広尾「ボッテガ」笹川尚平氏に聞く、まるで工房のような隠れイタリアンで味わうイタリア郷土料理の魅力とは

広尾の地下に佇む大人の隠れ家イタリアン「ボッテガ」。イタリアの郷土料理を中心に織りなされるお料理の数々は、どれも何度も足を運びたくなる逸品揃い。
今回はオーナーシェフ・笹川尚平氏に、料理へのこだわりから今後の展望など多岐に渡って伺いました。

母の背中を見て志した料理の道

―料理の道に入った経緯をお聞かせください。

原点は母親です。僕は富山県出身なんですけど、幼い頃から母が飲食店を経営していました。自宅兼お店のような環境でしたので、お店で食事をすることも多く、お客さんと触れ合って過ごすことが当たり前の幼少期でした。飲食の世界の楽しいことも厳しいこともたくさん見てきましたが、そんな中でも飲食の世界に魅力を感じ、自分もこの道に進みたいと思うようになりました。

―初めは中華料理店で働かれていたと拝見したのですが、イタリアンの道に進まれることになったきっかけは何かあったのでしょうか?

職業柄色々な料理を食べに行く母の影響で、僕もよくついて行っていました。でも当時の富山県にはイタリアンのお店がほとんどなくて、僕にとっては中国料理がとても興味深く感じられました。そして金沢の調理学校を卒業した後は、東京の吉祥寺にかつてあった中国料理店「竹爐山房(チクロサンボウ)」に入店することになりました。毎日満席の人気店で1日が一瞬、とても充実していましたね。そんな中貯金を崩したりオーナーの奥様に連れて行ってもらったり、機会さえあれば都内の様々なお店に食べに行っていたのですが、そこで初めて本物のイタリアンに出会いました。初めて食べた時は、とても衝撃的で、美味しくて……びっくりするくらい一気にイタリアン、そしてイタリアの世界にのめり込んでしまったんです。もちろん元々は中国料理のシェフになるために上京してきたので、色々と格闘する部分はありましたが、自分の情熱を向けられるイタリアンの道に進むことを決めました。以来、イタリアへ渡ることを踏まえ語学の勉強を始め、食文化だけでなくイタリア関連のことは全てチェックし、イタリアンへの道を突き進みました。

郷土料理を学びに渡ったイタリアでの滞在

―イタリアでの修業時代、特に印象的だった出来事や今に生かされていることをお聞かせください。

まずはピエモンテ州にある調理学校でイタリアンの基礎を学びました。僕はイタリアでは郷土料理を学びたいと思っていたんですけど、運よく学校から徒歩3分程の場所にあるお店を紹介してもらえました。家族経営で、もう70歳を過ぎたマンマがシェフを務めていたんですけど、厳しい環境でしたね。初めは冷蔵庫すら触らせてもらえなかったです。でも、そういう状況は悔しかったですし、マンマに隠れて冷蔵庫を除き見したり、フライパンや調理器具の場所も全部頭に叩き込んだりして、いつマンマに何を聞かれても大丈夫なように準備していました。初めは全然相手にしてもらえなかったですけど、徐々に信頼を得ることができ、仕込みの手伝いや料理のサポートをさせてもらえるようになりました。何よりマンマの横に付きっきりで料理のお手伝いできたというのは、非常に貴重な体験でしたね。その後はカンパーニャ州、最後はトスカーナ州のお店へ。どちらのシェフも同僚も好意的で、家に招いて家庭料理を食べさせてくれたり、おすすめのレストランを紹介してくれたり、恵まれた環境だったと思います。

予約の取れない名店で過ごした14年間

―帰国後は「アロマフレスカ」で研鑽を積み、2005年に姉妹店である「カーザ・ヴィニタリア」でオープンと同時にシェフに就任されました。特に印象的だった出来事や今に活かされていることをお聞かせください。

イタリアに渡る前から「アロマフレスカ」で働きたいと思っていました。当時は今みたいにネット予約なども発展していなかったですし、そんなに予約が取れないお店ってなかったんです。そんな中「アロマフレスカ」は、3か月先まで予約が取れないお店と呼ばれていて……どれだけ美味しいお店なんだろうって気になっていたんです。実際に食べに行ったんですけど、それは衝撃的な美味しさでした。帰国後は、ぜひ「アロマフレスカ」で働きたいと思っていたところ、ご縁があって入社することが叶いました。そして「カーザ・ヴィニタリア」がオープンの時には料理長まで任せてもらい、色々と学ばせていただきました。約14年間の中で特に印象に残っているのは、原田慎次シェフの常に実直に料理とお客様に向き合う姿勢です。毎日2回転共に満席という非常に忙しい環境の中でも、決して妥協せずにお客様に向き合い、料理も怠ることなく最高の一皿を作り続けていました。その姿勢は大事に受け継ぎ、「ボッテガ」でも常に心掛けています。

