「シェ・イノ」古賀純二氏と手島純也氏に聞く、老舗フレンチの名店で受け継ぐ伝統と、これからとは

1984年に創業した「シェ・イノ」。約40年に渡りゲストから愛され続ける老舗フレンチレストランです。今回は、30年以上に渡り「シェ・イノ」で腕を振るい続ける古賀純二氏と、昨年秋より料理長に就任した手島純也氏に、タベアルキスト・マッキー牧元氏がインタビューを実施。お二人それぞれの「シェ・イノ」との出会いから、約40年以上続くフレンチの名店で受け継ぐ伝統と、これからの思いを語っていただきました。

「シェ・イノ」について

1984年に東京・京橋にて創業した「シェ・イノ」は、日本のフランス料理界の歴史に名を残す老舗グランメゾンです。創業者である井上旭氏は、日本の「現代の名工」に選ばれるなど数々の功績を残されたレジェンド。井上氏の元で研鑽を積んだ門下生たちが、全国で活躍しています。そんな井上氏が最も信頼を置いたシェフとして「シェ・イノ」にて30年以上に渡り活躍されている古賀純二氏。総料理長として、井上氏が大切に守り抜いてきた「シェ・イノ」の伝統を守りつつ、日々腕を振るいます。2022年秋には和歌山の「オテル・ド・ヨシノ」で活躍されていた手島純也氏が料理長に就任。新生「シェ・イノ」の今後に注目が集まります。

―2022年10月に「シェ・イノ」でのキャリアをスタートましたが、手ごたえはいかがでしょうか?

(手島純也氏:以下手島)僕が「シェ・イノ」に来てまず驚いたのは、毎日とても忙しいということです。「最近の予約が取れない」と言われるレストランの客席数は、大体20席以下の席数が主流で、10席程度のところが多いです。それがここでは、コンスタントに毎日30席以上が埋まっています。

(古賀純二氏:以下古賀)現在はマックスで40席の提供になるのですが、ありがたいことに、毎日盛況しています。

―先日お邪魔させていただいた時もとてもにぎわっていましたね。新しい環境には慣れてこられましたか?

手島:まだまだですね。ここに入る前からいろんなこと想像していましたけど、実際に入ってみると想像を超えてくることがとても多く、最初の2か月間は精神的にうちひしがれていたと思います。
古賀:そういう風には見えなかったけどね(笑)。

―想像を超える、と言うと、具体的にどんなことがありましたか。

手島:僕が料理の世界に入った時「シェ・イノ」、そしてオーナーシェフとしてお店を開店された井上旭シェフは神様みたいな存在だったのです。そんなシェフのお店に、外部から来た僕が移籍すること自体、とても大きな出来事だったと思います。それに対する内外の評価は気にしませんが、僕がここに来て抱いたのは「本当にすごいところに来てしまった」という気持ちです。日本のフランス料理界を代表するシェフが作られていた料理を、39年間磨き込まれてきたシェフがいて、それを求めて全国から多くのお客様がいらっしゃる。そんな中で「僕がやっていける余地があるのかな」と思っていましたね。
でも、本当に皆さんが暖かく迎えてくださり、特に古賀シェフは、僕がのびのびと料理に打ち込めるようにご配慮いただいているので、こういった環境下でも、自然に自分の料理を作っていけたらいいなと思うようになってきました。

―元々お二人は、どんなきっかけで知り合われたんですか。

手島:僕が21歳ぐらいの時に、研修として「シェ・イノ」に来させていただいていました。

―どれぐらいの期間研修されたんですか?

手島:当時は山梨のレストランで働いていたので、断続的ですが3年間ほどは通っていたと思います。東京の食べ歩きを始めて訪れた2軒目のお店が「シェ・イノ」だったんですけど、すごく美味しくて。すぐに「研修させてください」と電話しました。

―そうだったんですね。その時は何を食べられたのか覚えていらっしゃいますか?

手島:マリアカラスです。
古賀:それを今は手島君が毎日作っています(笑)。

―でも、まさか自分が毎日作るようになるとは、夢にも思わなかったでしょうね。

手島:人生って本当に数奇です。 だって、まさか自分が「シェ・イノ」で働くなんて、当時は夢にも思いませんでしたから。

―手島シェフを誘われたのはいつ頃なんですか。

古賀:5年ぐらい前ですかね。手島君に呼んでもらって、一緒にフェアをやったのが2017年頃だったと思います。その時に一緒に仕事をして、彼の料理に関する知識や考え方、技術力の高さを目の当たりにしました。当時井上シェフはまだ元気でしたけど、体調を崩し始めていて、なんとなくそんなに長生きできないっていうのを感じていました。 僕は来年還暦なんですけど「シェ・イノ」で35年ほど料理人をやっていて、あと10年先の「シェ・イノ」のことを考えた時に、今何か手を打っとかないといけないと考えるようになりました。そして最初に思い浮かんだのが、手島君だったんです。実現するとは、僕も半信半疑だったんですが、僕にその意思があることだけは伝えようと思いました。

