する、というのが、山崎さんのお考えなのですね。

そうですね。今はまだ先々まで具体的には考えてはいないですが、地元・富山を何かしらの形で盛り上げられたらと個人的に思っています。

-東京に出店されてから、富山との違いは何か感じられましたでしょうか?

富山の店では、料理の単価設定を別けて、色々な方に楽しんでもらえるようにしていました。なので、政治家の方が会食に利用することもあれば、家族連れの方や地元のサッカーチームが食事に来てくれる、ということもありました。

一方東京では、一律コースで金額設定して、時間も一斉スタートでやっています。まだオープン間もないからではありますが、そういう方法じゃないとお客さんに迷惑がかかってしまう、という難しさがあります。富山と違って色々な方がいるので、やり方は現在模索中ですね。

“食材の良さのみに頼らない”という調理に対するこだわり

-山崎さんが作られる料理についてお伺いします。まず食材については、富山産へのこだわりなどはあるでしょうか?

食材は全国から仕入れていて、富山産に絞ろうと思ってはいないです。富山は野菜も少ないのと、今は温暖化の影響で北陸の魚も少なくなってきているので、富山だけというのは難しいんですよね。でも良いものがあれば、極力富山のものを使うようにしています。富山は良い水が豊かなので、米はその水で育った富山産を使っていますね。

-食材は全国から良いものを選ばれているのですね。それでは料理を作る際に、大事にされていることは何でしょうか?

まず食材は、質の良いものを仕入れることが絶対に大事です。食材は質が良いほどいい、これは根本に持っておくべき考え方。
でもそれと同時並行で、どんな食材でも美味しく仕立てるということも、意識しなくてはならなりません。例えば、冷蔵庫の余りものの野菜や魚を調理して賄で食べた時に「あ、これはお客さんに出せるな」と思えるような。食材が 70~80点くらいでも、お客さんには100点を付けた一品として出せるくらい、気を入れて料理することが必要だと思っています。

そういう腕磨きができた上で「自分の料理に必要だ」と感じて食材を追うなら良いんですが、単に食材の良さだけに頼っていると、どうしても料理人として逃げ道を作ってしまうんですね。

シンプルな料理ほど、その姿勢が顕著に出ると思います。例えば、夏になると鮎の塩焼きは全国のお店で出すと思いますが、味の違いはどこに出るかと言ったら“どこで獲れたものか”ということよりも“焼き方と塩加減”の方じゃないかと。

-食材の質だけに頼るのではなく、調理の腕前ということですね。

もちろん食材と調理、両方良いのが一番いいです。旬の食材を仕入れて、その特徴を活かして、どのように味付けして出せばいいのか、味付けした後さらに一手間加えるかどうか。一品ごとにその姿勢を積み重ねるのが、コースとして出来上がっていくことなんだと思います。自分もまだまだ、そういうことを追求している最中です。料理は、人に喜んでもらってこそなので。

-今もなお、追求されている途中ということなのですね!そんな山崎さんの、これだけは食べてもらいたい“自慢の一品”とは何でしょうか?

「はらり粉雪」という、白エビの風味を付けた塩昆布です。昔から、ご飯のお供などでちりめん山椒と天上昆布という昆布を炊いたものを出すと、ちりめん山椒の方が圧倒的に人気でした。それで「ちりめん山椒に匹敵するものが何かできないかな」、と考えて探していたら、松の葉昆布という塩昆布に出会ったんですね。「あ、これは美味しいな」と思って作り方を京都の専門店などに聞いてみたんですが、門外不出だと断られてしまったんです。
そこで「もう自分で作ってしまおう」と思ってやり始めたのですが、何も分からない。どれくらい昆布を寝かせれば塩が出てくるのかも分からない、というところからスタートしたので、結局完成するまでに8年くらいかかりました。

でもその甲斐あって、お客さんに「有名店の塩昆布よりこっちの方がいいな」と言ってもらえるようになるまで仕上がりました。作り方が正式なものかも分からないですが、もうここまでの仕上がりになったなら“こっちのやり方”として完成としました。今でも仕込みに1か月半ほどの手間のかかる品ですが「これだけは誰にも譲れないな」という思いがありますね。

感謝の気持ちを忘れず、知名度を上げて若者に夢を与えて行きたい

-今後の展望について、山崎さんが考えられていることをお伺いできますでしょうか?

はい、2つあります。
1つ目は、店の知名度を上げるということ。今は飲食店に勤める若者が減ってきているんですね。私が若かった頃よりもっと、料理人は厳しくて大変な職業だと思われている。だから「料理人って世界的なスターにもなれるんだよ」という夢を若い人達にも見させてあげたいんです。もっと“ビッグな夢のある職業”だよ、ということを世の中に示していけたらいいな、と思っています。なので、表面的に「有名になりたい」ということではなく、この店の知名度を日本だけじゃなく世界的にも上げて、料理人の価値を高めていきたいな、と考えています。

2つ目は、人としての温かみ、つまり“感謝の気持ち”を持って店を続けることです。いくら有名になって自分の理想が叶ったとしても、そこを忘れたら絶対にダメなので、展望というよりは自分の心に刻んでいることですね。商売なのでお金は必要ですが、お金の方を向いて店を営業していたら最終的には失敗してしまうと思います。
なので“自分の価値を世の中に示す”以上に “感謝の気持ちを忘れない”ということを大切にして店を続けるのが、この先の道として大事なことだと考えています。

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山崎浩治氏 プロフィール
富山県生まれ。中学卒業後、富山の料亭で約5年修業。その後、東京の料理店や大阪「日本料理 かが万」などで研鑽を積み、30歳で地元・富山にて「日本料理 山崎」を開業する。2023年8月に東京・京橋へ移転し、現在に至る。
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日本料理

日本料理 山崎

都営浅草線 宝町駅 徒歩1分

【編集後記】
「料理人は夢のある職業」と語る山崎氏。実直な語り口で、真摯にお話をしてくださりました。富山から東京へ移転されたのは、知名度を上げるため。ただそれは「富山へ還元して地元を盛り上げたい」「料理人を目指す若者に夢を与えたい」という、温かい想いに溢れた理由でした。山崎氏の温かみある人柄が反映された料理を、是非味わってみたいと思いました。

※こちらの記事は2024年06月27日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Katayama yuta

神楽坂在住の、外食を楽しむ編集部メンバー。
旬の食材を活かした料理がとても好きで、特に季節の野菜にはこだわりが。
気になった食材は、採り方などまでしっかりと聞き込みます。

【MY CHOICE】
・最近行ったお店:南青山 七鳥目/鮨 はしもと
・好きなお店:笠井/ひらまつ 広尾
・注目しているお店:比良山荘/cenci
・好きなジャンル:和懐石/フレンチ/イタリアン
・好きな食材:季節の旬野菜/お肉/麺類

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