自身の工房「ボッテガ」を開業

―満を持して2017年1月に開業されましたが、ご自身のお店を持たれるに至った経緯や店名「ボッテガ」に込められた思いをお聞かせください。

料理の道に入ると決めた時から、いつかは自分のお店を持ちたいと思っていました。独立自体はもっと早いタイミングでと思っていた部分もありましたが「カーザ・ヴィニタリア」で星をいただくこともできましたし、僕の後は継いでくれるシェフを育てたいという気持ちもあり、あっという間に11年経っていましたね。

元々は20席くらいのレストランにしたいと思っていたんです。でも物件探しが思った以上に難航して、今の場所が見つかるまでに7か月以上かかってしまいました。ここだとカウンター席メインですし、イメージしていた空間とはちょっと違う形ではあったんですけど、フィーリングを感じて最後はここに決めました。「ボッテガ」は、辞書で言うと“工房や職人のお店”を意味するのですが、この空間のイメージにしっくりくると思い名付けました。初めは何のお店かわかりづらいなんて声もありましたが、少しずつ皆さんに覚えてもらえているのかなと思います。

バイブルを基に再解釈したイタリア料理の数々

―これだけは食べて欲しい逸品についてお聞かせください。またそのこだわりについてお聞かせください。

もちろん全部食べていただきたいですが、まずは「燻したメカジキと香草のカルパッチョ仕立て」です。トスカーナで修業している際、シェフの知り合いなどがシチリア島にいたこともあり、行く機会があったんですけど。色々な名物食材のうちの1つがメカジキでした。シチリア島に行く際は、その食材がどういう風に使われているんだろうって色々と食べ比べて、自分だったらもっと燻製のかけ具合をこうしたいなとか、ここはこうするなって頭の中で妄想しながら食べ比べていました。うちで出しているメカジキは、生でも食べられるくらい新鮮なメカジキですので、燻製は現地よりだいぶライトにかけています。また水分を少し抜くことによって旨味を凝縮させています。なので、現地の味そのままとは言えませんが、自分なりのアイディアもプラスしてお出ししています。魚は個体差もありますから、それぞれの魚によって燻製する時間も水分を抜く時間も調整し、常に同じように美味しく食べていただけるように努めています。

またアンナ・ゴゼッティさんという方が書かれているイタリア20州全ての郷土料理のレシピが載っている本があるんです。僕にとってのバイブルなんですが、これを僕なりに全部訳しました。

―え!これを全部ですか?

「カーザ・ヴィニタリア」でシェフをしている時にやり始めて、約2年間かけて全てのレシピを自分なりに訳して理解を深めました。僕、皆さんが思っているよりイタリアが好きなんです。人には大変そうって思われるかもしれないですが、僕にとっては楽しくて仕方ないんですよね。

―すごく分厚く見えますが、レシピは全部でいくつくらいあるのでしょうか?

だいたい2,000くらいですね。組み合わせは主菜となる肉や魚、野菜、油脂、アルコール、乳製品、ハーブなどがあるんですけど、それらを各州ごとに何が使われているかを全部書き出して、州ごとに再度分けて自分でわかるように書き出してみたんです。そうすると、この州ではこれはこう組み合わせるという、いわば料理の公式が見えてくるんです。そこで出てきた自分なりに解釈した公式を、今の料理に応用しています。もちろん日本で作っているので、全くイタリアと同じような食材は使えないですけど、自分なりに紐解いた解釈を基に仕上げています。

―先日「トリュフとフォンティーナチーズのタヤリン」をいただきましたが、パスタの触感にまず驚きがありました。パスタへのこだわりをお聞かせください。

あのパスタはプツンというような歯切れが特徴です。タヤリンは卵黄だけで練った生地をシート状に伸ばして乾燥させ、さらにカットをした後に冷蔵庫で1日以上乾燥させて仕上げています。それによって、独特な歯切れになるんです。イタリアと日本の乾燥具合は異なるので、イタリアで学んできたままの生地の固さで作ってしまうと、自分が現地で食べて感動してきたパスタにはならないんですよね。そのため日本では少し固めに練るようにしています。また、季節によっても乾燥具合は異なりますので、練る具合を調整する必要があります。とは言え、固すぎると練り切れなかったり、緩すぎたりすると求めるものにはならないので、日々の状況に合わせながら作っています。

未だに、イタリアで食べた時のパスタの感覚が頭の中に残っているんです。どうやったらあの時の感動をお客様に味わってもらえるかなと考えながら練っています。もちろんパスタはオーダーを受けてから調理しています。パスタも食文化の1つですので、あの触感を具体化することで、お客様にイタリアの食文化を体験して欲しいですね。

―「黒毛和牛のローストと冬トリュフ」はいかがでしょうか?