―手島シェフは、最初に話を聞かれた時、なんて答えられたんですか。

手島:僕の方が半信半疑ですよ。ドッキリかと思ったくらいです。思考が止まりました。

―でも古賀シェフは、その中でやれそうな気配が見えたんですね。

古賀:そうですね。井上シェフが元気なうちに、彼を次のシェフにしたいと思っていることは伝えられたので、それはよかったなと思います。

―井上シェフとお会いした時はどうでした。

手島:とても緊張しました。日本中に多くのお弟子さんがいるわけですよ。孫弟子の方も数多くいらっしゃる中で、本当に僕で良いのかなって思っていましたね。古賀シェフが退席された時に「本当に僕でよろしいんですか?」と聞いてみたんです。そうしたら井上シェフは「純二がいいっていうなら、それでいい」とおっしゃられたんです。そう言われたら、僕が言えるのは「はい」しかありません。

―最初に入られた時に「シェ・イノ」の仕事の割り振りや決め事みたいのは、どうされたんでしょうか。

古賀:僕自身は、そんなに決めていなくて、とにかく彼がやりやすいようにしてあげようというのが、前提にあったんですよね。そして彼と相談しながら、すり合わせていきました。まずは1年から2年間かけて「シェ・イノ」の料理を覚えてもらう。今は、とりあえず環境になれることが先決です。そしてゆくゆくは、手島君ならではの料理をどんどん作ってほしいです。

―もう新しい料理は始められているんですか?

手島:はい、やらせていただいています。

―例えば、どんな料理をやられているんでしょうか。

手島:和歌山にいた時に作っていた、ジビエのパイやパテアントクルートなどです。

―パテアントクルート。そうですよね。この間いただいたのは手島シェフの味でした。

手島:もちろん、足繁く通われているお客様は、これは誰の料理ってわかるかもしれないですけど、元々伝統的なフランス料理の1つなので、大きな違和感はないとおもいます。

―実際に「シェ・イノ」に来てみて、自分が想像してきた「シェ・イノ」の料理とのギャップなどはありますか?

手島:全体的な味のトーンは強いと思います。「シェ・イノ」の料理は、どの料理も必ずたっぷりのアルコールを使います。あとは味覚で言うと、甘みをうまく多用していると思います。ただ甘いだけでなく、コクとまろやかさで、上品に仕上げられているのが特徴です。

―今、日本のフランス料理で、ここまでのアルコール量を使っている店はないですよね。

古賀:世界的に見てもないと思います。

―以前煮込みを担当されていたベテランシェフは「ワインは湯水ように使う」と発言されていました。

古賀:確かにその表現はあっていますね。僕はその環境で育ってきたんで、それが当たり前と思ってきました。

手島:相当常識外ですよ(笑)。古賀シェフが和歌山にフェアでいらっしゃった時に、ある程度のコニャックを使うだろうなと思って50本ぐらい用意していたんですけど、2日間で足りなくなったのには驚きでした。

―2日間で50本を使いきってしまうのはすごいですね。

手島:どんだけ使っちゃうのと驚きました。
古賀:手に3本ずつ持って、ひっくり返してぐるぐる回します(笑)。

―本当に世界的には稀有ですよね。ここまで使う店は。

手島:でも僕は今、毎日見ているわけですけど。そこから作り出される味っていうのは厚みが違いますよね。

―今お二人の役割分担はどんな感じでやられているんですか。

手島:古賀シェフは、ソースを作られています。僕は肉全般など。
古賀:もちろん彼ならではの料理を作る時は、ソースも彼が作っています。

―スープはどうですか?今スープがあるお店は少ないですからね。

手島:今メニューに、スープがいくつ常備されているか知っていますか?4つもあるんですよ。まずメニューを見た時にびっくりしました。

―4種類というと、どんなメニューがあるんですか。

手島:伝統的なコンソメをはじめ、スッポンのコンソメ、季節野菜のポタージュ、そしてスープドポワソンがあるので常に4種類を用意しています(笑)。

古賀:さらに寒い時には、ジビエのコンソメとかも作っています。そういうのが入ってくると、またお客様が喜んでくれるんですよね。

―そうでしょうね。今度スープを全制覇したくなりました。

古賀:育った環境も価値観も違いますが、僕は全然違和感なく彼を受け入れることができたし、今後もおそらくずっと違和感なく、彼の仕事を見ていられると思うんですよ。

―手島さんが来られて、驚いたことや新しい発見などはありましたか?

