インタビュー|

「神楽坂 石かわ」石川秀樹氏に聞く「思いやりで魅せる、新時代のおもてなし」

神楽坂の「毘沙門天 善國寺」。その裏手にひっそりと、世界中から美食家が訪ねる名店「神楽坂 石かわ」はあります。食通が憧れるお店を維持しつつ、神楽坂「虎白」、銀座「蓮」、渋谷「NANPEIDAI」など、話題を集める系列店も経営。名店を束ねる、「神楽坂 石かわ」店主の石川秀樹氏が日々どんなことを考えているのか、突撃取材をさせていただきました。

原宿に憧れて上京!ロン毛でソバージュの若者が料理人を目指すまで

―石川さんが、料理人を志したきっかけは?

新潟県の燕市が地元で、高校卒業後は一度地元で就職したのですが、20歳の時に何とかしてやろうという安易な考えで上京してきました。
働き始めた頃は、料理への志なんてまったくなくて。当時の憧れの街といえば原宿でしたから、蒲田に住む友人のところに転がりこんで、原宿にあるカフェバーで雇ってもらいました。
でも、しばらくするとフリーター生活にも危機感を持つようになって。当時若者のバイブルだった雑誌の「ポパイ」に人気の和食店として掲載されていた、割烹の「さくら」を知って働いてみようと思い連絡しました。
ロン毛でソバージュという出で立ちでしたが、丸坊主にして原宿の支店で雇ってもらったんです。そのお店で、以降お世話になる親方と出会いました。

―意外なご経歴ですね!

親方には、本当に良くしていただいて。飽きっぽくて仕事も長続きしない人間でしたが、「この人を裏切ってはいけない」という想いから、修業を続けることができました。

今でも和食は、徒弟制度の世界。親方が新しいお店に移るたびに、弟子の私もついていくんです。
3か月ほどで、親方の兄弟筋の方がやっている桜木町のしゃぶしゃぶ店に移り、450人も入る店で朝から晩まで野菜を切り続けました。その後も、都立大学の「むなかた」や新宿の「杉の家」を始め、武蔵小杉、蒲田、川崎など、親方について店を転々としました。

―短い間でたくさんのお店をご経験されていますが、1店舗ではどれくらい働かれていたのですか?

22歳から25歳までの3年間で、1つのお店には長くても半年くらい。目まぐるしい日々が続く中、親方から「青山 穂積」というお店に行けと言われ、腰を据えることになりました。
ハイレベルな店ですから、真面目にやらないとついていけません。料理や器などの「本物」を目の当たりにして、本気でやってみようと思ったんです。

―料理人魂に火がついたのですね。

もともと、オペレーションに興味があって。いかに人を動かし、短時間で成果を出すかに意欲を燃やしていました。しかし「青山 穂積」で本物の料理に出会ってからは、料理に付随する文化的なことにも興味を持ち始めたんです。花の図鑑を毎日持ち歩いたり、料理の本を買いあさったり、料理オタクになって頭の中は料理のことばかりでした。当時考えて学んだことは、今でも役立っています。
素材がより美味しくなるように考え、実現化して、「これまでになかったもの」を発見するのが好きなんでしょうね。

「固定観念」を取り除き、試行錯誤の工夫を重ねた「料理」

―独立も、その頃から意識し始めたのでしょうか。

転機の一つは、志木と八重洲で料理長を務めた経験です。30歳の頃に、小さなビジネスホテルのレストランを紹介されて。朝食からランチ、夜までやりましたが、本当に人が来なかったんです。夜は3,000円でも集客が厳しくて、悔しかったですね。

その後、親方の兄弟弟子の方に、新宿で100人くらい入るお店を始めるから、副料理長をやってほしいと誘われて。
一通り立ち上げを経験した35歳の頃、東京・八重洲の割烹「岡ざき」の料理長に落ち着きました。
今、神楽坂で「虎白」の店主をしている小泉が20歳で入ってきて、2人で一生懸命やりました。
カウンター式の割烹でお客様の層も違いましたし、最初はお昼しかお客様が来なくて夜はさっぱり。大変でしたが、「この規模の店を繁盛させられなかったら、何もうまくいかない。今を乗り越えれば、これから何だってできるはずだ」と考えました。
毎日河岸へ魚を見に行き、勉強して、発想した料理をお客様に提供する。トライ&エラーの繰り返しでしたが、辞める頃には売上が3倍になっていました。

―試行錯誤していた頃の、石川さんのお料理。それはそれで興味があります。

志木で料理長を始めた頃、「親方から教わったことは一度封印して、一からやり直す気持ちでやろう」と心に決めました。
親方や先輩のもとでは、親方の味を目指して料理すればよかった。でも、自分がいざ親方になってみると目指すべき味を見失い、自分が良いと思う料理もできなくなってしまって。料理長を任されましたが、ランチの営業もままならない。焦っても具体的に何をするべきか分からないから、いっそ全部封印しようと思ったのです。
調味料も親方が使っていたものを真似ていましたが、調べると醤油を扱う会社だけで900社もあったんです。
「こんなに種類があるなら、しっかり選ばなくては何が良いのかわからないぞ」と思いましたね。

―確かに調味料の組み合わせが変わるだけで、味も食感も変わってきますものね。

色々と考えているうちに、お椀を出す理由やお造りを出す必要性など、疑問がわっと湧き上がってきて。理解しようと勉強していくうちに、どれも結局は人が決めたことだと気付いたんです。それならもっと色々な工夫ができるはずだと考え、試行錯誤しながら自分の料理を追求していました。

また、心理学や中国思想、脳科学、宗教を学ぶ余裕が出てからは、精神面でも変わりました。正直、50歳までは人の目を気にして悩んだり、「自分はどうしてこんなにダメなんだ」と悩むことも多かったんです。でも、ある時すっと腑に落ちる経験ができて、自分の存在の認識そのものが変わりました。
結局、不安や恐れというものは自分自身が作り出しているんだなと。
「自意識過剰をやめて、目の前のことやお客様に集中しよう」と考えを改められました。

今あるご縁を思いやりでつなぎ、徹底して最善を尽くす

―あらゆる可能性を考慮した結果、お料理を魅せる場として37歳で「神楽坂 石かわ」をオープンされますが、神楽坂を選んだ理由は?