これも色々と改良して、今はこの形に落ち着いています。元々は子牛の出汁だけでマルサラ酒のソースを作っていました。ただ、トスカーナ州とシチリア島にはお肉のローストに、マルサラ酒を使ったソースをかけるメニューがあるんですけど、あの感覚を再現したいなと思うと、ちょっと旨味や粘りが弱かったんです。定番として出している料理ですので、これはもっと美味しくしたいなと思って、豚のすね肉や豚足とかも子牛の出汁と一緒に煮出してみたらしっくりきて、今の形になりました。そこにマスタードをしっかり入れることで酸味を加えてバランスを取っています。

継続することで道は開ける、その思いを発信したい

―7周年目を迎えた「ボッテガ」ですが、現在取り組んでいらっしゃることや今後挑戦されたいと思っていらっしゃることをお聞かせください。

実は今、本を作っています。僕、相当不器用な人間なんです。1回でこれやれって言われてもできないですし。料理人の方って器用な方が多いですけど、僕はこの業界に入って、本当に自分って不器用なんだなって気づきました。でも体力だけはあったので、失敗しても何度も何度もトライしてみて。本当に不向きだなと思いつつも自分なりに前に進んできました。なので何か目標や夢があるんだったら、自分なんかでもできているので、誰にでもできるよというのを同業の方々に伝えたいですね。

僕は、今のお店でも毎日緊張しています。今からでもキッチンに壁を作りたいくらいです(笑)。話をしたりするのは好きなんですけど、人前で料理をするのが苦手で。それくらい不器用な人間ですが、カウンター越しに色々なバックグラウンドを持つ方々とお話させていただくのは、やはり非常に励みになります。お客様が「ボッテガ」の味ってこれだよね、美味しいよねって食べてくださるのを見るとやっぱりとても嬉しいですし、緊張感もありつつ、出会いも楽しみつつ成長させてもらっています。色々な人と関わることによって自分が成長できる環境というのは、自分が幼い頃にいた、母が与えてくれていた環境で、なんだか原点にいるような気がして。本当に毎日ありがたいです。

今後もし何かするとしたら、イタリアンでももっとシンプルで、素朴な料理を提供するお店もやってみたいなという気持ちもあります。うちでもできなくはないんですが、今のメニュー構成や単価を考えるとできないこともあるので。イタリアンと言えど色々な料理がありますし、今出している料理とはまた違う食文化なり料理を落とし込めるお店もいつかやってみたいなと思います。また原点に戻って勉強し直すこともできるので、それも楽しそうだなって、日々思ったりしています。

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笹川尚平氏 プロフィール
1976年生まれ、富山県出身。20 代でイタリアに魅了され、ピエモンテへ留学。その後カンパーニャ、トスカーナ各地でも修業した後に帰国し、「アロマフレスカ」に入店。2005年より【カーザヴィニタリア】のシェフを11年務め上げる。2017 年に「BOTTEGA」をオープンし、オーナーシェフに。
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イタリア料理

BOTTEGA

東京メトロ日比谷線 広尾駅 駅から313m

15,000円〜19,999円

編集後記
「僕、皆さんが思っている以上にイタリアが好きなんです。」と無邪気に笑いながら語る笹川シェフ。心の底から好きなことだからこそ、不器用だと語りながらも走り続けることができるのでしょうか。継続すれば誰でも何かを成し遂げられるという笹川シェフの言葉に、それを実際に実行できる人がどれくらいいるのだろう?と、それもまた才能ではないかと思いました。シェフが導き出したイタリア公式で作られたお料理の数々、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。

※こちらの記事は2023年05月07日更新時点での情報になります。最新の情報は一休ガイドページをご確認ください。

Mika.A

外食が何よりの楽しみな編集部メンバーです。
野菜へのこだわりは人一倍!好きが高じて
ベジタリアン・フルーツアドバイザーの資格を取得しました。

・好きなお店:銀座レカン/シンシア/Heritage by Kei Kobayashi
・好きなジャンル:フレンチ/鮨/肉料理
・最近行ったフレンチ:ラルジャン/apothéose/渡辺料理店/フロリレージュ
・好きな美食宿:ホテルリッジ/sankara hotel&spa 屋久島

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