古賀:パイの包み焼きのやり方も、根本的なことも色々と違うし、僕がイメージしたものとは全く違うことをやってくるんで、一つひとつがとても新鮮です。彼は知識も本当にありますし、何より人に教えるのも非常に上手いです。若い子たちと一緒に仕事をしている手島の話を聞いていると、今の若い子たちが羨ましいなと思いますよ。こんな丁寧に理論を説明しながら、調理を教えてくれるという人が僕にはいなかった。全部が野球でいう長嶋茂雄元監督のような教え方だったんで(笑)

―それは極めて抽象的な感じですね(笑)。

古賀:今は手島が若手に色々と教えてくれているんで、彼らの将来が楽しみですよ。

―今年で「シェ・イノ」は39周年ですよね。東京のフレンチでは「銀座レカン」と「アピシウス」の次に古いということになりますね。こういうクラシックな料理って提供するレストランがどんどん限られてきていますよね。

古賀:本場フランスでも珍しくなってきていると思います。
手島:逆に新鮮に見えるんじゃないかな。見た目だけじゃなくて、味的な重厚感とか達成感は、今の流行りのタイプの料理と真逆なので、とても新鮮だと思います。

―今後のお話を聞きたいのですが。お二人それぞれ今後取り組んでいきたいことについてお聞かせください。

手島:古賀シェフにアプローチをいただいた時に「『シェ・イノ』を100年続くレストランにしたいんだ」というお話をしていただいたんです。当然僕らも生きていないですけど、ヨーロッパを見ると、そういうレストランが残っていますよね。シェフやオーナーは替わっているけど、すごくロマンのある話で素敵だなって思ったんです。
あと60年あるので、結果的に僕は100年後の「シェ・イノ」を見ることはできないですけど、その何年かを担わせていただけるのは、すごく光栄だなと思いました。

―そうですよね、レストランは文化ですからね。一過性のものではないというところが、素晴らしいですよね。古賀シェフはそれに関しての考えはいかがでしょうか。

古賀:100年というのは、イメージではあるんですけど。100年続くためにはどうしたらいいんだろうと思うと、やはり僕の次に確固たる人物がいないと、話にならないんですよね。彼に来てもらって、彼が色んなことを若い子に教えてくれる光景を見ていると、これで向こう30年は大丈夫だろうなって安心できるんです。ということは、70年まではなんとかなるかなと。そうすると、100年が見えてくるんじゃないか。まあ、100年っていうのは、ざっくりしたものなんですけど「シェ・イノ」という名前を残し続けたいですね。井上シェフの生きた証じゃないですけど、僕が絶やすことはできないし、続けることが1番の恩返しになると思っています。手島君は、僕より遥かに知識も経験もある。彼がやってくれることは僕にも新鮮だし、お客様にとってもきっと新鮮になると思うんですよ。そういうことを少しずつ、お客様に還元できたらいいなって思っています。

―それはますます今後が楽しみですね。

―手島シェフは今の「シェ・イノ」の料理を覚えつつ、 自分ならではの料理も少しずつ出されていますけども、新たに挑戦されたいこととかありますか。

手島:個人的には、やはり僕はフランス料理人なので、ミシュランの星を無視することはできません。僕はこの店にふさわしい評価を得るべく頑張りたいと思っています。ただし、ミシュラン側に合わせるつもりはないですね。あくまで「シェ・イノ」のスタンスとして、それを叶えられたら1番いいんじゃないかと、それが1つの夢であります。

牧元:今、グランメゾン自体が非常に貴重な存在ですよね。こんな素敵な空間があって、素晴らしいメートル・ドテルがいて、良いワインもあって。高価なレストランは山ほどありますけど。こういうお店がずっとあると嬉しいですよね。

古賀純二氏プロフィール
1964年生まれ、佐賀県出身。 1984年、京橋「シェ・イノ」のオープンと同時に入社。2006年、シェ・イノの料理長に就任した。繊細な感性で新しい料理とともにクラシックな味を伝承する料理人のひとりとして評価される。16年、「現代の名工」受章。

手島純也氏プロフィール
1975年山梨県生まれ。地元のレストランで修業を始め2002年に渡仏、パリの「ステラマリス」に入店し、吉野建氏に師事する。2007年に帰国し「タテル ヨシノ」料理長、同年9月に和歌山「オテル・ド・ヨシノ」料理長に就任。2022年10月より「シェ・イノ」料理長へ。

フランス料理

Chez Inno

JR線 東京駅 八重洲南口 徒歩約7分

20,000円〜29,999円

編集後記
長く「シェ・イノ」の愛するものとして、ここの料理、とりわけソースは、もうフランスでも味わえることが希少となった味である。それをさらなる60年先を目指しての再出発なのである。日本のフランス料理店で、100年続いた店はない。この堂々たるフランスの良き時代の料理が日本で続いていく。なんと素晴らしいことだろう。おそらく手嶋シェフは今後、伝統を守りつつ、新たな料理を生み出されていくことだと思う。伝統を守ることとは、革新を続けていくことに他ならないのだから。

※こちらの記事は2023年08月30日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

マッキー牧元

「味の手帖」編集顧問。 国内、海外を問わず、年間700食ほど旺盛に食べ歩き、雑誌、テレビ、ラジオなどで妥協なき食情報を発信。近著に「超一流サッポロ一番の作り方」(ぴあ)がある。

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