ご縁に尽きます。八重洲の割烹で働いていた頃に知り合った建築家の方が、「もし石川君がお店をやるのなら、自分が設計するよ」とおっしゃっていただいて。
ある日、その方から神楽坂に誘われ、あるお店の女将さんと会うことになったんです。
そしたら、その女将さんから「自分も37歳でお店を始めて、今あなたも37歳。これも何かの縁」と即決で、神楽坂の物件を譲ってもらえることになりました。

大家さんには取り壊す予定があるからと断られたのですが、同じ建物内にある別のお店の方も、まだまだお店を続けたいからと支援してくれて。2年間、定期借家で借りることができました。
初めてのお店だからこそ、自分の世界観を表現するために、居抜きではなくあえてスケルトンにしました。

―すごい度胸ですね!2年というプレッシャーの中でお店をされるのは、大変そうですが……。

物件を譲ってくれた女将さんからも心配されました。でも、「借金は残るけれど、“石かわ”という名前と、お客様への信頼は必ず残せるはず。俺はここからスタートするんだ!」と直感したんです。
自分の出発点だからこそ、他の人のハコではやりたくなくて。結局2回更新し、6年間お店をやらせていただきました。

移転した今のお店も、2階で事務所借りている方が、お店にふらっと顔を出してくれて。たまたま来店のキャンセルがあったのでお通ししたら、この物件に空きが出ると教えてくれました。
うちのお店では昔から、「キャンセルしたお客様を悪く思うな」と言っていますが、今お店をやっているこの場所と、紹介してくれたお客様と出会えたのも、そういう想いからかもしれません。
これからも、お客様の事情に思いをはせる、「思いやり」ができる店でありたいと思います。

―そう気遣ってもらえるとホッとします。「神楽坂 石かわ」では、素材の質に対しても並々ならぬ努力をされていますが、仕入れに対するお考えをお聞かせください。

国産食材を徹底的に吟味して、価格は気にしないようにしています。お客様は、やはり美味しいものを食べたいはずですから、我々料理人はしっかりと応える義務があります。
仕入れは義理を重んじて、昔から勉強させてくれた魚屋さんからがメインです。
ただ、美味しいものを求めて地方の市場に問い合わせるなど、流通路を広げる努力もしています。できることはしっかりやっていきたいです。

仕入れも、「神楽坂 石かわ」というお店のチーム力です。お客様が「神楽坂 石かわ」に来て本当に良かったと感じてくれたら、それ以上の喜びはありません。
うちの従業員に10年選手が多いのは、みんながお客様や一緒に働く仲間に対して「思いやり」を持って仕事に励んでいるからだと思います。
一人ひとりが「思いやり」の心を持って、どうすればお客様に喜んでもらえるのかを一緒に考える。チーム力を高めるためにも、「思いやり」の大切さを持ち続けていきたいですね。

―石川さんの下なら、人間的にも大きく成長できそうな気がします。若い板前さんや、調理学校の学生の方が憧れるお店の料理人として、ぜひ若い方へのメッセージをお願いします。

「ありのままの自分の状況を受け入れる」。料理人だけでなく、あらゆる仕事に共通することですが、他人や会社に頼るのではなく自分が何をするべきかをまず考える。人への「思いやり」を持ちながら、今を受け入れて生きていくことが必要だと思います。
人としての生き方は、その人が作る料理にも表れるはずですから。

編集後記
ユーモアあふれる語り口で、お客様だけでなく従業員への思いやりに満ちたお話をしていただきました。同時に、チーム「石かわ」の料理を食べることができる人は幸せだな、という感情も湧きました。報恩感謝のパワーに満ちたお店は、今日も笑顔にあふれていることでしょう。

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石川 秀樹 プロフィール

高校卒業後、洋食器の卸問屋へ就職した後、20歳で上京。原宿の割烹「さくら」を皮切りに、日本料理の道を歩む。25歳から5年間、東京・青山の名店「穂積」での修行を経て、乃木坂「神谷」他で計8年間研鑽を積む。その後、埼玉や八重洲の割烹で料理長を務め、2003年、38歳で独立し「神楽坂石かわ」を立ち上げる。2008 年に、現在の住所に移転。

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【公式ホームページ】「神楽坂 石かわ」

http://www.kagurazaka-ishikawa.co.jp/

アクセス
住所 東京都新宿区神楽坂5-37 高村ビル1F

Airi Ishikawa

一休コンシェルジュ メディア事業部長。インタビューを中心に、地産地消や、生産者に近い距離で食材と向き合う極みのシェフがいる店をご紹介します。最近器にはまり中。
【MY CHOICE】
・最近行ったお店:東麻布 天本 / 御成門はる /COTEAU.
・好きなお店:ベージュ・アラン・デュカス / 福しま / サンフォコン
・自分の会食で使うなら:ひのきざか(寿司)
・得意ジャンル:フレンチ / バー
・好きな食材: からすみ / シャンパン(RM)

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